Darling in the Rain
「デートでディズニーランドに行くと別れる」というジンクスは本当だったのかもしれない。
私たちは雨の中、東京ディズニーランドの夜のパレード、エレクトリカルパレード・ドリームライツの開始を待っていた。
時刻は19時ちょうど。残暑も落ち着いてすっかり暗くなった空をバックに、シンデレラ城が輝いている。私と葛原潤は、その城の前――下調べによると、キャッスルフォアコートと呼ぶらしい――にいた。
そろそろ、パレードを待ち始めて1時間が経つ。最初は他に待っている人もまばらだったが、今や通路沿いには見渡す限り人があふれている。
彼は何も喋らず、無表情で左手に傘をさしていた。スマホをいじるわけでもなく、ただ黙々と前を見ている。
沈黙に耐え切れず、私は右隣の彼におずおずと話しかけた。
「こっ、ここだと、パレードのフロート……あの、車というかお祭りの山車みたいなやつ、が、お城と一緒に見えるんだよ」
「へぇ、そうなんですね。楽しみ」
どもったうえに上ずった声を出した私に動じず、潤くんは淡々とそう返した。
潤くんは通っている大学の部活の後輩だ。
今年の5月に行われた歓迎会で彼と向かいの席になった私は、彼に一目惚れした。
私は口下手で男性経験のないことがコンプレックスだったので、大学にも慣れてきた今年こそは彼氏を作ろうと必死になったのだ。
私は彼に猛アタックした。その歓迎会で彼の連絡先をなんとか入手して、マメに連絡して、相談事や悩み事がないか心配して、バイトや授業の予定を把握して、それで仲良くなった。仲良くなれた、はずだ。そして今日の初デート――二人きりだしデートと言っていいだろう――にこぎ着けたのだ。
彼をディズニーランドに誘ったのは、ディズニーランドは私が唯一行ったことのあるデートスポットだからだ。私は何度か家族や友達と来たことがあるが、彼はそうではないらしい。ここはひとつ、年上の余裕というものを彼に見せてあげようという魂胆もあった。
また、「デートでディズニーランドに行くと別れる」というジンクスに反抗する気持ちもあった。言ってしまえば逆張りだが、「私だけは大丈夫」という自信があった。待機列で話すネタも用意したし、あらかじめどこへ行くかも計画した。下調べは十分だったから、当日にあたふたすることはいだろうと思っていた。
そして迎えた今日。
天気は曇り。まあ私は汗っかきだから涼しい分にはいい。
しかし、私は大寝坊をしてしまった。緊張のせいで朝方まで眠れなかったからだ。急いで身支度をして、荷物をひっつかんで電車に駆け込んで、それでも1時間近くの遅刻だった。
潤くんは舞浜駅前で平謝りする私に、「気にしてないです。行きましょう」とだけ言った。
それからは失敗続きだった。
アトラクションやショーの待機列では、用意していた話題が飛んで、延々と一方的に自分の思い出を語ってしまった。
潤くんの行きたがっていたアトラクションが、メンテナンス中で乗れなかった。明らかなリサーチ不足。
レストランやベンチで休憩している時に、ハンバーガーやスナックをほおばっている彼を横目に、次の行先やルートをほぼ勝手に決めてしまった。
思えば、この瞬間だってそうだ。
潤くんにエレクトリカルパレードを最前列で見せたい、というのも私のわがままだったかもしれない。彼はパレードやショーに興味がなかったかもしれないし、もっと見たい場所や食べてみたいフードがあったかもしれない。その気持ちを汲み取らず、ここで1時間も潰して、彼が退屈していたらどうしよう。
そして極めつけはこの雨。
昼すぎまでは大丈夫だったのに、気づけばパラパラと小雨が降っていた。その勢いは増すばかりで、今や傘がなければずぶ濡れになってしまうほどだ。
しかも、私は今朝急いで家を出たせいで、傘を忘れた。幸い潤くんが折りたたみ傘を持ってきてくれていたので、一緒に入ることで事なきを得た。最初は私が傘を持とうとしたが、20cmの身長差のせいで彼が窮屈そうにしていたので、泣く泣く返した。
人生初の相合傘は、以前思い描いていた甘い一時なんかではなかった。もっとみじめで、申し訳なくて、後悔のにじむものだった。彼に申し訳なかった。今日だけでたくさん迷惑をかけて、一方的に計画を押し付けて、それであたふたしているうちに夜になってしまった。
明日は授業実施日だ。パレードを見終えたら、すぐ帰らなくてはいけない。あいにく、最後にアトラクションに乗ったり、お土産を物色する時間はないのだ。
だからこそ、このパレードだけは最高の場所で見て帰る必要があった。
――そのはずだった。
「東京ディズニーランドからのお知らせです」
唐突にスピーカーからアナウンスが流れる。
とっさに、何が起きるかを悟ってしまう。
やめてくれ。それだけは。
「本日の東京ディズニーランド・エレクトリカルパレード・ドリームライツは、悪天候のため中止させていただきます。どうぞご了承ください」
私は気が遠くなった。
「勅使河原先輩、大丈夫ですか」
ざわめきの中、潤くんの声が聞こえる。
見渡せば、周りの人たちが続々とその場を後にしていくのが見える。
そうか、やっぱり見れないんだ。パレード。
私を覗き込む彼の顔を、今だけは見られなかった。
「ごめん」
目から零れ落ちる涙をぬぐう気力もなかった。
「こんなつもりじゃなかったの……。ごめん、ごめんね」
「私、しっかり調べて準備したのに、こんな最悪な一日になっちゃった」
「遅刻もするし、潤くんのいっ、行きたいところには行けなかったし、私ばっかり話しちゃうし、こんな雨の日にチケット取っちゃったし」
「楽しくなかったよね、ごめんなさい、ごめんなさい……」
濡れた地面を見下ろしながら、私は謝り続けた。
傘を叩く雨音と、私の嗚咽だけが耳に届いた。
ふと、頬にぬくもりを感じた。
ごつごつして大きい、彼の右手だ。
「そんなことありませんよ」
彼が口を開く。低くて、優しい声で。
「自分、ディズニーなんて来るの初めてでしたけど、勅使河原先輩が一生懸命リードしてくれたおかげで、安心して回れましたよ」
「誘ってくれて、頑張って話してくれて、クマができるまで準備してくれて、今日一日一緒に過ごしてくれて、自分を連れてきてくれて、ありがとうございます」
しゃくり上げながら顔を上げると、潤くんの目が見える。
深くて、夜の海のように静かな目。その目が私を見つめている。
潤くんは右手を私の顎に回すと、優しく引き寄せた。
甘くて、冷えた心を溶かすような口づけだった。
目を開けると、前かがみになっていた彼の顔が離れていく。潤くんは照れくさそうに笑うと、私の手を握った。
「また来たいですよ、志乃さんと」
それは、彼が初めて私の名前を呼んでくれた瞬間だった。
「Darling in the Rain/雨のなかの恋情」
ショート・ショート・エッグ 五郎 @Gorochi
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