A burnt child dreads the fire

 その年の夏休みは、例年より暑い日が続いていた。


 その高校はいたって普通だった。平均的な偏差値の平凡な生徒が通う県立高校。

 彼らも普通の男子生徒だった。過去に問題行動もなく、校則を守り、勉強や部活動に励んでいた。彼らは卓球部員で、特段強くも、特段弱くもなかった。地区大会ではそこそこ勝ち、そこそこ負ける。部員たちの仲は良好で、今まで大きなトラブルもなかった。

 そんな彼らがまさかあんなことを起こすとは、彼ら自身でさえ想像だにしていなかった。




 姫川淳は新入生で、背が低かった。左目を隠すくらい伸びている黒髪が人々の目を引いた。

 変声期を終えてなお高い声と整ったルックスから、男女問わず彼の人気は高かった。数々の部活から勧誘を受けたが、姫川は中学から続けていた卓球部に入部した。

 卓球部は姫川を歓迎した。経験があったこともあり、彼は部内でもかなり上位の実力者だった。素直で純朴な性格だったので、部員ともすぐ打ち解けた。




 日差しの強い日のことだった。

 その日は夏休みだったにもかかわらず、地区大会が近いため練習が行われた。体育館は大きなネットカーテンで半分に仕切られ、ステージ側は女子バスケットボール部、入口側は卓球部が使用していた。

 ある時、誰かが弾いたピンポン玉がネットカーテンの網目を抜けて、バスケットコートに落ちた。バスケ部は練習を中断し、卓球部に文句を言った。みんな暑さで気が立っていた。卓球部の部長は何も言い返さず、頭を下げた。


 練習が終わり、部員たちは体育館の片付けと清掃を終えた後、校舎にある更衣室に戻っていった。扇風機が故障していたので、更衣室は気が狂わんばかりの熱気に満ちていた。部員たちはTシャツや運動着を脱ぎ、制汗シートで全身を拭きながら口々に文句を言っていた。いつの間にか、話題は暑さへの不満から女子の悪口へと変わっていった。男たちは女子バスケットボール部の容姿や態度をけなし、笑った。


 姫川が更衣室のドアを開けた。彼は顧問に体育館の鍵を返しに行っていたのだ。

 男たちは姫川が入ってきた途端、口を閉ざした。姫川はそれに気付かなかった。彼は部員らに軽く挨拶をすると、自分のロッカーを開け、中をまさぐり始めた。彼は汗ばんでいた。黒のメッシュTシャツは肌に張り付き、髪はじっとりと濡れていた。火照った身体を冷やすため、彼はTシャツの襟をパタパタと引っ張っていた。


 男たちは何も言わず、それを見ていた。


 姫川は制汗シートをロッカーの手前に置くと、Tシャツの裾をつかんだ。

 汗に濡れた布が上に引っ張られ、姫川の上半身が露わになる。薄い腹部には、わずかに割れた腹筋が認められた。脇腹には浮き出たあばら骨が存在を主張しており、筋肉の付き始めた胸には、ぷくりと薄茶色の乳首が隆起している。


 上を脱いだ姫川は、自分が取り囲まれていることに気付いた。男たちの目は血走っており、誰もが脂汗を垂らしていた。誰かが姫川の腕を掴んだ。いつもの冗談とは比べ物にならないほどの力だった。顔を上げると、真っ赤な顔をした男たちが自分を見下ろしていた。


 姫川は腕を振りほどくと、咄嗟に出口へ向かって駆けだした。瞬間、男たちは姫川の体にしがみついた。もつれるようにして、彼らは更衣室の硬い床に倒れこんだ。姫川の声にならない悲鳴は、男たちの荒い息遣いに掻き消された。


 誰かがドアに駆け寄り、鍵を締めた。


 姫川は更衣室の奥に引きずり込まれた。手を振り回して暴れた彼だが、その細い腕では何の抵抗にもならなかった。むしろ、そのか弱さが男たちをさらに刺激した。男たちは姫川を羽交い締めにすると、彼のズボンを脱がせ始めた。彼は足をばたつかせ、足元の男を蹴りつけた。それでも、男たちは止まらなかった。


 姫川のズボンが投げ捨てられた。彼が悲鳴を上げると、誰かが近づき、その顔を三回殴った。姫川は二回目に黙り、三回目にはぐったりしていた。男は拳を下ろすと、姫川のパンツに手をかけた。彼はとうとう抵抗しなくなっていた。




 男たちは引っ込みがつかなくなっていた。誰もが冗談のつもりだった。そのうち誰かが笑って中断すると思っていた。姫川も笑うと思っていた。




 姫川の局部が露わになった。




 誰かが姫川を押し倒した。仰向けになった姫川は、されるがままに天井を見上げた。自分を取り囲む男たちが見えた。全員が興奮しているのがわかった。そのうちの一人がズボンをおろした。


「助けて……」


 姫川がそうこぼした。掠れんばかりにか細く、小さい声だった。

 しかし、それは男たち全員に届いた。


 男たちは我に返ると、姫川から離れた。それから急いで制服に着替え、荷物をまとめると、放心状態の姫川を残して更衣室から去っていった。




 卓球部員の誰かが、公衆電話から卓球部の顧問へ電話をかけ、更衣室に姫川が残っていることを伝えた。顧問は電話主の名前を聞き返したが、答えは返ってこなかった。


 その後、顧問は更衣室で熱中症になっている姫川を発見した。彼は全裸のままだった。保健室で手当てを受けた姫川は、家族の迎えで家に帰った。




 次の活動日、部員たちは何事もなかったかのように練習へ来た。姫川を除いて。顧問は職員室に部員全員を呼び出し、あの日に起きたことを問い詰めた。誰も何も言わなかった。


 顧問はその日の部活動を中止にすると、その足で姫川の家を訪問した。姫川の母は顧問を歓迎した。そして、熱中症で倒れていた息子を助けたことに感謝した。淳くんと二人で話すことがある、と言うと、母は顧問を彼の部屋に通した。


 姫川と二人きりになった顧問は、あの日に起きたことを尋ねた。彼は黙っていたが、顧問の質問に動揺したことは明らかだった。もぞもぞと手を動かし、目は泳ぎ、何度も唇を噛んでいた。顧問は急かさず、姫川が口を開くのを待っていた。


 しばらく経つと、意を決したように姫川が口を開いた。


「――何もありませんでした、何も」




 卓球部はその年の地区大会に参加しなかった。




 解決の糸口が見つからないまま、夏休みが終わった。新学期を迎えた生徒たちは、口々に宿題や残暑やテストへの文句を言い、夏休みの思い出を語り合った。それは卓球部員たちも同じだった。しかし、あの日の出来事についてだけは誰も話題にしなかった。皆、更衣室を使う時だけは無言になっていた。姫川が使っていたロッカーは、必ず空いていた。更衣室の奥には誰も近寄ろうとしなかった。


 姫川はその日以降、二度と部活に来ることはなかった。部員も顧問も、彼に戻ってくるよう説得しなかった。説得できるはずがなかった。それは誰もが分かっていた。




 2学期が始まって数週間後、姫川は退部届を提出した。それは何の滞りもなく受理された。


 気候も落ち着き始めた、秋の夕方のことだった。






『A burnt child dreads the fire/火傷した子供は火を恐れる』

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