Lights on, Lights out

 照明の消えた教室は、窓から差す強い西日に包まれていた。

 きれいに手入れされた黒板も、所々に落書きのある机の群れも、くたびれた金属製のロッカーも、すべてが茜色に輝いていた。


 ただひとつ、カーテンを引いた窓際の席の川島を除いて。


 川島は放課後の教室が好きだった。静かで、穏やかで、誰にも干渉されない。聞こえるのは、グラウンドで練習する運動部の掛け声と自分の呼吸する音だけ。彼は授業中の緊張感ある静寂ではなく、この開放的な静けさを何よりも愛していた。


 教室の空気を堪能した川島は、スマートフォンを取り出し、ソーシャルゲームを起動した。放課後、誰もいない教室でゲームのシナリオを読むのが、彼のお気に入りの過ごし方だった。今日もこの時間が始まる。川島は多幸感に包まれながら、ゲームのタイトル画面をタップした。




 ドアが引かれ、誰かが一人教室に入ってきた。


 川島は思いがけない侵入者の登場に驚きつつも、お気に入りの時間を邪魔されたことに抗議する意味を込めて、ドアの方を見やった。

 リュックを背負い、大きめの袋を手にした女子生徒が教室を見渡している。

 川島は、それが同じクラスの石原だとすぐに分かった。人を覚えることが苦手な彼ではあるが、昼休憩中に自分の席を占拠している生徒の名前くらいは記憶している。

 石原は西日に目を細めながらも、教室の隅にいる川島を見つけ声を掛けた。


「ねえ、うちの充電器知らない?」

「いえ、知ら……知りませんが」


 思わず敬語になってしまう自分が情けない。

 しかしそれも仕方ないことだと、川島は自己弁護した。というのも、石原はクラスのカースト上位に君臨する「陽キャ」の一人であり、間違いなくカースト最下位の川島が関わるような人間ではないため、出鼻をくじかれたのだ。

 脳内で反省会をしている川島に対し、石原はなおも話しかける。


「あれ、てかよく見たら健司くんじゃん。やっほ~」

「お、覚えてたんですね、僕のこと」

「さっきの体育で一緒の班だったじゃん、当然っしょ」


 さも普通のことかのように言い放つ石原。

 川島にとって人と関わることは「人生に必要な手続き」の一環なのだが、目の前にいるこの女子は人とのコミュニケーションを楽しんでいるようだ。同じ人間だが、こうまで違うとは。彼は石原のコミュニケーション能力、そして明るい性格を真似することはできないだろうな、とぼんやり思った。

 黙って考え込む川島へ、石原は言葉を続ける。


「てか、健司くんこそうちのこと分かる?」

「あっ、はい。石原さん……ですよね」

「いやいやなんで敬語なん!おもろ~!」


 そう言うと、石原は楽しそうに笑い始める。こうも人の言葉に一喜一憂できる感受性は素直に見習うべきなのかもしれない、と彼は思った。


「あー面白かった。藍里でいいよ~」

「わかりました、藍里……さん」

「また敬語~!」


 再び笑いだす石原に対し、川島はただ様子を見守ることしかできなかった。




「てか、なんで健司くんがここにいるの?」


 笑い終わった石原が、再び話し出す。


「ここは夕陽が綺麗で……だし、何より邪魔が入らないので、ソシャゲのシナリオを読んだりするのに最適なんです……だよ」

「ちょくちょく敬語混じってるね~」

「口頭での会話は苦手なので……」

「なんだそりゃ!」

「はは…… あい、藍里さんは、どんなご用でここに?」

「そうだった、うち充電器探しに来たんだよね」

「充電器……、モバイルバッテリーですか?」

「そそ。借りもんだから失くしちゃヤバいんだよね」

「ロッカーの中とかってもう見ました?」

「あー、見たような見てないような……ちょっと待ってね」


 無関係の僕が、何を待つんだろう。川島はそう思いつつも口には出さず、自分のロッカーを漁り始める石原をぼんやり見ていた。

 少しすると、彼女が戻ってきて口を開く。


「なかった~。やっぱ誰かに間違われたのかな」

「……もしかしたら、ジャージのポケットとかじゃないですか?」

「あーっ!それかも!」


 彼女はそう言うと、手に持っていた―おそらく体操着を入れているであろうUNIQLOのビニール袋に顔を突っ込んだ。獲物を狩る狐のようでもあり、巣穴に逃げ込む小動物のようでもある、と川島は思った。

 しばらく中を探っていた石原は、「あっ」と声を上げると巣穴から顔を上げた。その右手にはモバイルバッテリーが握られている。


「あったあった!ありがと~マジ助かった!」

「よかったです」

「ねね、なんでわかったの?エスパー?サイコキネシス?的な?」

「エスパー……ではないです。さっきの体育の授業中にスマホを充電していたとすれば、机に置いていくか肌身離さず持ち歩くかの二択だと思って、あの、だとしたらジャージのポケットに入れ忘れてたりするんじゃないかな……と」


 興味深そうに説明を聞いていた石原が、感心して口を開く。


「すっご!健司くん、エスパーってか名探偵じゃない?」

「探偵ではないですね……へへ」

「あ、照れてる?」


 ぐいっと顔を近づける石原。彼女の大きな目に、川島の顔が映っている。いたずらっ子っぽい笑顔の彼女と、おどおどと困った顔の自分。狩る側と狩られる側の差は歴然だと、川島は思った。


「からかわないでくださいよ……」

「あはは、かわい~」


 屈託のない笑顔を見せる彼女。川島の体温は急上昇していた。こんな距離感で女子と喋るのなんて初めてだ。彼女の大きくて深い瞳や、長いまつ毛。ふわりと芳香剤の香りをまとう髪の毛。少し開かれたシャツからは、すらりとした首が伸びていて……。


「絆創膏」

「え?」

「その絆創膏、その、首元のやつ。大丈夫ですか?」


 虫刺されか何かだろうか。彼女は一瞬目を丸くすると、素早く顔を離してシャツのボタンを留め始めた。


「ああこれね!大丈夫大丈夫!ちょっと肌荒れ?みたいな」


 教室に差す夕陽が、彼女の顔を赤く照らしている。

 ボタンを留め終わり、顔をぱちぱち叩くと、彼女は再び余裕のある表情に戻った。


「なんでもないから大丈夫!チョコラBBとか飲んでるし、すぐ良くなると思う」

「チョコラ……?まあ大丈夫そうならよかったです」

「焦った~、うちガード堅いはずなんだけどなぁ」

「そうなんですか?結構無防備でしたよ」

「そう~?健司くんの前だったからかな」

「もう、からかわないでくださいったら」


 今度は顔を近づけず、その場で笑みを浮かべる彼女。蠱惑的ながらも、その顔からはどこか動揺や緊張が感じられた。川島はその微妙な違和感を察したものの、うまく頭の中で言葉にすることができなかった。




「あ、てかもうこんな時間?」


 スマホを覗いた彼女が口にする。


「そうですね、もうとっくに放課後ですから」

「うちはそろそろ帰ろっかな、この後用事あるし」

「バイトとかですか?」

「バイトじゃないけど、ちょっと友達?と会ったりするんだ」

「今からですか?結構遅いですね」

「そそ、亮くん今日五限までだから」

「『亮くん』?」

「あっ……、まあもう言っちゃうか。彼ピみたいな感じ」

「あっ、なるほどですね」

「そ。みんなには内緒ね」

「……了解です」

「じゃあうちもう行かないと!あっ、充電器見つけてくれてありがと!」


 そう言い残すと、石原は川島に手を振りながら教室を後にした。




 夕陽はいつの間にか沈み、冷たい秋の風が窓を揺らしていた。






『Lights on, Lights out/灯る、消える。』

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