第7話価値の話

─パシっ!


 突然掴まれた右腕。驚き咄嗟に振り返るひな。その先、腕を掴んだ人物は大也ひろやだった。


 細くそれでいて女性的柔らかさのある腕を掴んだ大也ひろやの腕は僅かだが震えていて、ひなの瞳を凝視する目は何かを訴えようとしていた。

 ひなは不意なことに困惑すると共に、大也ひろやの目に怯み、目をキョロキョロと忙しなく動かし動揺を隠さずにいた。しかしすぐに正気を取り戻し、大也ひろやの腕を振り払おうとした。その瞬間大也ひろやの唇が動く。


 「も、もう一度。もう一度デートいきませんか?」

 「へ…?」


 予想外の発言にひなは再び正気を掻き回される。


 「俺にとって今日のデート初めてだったんです。以前の俺はデートなんて縁もゆかりもなくて、だから今日めちゃくちゃ楽しかったんです。」


 『デート初めてだった』…

 大也ひろやの言葉がひなの脳内で何度も何度も反響する。その度に心を削り、罪悪感を掻き立てる。


 (こいつにとっての初めてのデートを私は2回も…)

 

 その先の言葉を理解していても、脳内であっても口に出すのが怖かった。


 大也ひろやははにかむように笑うと更に続けた。

 

 「急に何言ってんだよってなりますよね…俺だけが舞い上がって、楽しい思いして、ひなさんにつまらない思いさせ続けたこと謝りたいんです。」


 (謝る…?あなたは悪くないでしょ。)


 「ごめんなさい…」


 (謝らないで、顔を上げて…悪いのも謝るも全て私の方だから。悪いのは私、あなたの初めてのデートを2度も壊した私が悪いの。その上楽しかったなんて言って、全部自分が悪いみたいに背負おうとして…)


 大也ひろやは更に頭を深く下げる。

 

 「ほんとに、ごめんなさい…」


 「─なんなの…」

 無意識のうちにひなの口からそうこぼれた。連なって言葉がボロボロとこぼれていく。


 「あなたは悪くないのに全部自分が悪いみたいに言って。悪いのは全部私なの。頭下げるのも、ごめんなさいを口にするのも私の方なの。」


 「で、でも俺だけが今日楽しんで…」


 「な訳ないでしょ!今日のデートが楽しいわけないわよ!高い物買わせて、ご飯代も出さない、その上あなたの見た目に文句までつけて…こんなのが楽しいわけないじゃない…。」


 自分で言葉にして改めて認識する、今日というたった1日で犯してきた罪の大きさに。口に出し、認識するうちに涙が溢れて止まらなくなる。


 (だめ。泣くのは私じゃない。止めなきゃ止めなきゃ。)


 流れる涙を拭えど拭えど止まらない。涙で歪む視界、拭うために視界を遮る腕。ひなは目の前の大也ひろやがどんな表情を浮かべているのか目視できずにいた。


 泣いて許しを乞うように見えたら殴ればいい、散々に罵ってくれてもいい。あなたにはそれが許されるだけの権利がある。私はそれを受ける罰がある。

  

 「泣かないで下さい。」


 ひなの予想とは違う、優しい言葉。

 急に右目の視界が明瞭になる。


 大也ひろやひなの目元にティッシュを当てて涙を拭いた。

 明瞭になった視界、至近距離まで近づいた大也ひろやの顔。その決して大きいとは言えない目には怒りや悲しみはなく、どこまでも深い慈愛の色が浮かんでいた。


 「楽しいはずがないなんて悲しいこと言わないで下さい。俺はほんとにほんとに楽しかったんです。あのピアスもご飯代も…」


 そこまで聞いたひなの脳内で何かが動いた。忘れようと奥にしまい込んだ物。敷き詰めるように力づくで扉を閉めたタンスの引き出しの1つが音を立てて開く。

中から覗く苦い記憶。


 『お前にそれだけの価値はない…』


 「僕なんかの隣にひなさんがいてくれるってだけでそれだけでお釣りが来ます。僕にとってひなさんはそれだけ価値があります。」


 その言葉を聞いた瞬間、ひな

記憶のタンスは勢い良く閉まり、代わりに光が差した。温かく心地の良い光。

 気づけば涙は自然と収まっていた。


 「──分かった。もう一度デートに行きましょう。」


 「へ?」


 「へ?って。キミが提案してきたでしょ。いいわよ、行きましょ。今度はちゃんとデートに。」


 「いいんですか?!」


 驚きを隠さない大也ひろやひなは半ば呆れつつ笑みを浮かべる。


 「キミが誘ってきたんでしょ。私の罪償つみつぐない、それに足りるかわかないけど、仮カップル期間の最後くらいはちゃんとしたデートしましょ──」


──────

──


 帰宅したひなはシャワーに当たりながらぼんやりと考え事をしながら、


 「あの人にとっての私の価値…」


 そう口にこぼし、少しいつもより荒めに頭を洗った。



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