花火は一瞬たりとも同じ姿ではなくて

 ある休日の夕方のことだ。その日は木嶋兄弟もいて、みんなで夕飯の買い出しにでもそろそろ行こうかと話していたときのことだった。玄関チャイムが古びた音で鳴った。

「誰か通販でもした?」

 めったに鳴らないチャイムに私たちは首を振って不審がった。こんな山の中腹まで訪問販売なんかがやってくるとは思えなかったし、実際今までその類が訪ねてきたことはない。

 なんとなく全員で玄関付近まできて、私が代表してドア前まで降りていった。

「はい、どちらさまですか」

「突然申し訳ありません、駒場と申します」

「はあ?!」

 遠慮の強い控えめな女性の声に、背後で素っ頓狂な声を上げたのは明ちゃんだ。駒場といえば、そう、明ちゃんの苗字だった。

「明の母です」

 夕方の薄闇が滲む擦りガラスの向こうでそう確かに告げられると、なによおおおと長く伸びる怪鳥のような悲鳴が響いた。

 明ちゃんのお母さんは玄関から中へ入るのを丁重に、頑なに拒否した。まるで自分が入ることで家が壊れてしまうとでも思っているように。

「家主の方は」

「はい、私です」

 木嶋くんを盾にするようにして背後に隠れる明ちゃんはなにかをぶつぶつと唱えていてちょっと怖い。私はお母さんのほうへなるべく集中するようにして名乗りを上げた。

 すると、明がお世話になっておりますと一抱えほどもあるダンボールを手渡される。みずみずしい甘い香りが立ち昇って、これはりんごだとすぐにわかった。

「やだ、なん、なんで、なんで来たの?!」

 木嶋くんの背後から甲高い声が響く。ちらちらと顔をのぞかせているけれど、明ちゃんのほうが若干背が高いため滑稽な感じが否めない。

 明ちゃんのお母さんは警戒する犬のような息子を落ち着かせるためか、ことさらに穏やかに語りかけた。

「お父さんはああ言ってるけどね、母さんは明は明だと思っているから。いろいろ考えてみてね、明が男であろうが女であろうが関係ないなって。明が母さんの子供であることに変わりはないなって気がついたの」

「な、な……」

「お父さんを説得できるかはわからないけど、母さんは明の味方だから。ちょっと遅くなってごめんね。でも味方だから」

「べ、別に謝ってもらわなくてもいまさらだし、そうよ、いまさらなに、どうしたの?!」

「明ちゃん、お母さんにもきっと時間が必要だったんだよ」

 美咲さんがパニックを起こしている明ちゃんの肩に触れ言った。

 時間。何もかもを時間が解決するわけじゃないけれど、時間でなければ解決できないものは確実にある。それはきっと明ちゃんのお母さんもそうだし、私もそうなのだろう。私が千織へ抱くこの家への感情。時間だ。私は美咲さんの明ちゃんへの言葉を胸に刻んだ。

「急に来てこんなこと言われても、皆さんも困るでしょうから今日はもうお暇します。明、気が向いたら母さんに連絡のひとつもちょうだい。お父さんには内緒にするから」

「う、あ、うん、まあ」

 相変わらず木嶋くんの背後に隠れるようにしている明ちゃんはむにゃむにゃと返事をして頷いた。お母さんはその短い髪のようにずっと落ち着いていた。

 お母さんが帰ってからも明ちゃんはしばらく動揺し続けていた。両親に勘当された当時の明ちゃんはひどく荒んでいて自暴自棄で、この家にもあまり寄り付かず外でお酒を飲んでばかりいた。自分の中で何かが治まったとき、明ちゃんは明ちゃんを取り戻してこの家に帰って来たけれど、決して取り戻せない空洞みたいなものを抱えているのがわかった。思えば家族を捨ててきた私と、家族に捨てられた明ちゃんが仲良くやっているのは意外なことかもしれなかった。

 その後、明ちゃんがお母さんと連絡を取っているのかはわからない。動揺した明ちゃんはまたしばらく夜の街に繰り出しがちになって、戻ってきた頃にはすっかり憑き物が落ちたみたいにぴかぴかしていた。元気ならいいか、と私たちはあまり詮索しないことにした。明ちゃんのお母さんからはときどき果物やお米なんかが送られてくるようになった。

 

 

 初夏、この街でいちばん早い花火大会の日が来た。

 私たちは念入りに虫除けスプレーを噴射しあって、各々飲み物を手に外へ出る。遮蔽物は何もないから花火はよく見えることだろう。見学スポットを求めて山の頂上へ向かう車が普段の何倍も多い。私たちの家は古い代わりに特等席だ。

「まだかしらねえ」

 明ちゃんがビール缶をあおる。そのペースだと始まる前に飲み終わってしまうのではないだろうか。なんてことを考えていると、わずかに夜空が明るくなり少しだけ遅れて胸を叩くようなドンという音が響いた。

「始まった!」

 みんなの声が重なる。夜空に黄金色の丸い花が咲いて、こぼれるように散っていく。それを機に赤や青の花火が間断なく上り始めた。私たちは歓声をあげてそれを見守る。

 色とりどりの花火があがり、そのたびに胸のうちを叩くような音に晒されていると、なんだか切ないような気持ちになってくる。私たちのたくさんの感情が打ち上がって弾けて散っていくように。何があっても流れていく日々の中で変わり続ける感情のように。いろんなことが起こって、変わったことも変わらないこともあった。その変わったことの象徴のように花火は上がり散っていく。変わらないことの象徴のように、今私たちがここに立っている。私、明ちゃん、美咲さん、木嶋くん、隆太くん。

 でもいつかきっと何かが変わってしまうことを、私は直感的にわかっていた。たとえば千織がやってくること。たとえば成長した隆太くんはここを訪れなくなるかもしれないこと。たとえば誰かが結婚するかもしれないこと。たとえば災害で家が潰れてしまうかもしれないこと。たとえば。たとえば。

 言い始めればきりがない。けれど何が変わっても私は私の居場所を守りたいと思う。作り上げた楽園を、守りたい。ただそれだけが願いなのだ。散っていく花火にはなってほしくないのだ。私は手にしたチューハイをぐいとあおった。打ち上がる花火は散るからこそ美しかった。


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楽園をつくる 朔こまこ @komako-saku

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