第四夜 「四六のご隠居」
どうした八の字、なんかヤなことでもあったのかい。
いやいやご隠居、そういうわけではないんでさ。ただ、あっしもどうしたらいいかてんでわからないから困ってるんで。
ご隠居、まあまあ困ってるのはわかったから、何に困ってるかいってもらわないとこっちこそ困っちまうよ。茶をずずずと飲みながら話をうながした。
団子屋のおみっちゃんのことですが。
いやだ、その話は聞いてるよ。なんでもおまえさん、
ええっ、おみっちゃんが⁉︎
いや、熊さんが。
熊公の野郎は関係ねえじゃねえですか。はあ、おみっちゃんが困ってるんじゃなくてよかった。いや、熊公の野郎もおみっちゃんを?
そうじゃないよ。なんでもおまえさんが四六時中懸想してるせいで飯も喉を通らない、このままじゃおっ
うう、熊公、心の友よ。……ところでご隠居、その「四六じちゅう」ってのはなんのことで?
四六時といやあ、四六の二十四で二十四時間という意味に決まってるじゃないか。
二十四刻も飯食わなかったら、ほんとに俺、病気になっちまうよ、ご隠居。
おお、そうか。この時代だと二六時中か、こいつはうっかりだった、
たまにご隠居は変なこと言い出しやがる。四六というからてっきりガマの油の話でもするかと思いやしたぜ。
おお、ガマの油な。そういやあれも四六のガマだったな。
そうです、二十四のガマです。
バカだねえ、そこをカケるんじゃないよ。なんだい二十四のガマって。壺井栄か。
ツボイなんとかは知りませんが、二十四も脚があったら気味悪いことで。そりゃあガマもたらーりたらりと汗を流しますわ。
うまかないよ、ちっとも。大体十二本も手足はありませんよ、四六のガマも。それで何に困ってるって。団子屋に何かあったのかい。
団子屋には何もないんですが、ないから困るというか。
要領を得ないねえ、はっきり言いなさいよ。
客も何にも来ないから店傾いて、こりゃもう、おミツを嫁にでも出すしかないかねえ、と。
惚れてんだろ、もらっちまえばいいじゃないか。
ご隠居も人が悪い。あっしみたいな貧乏人に好き好んで娘を差し出す親がどこにいるってんですか。娘が好いてるとかならまだしも。
おやおや。そのぐらいの分別はあるのかい。それでよく懸想が続くねえ。あんたは、偉い!
それほどでも、へへ。
褒めてるけど褒めてないんだよ、気づかないかね、どうも。まあ家のことはさておき、なら惚れてもらえるよう、なんとかするしかないんじゃないかい。
へえ、おっしゃるとおりで。
一番手っ取り早いのは、タチのわるいのに絡まれてるところを助けるとかかねえ。熊さんにでも悪役演じてもらおうかしらん。
泣いた赤鬼じゃねえんですから、そんなのいやですよ。だいたい、熊公じゃ面が割れてる。
そりゃいい案だとでもいうかと思ったら、意外とちゃんとしてるんだよなあ、あんたは。まあ、冗談ですよ、冗談。
だが、あんたが惚れられるにゃ、それぐらいしか方法がないよ。
よし、あたしに任せなさい。
今日の夜、暮れ六つの頃に団子屋の前で待ってなさい。店閉まるのもその頃だろ。
ご隠居は世間に疎いから。団子屋が閉まるのは、もうちっと早いですよ。一刻は早い。
じゃあ、その刻限に。いいかい、怖がらず、ちゃんと団子屋を守るんだよ、いいね?
ご隠居は時折意味のわからないことを言い出すが、いいつけを守ってれば大抵うまくいくってんで長屋の面々は素直に従った。八っつぁんもちゃんと約束の時間に団子屋にいた。
と、そこへ山賊が現れた。いや山賊ではなくタチのわるい旅人か何かなのかもしれないが、ダンビラ振りかざして娘に迫るような奴は間違いなく悪人以外の何者でもない。
普段ならビビって逃げ出しかねない八っつぁんも、ご隠居の言葉に勇気づけられ、おみつをかばうように間に割って入った。
なんでぇ、死にてぇのか。
死にたかないが女こどもを助けなくちゃ男がすたるってもんよ。
歯の根が合わずガチガチと鳴りながらも男を見せた八っつぁんだったが、山賊めいた男はああそうかいと言ってダンビラを袈裟がけにした。
噴き出る血飛沫、娘の悲鳴。
おみつの母の金切り声。
け、と言って男は立ち去ろうとした。
その時現れたるは我らがご隠居、ご隠居と呼ばれてはいるが六尺近くある体躯に、見ればまだ好々爺にはほど遠い年齢であることがわかる。
参ったねえ、少々読みが外れてしまった。あんさん、来るのが早すぎるよ。
言うが早いが手刀でダンビラを取り落とさせ、落ちた刀を足で踏み砕く。逃げる山賊には目もくれず、地に臥した長屋の粗忽者を慈愛の目で見て腰をかがめた。
済まなかったねえ、八の字。こんなことになるとは思わなかったんだよ。あたしは予知系統の魔法にはてんでうとくてねえ。
懐から小さい壺を取り出すと、ご隠居、中の軟膏を八っつぁんに塗ってやる。途端に八っつあんの顔色は元に戻り穏やかな顔になった。
この人は死んじまったのかい、とおみつ。あたしのためにこんな……。
バカいうものでないよ、寝てるだけだ。ガマの油を塗ったから、もう大丈夫だよ。どんな切り傷もたちどころに治る。
顔を上げたご隠居、目をきらきらさせているおみつに気づき、顔をしかめた。
また、あたし、なんかしちまいましたかね。
抱きついてくるおみつ、あたしは小さい頃におとっつぁん亡くして、昔から年上が好きなんだ。あんたに惚れちまった。
浮かない顔の八っつぁんに、ご隠居はまあまあと茶を勧める。
ご隠居のいれてくれた茶なんか飲めますかい、あっしは痛い思いしただけでさ。
そんなこというもんじゃないよ、八の字にはこれをあげよう。と、差し出したるはガマの油の入った壺。
あっしはあんな痛い思いはもうたくさんでさ。
違うよ、そいつは切り傷に塗ればさっと治す妙薬だが、病気にも効く万能薬だ。ほんのちょっとでいいから、おみつの飲む茶にでもささっと溶かせば、また元通りさ。
元通り、ですかい。
そうだ、草津の湯でも治せないという恋の病だってたちどころに治る。あとはあんたの腕次第さ。
そうはいってもご隠居。
四の五のいわずにさあさ行った行った!
四六の親分……。
誰がガマの油売りだい、死ぬ気になりゃあなんでもできるよ、実際気弱な八っつぁんはあんとき死んだんだ。娘のひとりぐらい
頭を下げて走る八っつぁんを見て、ご隠居もそろそろこの時代ともおさらばかね、とつぶやいた。
あれはガマの油ではなく、
あと一二回も時空の旅をすれば現代へと戻れるだろう。次あたりは戦争中かもしれないが、そこはそれ、なんとでもなる。
が、
おっといけねえ。時戻しの妙薬を壺ごと渡しちまったら現代に行っても歳食ったままじゃないか。
四六の体に戻るには他にどんな手があったかな、首を捻らせながら時空天翔の魔法陣を描き、次の時代へと向かうご隠居でございました。
四六のご隠居という一説、まことにお粗末様でございます。
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