1-16


 僕は、今朝瀬戸から聞き出した情報を上手くまとめようと、ちょっと考える。に順序立てて会話ができたわけではないので、自分でも一度整理をしないと話がごちゃごちゃになってしまいそうだ。


「ひとつずつ、簡潔に説明します」

 松永先輩が頷く。 

「まず、渡辺恵人の人物像ですが、以前彼女と親しかったというクラスメイトの瀬戸に聞いたのですが、特に変わりのない普通の優等生だったようです」

「あの瀬戸か?」

 老川先輩が問うてくる。

「はい、あの瀬戸です。渡辺は藤村と志村の幼馴染で、よく三人で行動していたところに、高校に入ってから知り合った瀬戸もよく混ざっていたようです。ただ、そんな瀬戸でも、〝普通の優等生〟といったくらいの感想しか持てなかったことを考えると、多分、本当に平凡な、と言うよりは、あまり目立たないタイプの女子生徒だったんじゃないでしょうか?」

「昨日聞いたメールの文面からは、どこか曲者の印象も受けたが……もしあれが素の状態なら、確かに目立たない優等生タイプの女子ということもできるかもな」

 老川先輩が頷きながら言う。

「そんな彼女が不登校になった日付ですが、恐らく7月5日からです。学級日誌に欠席者の名前を書く欄がありますから、そこから特定しました。また、同じく学級日誌の記載から、川井先生が休職に入ったのは7月14日だと分かりました。担任のサインがその日から別の先生の名前に変わっていましたから」

「なるほど……ちなみに、川井からどの教師の名前に変わっていたか、覚えているか?」

 松永先輩が聞いてくる。

「ええと……」

 そこまで意識して見れていなかったが……僕は記憶を振り絞る。

「確か、7月22日までは西村先生で、それ以降は栗林先生だったと思います……」

「まて、栗林だと? 確かか?」

 松永先輩が念を押してくる。

「はい、そうだったと思います」

「栗林先生と言えば……教頭先生ですよね」

 羽生田先輩が驚いたように呟いた。

「ああ、確かに教頭だ。うちの高校に栗林と言う名前の教師は教頭の他にいない。西村ならわかる。僕が一年のときも学年主任だった、今年もそうなら川井の代理で臨時の担任みたいなことをしていたのも頷ける。けれど……」

 老川先輩が思案に沈むように黙る。

「まあいい、とにかく続けてくれ給え」

 と、松永先輩がつづきを促してくる。


「それから、藤村たち幼馴染三人の関係ですが、まあ、これは瀬戸の勝手な勘繰りかもしれませんが、ちょっと複雑だったようで……彼曰く、志村さんは藤村に、藤村は渡辺に、気があったようです」

「つまり、一方通行の三角関係ってことですか?」

「はい。あくまでも瀬戸個人の所感ですが……ただ、関係がこじれたりした様子はなく、普通に仲は良好に見えたようです」

「まあ、よくある話と言えばよくある話ですかね? 別に驚くようなことでもありません……」

「はい、で、最後に席替えについてですが、やはりくじ引きは行われていなかったようです。萩城先生が来る直前に藤村が皆に頼んでそうしたのだとか……」

「ほお、藤村もよくクラスメイトをまとめられたな」

 老川先輩が感心したような声を上げる。

「どうやら、そのときには皆事故の話を聞いていて、断るに断れなかったとかで……」

「萩城がくる直前に席替えをしたと言うが、それは具体的にいつのことだ?」

 と、老川先輩が問うてきた。

「あ、それは確認していませんでした……」

「そうですね……生徒が勝手に自分たちの席を変える。萩城先生に繋ぐまでの臨時の担任とは言え、西村先生がそれを許すとは思えません。だとすると、それが可能なタイミングはかなり局所的ですが……」

「夏休みの登校日にでもやったんだろう。萩城は夏休み明けの後期学期から担任になった。夏休みの登校日は午前までだから、教師にバレずに午後にこっそり席替えをすることだってできなくはない。それに、別にわざわざ机を移動させる必要もないんだ。夏休み中なら皆荷物もある程度持ち帰っているはずだからな。それに、教頭も何か事情を知っているとなれば……」

 松永先輩は何かを言いかけてから押し黙る。その沈黙が僕たちにも伝染する。


 少し間を置いてから、松永先輩が再び口を開いた。

「で、他には?」

「あと一つだけ、引っかかることがありました」

「引っかかること?」

「瀬戸に三人のことを聞いたとき、最後に、渡辺のことは気にしないでやってくれ、と言われました」

 僕がそう伝えると、松永先輩の表情が心なしか険しくなった。

「気にするな、ではなく、気にしないでやってくれ、と言ったのか?」

「はい、確かに、そういうニュアンスでした」

「そうか……」

「ええと、俺からもこれで以上です。あとは問題集の所在についてですが……これは予定通り放課後に志村さんに聞いてみたいと思っています。渡辺からのメール催促も、テキトーにあしらっておきました」

 フンと唸ると、松永先輩は足を組んだ。両の手は目の前の机に置かれたままで、そして、白濁とした眼はカッと開かれている。

 向かいに座っていた僕は、そんな彼女と不意に目が合う。

 僕は彼女の視線に射すくめられる不合理な感じに襲われた。彼女には見えていないという事実が、反対にその感を強くするのだ。


 そのまま彼女は話しはじめた。

「パズルのピースは揃いかけている。今日の志村への〝聴取〟で事の全貌は粗方明らかになるだろう……しかし、準備はしておかなければならない。そのために一度、まだ揃わぬピース、つまり私の中にある疑念を、今ここできみたちと共有しておこう。いいか、このことを踏まえて志村のもとへ行くのだぞ?」

 心して聞け、と松永先輩が念を押すと、老川先輩と羽生田先輩は椅子に座る僕の後方に立った。僕たち三人が松永先輩と三対一で対面する格好である。


「一つずつ言っていこう」

 と、彼女は右手を前に伸ばして対面に座る僕の眼前で指を一本立てた。

「まず一つ目。これは当然の疑問だが、何故藤村と川井は嘘を吐いたのか。少なくとも、先週の木曜日に川井が挨拶に訪れた際には彼の退職は決定していた。しかも、記憶喪失と言う理由にもならない理由で。当日の彼の人目を忍ぶような態度から察するに、既に彼はわが校にとっては部外者だったのかもしれない。時期的にも実際にそうだったのだろう……ただ、私には分からない。以後も学校に残り続ける藤村ならまだしも、これまで担当した生徒たちとは言え、最早赤の他人となる人間に対してまで、川井が嘘をつき続けなければならない理由とはいったい何なのだ? しかし、これはこのようにも考えることができる。川井にしても、藤村にしても、重要なのは川井が恰も本当に記憶を喪失しているように、そう生徒に思い込ませることにあったのだと。しかもそれは、川井が教師を続けるかどうか、ということと関係がない。そして、私の想像するに、この謎の鍵は、恐らく渡辺恵人の登校拒否の理由にある……」


 松永先輩はもう二本目の指を立てる。

「そして二つ目。件の記憶喪失について、藤村はかなり厳しい箝口令をクラスメイトに敷いていたようだ。これもまた並みではないことだ。千羽が転入してくるまで、この嘘は、1年Ⅰ組の中だけで閉じていた。外に漏れた様子はない。とはいえ、クラスメイトは30名いる。その全員を統率して秘密を守らせるだなんて、藤村はいったいどんな手を使ったのか? これを単に藤村のカリスマが成し得たことだと判断するのは早計だろう。これには恐らく、今朝千羽が瀬戸から聞き出したように、彼のクラスメイトにした嘘のつきかた、嘘の性質が関係している。千羽が転入初日に誰からも声をかけられなかったのも恐らくそのためだ。ただ、私がもっと関心を向けているのは、藤村のクラスメイトの統率の仕方と言うよりも、どうしてその嘘を外部に漏らしたくなかったか、という動機の方だ。ただ、これを深追いするのはミスリーディングに導かれる危険があるように私には思われた。それ故に、反転して私は次のように考えた。嘘を外部に漏らしたくなかったのではなく、外部に広める必要がなかった、と。つまり、嘘を吐く必要のある相手が限られていたのだ。それはクラスメイト全員かもしれないし、その中のただ一人かもしれない。箝口令をしいたのは、単に噂が広がることでこの嘘の脆弱さが露見し、その嘘を信じさせたい当人にまで不審を抱かせてしてしまうことを恐れたからだ。ではその相手とは誰か? 藤村と川井が嘘を吐きたかった相手とは……? 言わずもがな、だな……」


 ふう、と、彼女は深く息をついてから、三本目の指を立てた。

「そして最後に……これは、川井の記憶喪失の件を知ってから生じ、そして今日きみたちの報告を聞いていよいよ大きくなってきた疑念なのだが……時に、きみたちはどうして川井の離任式は執り行われなかったのだと思う?」

 僕たち三人は思わず顔を見合わせる。

 僕としては初めて聞く情報だが、今までの話の流れからして、確かに離任式の話が出なかったのは不自然に感じなくもない。これは状況的に興味ある事柄だ。

「これは別にわが校に限った話ではないだろうが、教師の転勤や退職がある場合、離任式が執り行われるというのは然るべきことだ。いや、別に大層な式典を催すでなくとも、朝礼で一言挨拶することくらいはしてもいいはずだ。しかし、川井の場合、自分の担任したクラスでそれをした以外、他ではそんなことは一切しなかった。そうだろう?」

「言われてみれば確かにそうです。川井先生がご実家の都合で退職するという話も、別の先生からの言伝で聞いただけで、ご本人から直接の説明はありませんでしたし、離任の挨拶だって一言もなかった……そうでしたよね、翔琉くん?」

「うん、確かにそうだ……もし川井の怪我が本当なら、挨拶ができる状態ではなかったというので頷ける、しかし……」

 僕たち三人はちょっと沈黙して、その理由を考えてみる。

 その間に、松永先輩は手を引っ込めて白杖を握ると、静かに立ち上がった。

「どうだ、何か分かるか?」

 松永先輩の問いかけに、僕たち三人は首を横に振る。

「見当もつきません」

 僕は正直に答える。

「離任式のことにまでは思い至らなかったが、確かにこれは謎だ。そもそも、記憶喪失の話は千羽のクラス内だけで流布されたものだし、何度も言うように僕たち他のクラスの生徒には実家の都合で退職するとだけ説明されていた。謂わば後者が公式の説明と言うわけだ……」

「川井先生が全校生徒の前で挨拶をするとして、何か困る事情があったのでしょうか? 藤村くんと川井先生が嘘を吐いていたのなら、確かにこれは、二人にとっては避けたい事態だったかもしれませんが……」

 フン、と鼻を鳴らすと松永先輩は言った。

「それは半分正しいが、半分間違えている。こう考えてみたまえ。もしその嘘が1年Ⅰ組内だけに閉じていたものであったとして、公には実家の都合を退職理由にしていた川井が、どうして離任の挨拶を行うことを免れたのだろうか? そもそも怪我や何かで休職するには、普通は医者の診断書が必要だ。彼の怪我が嘘だとしたら、医者と結託でもしない限り診断書を用意することは不可能だし、だとすると、学校への申し出としては、彼は実家の都合で自己都合休職すると伝えていたのだろう。そして恐らくは同じ理由で退職願いも出した。つまり、川井の上司からすれば、彼が生徒の前で離任の挨拶をすることを拒む理由はないわけだ。もちろん、彼が上司に無理を言ってそれをすることを辞退したのだと仮定することもできる。一方で、仮にその申し出が叶わず彼が離任の挨拶を全校生徒に向けて行うことを強要されたとしても、それが決定打になって彼のついた嘘が暴かれる、ということにも必ずしもならない。嘘を吐き続けるのは苦しくなるだろうが、それでもうまい逃げ道はいくらでもあるだろうし、もともと無理筋な芝居なんだ。しかし、今現にある状況を見れば、もっと自然な理屈を組み立てることもできる。つまり、彼の上司が、彼の本当の退職理由を知っていた場合だ。離任の挨拶などせず、静かに消えてもらう方が都合の良い退職理由を……もしそれを、栗林教頭や、校長が知っていたとしたら……」


 僕たちは思わず息をのんでしまう。

 それでも、僕は勇気を出して聞いてみる。

「藤村や川井先生が隠したかった嘘は、学校が隠したかった嘘でもあると、そういうことですか……?」

 フッ、と、松永先輩が笑みをこぼす。

「そういえば、きみは転入してきたばかりだったか。なら、この高校の体質について知らないのも無理のないことだ……ちょうどいい、今日の放課後演劇部に行くのだろう? そこには篠崎と言う男もいるはずだ。彼に聞いてみるといいさ。よくよく教えてくれるだろう……」

 僕は思わず立ち上がってしまう。

「ちょっと、部長!」

 と、羽生田先輩が珍しく怒ったような声を上げる。それに呼応するように、松永先輩の眉尻が少し上がる。


「とにかく! 今私の話したことをよく覚えておけ。それから、加えてきみたちに命じる。今日必ず、その志村とかいう女子生徒から渡辺の問題集を奪取するんだ。そしたらまたここに来い。私はいつまでも待つぞ」


 と、午後の授業の予鈴が鳴った。

 予鈴が鳴り終わっても、僕たち三人はその場に立ちすくんでいた。

 松永先輩は白状を突きながら歩き出すと、杖の先で探るように僕の足に触れてきた。

「後で二人と携帯の連絡先を交換しておけ、私の分も含めてな。私から電話をかけるから、きみたちが演劇部にいる間、ずっと通話の状態にしておくんだ。何かあれば部室のパソコンから及川と羽生田にメールをする。いいな?」

「はい……分かりました」


 言うと、そのまま松永先輩は部室を後にした。

 少ししてからフフッ、と羽生田先輩が笑った。

「部長の連絡先ゲットですね」

 彼女なりに場を和ませようとしたのだろうか。

「それっていいことなんでしょうか?」

「行一くんにとっては、どうかな?」

「バカなこと言ってないで早くいかないと授業に遅れるぞ」

 老川先輩もいつもの調子を取り戻した様子だ。

「少なくとも翔琉くんは妬いてるみたいですね。柄にもなく真面目くんみたいなこと言い出しましたよ」

 聞くと老川先輩は舌打ちをしてから言う。

「おまえも懲りない女だな。とにかく、めんどくさいことこの上ないが、ここは部長の命令に従っておこう。授業が終わったらすぐに一棟の下駄箱前に集合でいいか? 体育館に直接集まるのでもいいが、僕はあそこには一秒も長居したくない」

「……はい、俺はそれでも構いません」

 言いながら僕は頷いた。

「まったく、翔琉くんの篠崎さん嫌いは筋金入りですね」


 それから僕たち三人は携帯の連絡先を交換して、小走りで各々の教室に駆けていった。

 昨日に引き続き昼休みに不在だった僕に、今日は藤村は何も尋ねてこなかった。ただ、授業に遅刻しそうになった僕に、「ぎりぎりだったな」と言って、笑うばかりだった。


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