1-14


 僕の追想も漸くラストスパートに入る。

「三日目から今日の昼に至るまでの経緯はまとめて話します。それほどボリュームのある話ではありませんが、いくつか重要に思われることがありました……」

 老川先輩と羽生田先輩も沈黙して僕の言葉を待つ。

「まず、金曜日の朝、志村さんが僕のところに来て、例の問題集を本人に手渡したと報告してくれました」

「律儀な奴だな」

「仕事も早いですね」

「まあ、自分も最初はそう思って感心したんですが、俺に話しかけてきた実際の理由は部活の勧誘だったようです。彼女、演劇部なんですよ。それで、ちょうど明日の火曜日の放課後に体育館で稽古があるから見学に来るように誘われて……」

 聞くと、老川先輩があからさまに不愉快な顔をしだした。松永先輩も黙ってはいるがいつも以上に殺気立って見える。一方で、羽生田先輩はどこか楽し気だ。この三人はいつもこんな感じなのだろうか? よく一緒にいられるものだ。

「行くなよ、千羽」

「は?」

「あんな所には行くな。だったまだマイコン部の方がましだ……」

 どこかこの間の宇都宮先輩を髣髴とさせる。

「まあ、色々あったんですよ。色々、ね。でも、私もうかうかしていられないな。私はまだ行一くんを諦めていませんから! 演劇部の篠崎部長は強敵ですからね」

「あれは似非部長だろう」

「似非部長?」

「演劇部っていま複雑な状態なんですよ。部長が二人いるんです。派閥争いってやつですね」

 明日の見学について、余計な不安材料を期せず得てしまった。それにしても、たかが高校の部活動でそんなややこしい政治的状況が有り得るのか? そもそも部長が二人もいるだなんて、顧問が見過ごさないだろう。

「まあ、話を戻しましょうか」

「はい」

 思うところは色々とあるが、今は一度忘れることにする。



「金曜日は、その後は特に何もありませんでした。放課後に部活見学には行きましたが、その経緯は皆さんもご存じの通りです……はじめに体操部を見学して、それからパソコン部、そして、マイコン部……ですね」

 羽生田先輩が手を頭の後ろで組み、笑ってごまかすようなポーズをする。

「で、土曜日は藤村が俺のために懇親会を開いてくれたんです」

「へえ、藤村もなかなか分からん男だな。川井の件では恩師を立てているようでいてその実無神経なことをする変な奴だと思ったが、やっぱり普通にいい奴な気もする」

 僕は頷く。

「はい、そんなことをしてくれたのは俺の経験でも藤村だけです」

「ええ、どうして私も誘ってくれなかったんですかあ?」

 羽生田先輩が身を乗り出して言う。この人は時々本気なのか冗談なのか分かりにくい。

「このバカは放っておこう。それで、その日は他に何かあったのか?」

 老川先輩がぴしゃりという。

「懇親会自体は特におかしなことはありませんでした。参加したのは、俺と藤村、そして志村さんと瀬戸です」

「瀬戸って、あの瀬戸か?」

「えっと、どの瀬戸のことを言っているのかは分かりませんが……老川先輩と家が近くだって言っていたので、多分その瀬戸だと思います……」

「あいつバカの癖によく高校に入れたなあ……ああ、悪い、話の腰を折ったな」

 今更謝られたところで、もう幾度となく折られているので、僕の話の腰は最早原形をとどめていない。


「……問題が起こったのは懇親会の後です。夜も遅くなってきたので、僕たちはカラオケ店を出たところですぐに解散したんですが、帰っている途中に僕の携帯にメール着信があったんです。例の落第生で不登校児の渡辺からです」

「なんだって?」

「内容はこうです」

 僕は自分の返信も含めてメールの文面を読み上げた。

 三人とも僕がメール文を読み上げる声に静かに聞き入っている。私信を他者に漏らしてしまったとあっては、僕も瀬戸の情報リテラシーの粗相を悪くは言えなくなるが、そもそも渡辺だって僕のメアドを正統な順序で入手したわけではないんだ。彼にも文句は言えないだろう……

「以上です」

 今日の午後の分まで、僕が渡辺とのメールのやり取りを読み上げを終えると、少しの沈黙があった。各々思考を巡らしていると言った感じだ。


 最初に口を開いたのは老川先輩だった。

「しかし……志村とかいう女子は渡辺に問題集を渡したと言ったんだよな?」

「はい、確かにそう言いました……渡辺の言うことが本当なら、志村さんは問題集をまだ彼に渡していない、つまり、彼女は僕に嘘を吐いたことになる……それに、〝二人の計画〟という文言も……」

「そうか、そうか、そのメールが決定打となり、きみは再び私のもとを訪れることを決意したというわけだな」

 松永先輩が再び目を開き、そう言葉を紡ぐ。

「それは……否定できません」


「話は以上です」

 僕はそう告げ、これまでの経緯を語り終えた

「ごくろう」

 言うと松永先輩は足を組みなおした。老川先輩はあくびを一つした。羽生田先輩は手を腰に天上を見上げて未だに何か思案している風だ。

「やはり、不審な点はいくつもあるな。いちいち数えていたのではキリがないくらいだ……特に、その記憶喪失とやらは……」

「はい、私もそれが一番引っ掛かります」

 松永先輩の言葉に羽生田先輩も頷く。

「だって、もし川井先生の記憶喪失が本当だとしても……」

「ああ、職を辞める理由にはならないな」

 老川先輩が言葉を埋めると、続けてちょっと呆れたように僕に問うてくる。

「おい千羽、おまえ、それを聞いたとき何も不審に思わなかったのか?」

 不審に思わなかった、といったら嘘になる、が……

「ただ、藤村は……」

「いい奴だから信じた、か?」

 松永先輩が僕の言葉を継ぐ。

「千羽、案外きみは情に絆されやすい男だな。それに、私の思うに……きみはバカではないようだが、少々思い込みが激しいよう質のようだ。思考を深めるごとにだんだんと視野が狭くなっていく。これはきみの弱点だ。よくよく心得ておけ」

 なんだ、急に説教か?

「その証拠に……その渡辺とかいう不登校児だが、何故君はこの生徒のことを〝彼〟と呼ぶ? 渡辺が男子生徒であると、誰かがきみに教えたのか?」

「……いいえ。ただ、彼の名前が渡辺恵人だったので、そう思っただけです。恵みの人と書いて、恵人ですから……」

「なるほど、確かに恵人と漢字で書けば男の子の名前に見えますが、カタカナでケイトと表記すればこれは英語圏での女性名にもなりますね」

「ふん、まあ、ひとつの例えとして質問してみただけだ。渡辺がメールの文面で性別を伏せているようにも感じられてな。まるで勤め人のような文章だ。高校生らしくない……とにかく、渡辺恵人が男子であるか女子であるか、これについてははっきりさせておく必要があるだろう」


 ふうと、松永先輩がひとつ深呼吸をする。

「時に、千羽、その志村とかいう女子生徒について、他に何か気になることはなかったか?」

「いえ、特には無かったかと思いますが……強いて言えば、懇親会の直前に、彼女と川べりの遊歩道のベンチで会ったのですが……そこで数学Bの問題用紙を見せられてそれが解けるか聞かれました。二年生で習うはずの範囲です。なんでも、受験対策で勉強を進めているものの、どうしてもわからない問題があるとのことで……」

「なるほど、で、なぜそのことが気になったんだ? 受験を意識しているのなら範囲の先取りくらい当たり前のことだと思うが」

「それは、俺は志村さんの問題集も見せてもらっていたからです。川井先生は生徒の理解度に合わせて専用の問題集を作成していましたから、それを見れば、その生徒の学力は大抵予想できる。俺、これでも結構成績はいい方なんです。俺の見立てでは、志村さんの数学の理解力はまだ初歩的でした。だから、そんな状態で二年生の範囲に手を付けるのは得策ではないなと、そんな感想を抱いたんです……」

「そうか……おい、老川。きみにも問題集は返却されたんだろう?」

「ああ、されたが……」

「その問題集、生徒の理解度に合わせて作られていたということは、つまり、授業の進度と生徒の理解度の足並みがそろうように、新しい問題を追加できるような仕様になっていたんじゃないか?」

「その通りだ。返却のたびに問題のプリントが追加されていた」

「で、老川、きみの問題集だが、最後に返却されたとき、何か新しい問題が追加されていたりしたか?」

「いや、そんなことはなかった。採点と誤答した箇所の解説があるだけで、それきりだ」

「他の生徒も?」

「多分そうだと思う」

「分かった、よろしい……」


 と、唐突に松永先輩が立ち上がった。

 皆彼女に注目する。

「まだ情報が足りない。手分けをするぞ。いいな?」

 羽生田先輩は楽し気に頷く。老川先輩はやっぱりどこか不満げな顔をしているが、もしかしたらこの顔は生まれつきのもので、もう変えようがないものなのかもしれない。

「まず、羽生田。きみは明日の昼休みまでに、外傷性の健忘の症例と、考えられる後遺症について、ネットでも図書室でもなんでもいい、調べておいてくれ。特に、記憶を喪失する期間と、その症状が継続する期間については詳しく調べておけ」

「ええ! そんな急にですか!」

 羽生田先輩の悲鳴を無視して松永先輩は続ける。

「そして、老川。きみも明日の昼休みまでに、体操部の現状について調査してこい。部員の名簿や、現在の活動状況、藤村の部内での立場や人間関係なども把握できるとなお良い。過去の川井の体操部顧問兼コーチとしての役割についても、できる限り聞き出しておいてくれ。現在の体操部の様子なら、臨時顧問の広田先生に話を聞くのも手だろう」

「おい、僕だって暇じゃないんだ。それにそんな短時間じゃ……」

「うるさい、やれ」

 彼女にはブラック企業経営の手腕がありそうだ。

「最後に、千羽……」

 どんな無茶を言われるのか、と、僕は思わず息をのむ。

「きみは、渡辺恵人についてよく調べておいてくれ。渡辺が学校に来なくなった正確な日付、そして、川井が来なくなった日付についても頼む。それと、きみ、明日演劇部に見学に行くと言っていたな? そのときに志村を問い詰めてみろ。問題集の在処についてだ。渡辺からのメールを材料にうまく交渉するんだ。このとき、現在の渡辺の状況についても可能な限り聞き出しておけ。老川と羽生田の二人も連れて行けばいい……威圧、と言うと物騒だが、立会人くらいにはなるだろう。それと、志村と渡辺、藤村の三人の関係も気になる。席替えの経緯についても調べた方がいいだろう、が、これはクラスメイトの誰に聞いてもいい」

 中々骨が折れそうな要求だが、今の僕に文句は言えない。

「わかりました……」

「おい、僕は嫌だぞ! 藤崎のところに着いていくなんて!」

「まあまあ翔琉くん。ここは後輩のためだと思って一肌脱いであげましょう」


 そして最後に松永先輩が警告するように言った。

「それと、藤村についてだが、彼には我々の動きを悟られないように注意することだ。きっと彼はこの件の中心にいる。案外つまらん秘密に過ぎないかもしれないが、もし渡辺の言う二人の計画とやらが全て発端なら、こんな面倒な〝芝居〟を打ってまでそれを隠したいというのにも、相応の理由があるはずだ。それに、彼はきみだけでなく、他のクラスメイトや渡辺、それにもしかしたら川井にも、何か嘘を吐いているかもしれない。とにかく、今は何も分からない状態だ、注意するに越したことはない……ああ、それと渡辺が今日中に問題集について連絡をくれと催促してきているそうだが、それについては適当な言い訳を考えて先延ばしにしておくように」

 そう言い終えると、彼女は白杖で床を小気味よく叩いた。

「明日の昼休みに、ここで結果を報告してもらおう」


 さあ早く行け! という松永先輩の声に送られ、羽生田先輩は意気揚々と、老川先輩は気怠げに部屋を後にした。

「おい、きみもぐずぐずするな。早く行け」

 一方でその場にとどまる僕を、松永先輩は急き立てる。

「えっと、松永先輩は何もしないんですか?」

 つい口走ってしまった。すると彼女は再び顔を赤らめ、語気を荒げた。

「頭も時間もさんざん貸してやっているだろう。この上私の手まで煩わせようというのかこの無礼者!」

 僕はちょっと笑ってしまう。

「でも、ならどうしてここまでしてくれるんですか? 老川先輩や羽生田先輩もそうですが、どうして松永先輩まで?」

「だから、最初にも言っただろう……ただの暇つぶしだと……」

 珍しく彼女の歯切れが悪くなる。

「実は羽生田先輩から聞いたんです……松永先輩が俺に興味を持っているんだって」

「きみ……私に対して、やけに挑戦的になるときがあるな……」

 僕は肩をすくめて笑みを作って見せるが、その様子は彼女の目には映らない。

「そんな、挑戦だなんて滅相もない。ただ、気になっただけです。本当に先輩が俺に興味を抱いているのなら、それはなぜだろう? って」

 と、彼女は白状を逆手に握りしめて僕に詰め寄ると、その柄で僕を突きながら無理やり部室の外へ追いやろうとしてきた。

「きみに興味などない! 羽生田の勝手な妄想だ! さっさと行け、ほら!」

 僕は逃げるようにその場を去った。


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