1-13
改めて思う、普通のくじ引きでそんな結果が偶然に生じるわけはない。正直なところ察してはいたが、つまりこれもまた……
「ねえ、行一くん、確かにその隣の席の子、藤村くんでしたっけ? 彼は確かにくじ引きで席替えをしたと言っていたんですよね?」
「はい。そうです」
と、松永先輩が口を開いた。
「おい、羽生田。もし席替えの際に席順を出席番号通りになるように細工をするとしたら、例えばどんな手がある?」
「一般に、ある規則通りに物を並び替える操作にはいろいろあって、コンピュータの世界ではソートなんて言いますが、アナログなくじ引きでそれをやるのは非現実的でしょうね。例えば何か特別な状況やルールがあれば別ですが、それでも人の手で効率的にできる方法は思いつかないな。それこそ、ボゴソートくらいですよ」
「ボゴソート?」
聞き馴染みのないワードに僕は思わずその意味を問う。
「ボゴの語源は〝bogus〟、つまり〝偽りの〟という意味の英語のスラングです。つまり、完全に偶然に頼るしかないソートということです。アルゴリズムなんて関係ないんです」
「でも、そんなことは……」
「はい、まずあり得ませんね。つまり、帰無仮説の棄却、というほどの事でもありませんが……」
羽生田先輩が言い淀む。それを継ぐように、松永先輩が言う。
「そもそも席替えなど行われていない。いや、行われていたとしても、恐らく担任の入れ替わるタイミングでクラスメイトたちが自ら出席番号順になるように席を並べ替えたのだろう。つまり、くじ引きで、というのは全くの嘘ということになる」
しかし、と松永先輩はつづける。
「もっと重要なのは、どうして彼らがそんなことをしたのか、ということだ……千羽、何か心当たりはあるか?」
僕は川井先生の記憶喪失のことと、木曜日のロングホームルームの問題集返却のことを思い出していた。
「はい……ないこともありません」
僕はやはり悩んだ、が、意を決して言った。
「さっき話した僕の隣席の生徒、つまり、くじ引きで席替えをしたと言った藤村という男子ですが、彼こそが例の体操部員なんです。藤村が言うには、前任の川井先生は記憶喪失だったらしいんです。体操部の活動中、それも藤村との個人レッスンでの事故が原因とのことです。ここ数か月、つまり、まるまる1年Ⅰ組で担任をしていた前学期の記憶がないとのことでした……それに、これが川井先生が辞職する理由だと聞かされました」
は? と、老川先輩が声を漏らす。羽生田先輩も驚いている様子だ。
「私は実家の都合だと聞いていましたが……」
「僕もそうだ。確か、夏休み前に全校生徒にはそう説明されていたはずだ……それに、もしその事故が本当なら、藤村のしたことは恩知らずとかいう問題では済まない……」
「で、それがどうしたというのだ?」
松永先輩が続きを促してくる。
「はい。でも、これについて説明するには木曜日のロングホームルームまで話を進める必要があります……」
「よろしい。その調子で続けろ」
はい、と僕はつづきを話し始める。
「くじ引きと席順の件は、それを聞いたとき、俺だけでなく萩城先生も当然おかしいと思っていたようなんですが、次の生徒が自己紹介を続行したことでその場ではうやむやになってしまいました……そして、その日は別にもう一度不思議なことがありました……」
「ほう」
「自己紹介を終えた後のことです、そのまま授業に戻って、そして昼休憩になったのですが、俺以外のクラスメイトが全員教室からいなくなったんです。これについては後日、藤村から理由を聞かされました。どうやら翌日のロングホームルームのことについて相談をしていたようです」
「相談?」
「はい、実は、先週の木曜日のロングホームルームのときに、川井先生がお別れのあいさつに来たんです。で、そこに俺を参加させるべきかどうかを相談していたようです」
「川井のやつ、やっぱり木曜日に来ていたのか……しかし、またどうしてそんな相談を?」
老川先輩が手を打ち合わせながら言う。
「藤村の説明によれば、とにかく最後は〝川井先生のクラス〟というものを演出したかったようで、つまり、部外者にはいてほしくなかった、と。実際に、萩城先生は木曜日のロングホームルームの間、外に出ているようにと、その前日に当たる水曜日の帰りのホームルームの際に藤村に頼まれていました」
「なるほど、それはガチだな」
「はい、俺も驚きました。そういえば、昼休憩で皆がいなくなる直前に、さっきも少し話した志村さんという女子を藤村が少し嗜めるような場面もありましたが……まあ、これは大したことではありませんね」
「結局その日は午後もクラスメイトには話しかけられなかったんですか?」
「はい、そうですね。まあもっとも、俺が積極的に話に行かなかったというのもありますが……これで一日目は終わりです。あ、その後に行ったマイコン部の部活見学で松永先輩に追い返されたりはしましたが」
「それは災難でしたねえ!」
「そいつが私をじろじろ見てくるから身の危険を感じただけだ」
どの口が言うのか。
「誤解を招くような言い方はやめてください」
「まあまあ、仕方ないですよ、部長は悪い意味ではなく人目を惹きますからねえ」
「こんな珍獣見つけたらシートン博士でなくても誰だって観察したくなるよな」
老川先輩が笑う。
「……とにかく、これで一日目は終わりです」
「密度の濃い一日でしたね……しかし、この調子で話していたら日が暮れてしまいますよ」
羽生田先輩が机に手を突いてちょっと脱力しながら言う。
「はい、確かに一日目は色々とありましたから……でも、二日目以降はそこまでではありません……それこそ、川井先生の挨拶の件くらいしか」
「いいから続けたまえ」
「はい……」
僕は話を先に進める。
「二日目はたまたま朝早く起きたので、学校にも早く登校しました。自分が一番乗りだと思ったんですが、藤村が先にいたんです。席が隣なので、俺たちは簡単に挨拶してから、色々と話もしました。その話の中で、川井先生の退職理由や、萩原先生にあんなお願いをした理由、それと、昼休み皆が居なくなったわけなんかを聞いたんです」
「ということは、その日はちゃんと会話があったんですね?」
「そうですね。まあ、ロングホームルームのこともありましたから、そのことに関係して何事か気取られないようにしていたのかもしれません。理由は分かりませんが……とにかく俺はそういう風に解釈しました。あまり深く考えないことにしたんです。そして、木曜日は藤村だけでなく、他のクラスメイトにもたくさん話しかけられました」
うーん、と、老川先輩がうなる。
「そんな感じで、その日はロングホームルームの時間、つまり川井先生が挨拶に来るまでは特に何もありませんでした」
「おい! おまえ俺から受けた恩を忘れたのか!」
「いや、覚えていますが……重要な情報ではないでしょう……」
「あ、例のダル絡みのことですか!」
構っていても埒が明かないので僕は話をつづける。
「で、ロングホームルームの時間に川井先生が来たんですが、頼まれていた通り、萩城先生は挨拶の間は廊下に出ていました」
「なんだかかわいそうですね」
「ちなみその萩城って先生は美人なのか?」
老川先輩が問う。
「翔琉くんは会ったこと無いんですか? かわいらしい人ですよ」
「へえ。女のする女評はアテにならんが……覚えておこう……」
「て、翔琉くん、それこそ重要ではない情報だとおもいますが」
「いいや、重要だ。な? 千羽もそう思うだろ?」
これも無視して僕は話をつづける。
「で、予定通り川井先生が別れの挨拶をしたんですが、その、なんていうか、中々心を打つ光景でしたよ。涙をこらえている人も何人かいました。で、挨拶の後で問題集が返却されたんです」
「ああ、あの問題集か」
老川先輩が相槌を打つ。
「何の話ですか?」
羽生田先輩は首をかしげている。
「川井って、生徒ひとりひとりの理解度に合わせて専用の問題集を作っていたんだよ。その問題集は課題にも使われていたから、回収されたきり返却されていないクラスもあったんだ。うちのクラスもそうだった。で、木曜日に突然問題集だけが返ってきたから、もしかして川井が来ていたのかもってちょっと話題になったのさ」
「はい、その問題集です。それで、さっきも話した席替えの件に戻るんですが……問題集返却の直前に藤村が突然立ち上がってこんなことを言い出したんです。〝生徒の席を周って配ってほしい〟と」
「なるほど、分かったぞ。つまり〝川井のクラス〟ってわけだな。なかなかの演出家じゃないか。確かに川井はいつもそうしていたからなあ。ただ、記憶がないとなるとそう簡単にもいかない。そのための出席番号順か」
「はい、そうだと思います」
「しかし、それにしても随分と骨の折れることをしますね……生徒にそこまでさせる川井先生が凄いってことなんでしょうか? なんだか腑に落ちないなあ」
羽生田先輩は訝しげな様子だ。
「まあ、川井の授業を受けたことがないなら疑わしく思っても仕方ないな」
「で、千羽、きみも受け取ったのだな?」
と、急に目を見開くと松永先輩はだしぬけにこう問うてきた。
「……はい、受け取りました」
「どういうことだ? だってお前は……」
老川先輩がそう突っ込んでくる。
僕の代わりに松永先輩が説明を始める。
「先程千羽は、クラスの人数はちょうど30名だと言っていた。うちの学校は全学年J組まであって、全てのクラスが30名だ。入試で定員割れもしていないし、2学年以降なら分からないが、1学年の一学期の時点では少なくとも30名全員がそろっていたはずだ。しかし、千羽はそんな一学年のⅠ組に30人目の生徒として転入してきた。転入するのにも条件がある。学力面もそうだが、そもそも受け入れる学生の枠に空きがなければならない。恐らくだが、前学期までは別の生徒、それも窓際の最後列に座っていた出席番号30番の生徒が居たんだよ。千羽、きみの出席番号はいくつだ?」
「31番です……」
「で、君は落第生である出席番号30番の生徒の問題集を受け取ったのだろう?」
「はい、その通りです……でも、今の松永先輩の推理には分からない点があります。どうして落第生の出席番号が30番であるとそう思ったのですか?」
「簡単なことだ。そうでなければ君だけでなく、欠番となった出席番号から受け取る人間がズレることになる。それでは、わざわざ席を出席番号順に揃えた意味がない。つまり、きみが窓際の最後列の席をあてがわれたのは、その落第生の出席番号が30番だったからだ。別の番号だったなら、その番号に合った席に座っていただろう」
「確かに、そうかもしれませんね……」
「ところで、私にはもっと気になることがある。千羽、どうしてきみは、その問題集を受け取ったのだ? いや、どうして受け取れたのか、と聞いた方が適切かもしれないな」
「それは、そう頼まれたからです……」
「誰に?」
「体操部員の、藤村に……生徒思いだった川井先生に、自身の教え子が不登校になったことを知られたくないから、と言われたんです」
「なるほどな……」
聞くと松永先輩は少し沈黙してから、顎でつづきを話せと指示をしてきた。
「……そして、最後に俺の席まで来ると、川井先生に問題集を手渡されました」
「……じゃあつまり、本当に川井先生は行一くんをその落第生の子だと思っていたんですね?」
「はい、状況的にはそういうことになると思います。他のクラスメイトもその時点でようやく実感を得たという感じでした……ただ、その問題集はすぐに志村さんに渡しました」
「さっきも話に出てきた女の子ですね?」
「はい。藤村にそうしろと言われたんです。志村さんとその落第生……名前は渡辺と言いますが、彼の家と志村さんの家が近いから都合がいいという理由で」
また藤村か……と、松永先輩が小さく呟いた。
「ただ、志村さんは文句を言っていました。どうやら藤村の家も渡辺の家の近所にあるようで。いわゆる幼馴染という奴ですか。志村さんは『まだ二人は仲直りしていないのかな?』と言っていました……二日目はこれで終わりです」
「ごくろう。ところで、その落第生はなぜ学校に来なくなったのか知っているか?」
「いえ、分りません。ただ、成績不振が原因ではないとおもいます。彼の問題集の中身をちらっと見てしまったんですが、問題のレベルも高かったので、勉強はできたんじゃないかと……ただ、志村さんの話によると、7月に入ったくらいから急に不登校になってしまったようです。今学校に籍があるのかどうかもよく分からない状況です。志村さん自身あまり話したくはなかったようで、不登校の詳しい理由までは踏み込んで聞けませんでした……とはいえ、前期末のテストは受けられていないようですし、出席日数も足りていないでしょうから、何れにしても留年は免れないと思います」
「そうか……」
言うと松永先輩は再び目を閉じて沈黙した。
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