1-8
そんなこんなで、マイコン部兼点字部の部活見学会は……始まらなかった。
「見学会って言ったって。見学させるものなんてうちにはないだろ」
そう、老川先輩の言う通りこの部には見学するものなどなかったのである。マイコン部兼点字部、なんて名を冠しておきながら、それに相応しい活動は何もしていない様子だった。
いや、見所なら確かにある。この三人を見ているだけで幾らかエンタテイメントになるだろう……しかし、それもこれをスクリーン越しに眺めるならの話である。こんな空間に放り込まれるなんて、バーチャルリアリティでもごめんだ。
「いやあ、それは……」
羽生田先輩は弱ったような表情をする。
「あ、そうだ! 行一くん、これ見てくださいよ!」
彼女は教室の奥の長机に置かれたタイプライターのような機械を示す。僕はそれに近寄る。
「これ、点字を打つ用のタイプライターなんだ」
「へえ、そうなんですか……」
ちょっとの沈黙。仕方がないので、質問をしてみる。
「どうやって使うんですか?」
「えっと、その……ねえ、翔琉くん、これってどうやって使うんですか?」
「いや、知らねーよ」
「部長!」
「きみの言った通り、私は黙っていることにする!」
「そんなあ!」
なんだこの茶番は。あまりにもひどすぎるぞ。なんでこんな部活が存続を許されているんだ? 僕には逆に興味が湧いてきた。
「えーと、うーんと……」
唸りながら羽生田先輩は部室をうろうろとしだす。
「ねえ、翔琉くん。あなたも何か考えてくださいよ。あ、例えばそれ、なにを運んできたんですか?」
台車の前にかがむ老川先輩に羽生田先輩が問いかける。
「単車の部品だよ。自分ちに置く場所がないからここに置きに来たんだ」
「あっ! それは看過できませんねえ……」
「何を言うか、お前だってパソコン部からガラクタをかっぱらってきてここに置いているじゃないか!」
「これはいいんです。一応電子機器です。マイコン部の活動にも合致します」
羽生田先輩は鼻を鳴らしながら言い返す。
「それを言うならこの部品だって電子制御だからマイコン部としての活動に合致するな」
言いながら老川先輩がこちらに詰め寄ってくる。
「詭弁です!」
「お前だって!」
松永先輩の方を見ると、彼女は両耳をイヤホンで塞いで完全無視を決めているようだった。
「あのう……」
僕はため息交じりに口を開く。
「もう帰ってもいいですか?」
と、扉口へ行こうとする僕の腕を羽生田先輩が両手で掴んで止める。僕は思わずドキリとする。
彼女は媚びるように僕を見ながら懇願する。
「待ってくださいよお。あと少し、あと少しだけ見ていってください……お願いします!」
男の格好をしながら、こんな風に〝女〟を使うのはいかがなものか。
「さあ、翔琉くん。あなたも考えてください。何か見学させられるものはありませんか? じゃないと行一くんが帰ってしまいますよ!」
「もう帰らせてやれよ……」
流石に老川先輩も呆れているようだ。もしかすると、この中では意外と常識人(例外的にヤバくない人)の部類なのかもしれない。いや、ヤバくないわけでもないか。
「あの……」
仕方がないので、僕は思ったことを素直に聞いてみる。
「どうしました?」
「どうして俺に入部してほしいんですか? 活動の実態がないなら、別に俺が居てもいなくても変わらない気がするんですが……」
聞くと今度は羽生田先輩が僕に詰め寄ってくる。
「だからこそですよ! 分かります、分りますよ、行一くんの今の気持ち……ここがヤバい部活だって思っていますよね? それは私も同じです。翔琉くんはヤバいし、部長もヤバい人ですからね……」
「僕はヤバくないぞ!」
「私はヤバくない!」
どうやらイヤホン越しにしっかり聞いていたようだ。
「まあ、とにかく、今のところうちの部の特徴と言ったらヤバいことくらいなわけです。いやほんとに、マイコン部兼点字部なんていう込み入った名前は取り下げて、ヤバ部にでも改名した方がしっくりくるくらいですよ。見学と言っても、このヤバさを見せることぐらいしかできないんですから……」
この人は何回〝ヤバい〟と言うのだろうか。それだけこの部のヤバさを自覚しておきながら、その上そこに新入部員を引き入れようとするなんて、殆ど犯罪的にヤバい暴挙ではないか。
「じゃあ」
と、言いかける僕を制して、彼女は猶も話をつづける。
「はい、だから分っていますとも。行一くんが何を言いたいのか、分っているんですって。まさにそれなんです。今あなたが言いかけようとしたこと、そのこと自体……この部の状況を前にして一言したくなってしまうようなその正常さこそが、今うちの部活が必要としていることなんですよ!」
「おい、お前何言ってるんだ。本当に頭がおかしくなったのか? だったら、まずはお前自身が正常になることが先だろうが」
老川先輩が思わずと言った感じで口を挟む。
「ふんふん、そりゃあ翔琉くんからしたら面白くないでしょう。行一くんが入部するのはね。だって、そうなったら、せっかくの美少女二人とのハーレム空間が崩れてしまうんですもの。だから今だって、行一くんに入部してもらおうとする私に非協力的なんだ」
「……ぶち殺すぞ」
青ざめながらそう言う老川先輩にも構わず、羽生田先輩は続ける。
「つまり、つまりだよ、行一くん。このままだと私の花の高校生活は蕾のままに枯れてしまいかねないんだ。こんな翔琉くんみたいな産業廃棄物男子のいるところじゃ、女子高生と言う花は咲くことができないんだ。行一くんみたいな、普通の、平凡な男の子が近くにいないと、私という花は咲くことができないんですよ! あ、今の変な意味に捉えないでくださいね?」
「お前なんてどこにでも生えてる花もつけない雑草みたいな女だろうが。ここが嫌なら元居た場所に帰ることだな。万緑叢中紅一点。あの湿っぽい叢みたいな場所に戻れば、お前のいう花とやらも、蕾くらいは付けるんじゃないか?」
老川先輩は皮肉いっぱいに言う。
「パソコン部のみんなを悪く言うのはやめてください……」
しかし、老川先輩の言葉にも一理ある。そこまで言うなら、それこそ元居たパソコン部に戻るなり、(それが難しいなら)他の部活に転部するなり、いくらでも選択肢はあるはずだ。
「それに、そんなこと言って、翔琉くんはどうなんですか? マイコン部をやめろって言われて、おいそれとやめられるんですか?」
「フン、その気になればいつでも辞められるさ……」
僕は藤村の話していたことを思い出した。二人が松永先輩に何か弱みを握られているというのは本当なのだろうか? しかし、今の僕にそのことを確かめるだけの度胸はないし、そんな厄介そうな話をすすんで持ちかける謂れもない。
「ふーん……まあ、とにかくです。私はまだ行一くんを諦めませんよ!」
「はあ、でも、羽生田先輩の言う通りに考えれば、別に僕じゃなくてもいいんじゃないですか?」
羽生田先輩は困ったような顔をする。
「いやあ、まあ、そう言われてしまえばそうなんですけどね。何せ、部長がいると……」
まあ、確かにあんな人がいたのでは、この部に入りたいと思う正常な人間なんてまずいないだろう。
「でも、行一くんは何とあの部長にも臆せず言い返した! これは逸材ですよ」
「ほお」
老川先輩もちょっと感心したように目を見開く。
確かに、僕は何度か松永先輩に言い返してはいるけれど、それくらいなら誰でもするんじゃないか……
「でもさ、実際のところ千羽の意志はどうなんだよ。本当にこんな部に入部したいのか? 僕からしたら、こんな部活を見学したいと考えることすら疑わしいんだが……」
老川先輩が問うてくる。羽生田先輩の懇願するようなまなざしが再びこちらに向けられる。
「まあ、確かに初めは見学しようと思って自分からこの部室に来たことは本当です。でも、まだその時は、ここがどんな部活か知らなかったので……」
「なるほどな。で、おまえは転入生ってことだが、前の学校でも似たような部活に入っていたりしたのか?」
「いいえ、ずっと帰宅部でした……」
「ハハハ、なるほど。読めたぞ。千羽、おまえなるべく楽な部に入ろうって魂胆だったんだろう? まあ、確かにうちはやる気の無さだけは校内一だからなあ……」
「ええ、まあ、正直言っちゃえばそういうことになりますね……」
「じゃあますますうちの部が誂え向きじゃないか! これで決まりだね」
言うと羽生田先輩は指を鳴らす。このまま強引に入部に持ち込もうとするつもりだろう。
「他の部活は見たりしたのか?」
そんな羽生田先輩を無視して老川先輩が冷静に聞いてくる。羽生田先輩は邪魔をするなと言わんばかりにそんな彼をちょっと睨みつける。
「はい、まあ。マイコン部以外だと、パソコン部に……あと、今日体操部も見学しました」
「え、体操部?」
羽生田先輩が拍子抜けしたような声を出す。
「何だか一貫性がありませんね。行一くんって元帰宅部と言いつつ実は体育会系な感じですか? いいですよいいですよ、そういうギャップは私的には寧ろ好ポイントです!」
「そういうわけではないんですが、隣の席になったやつがたまたま体操部だったんで、それで誘われたんです。で、見学だけならってことで、放課後にちょっとだけ、宙返りしてるところなんかを見せてもらったんですよ」
「へえ、そうだったんですねえ……」
と、頷いている羽生田先輩の横で、老川先輩が訝し気に首をかしげている。
「いや待てよ、それって本当に今日のことだよな?」
「はい。今日ですよ」
「……そのときって、千羽とその体操部員の他に誰かいたか?」
「いいえ、二人だけです。柔道場で見せてもらったんですけど、そのあとすぐに新体操部の部員が来て、俺たちはすぐに撤退しました」
「おい、羽生田、体操部って確か今は広田が顧問だったよな?」
「そうですねえ、川井先生が辞めることになって、確か臨時で顧問をしていたはずです」
意外と体操部の事情に詳しい二人に僕は感心しながら言う。
「やっぱり川井先生って有名人なんですね」
「ああ、まあ有名だよ。悪い奴じゃなかったしな」
「いやいや、悪い奴じゃないどころか、ものすごくいい先生だったって話じゃないですか。うちのクラスの授業も持っていてくれたらよかったんですけどねえ……それに引き換え広田先生ときたら……体操部の部員たちもがっかりしていますよ、きっと」
「そんなに悪い先生なんですか?」
「悪い先生というか、いい加減な先生だな。文学者崩れの現文教師で酷い飲んだくれだよ。体調不良でよく休んでるけど、あれ絶対にただの二日酔いだぜ? まあ、僕は嫌いじゃないけどな、あの人。なんか親近感湧くんだよなあ……」
「確かに二人は似ているかもしれませんね!」
羽生田先輩が笑いながら言う。
「おい、それは悪口だぞ!」
いったいどちらに対する悪口なのだろうか。
「まあでも、広田先生がいい加減な人のお陰で、こんなマイコン部みたいな部活も存続できているんですから、あんまり悪くは言えません」
「どういうことですか?」
「うちの顧問でもあるんだよ。広田って」
なるほど、と僕は思う。いい加減と言っても、これは並のいい加減さではなさそうだ。
「まあ、広田ってそんな奴だから、うちみたいな部の顧問はできたとしても、体操部の顧問なんて絶対に務まらないぜ。実際に、今の体操部って実質活動休止中らしいしな」
「そうなんですか?」
「僕のクラスのやつが話してたよ。体操部みたいな危険な部活、あの広田には任せられないだろ? 実際、川井が顧問をやっていたときだって、生徒だけじゃか絶対に練習なんてさせていなかったみたいだ。まあ、考えてみれば普通のことだけどな」
「確かに、それで怪我なんてされたらたまったもんじゃないですしね。でも、翔琉くん、川井先生のことに妙に詳しいですねえ……なんだか怪しい感じがします。生徒と教師、しかも男性同士の……」
「おいやめろ! ただ川井のやつが授業中によく話してたのを聞いていただけだよ。あの人、学生時代は体操の選手で、相当好きだったみたいだからな。まあ、それくらいじゃないと務まらないさ……」
その話を聞きながら、僕は少し不安な感じがした。この感じが、先ほど老川先輩が訝し気な様子を示したことと、原因を同じくしているのか、僕は確かめずにはいられなかった。
「あの、老川先輩……」
「ん?」
「さっき、どうして、体操部の見学をしたのが本当に今日なのか、なんてことを確認したんですか?」
「いや、それはだって、そもそも体操部は活動を休止しているし、それに、生徒だけで競技をさせるなんて、流石の広田も許さないだろう?」
「はい、まあ、確かにそうかもしれませんね……」
「それに、このことは川井だって徹底していた。僕は千羽がいつ転入してきたか知らなかったから、あんなふうに聞き返したが、元コーチの川井が学校を辞めた途端にそのルールを破るなんて、おまえを誘ったその体操部員も、熱心と言ったらいいか、恩知らずと言ったらいいか、まあ、ちょっと不思議に思っただけだよ」
「そうですか……」
「……で、それが?」
僕は少しおろおろしながら答える。
「いいえ、何でもありません……僕もちょっと、同じようなことが気になっただけです……」
僕は藤村の話を思い出していた。
川井先生の記憶喪失のこと、そしてその原因である事故のこと。
思えば不自然だった。僕はなぜこの不自然に気が付かなかったのか。いや、あえて気付かぬようにしていたのかもしれない。
藤村は何か嘘を吐いている。いや、何かを隠そうとしているのか? 考えるほどにおかしい、彼の言葉も、行動も、ちぐはぐだ……
「でも、それでも多分、そいつはいい奴だと、思います……」
自分でも、いったい何のために今そんなことを言ったのか、よく分からなかった。
老川先輩と羽生田先輩は不思議そうに目くばせをする。
「思うに」
と、今まで沈黙していた松永先輩がだしぬけに口火を切った。
僕たち三人は、松永先輩に視線を移す。気付かぬうちに彼女はイヤホンを外していた。
「きみはその体操部員について、何か不審に感じるところがあるのだろう? でも、自分ではそれを認めたくない」
「そんな、俺はただ……」
「ただ、なんだ?」
「いえ……なんでもありません」
「まあいい。無理に話せとは言わないが、もしきみがその体操部の生徒に抱く不審について、何らか納得できる理由を見出してすっきりしたいと思うのなら、私の頭を貸してやらないこともない。もっとも、それがきみにとって都合の良い結果に繋がるかは請け合えないがね」
羽生田先輩が喜色をたたえた表情で叫ぶ。
「やった! 部長、やる気なんですね?」
「ちょっと待ってください、どういう意味ですか? それに、都合の良し悪しなんて……」
「私は言葉をそれの意味通りには必ずしも受け取らないのだよ。きみの考えていることなんてだいたいは想像がつく。転入生くん……」
言うと、松永先輩は意地悪そうににやりと笑う。老川先輩はそれを見ると、まるで毛虫でも目に触れたかのような表情を作って顔をそむけた。
「分かりません。それに、どうして松永先輩がそんなこと……」
松永先輩は眉をひそめる。
「……きみ、私の名を誰から聞いた?」
突然そんなことを聞かれたことを不思議に思ったが、僕は思い出すためにちょっと考える。
「先輩の名前は、いろんな人から聞いています。その体操部のクライメイトも、確かパソコン部の宇都宮先輩や那須先輩も、言っていたと思います……」
「札付きだからなあ」
老川先輩が茶々を入れる。
「フン、そうか。まあいい。で、どうするんだ? 私の力を借りるのか、借りないのか……」
「先輩には関係のない話です。それに、そんなことをして先輩に何の得があるんですか?」
「私は地獄耳だが、鼻だって地獄の臭いをかぎ分ける程によく利く。その体操部員、随分と臭うぞ? これは単なる汗臭さではないな。それに、川井という教師も……まあ、とどのつまり、今私は暇つぶしの口実に飢えていてねえ。ただの気まぐれだ。嫌ならいいよ」
そんな言い方に、僕は少しく反発心を催した。
「……帰らせていただきます」
言うと僕はわざと足音を大きくたてながら部屋を後にした。
部室を出てしばらく廊下を歩いていると、後ろから羽生田先輩が追いかけてきた。
「ちょっと、行一くん。あんなんでも部長は悪気はないんですよ」
僕は笑った。
「だったら余計悪質ですね」
「まあまあ……でも、きっと部長は行一くんに興味があるんです」
「俺に? そんな風には見えませんでしたが……」
「はい、だから、もう一度だけでいいので、部長に会いに行ってあげてください。それに、部長はあれでも結構頼りになりますよ? マイコン部は毎週水曜日が活動日ということになっていますが、部長は毎日あの部屋にいます。放課後だけでなく昼休みにも。だから……」
「でも、話すことなんてありませんよ」
「本当ですか? なんだかさっきの行一くん、ちょっと悩んでいるような感じでしたが……」
「そんなことありません、余計なお世話です。じゃあ、さよなら……」
僕はわざと冷淡な態度を取った。はじめからこうしておくべきだった。
帰路につきながら、僕は考えた。そう、僕はいつも考える。考えすぎる……
そうだ、今回もきっと考えすぎなだけだ。考えすぎることが僕の長所でもあり、短所でもあるんだ。今は少しだけ虫の居所が悪いから、そんな僕の質も、短所の側に傾いているだけなんだ……
とにかく口実を探そう。自分を納得させる口実を。真実などどうでもいい……実際に藤村が何か嘘をついていたとして、何か隠し事をしていたとして、そんなこと、彼と昨日今日知り合ったばかりの僕にいったい何の関係がある? それに、誰しも一つや二つ、嘘や隠し事を胸に秘めて生きているものだ。それをいちいち暴いてみせるなんていうのは悪趣味だ。
口実があればいい。真実に直接触れなくても、それらしい口実ならいくらでも作れる。それで十分だ。
嘘を納得させる口実。隠し事を納得させる口実。友情を納得させる口実だって……僕は、きっと考え出すことができるはずだ。そのことに、僕は僕の長所を使うことにしよう……
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