1-7
「私は羽生田緋乃輪。二年生なの。君は一年の転入生って聞いたけど、名前は?」
「千羽です」
「下の名前は?」
「行一です。千羽行一」
「じゃあ行一くんだね」
馴れ馴れしい人だ、というか、人たらしな感じがある。それも、どこか打算じみた……さっきも宇都宮先輩のことを、最後だけ「正治さん」と呼んでいた。あれはさすがにあざとかった。
しかし、それにしても、どうしてこの人は男装なんてしているのだろうか? ただの趣味だろうか?
僕は彼女の一歩後ろを歩きながら、その様子を観察してみる。服装のせいもあってぱっと見は男性だが、こうして近くでよく見てみるとすぐ女性だとわかる。背が高く見えたのも第一印象までで、女性にしては長身かもしれないが、今こうして並んでみると僕より少し低い。顔は中性的で美形だから、藤村の言う通り女子に人気があるというのもうなずける。それでいて、男好きがしないというわけでもなさそうだから、宇都宮先輩が惹き付けられてしまうのだって無理からぬことだ。
「ねえ、せっかくだからさ、うちの部活も見ていきなよ」
「ええと、それは……」
僕は口ごもる。一昨日のことを正直に話すべきだろうか?
「ん? どうかした?」
「実は一回行っていて……」
下手に嘘を吐くのはやめて、ここは正直に言って断ろう。
「え、そうだったの?」
と、羽生田先輩は驚いたように言ったが、すぐに合点がいったらしくこう続けた。
「ああ、なるほど。分かったよ。きっと部長に意地悪されたんだね? 大丈夫、今回は私がついているからさ!」
なら安心だ! とはならない。
「いや、そんな、大丈夫ですよ。それにもう……」
「遠慮なさらんなって、荷物運びを手伝ってくれた恩もあるしさ。先輩一肌脱いじゃうよ?」
恩を仇で返されるとはまさにこのことか。
しかし、今日は活動日ではないはずだ。日も経てばうやむやになるだろう。すぐに荷物を置いて、この人ともお別れだ。
間もなく僕たちは第二音楽室(マイコン部兼点字部部室)の前に着いた。あの時のように演奏は止んでいて、静かだ。吹奏楽部は今日は活動日でないことは(入部するつもりはなかったが)確認済みだ。さっきのユーフォニアムの音は多分自主練か何かだろう。
「やあ!」
と大きな声をあげながら、片足で器用に引き戸を開けると、羽生田先輩は部室に入っていく。まさか、誰かいるのだろうか?
「そのやかましい挨拶を辞めろと何回言ったら分かるんだ」
聞き覚えのある冷ややかな声。僕は手に持ったキーボードをつい落としそうになった。忘れるはずもない、今のは松永先輩の声だ。
「はは、ごめんごめん。ついつい癖でさ」
どんな生活でそんな癖が身につくのか……と思いつつ、そっと荷物だけおいて逃げ帰ってしまおうかとも考えたが、羽生田先輩が振り返って僕ににこにこ笑いかけてくるので、僕も仕方なく部室に入った。
「おい、誰だ」
足音に気が付いた松永先輩が透かさずそう声を発する。
「いや、待てよ、聞き覚えがあるぞ。さてはこの間のコソ泥だな!」
ここ数日で、僕は何回コソ泥呼ばわりをされただろうか。
「もう、部長ったら。一年生の行一くんですよ。転入生の千羽行一くん。後輩には優しくしてあげなきゃ、いつまでも怖がられたままですよ?」
「フン! 都合がいいじゃないか。恐怖心を煽るのは帝王学の定石だよ。人間を支配するうえで、愛情は弱く、恐怖は強い。愛情の及ぶ範囲なんてせいぜい両腕で抱きしめられる距離だが、恐怖は弾丸のように遠くまで届く。私の恐ろしさを、せめてこの校舎中に轟かせるくらいの手助けをしてくれよ、羽生田?」
「嫌ですよだ。それに、そんな憎まれ口聞いたって無駄です。だって部長はかわいいんですから。それでもというなら、代わりに部長の愛らしさを学校中に知らしめてあげましょうか?」
「おい、きみ、それはどういう意味だ」
羽生田先輩は荷物を机に置くと松永先輩の後ろに立ち、松永先輩に覆いかぶさるようにすると、そのまま両手を机に突いた。女子にしては少し大柄な羽生田先輩に、女子にしても小柄な松永先輩が捕らえられたような形である。机に突かれた羽生田先輩の腕を檻の格子に例えるなら、松永先輩はさながらその中の小さな獣といった風情だ。
松永先輩の威厳が矢庭に損なわれて、殆ど滑稽なものに変わってしまったというこの落差に、僕は思わず笑ってしまう。
「きみ、今笑ったな! 私は耳はいいんだ。誤魔化しても無駄だぞ」
「ええ、確かに笑いましたよ。だって、二人のやり取りがあんまりにも面白いから」
僕は仕返しをするように言ってやる。
と、羽生田先輩は目を輝かせるようにして僕を見た。
「おお! 部長相手にも怖じないその威勢、やりますねえ! 行一くん!」
「全く腹立たしい!」
言うと松永先輩は羽生田先輩の腕の中で暴れてそれを振り払う。
「で、千羽とか言うおまえ。性懲りもなくいったい何をしに来たんだ」
「部活見学ですよ、部長」
と、羽生田先輩が勝手に答える。
「だったら前にも言ったとおりだ。今は部員の募集はしていない。帰り給え」
言われるまでもなく、と、僕は手に持っていたキーボードを机に置いて、そのまま帰ろうとする。
「ダメですよ、部長。いくら部長でもそんな権限はありませんよ。行一くんが入部したいって言ったら、私たちは歓迎しなきゃ」
「いや、ええと……」
余計なフォローを入れてくる羽生田先輩に、僕は自分の意志をはっきり伝えようとした。その時だった。羽生田先輩は僕の後方に視線を移すとにやりと笑った。
「ああ、
嫌な予感がしたので僕は振り返った。予感的中。答え合わせに要した時間は一秒にも満たなかった。今日は厄日かもしれない。
「あ! おまえ昨日の!」
それは浮浪者の老川先輩だった。彼はガラクタをたくさん載せた台車と共に入ってきた。
「ああ! 分かったぞ? 昨日の礼をしにきたんだろう? 律儀な奴だなあ!」
言いながら彼は僕の肩を楽し気に叩いてくる。後で洗わなければ。
「あれ、なんですか行一くん、翔琉くんとも知り合いだったんですか?」
「知り合いというかなんというか……」
「フフフ、まあ、どうせまた翔琉くんにダル絡みでもされたんでしょう? 後輩たちの間じゃ全くの不評ですからねえ、あのダル絡み」
「おい、羽生田、ぞんざいな口を聞くなよ? 僕は寛大な心で許してやるが、こいつは黙っていないかもしれない。何せ僕はこいつの恩人なんだからなあ」
僕は殺意に似たものを覚えた。
「やっぱりダル絡みしたんじゃないですか!」
「さっきからダルダルうるさいぞ。ま、いいや。で、なんだそりゃ、菓子折りじゃなさそうだが……」
彼は僕がまだ手に持ったままだったキーボードを訝しげに見つめながら言う。
「変わった習慣だな。お前んちじゃ礼のしるしにキーボードを差し入れするのか?」
そんなわけがあるか。
「違いますよ。それ、パソコン部からかっぱらってきたんです」
羽生田先輩が答える。老川先輩は笑う。
「酷いことするなあ!」
「ま、これくらいいいじゃないですか」
羽生田先輩にもしっかりと悪意があったことを再確認し、僕はちょっと怖気立つ。やはりこの人たちからはすぐに逃げなければならない。
「で、おまえはなんでこんなペテン女の共犯なんてしているんだ? ていうか、名前はなんていうんだっけ?」
できれば名乗りたくない。
「行一くんですよ。千羽行一。マイコン部の見学をしたいっていうので、ついでに荷物を運ぶのを手伝ってもらったんです。ね?」
と言って、彼女は僕にウィンクをして見せる。僕はつい言葉を失う。
「でも、部長が意地悪を言って帰れっていうので、今頑張って説得していたところなんですよ。翔琉くんからも何か部長に言ってくださいよ」
「そうなのか? いや、しかし……妙だな」
と言うと、老川先輩は首をかしげる。
「何がですか?」
「いや、内情を知らないならまだしも、いったい誰がこんな部活に入部したがるんだよ?」
まさかこの人と意見が合致するとは思わなかった。
「なんでそんなこと言うんですか! それに、現に部員は居るんですからね!」
「それは、お前や部長がヤバい奴だからだ。ヤバい奴でもなければこんな空間に居ることにだって耐えられないはずだ。となると、千羽もヤバい奴ってことになるが、そうは見えない……」
「翔琉くん。それ、暗に自分のこともヤバい奴って言っていることになりますが、大丈夫ですか?」
「僕は例外なんだよ!」
「なら行一くんも例外ですね! じゃあ、さっそくマイコン部兼点字部の部活見学会を始めましょうか!」
僕は脱力してしまう。しかたない、今日一日くらい付き合ってやるか。そして、その後で正式に入部を辞退すれば、羽生田先輩だってあきらめてくれるだろう……
「おい! 勝手に話を進めるな! 私は新入部員なんて認めないぞ」
「はいはい、部長はちょっと黙っててくださいね」
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