1-6
階数まで書いてあったので、旧LL室はすぐに見つかった。
PC室は他にあるらしいので、このLL室は授業では既に使われていないようだ。扉は金属製で重厚だったが、どこか旧世代の遺産と言ったような雰囲気を漂わせている。入口は一つだけで、扉にはLL室(ランゲージラボラトリ室)と書かれた古い札が掛けられている。確かに僕の世代にはもう聞きなれない響きだ。
防音がしっかりされているのか、よくは聞こえないが、何か音楽のような音が室内から漏れている。
僕はそっと扉を開いた。すると、大きな音楽に満たされた薄暗い部屋の中央で、何やらまばゆい光源が煌々と灯っているのが見えた。扉口から見た部屋の正面には大きなスクリーンがあって、そこにプロジェクタで映画かなにかを投影しているらしい。
「おっと」
僕に気が付いたのか、誰かがそういうのが聞こえた。
すぐに上映は中止され、プロジェクタの電源が落とされると、部屋の照明が点けられた。
椅子に座った五人ほどの男子生徒が入口に立つ僕に視線を向ける。それから、少し安堵したような表情をした。
「よかった、先生かと思ったよ。何か用かい?」
背のひょろ長い生徒が立ち上がりながら言うと、眼にかかる前髪を鬱陶しそうに払いながら話しかけてきた。
「突然お邪魔してすみません。あの、自分転入生で、よかったら部活の見学をさせていただきたいのですが……」
「おお、そうかそうか! いいよいいよ、なんでも見て行ってくれ。僕は部長で三年の
「一年の千羽って言います。今週転入してきて」
「なるほど、それは大変だったな。さ、ちょっとそこに座っててくれ……おい、
「とりあえず部活のホームページとかでいいんじゃないですか」
と、さっそく彼らは準備にかかる。やはりマイコン部員とは違いまともな人たちのようだ。良かった。
僕は椅子に座りながら、ちょっと部屋を見渡した。思ったよりも広さはないようだ。部屋の双方には長机とノートPCが置いてあって、一方の床、机の下にはひと際大きいディスクトップPCの筐体が直置きされている。部屋の中央には教室にもある普通の机と例のプロジェクタ。そして、部屋の一隅には部活で使う電子機器類だろうか、キーボードやマウスなどと一緒に、何に使うのか分からない機械がたくさん積まれていた。
待ちながら、手持無沙汰な僕に、宇都宮と名乗ったパソコン部部長のひょろ長い先輩が話しかけてくる。
「しかし、いきなりちょっとまずいところを見られちゃったなあ。いや、いつもはちゃんと真面目に活動しているんだが、たまに息抜きというか……あんな感じで映画の上映会とかもしているんだよ。今日はリドリー・スコット。傑作SF映画だ。テープが擦り切れるほど見てるよ、ま、DVDだけどね」
言うと彼はひとりで笑う。
「君はSFは好きかい?」
「いや、べつに嫌いではありませんが、これといって……」
「いや、いいんだ、ハハ、これじゃまるでSF研だな。悪い悪い。転入生で見学に来たってことは、前の学校でもパソコン部だったのか?」
「いいえ、万年帰宅部です」
「フフ、そうか、うちにふさわしい人材だな」
と、準備ができたのか、部員の一人がノートPCを手に近づいてきた。
「部長、これ」
「ありがとう」
部長は受け取ると、それを僕の座る前の机に置いた。
「これ、うちの活動の一環で運営しているホームページなんだが、まあ、言ってしまえばブログみたいなもんだな。でも、一から自分たちで作っているんだよ」
へえ、と、僕はそのホームページをテキトーに眺める。
「ねえ、君はプログラミングとかできるのかい?」
「リナックスの操作は?」
そんな僕に、周りに集まってきた部員たちが口々に声をかけてくる。まず単語の意味から分からない。
「ごめんなさい、こういうのは全く素人で……」
「これは教え甲斐があるぞ!」
と、部長がまた笑う。妙にテンションの高い人だ。
「でも、パソコン部に見学に来たくらいだ、知識はなくてもこういうのに興味はあるんだろう?」
部長に那須と呼ばれていた部員が話しかけてくる。彼は二年生のようだ。
「うーん、まあ、それなりには……」
僕は嘘を吐く。
「それは、それは、いいことだ……」
と呟くと、部長はつづけた。
「と、言うことは……マイコン部にも見学にいったりしたのかな?」
他の部員たちが何かを察したように僕から顔を逸らす。
「えっと、その……」
「もしかして、行ったのか……?」
彼のどこかただならない空気に気圧されて僕はつい頷いてしまう。
部長の顔がみるみる赤くなっていく。そして、彼は僕の肩を掴むと、凄みのある声で言った。
「いいか、一度見学に行ったのなら分かると思うが、絶対にマイコン部だけはやめておくように。いいな? 絶対にだぞ……」
と、那須先輩が宇都宮先輩を止めに入る。
「ちょっと部長、彼びっくりしてますよ。マイコン部のことはいいじゃないですか。それにあそこにはあの松永がいるんですよ? 仮に入ろうと思っても入れませんって」
「いや、那須、お前には危機感が足りない。次期部長としてそんなんじゃ困るぞ? パソコン部とマイコン部、遺憾ながらこの二つの部活は世間ではほとんど同一視されている。来年俺はもう卒業してしまうが、その年の新入生で、もし将来有望なハッカーの卵がいたとする。そんな奴が、もしまかり間違ってマイコン部の扉を叩いてしまったとしたらどうする? せっかくの才能が潰されかねないんだぞ?」
「いやいや、でも、そんな人はマイコン部なんかには入らないんじゃないですか? だって、あそこ、マイコン部らしい活動なんて何一つしていないんですよ? それに、さっきも言ったように、あそこには松永もいますし……」
聞くと、宇都宮先輩は那須先輩を睨みつけた。
「おい、那須、
体格は細身だが、身長は高く声は低いので、中々の迫力だ。
「いや、それは……」
那須先輩もすこし怖気付いている。
ところで、羽生田という名前には聞き覚えがある……
と、近くに立っていた別の部員が僕の腕をつついて耳打ちをしてくる。
「去年、羽生田さんっていう女子部員がいたんだけど、今年に入ってマイコン部に取られちゃったんだよ。男だらけの部活の紅一点で、しかも腕も良かったから、部長はそれを根に持っているんだ」
そうだ、思い出した、羽生田というのはあの松永先輩の取り巻きの一人だ!
「ああ、あれは本当に嘆かわしい事件だった。羽生田はどうしてあんな訳の分らん奴らと……しかも、男みたいな成りをしてまで……マイコン部、マイコンブ……そもそもマイコン部とはなんなんだ? マイ昆布ってか? マイバックやらマイ箸やら、なんでもかんでもマイマイ付けなければ気が済まない貧乏くさい風潮に流されて、ついに昆布までもマインにしなきゃならん時代が来たのか?」
部長は我を忘れたように訳の中らないことを叫んでいる。他の部員はまた始まったと言わんばかりに、呆れたようにそれを見ている。
「フン! しかしいいさ! マイコンなんぞ所詮はパソコンの劣化、過去の遺物だ。せいぜい我がパソコン部のダシに使ってやる……昆布だけにな!」
と、そう言い切ると彼は大げさに高笑いをして見せたが、自分の唾にむせたのか、えずきながらその場にうずくまる。その背中を那須先輩がさすってやる。
パソコン部にも昆布が潜んでいるという不都合な事実については黙っておこう。
僕の隣にいた部員がまた耳打ちをしてくる。
「情緒の起伏がおかしいだけで、普段は優しい人なんですけどね……羽生田さんの話になるといつもああなんだ」
なるほど、と、僕は哀れな宇都宮先輩の姿を見やる。
しかし、パソコン部、初めは好印象だったが、ここもなかなかの場所らしい。それに、マイコン部と関係しているのは厄介だ……おとなしく手を引くか?
そのときだった。
LL室の扉が勢い良く開け放たれた。
「やあ!」
「あっ!」
那須先輩が驚いたように叫ぶ。
僕も驚いて扉口を見る。詰襟を着たすらりと背の高い生徒がそこにはいた。確かに見覚えのある顔だ。そう、それは今まさに話題にあがっていた人物、紛れもなく羽生田先輩、その人だった。
「あれ、リドスコやってないじゃん」
「あ、あ、羽生田、おまえどうして……」
「先輩こそどうしたんですか? そんなところでうずくまって」
那須先輩が代わりに説明をしようとする。
「いや、いま転入生が来ていて、部活を見学させていたんだよ」
「え、これが見学ですか? 私がいないうちにヤバい部活になったりしていませんよね?」
「いや、これはなんだ、発作みたいなやつだよ」
「ええ、大丈夫ですか?」
「はあ、大丈夫だ、心配ない。らしくもなくちょっとはしゃぎすぎただけだ」
と、宇都宮先輩は立ち上がって平静を装う。
「いやいや、全然らしいじゃないですか。それに、外にも声が漏れてましたよ。なんだかみんな随分と楽しそうですね。私がいなくなってすっかり傷心だと思っていたのに、なんだか妬いちゃうな」
羽生田先輩がニヤッと笑う。美人というよりかは、美少年と言った感じだ。
「傷心なんかするものか」
宇都宮先輩はプイっと顔を逸らすと、また少し顔を赤くした。
「で、何しに来たんだ?」
那須先輩が質問する。
「それがね、うちのキーボードがついに壊れちゃってさあ。安っちいのはやっぱりだめだねえ。ここ、使っていないのいっぱいあるでしょう? 一個貰っていくね」
「おい待て、パソコン部の備品だぞ、そう簡単に渡せるか!」
宇都宮先輩が言う。
「ケチだなあ、去年みんなでバイトして、いいのを買ったんじゃないか。私にだって使う権利はある」
抗弁を受けた那須先輩は顎に手を当てて思案する。
「まあ確かに、備品とは言ってもみんなのバイト代でこっそり買い揃えたのもあるから、羽生田の言い分にも、一理あるか……」
「いや、だめだ……パソコン部員として皆で買ったものなのだから、個人の所有にはできない。ましてはマイコン部に行った裏切者に渡すなんて……」
「相変わらず変なところで頑固な人なんだから、先輩は。そんなんじゃ女の子にもモテませんよ。男の人はもっと寛容でなくちゃ!」
那須先輩がちょっとからかうように「言われてますよ」と、宇都宮先輩の腕をつんつんと突っつく。部長はそれを払いのけると、更に顔を赤くして那須先輩を睨みつける。その一方で、彼は羽生田先輩とはなかなか目を合わせようとはしない。
「仕方ないなあ、じゃあ、くれなくてもいいので、うちで新しいのが用意できるまで貸してくださいよ。それくらい譲歩してくれてもいいでしょう? 一か月くらいでまた返しに来ますから、その時はまた一緒にリドスコ見ましょうね、
羽生田先輩は宇都宮先輩の顔を覗き込みながら妖しい笑顔でそういう。
多分、彼女は分かってて宇都宮先輩をからかっている。僕には彼がちょっとかわいそうに思えてくる。
「どうします?」
那須先輩も同じように宇都宮先輩の顔を覗き込みながら聞く。
「もう、勝手にしろ……」
やりぃ、と言うと羽生田先輩は例のキーボードなどの積まれた部屋の一隅に歩いていく。
「あ、マウスとかも借りちゃいますね。あ、これも借りちゃいます。こんなのどうせ使ってないですよね? それに、あとこれも……」、
なんだかんだでこの混乱に乗じて色々とかぱらっていこうとする羽生田先輩を、他の部員は口をあんぐりとさせながら無言で見ていた。
ちゃっかりしたした人だと、目を丸くする僕に気が付くと、たくさんの荷物を抱えた羽生田先輩はすれ違いざまにニコっといたずらっぽく笑って見せた。
「じゃあね!」
と言いながらも、両手がふさがっているためか、彼女は扉を開けるのに手こずっている様子だった。
僕はこの場に残されるのが何だか辛かったので、扉を開けるのを手伝うのを口実に、そのまま御暇することにした。
「あの、僕もこの辺で」
僕は軽く会釈をすると、羽生田先輩に続いて廊下へ出た。
「あれ、見学はもういいの?」
そんな僕に羽生田先輩は聞いてくる。
「ええと、はい、もう色々と見せてもらったので……」
事実、見たくないものまで色々と見せられた。
と、彼女はちょっとバランスを崩して手に持った荷物を落としそうになった。
「大丈夫ですか」
僕はとっさに手を貸してしまった。昨日の教科書を運ぶ自分の姿と彼女が重なる。
「運ぶの手伝いますよ」
「おお、ジェントルマンシップがなっているねえ! じゃあお言葉に甘えて、一番上のこれだけ持ってくれないかな?」
僕は言われたとおりに、彼女の手の上の一番上に積まれていたキーボードを預かった。
「ありがとう、だいぶ運びやすくなったよ。マイコン部の部室は同じ棟だからさ、そこまでお願いね?」
僕はハッとした。そしてすぐに後悔した。
そうだ、この人はマイコン部兼点字部の部員だった……
とはいえ、今更荷物を返して逃げるようなことはできない。運び終えたらすぐに部屋を出よう、それに確かマイコン部の活動日は水曜のみだった。今日は活動日ではない。多分、大丈夫なはずだ……
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