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 その日の最後の授業(現国)は自習だった。担当の広田先生が体調不良で欠勤したためだ。現国の自習と言っても、正直漢字の熟語なんかを覚えるくらいしかやることはない。別の科目の自習でもしようかと思ったが、なんだかそれは不義理な気がしたのでやめておいた。僕以外の生徒は(数名を除いて)当然真面目に自習などする気は無いらしい。藤村はちゃんと自習をしているようだが、これはちょっと意外な気もするし、らしい気もする。昨日今日と親しくしてはいるが、僕はまだこの男のことを殆ど知らない。

 僕はふと考える。僕たちは、所謂「友達」になれるのだろうか?

 別に僕はボッチなわけではない(飯はひとりで食べたい派だが)。寧ろ世渡りはうまい方だし、今までだって、表面上の友人ならいくらでもいた。ただ、転校したら最後、彼らと話すことなんて一度もなかった。

 そんなことに慣れていたから、今回の学校でも同じようなものだろうと、僕は思っていた。しかし、よく考えてみると、今回は少し事情が違う。というのも、恐らく今回が最後の転校になるだろうからだ。僕の家族はだいたい、一二年に一度のペースで転居してきた。だから、僕がもしまた転校することになっても、それは僕が高校三年生になる頃であって、つまり、そのとき僕は受験生ということになる。僕の成績は良い。親は僕が大学に進学することを期待しているだろうし、僕も多分そうすると思う。だから、受験を控えた僕に転校するような負担を、僕の親は強いないだろう。親は転勤になるとしても、そのときは単身赴任を選択するはずだ(大学に進学した後はどうせひとり暮らしになるだろうからもう関係がない)。

 つまり、僕はこの高校に卒業するまでいることにる可能性が大だ。今でこそ転入生という立場だが、まだ一年生も半ばだし、その程度の時間的ギャップなら、数か月で埋まるだろう。彼らだって、中学が同じでもない限り、入学してから初めて見知った間柄に違いない。

 つまり、何を言いたいのかというと……僕の今までの身の振り方というか、世渡りの流儀というか……誰かに言われるでもなく自ずから培ってきたそのようなヴァイスから、抜け出すような努力をするべきなんじゃないか、と、思わなくもなかったりするわけだ……


 僕は隣席の藤村をちらりと見る。黙々と自習に取り組んでいる生真面目な横顔がある。

「ん?」

 僕の視線に気が付いたのか、彼も僕を見る。

「いや、何でもない……ただ、ちゃんと自習してるんだなって……」

 すると彼は笑いながら、手にしていたノートを僕に示すと、パラパラとそれをめくりだす。棒人形が下手なダンスを始める。

 僕は思わず笑みをこぼす。

「力作だな」

「だろ?」

 彼も笑ってそう答えると、再び非生産的な芸術活動に精を出す。

 芸術とは無意味なものだな、と思う。

 友情も無意味なものだろうか、と思う。

 友情など、非生産的ななれ合いに過ぎないのだろうか?

 僕はまだそれを知らない、知れなくてもいい……ただ、藤村のことは、少しだけ、ほんの少しだけだが、知りたい気もした。


〈件名:(no title)

本文:もし俺に友達ができたら嫉妬とかする?〉


 僕は思わずこんなメールを菅原に送っていた。

 すぐに返信が来た。


〈件名:Re

本文:突然どうした。文面キモ過ぎてスパムかと思ったぞ。〉


 よかった、こいつはちゃんと友達じゃない。こんなものが友情なら馬鹿馬鹿しすぎるからな。


〈件名:Re Re

本文:変なサイトばっかり見てるからスパムなんか来るんだよ。迷惑メールの設定方法教えてやろうか?〉


〈件名:Re Re Re

本文:是非教えてくれ。最初にお前のメアドを登録しておくから。後、俺は今授業中だ、用事がないなら〉


 メールの文章はそこで途切れていた。先生にバレそうにでもなったのかな?

 まあ、どうでもいいか。


 帰りのホームルームが終わった。

 藤村は立ち上がると、まるで待ちかねたかのように、まだ帰り支度の済んでいない僕の前に立った。

 僕は急いで教科書や文具類を鞄に押し込む。


「教室棟のはずれにでっかい建物があるだろ? あれ、体育館なんだけど、体操部の部室はそこにあるんだよ」

 言いながら歩く藤村の後を僕は追いかける。気持ちがはやっているのか、彼の歩みも早い。

 山鳴高校の体育館は二階建てで、作りは新しかった。二階部分はよくある広い競技スペース(これぞ体育館と言った感じの)になっており、一階部分には、柔道場やら剣道場やらがあった。

「どこの部活も場所の取り合いでさ、部室、って言っても、体操部の活動場所は決まってないんだよ。今日は柔道部が休みの日だから、柔道場が借りれるんだ。畳敷きで都合がいいしな。部活に使う器具も、柔道部の倉庫を間借りしてるんだけど、今や零細部活だから肩身が狭いよ」

 僕は上靴を脱ぐと、扉付きの下駄箱を勝手に使ってよいか分からなかったので、それをきちんと揃えて入口に置いた(なんだか、そうした方が良いと思ったからだ)。

 柔道場に入ると軟膏の匂いがした。天上はそこそこ高く、冷房も利いていて、畳もひんやりとしていた。

「千羽はこの後予定あるのか?」

「あと一つぐらいは部活の見学に行こうと思っているよ」

「なんだよ、ライバルがいるのか。ちなみにどこだ?」

「まだ決めてないけど、テキトーに目に留まった文化部系の部活かな」

「ハハハ、マイコン部だけはやめておけよ?」

「分かってるって」

 話しながらも、藤村は手際よく準備を進めた。とは言っても、部屋の奥にある倉庫から、大きな体操マットを二つ取り出して畳の上に敷くくらいだったが。

「まあ、俺も今日はちょっと用事があってさ、そんなに長くは居られないんだ」

「そうなのか」

「本当はまっすぐ帰るつもりだったんだが、丁度柔道場も使えるし、こんなことしてやるのもお前のためなんだからな!」

 言ってから、彼は勢いをつけると、マットの上で宙返りをして見せた。

「おお」

 思わず声が漏れる。

 僕の感嘆に彼はドヤ顔で答える。

「今のがバック転ってやつか?」

「いや、今のはちょっと違うな、バック転って言うのは手を使ってこうやるんだよ」

 と、彼は今度は別の種類の宙返りをしてみせる。

「すげえ」

「こんなこともできるぞ」

 今度は彼は少し助走をつけてから、マットの上を連続で舞って見せた。

 僕は素直に拍手をする。

「すげえよ」

「だろ?」

「でも……」

「ん?」

「これ俺じゃ無理だ」

 僕は本心から思ったことを言う。

 あんな技は世界がひっくり返っても僕には無理だ。いや、それこそ、僕がこれらの技を体得するのを待つよりも、世界の方がひっくり返って僕を投げ飛ばしてくれるのを待った方が現実的なのでは、とさえ思える。

「俺だって最初はそう思ったさ」

 と、その時だった。柔道場の入口から女子生徒に声をかけられた。

「あの、今部屋って使っていますか?」

 藤村はヤベッと言うと、急いでマットを仕舞いだした。

「実は今日は新体操部が使うことになってたんだよ。急げば大丈夫だと思ったが、意外と早く来たなあ」

 彼は舌を出しておどけたように言う。

「ごめんなさい。ちょっと備品の確認をしていただけで、すぐ出ていきますから」

 彼は大声で女子生徒にそう返答する。

「はーい」

 と、言いながら小さくお辞儀をすると、彼女は何処かに去っていった。

「また来る前にずらかるか」

「別にコソ泥じゃあるまいし……」


 来た時と同じように、藤村は急いで荷物をまとめると、そそくさと部屋を後にした。僕もそれについていった。

「文化部系の部室はだいたい三棟に集まっているんだ。だから、あっちの方で探すといいよ」

「わかった、そうするよ」

「いつまでに決めるんだ?」

「萩城先生には二週間で決めろって言われてる」

「ところで、今更聞くのもおかしいが、何か目当ての部活とかってあったのか? 前の学校で入ってた部活とかさ」

「それが実は俺、帰宅部十年選手なんだよ」

 僕は肩をすくめながら答えた。

「ハハハ、そうかそうか、それじゃあとんだ学校にきちまったなあ」

 まったくその通りだ、と、僕は苦笑して見せる。

 と、藤村はこの間のように急に真面目な声を作って言った。

「まあ、なんだ、無理に勧誘するのもあれだけど、もし気に入った部活が無かったらさ、内に来てくれよ。マネージャーとかでもいいからさ……まあ、マネージするほどのこともないんだけどな、ハハハ……」

 最後の「ハハハ」という笑い声も、心なしか悲しげだった。

「分かったよ。その時はそうする。まあ、今までずっと帰宅部だったんだ。今更入りたくなるような部活が見つかるとも思えないし……そのときはぜひよろしく頼むよ」

 僕は少しだけ彼を慰めるようにそう言った。


 体育館のある棟から伸びる廊下を伝って一棟校舎に着くと、「じゃあまた」と互いに手を振ってから、僕は藤村に言われたとおりに三棟校舎の方へ、彼は下駄箱の方へとそれぞれ歩いていこうとした。そのときだった。

「あ、ちょっと待ってくれ」

 僕は藤村に呼び止められた。

「どうした?」

「すっかり忘れてたぜ。ほら、これ」

 と、彼はポケットから出した携帯を示しながら言った。

「ああ、そういえば」

 僕たちは連絡先を交換してから、再び互いに別々の方向に歩き出した。


 三棟校舎へ向かいながら、僕は例の部活紹介の冊子をもう一度読んでみた。

 活動場所が三棟になっているものを探してみるが、並びがバラバラなのと、部屋の名前が書いてあるばかりで、それが何棟なのかという情報が書いていないため、結局よく分からなかった。活動場所の詳細が分からないというのは、この広い山鳴高校の部活紹介冊子としては致命的な欠点だろう。改善の余地が大いにある。

 ただ、律儀に棟番号まで記載している文化部が一つだけあった。

 パソコン部。部員数8名。活動内容、プログラミング学習、ウェブページ運営など。活動実績、競技プログラミング大会、コードゴルフ大会への出場など。活動日、月水金。活動場所、三棟校舎二階旧LL室。

 正直なところ、世に言うマイコン部とパソコン部の違いはよく分からないが、一方があの有様なら、少なくとももう一方はある程度まともなはずだ、思う。プログラミングには興味はないが、パソコン部となれば集まる人種は大抵予想が付く。たぶん僕の同類だ。そこそこ居心地もいいだろう。

「行ってみるか……」

 すると、あの時と同じように遠くからユーフォニアムの音が響いてきた。凶兆だろうか?


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