1-2
気が付くと何人かクラスメイトが既に登校してきていた。彼らは僕たち二人が向かい合っているのが気になるのか、いやに視線を感じる。
なんだか空気が重たくなってしまったので、僕は話題を変えようとした。そういえば、これくらいの時間だったはずだ。僕は席を立つとすぐ横の窓から校門の側を覗いた。
ジャストタイミングだった。
「なあ、藤村」
「なんだ?」
「あれ」
藤村も席を立ち、窓際に来ると、僕の指さす方を見た。
「ああ」
藤村は「そのことか」と言わんばかりに笑いながら相槌を打った。
窓からは例のセンチュリーと三人組が(辛うじてだが)校門前にいるのが見えた。
「昨日も見かけたんだけど。あの人たち、いったい何者なんだ?」
「確かに始めてみると驚くよな。俺もそうだったよ。うちの高校じゃ有名人さ。白杖をついているのは
「え、そうなのか」
藤村は楽し気に笑いながらうなずく。
「意外だろ? でも、近くで見てみると、確かに女の人だよ。中性的で美形だから、女子から人気があるんだ。まあ、老川先輩の方はみんなから避けられているけどな」
「うん、確かに露骨に不良、というか、浮浪者みたいな見た目をしているもんな」
思わず素直な感想が口から洩れる。
「結構言うなあ千羽! でも、絶対に本人の前で言ったりするなよ?」
そんなことするわけないじゃないか、と、僕は肩をすくめて見せる。
「みんな二年生で、部活も同じらしいんだよ。確か、マラソン部だか、マザコン部だか……」
僕はギクリとした。あの杖を突いた昨日の先輩(松永先輩)がマイコン部兼点字部なのは知っている。部員も確かちょうど三名だった。ということは……
「マイコン部?」
「あ、そうそう、それだ。よく分かったなあ」
「いや、たまたまだよ……」
昨日のことは黙っておこう。何となくその方がいい気がする。
「部活といえば、千羽はどこに入るのか決めたか? あ、一応忠告しておくがマイコン部はやめておいた方がいいぜ。あの三人が集まってるってだけでちょっとおかしいのに、それに加えてあんまりいい噂を聞かないんだ」
「どういうことだ?」
マイコン部に入るつもりはもうないが、一応聞いておく。
「いや、あくまでも噂なんだがな、色々ときな臭い話があって、パソコン部や演劇部なんかともひと悶着あったらしい。それに、これは俺の推測に過ぎないんだが……松永先輩の取り巻きの二人、まるで従者か使用人みたいだろ? 奴隷みたいにこき使われているのを見たってやつもいる。いくら松永先輩がいいところのお嬢様で、さらに同じ部活の部員だと言っても、赤の他人にそこまで尽くしてやる義理なんてあるか? きっとあの二人、訳ありなんだ……多分何か弱みでも握られているんだぜ、あれ。いかにもか弱い美少女って感じだけど、中々怖い人だよ、あの松永って先輩……」
実際のところは分からないけれど、多分その読みは正しい、と、僕は密かに肯定する。
「で、話を戻すが、もしまだ部活が決まっていないなら体操部とかどうだ? 俺はいつでも歓迎するからさ」
「いや、運動部はちょっと……」
「ええ! バック転なんかできるとめちゃくちゃ気持ちいいんだぜ? なあ、見学だけでもいいからさ」
けっこう押しの強い藤村に僕はたじろいだが、直後に鳴った予鈴に救われた。
「まあ、その気になったらいつでも言ってくれよ」
昨日と同じように、午前の授業が始まった。昨日と違ったのは、休み時間にクラスメイトに話しかけられたことだ。それも大勢が僕のところに来た。転校生に対する反応としてはこちらの方が正しいのだけれど、僕は少し困惑した。今朝に藤村の話していた川井先生の件が何か関係しているのだろうという察しはついたが、あまり深く考えないことにした。
新しいクラスメイトとの会話は無難にこなした。多分つまらない奴だと思われて、みんなすぐに興味喪失したことに違いない。まあ、それでもかまわない。東京から来たと言っても、みんながみんな芸能人みたいなわけじゃない。ひとりやたらと東京について聞いてくる女子(志村さん)もいたが、あまり過度に期待されても困る。東京人という名の勲章はブリキ製だ。安っぽくて重さのない子供だましだ。そんなものにあこがれるのは、それこそ子供くらいだ。それに僕は東京に住んではいたが出身というわけではない。何なら出生地はここよりももっと田舎だし。
昼休憩の時間になった。
藤村とその友人らしいクラスメイト数人(自己紹介の時に馴れ馴れしそうな印象を抱かせたあの瀬戸もいた。類は友を呼ぶというやつか。だとすると、僕は呼ばれないことになるが)が僕を昼飯に誘ってきたが、いくら藤村がいい奴とは言え、いきなり一緒に飯を食うのはちょっとハードルが高い(藤村だけならまだしも……)。ただ、僕は朝の一件からこうなることは可能性の一つとしてある程度予期していたから、この誘いを体よく断る口実を一つ用意していた。
「せっかくだけど今日はちょっと難しいんだ。昼休みに先生に呼ばれててさ」
「おお、いきなり説教か? 千羽も意外とやるなあ!」
「違う違う。教科書を取りに行くんだよ。ずっと借りてるわけにもいかないしさ、早いとこ取りに行こうと思って」
「そうか、そういうことなら仕方ないな……」
聞き分けが良くて助かる。
本当は藤村の誘いを断ってまで急いで取りに行く必要はないのだが……とまれ僕は少し残念そうにしている彼に対してちょっとの罪悪感を抱きつつも、職員室へと向かった。
職員室に着くと、僕は萩城先生を呼んだ。どうやら先生は食事中だったらしい。口許に米粒が付いている。悪いタイミングで来てしまった。
「休憩中にお邪魔して申し訳ありません。あの、教科書を取りに来たのですが」
「ああ!」
先生は手を打ち鳴らすと、ちょっと大げさに声を上げた。
「隣の生徒指導室に置いてあるわ。結構多いけど一人で持って行ける? よかったら手伝うわよ?」
「いえ、大丈夫です、一回で無理そうなら、何回か分けて持っていきますから」
そう言ってもなお手伝おうとする先生を僕は何とか制して、指示された隣の生徒指導室に入った(僕はできればあまり人の手を煩わせたくない質なのだ)。しかし、生徒指導室、つまり説教部屋か……
僕は先ほどの藤村の茶化しを思い出した。別にこれと言って何の負い目もない僕だけれど、この部屋の空気からはやはりどこか懲罰的な雰囲気がある。双方の壁に置かれた棚と、そこにきっちりと収められた(何かよく分からない)ファイルの数々。そして中央に向かい合わせに設置された長机。どれもが心なしか威圧的だ。
机の上には、一度に一人で運ぶにはかなりしんどい量の荷物が置いてあった。よりにもよって、僕はこのために用意しておいた大きめのトートバックを教室に忘れてきたことに今更気が付いた。不覚である。
だけれど、何となくこの部屋は往復したくない。幸い職員室と教室は同じ棟にあるから、この広い山鳴高校といえども教室までの距離はたかが知れている。難所は二階から四階までの階段くらいだ。
よし、と、僕は意を決して全ての教科書と、そして体操服を抱えて、取調室を出た。
しかし、僕はすぐに後悔した。
全部でいったい何キログラムくらいあるだろうか。十キロ以上あるんじゃないか? いや、重さだけが問題ではない。とにかくバランスを保つのが難しい。特に一緒に持っている体操着が、僕の両の腕の上に積まれた教科書類の安定を難しいものにしている。叡智により築かれた秩序を筋肉による暴力が脅かしている構図である。「これだから体育会系は嫌いなんだ!」と、謂れのない非難を僕は心の中で叫ぶ。
まだ階段にすら到達していない。これはもう無理か、と観念したそのとき、ついに僕の手の上の秩序は崩れ去った。世界史の教科書が彼方に飛んでいく。なるほど、歴史の繰り返しとはまさにこういうものか……と、ぼくは放心しながら、半ば他人事のようにその光景を見やる。
「あーあ、やっちゃった」
と、近くを歩いていた女子の二人組がくすくすと笑いながら僕の横を通り過ぎていく。手を貸してくれる様子は、ない。
僕はため息を吐くと、「仕方ない」と自分を慰めながら、散らばったそれらを一つずつ拾っていった。その時だった。
彼方に飛んで行った例の世界史の教科書を持ちながら、ある男子生徒が話しかけてきた。
「お前転入生だろ?」
嘲弄の隠せていないその声に少しムッとしつつも、声のする方を向いて一応礼を言う。
「ありがとうございます……」
僕は思わず目を丸くして固まった。
その男子生徒はあのチンピラ寝ぐせ野郎(老川先輩)だった。
「お前一年か? しかし、しょうがねえ奴だなあ。横着するからこうなるんだよ」
そんな僕をよそ目に、老川先輩は散らばった教科書や体操着を拾ってくれる。
「どう考えても一人で運ぶのは無理があるだろ、この量」
「えっと、その」
「よし、運ぶの手伝ってやるよ」
あれ、意外と親切な人なのか?
「すみません、ありがとうございます……」
一応相手は先輩だ。先生の時は断ったが、状況的にここは素直に相手の親切を受け入れるべきだろう……
ちょうど半分くらいずつの荷物を手に、僕と老川先輩は四階の教室へと向かった。心なしか、周りの視線が気になる。
「それにしても、高校で転校って珍しいなあ」
「ええ、まあ確かにそうですよね。でも、どうして転入生だと?」
「どうして分かったかって? そりゃおまえ、夜中に家の前をうろうろされたら誰だって泥棒を疑うだろ? それと同じだよ」
何が同じなんだ。前言撤回、この人を善人だと判断するのは危険だ。所詮はあの松永とかいう先輩の一類というわけか……
「そうでもなければ、一年も経たないうちに教科書も体操着もみんなダメにしちまったわんぱくってことになるが……おまえ、見た感じわんぱくってナリでもないしなあ。まあ、腕はもやしみたいに白いけど!」
ああ、僕は不幸だ。こんな訳の分からない男に絡まれて。周りに視線も、きっと憐みのそれに違いない。
「紛れもないただの転入生ですよ……」
「うんうん、まあそうだろうな。となると、つまりあれだな、小説か漫画か分からないが、つまりそういったものに触発されて転入してきた口だろ? 転入生ではないが、僕の腐れ縁にも似たやつがいるんだ。インドア派の人間ほど、外に出ないくせにそういった妄想を膨らませて、〝ここじゃない何処か〟に夢馳せたりするものだからなあ……まあ、分ってやれなくもないぜ?」
「勝手に納得しないでください。たしかに俺はインドア派ですけど、そんな馬鹿な理由で転校するような人はいませんって……親の転勤ですよ」
こんな無礼で無神経な人間がこの世界に存在していていいのか? と思いつつ、僕は何とか我慢して教室まで向かった。
「ここです」
「おう、机まで持っていってやるよ」
いや、ここまでで、と言う間もなく、老川先輩は教室に入っていった。僕は焦りながら彼を追う。
昼食をとり終え、自席で談笑していた藤村の顔色が真っ青になる。彼は無言で僕に何かを訴えかけるような表情をする。言いたいことはなんとなくわかる。
「じゃあな、わんぱく小僧」
と言うと、先輩は僕の肩を叩いて去っていった。そして、彼が教室を出ていき、少ししてから、待っていたとばかりに藤村が僕に質問をぶつけてくる。
「おい、どういうわけだ? まさか今朝の話とかしていないよな?」
「いや、その、たまたまだよ。教科書を運んでるときにみんな床にぶちまけちゃってさ、たまたま通りかかった先輩に助けてもらったんだよ……」
「助けてもらった? そんなたまか? あの人が?」
「人は見かけによらないってことかな……いや、見かけ通りか?」
僕は少し考えたが、どうでもよくなったのですぐにやめた。
「まあ、変に絡まれたりしたわけじゃないんならよかったよ」
藤村が安堵したように言うので、とりあえず頷いておく。実際は変に絡まれたりしたのだけれど。
「あ、おい、これ!」
と、そのとき、藤村が何かに驚いたように言った。彼の示す先を見てみると、そこには何か手形のような茶色い汚れのついた僕の体操着のシャツがあった。
「うわ、なんだこれ」
体操着は老川先輩が運んでくれたものだったので、きっと彼の手の汚れがうつってしまったのだ。新品の体操着なら、普通ならビニールの袋にでも入っているものだが、今回僕はそれを裸で渡されていた。午後には体育の授業があるので、たぶん萩城先生か誰かが気を利かせて、タグを外すのと一緒にビニールも捨ててくれていたのだろう。善意が裏目に出た形だ。
「それにしても、これ、なんだ……? まさか、ウン……」
やめろ、と、僕は藤村の言葉を遮った。
そして僕は、恐る恐るその汚れに鼻を近づけた。それらしい臭いはしない。良かった、考え得る限りでの最悪の事態は避けられたようだ。
「たぶんそれ、機械の油か何かだよ」
と、後ろで一部始終を見ていた瀬戸が答えた。
「俺、老川先輩と家が近所なんだけど、よく外で単車いじってるのとか見るからさ。たぶん手とかちゃんと洗ってないんだよ。機械油って落ちにくいしさ」
結局不潔なことには変わりなかった!
午後一番は体育の授業。僕は仕方なくそのままの体操着で授業を受けたが、終わりに体育教師の西村先生に呼び出されてしまった。新品のはずなのに汚れた体操着を着ている僕を見て、イジメか何かを心配したのだろう。強面で生徒に畏れられていそうな先生なのに、「何か困っていることはないか?」と優しく問いかけてくる彼の良心が、僕の心を抉った。
老川先輩。いや、老川、許すまじ……
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