0-5


 午後の授業も同じ調子で、特に何事もなく終わり、帰りのホームルームの時間になった。

 ホームルームでは、三か月後の学祭に関する準備等について書かれた半ペラや、演劇部が何かの賞を取ったことなどが書かれた簡素な学報が配られた後、萩城先生から明日(毎週木曜日)の六限後にあるというロングホームルームについての説明があった。


「明日のロングホームルームですが、前にも話していた通り、川井かわい先生がお別れの挨拶にいらっしゃいます。お花は私の方で用意してありますが、他は問題ないかしら?」

 藤村が答える。

「はい、色紙の準備も、それを渡す段取りも、できています」

 今朝話していた前任の先生のことか、と、僕は合点した。ただ、僕は段取りのことなど知らない。

 藤村は徐に立ち上がると続けた。

「ただ、ひとつだけ先生にお願いがあります……」

 先生は首を傾げた。

 他の生徒は皆彼に注目している。彼はそんなクラスメイトらを睥睨するような仕草を取ると、誰にするでもなく(或いは自分自身にするように)小さく頷いてから、言った。

「これはみんなで話し合って決めたことですが、川井先生が教室にいらっしゃる際には、萩城先生には入れ替わりで外で待っていて欲しいんです。理由は、皆まで言わずとも察していただけると思います……多分これが、最後ですから」

 先生は聞くと、ちょっとの驚きと、ちょっとの傷心との入り混じったか弱い小動物のような顔をしたが、すぐに微妙な作り笑みで誤魔化して、「わかったわ」と言った。

 藤村のいう〝話し合い〟の内容については不明だが、今の申し出の意図は何となく汲める。詮ずるところ「部外者は居るな」と言いたいのだろう。だとすると、僕も部外者なわけだから、先生と一緒に外に出るべきだろうか?

 生徒に廊下に立たされる教師と生徒。どこか風刺のきいた面白い状況ではあるが、当人からしたらたまったものではない。

 ちょっと億劫だが、ホームルームが終わったら藤村に確認してみよう……


 しかし、僕のこのちょっとのモチベーションと計画は、すぐに頓挫した。帰りの挨拶をした直後に先生がすぐに僕に話しかけにきたせいで。

「今日一日どうだった? 学校には馴染めそう?」

「まあ、ぼちぼちですね……」

 実際は、ぼちぼちというよりは、ボッチボッチである。

 ただ、僕は別に本当のことをいうつもりはなかったので、先生の質問を適当に受け流した。べつに彼女が頼りないからそうしたというのではない。僕がそういう男だというだけのことだ。このような、他人からのささやかな善意にも不感な男。或いは、それが善意であっても他者から何らかの感情を向けられることを不愉快に感じる男。僕はもしかすると人でなしなのかもしれない。

「ところで、うちの学校、生徒は必ずどれか一つの部活に所属しなくちゃいけないことになっているの」

 と、衝撃的な事実をさらりと言いながら先生は新入生向けらしき部活動の紹介冊子を僕に手渡してきた。

「ちょっと急かもしれないけど、二週間くらいで決められるかな?」

「はあ……考えてみます」

 と返答する他ない。しかし、生活指導の一環としてなのか分からないが、部活動の加入を生徒に義務付けるというのはなんて浅はかだろう。一番割を食うのは先生たちではないか。それともこの学校の管理職が無能なのか?

 と、ぼやいてみても埒があかない。なんでもよい、楽で、サボり放題の部活なんてどこの高校にもあるはずだ。そこを狙おう。

「その代わり、内は転部の融通が利いて、突発の見学とか、体験入部なんかでもすぐに受け入れてくれるところが多いから、早速今日からでも探してみたらどうかしら?」

「……分かりました、そうしてみます」

 先生と話し終えた頃には藤村の姿はもうなかったが、優先事項ができてしまったので例の件は一旦差し置こう。

 それに、丁度校内の散策もしてみたいと思っていた。ネットで航空写真なんかも確認してみたが、この広さ、慣れるまでは迷ってしまうに違いない。教室移動のときなんかに、僕ひとり行方不明にでもなろうものなら、きっと即席の遭難救助隊なんかが組織されることになる。僕の名前を叫びながら校内を捜索するクラスメイトたち。想像しただけでも地獄!


 そんなこんなで、僕は校内をうろつきながら例の冊子を読み込んでいた。そこには、部活名と部員数、活動場所や、主だった活動内容と、簡単な活動実績なんかが載っていた。そして、それぞれの部活の部員が描いたのだろうか、フリーの紹介スペースに彼らの部の特色を表すイラストなんかが描かれており、それらが動画サイトのサムネイル画像のように並んでいた。ある部活は凝った意匠のロゴであったり、ある部活は活動風景のイラストであったり、美術部などはやはり「ここぞとばかり!」といった感じの気合の入った中年男性の人物画で……しかし肝心なことにそれが何者か全く分からない。このイラストに興味を持ってやってくるのは、はじめから美術部志望の生徒か、オジサン好きのどちらかだろう。前者は冊子による案内などなくても勝手にやってくるとして、そうではない人物を部活を入部させたいと考えたときに、彼らの求める人物像はまさにオジサン好きということになる。少なくともこの冊子はそれを暗に示している。やはり芸術をやる人間は頭がちょっとどうかしているのかもしれない。


 ところで僕は、先生にこの冊子を渡された時から、既にいくつかの部活に目星を付けていた。大抵どこの学校にもあり、そしてゆるい部活。例えば写真部。僕の認識が正しければ、どこの学校の写真部も大量の幽霊部員を抱えており、それこそ部室などは次々人の減っていく幽霊屋敷のそれで、心霊写真の撮影には事欠かないというのが相場で決まっている。

 僕はページを繰りながら写真部の紹介を探した。そしてすぐに見つけた。カメラのイラストを掲げた、山鳴高校写真部。部員数二十名。活動内容、写真撮影の技術向上、撮影会、個展の開催、写真甲子園への応募。活動実績、写真甲子園出場。

 ちょっとまて、写真甲子園とは何だ。甲子園という字面は実に信用に値しない。特に、文化部の大会の名に用いられる場合にはそれは、「甲子園と付ければ青春っぽい感じがでる」という安易な策動を巡らせた結果であることが屡々である。

 冷房の効いた部室に居ながら、彼らは高校球児たちの流す汗をなんだと思っているのか……

 僕は写真甲子園について携帯で少し調べてみた。それはガチ寄りなやつだった。決して「甲子園」の恩恵に預かりたいという狡猾さだけからの命名ではないらしい。それに、この大会は毎年北海道で開催されているという。せめて関西でやれ! と、僕は携帯を投げたくなるのを抑えつつ、とりあえず写真部は候補から外す。(ところで、運動部系がはじめから考慮の埒外に置かれているということは言うまでもない)


 しかし、他になかなか好い候補が見つからない。いくつか付けていた見当も外れそうだ。まず、紹介文の時点から、なかなかにやる気旺盛なのが伝わってくる。つまり、この学校は部活動が盛んということらしい。強制されてやっている割には従順な奴らだと感心する。いやしかしそれでも、部活動強制参加だなんて、絶対に一定数は僕のようなやる気のない生徒がいるはずで、どこかに彼らの吹き溜まりのようになっている部活があるはずだ。

 とりあえず、今いる場所から一番近い文芸部の部室の前に来てみる。しかし、扉の前に積まれた部誌を見て断念。毎月発行しているらしいが、コピー用紙で刷られたそれはなかなかの文量だし、チープさを出さないために背表紙の装丁も凝っている。これは文弱と呼んで侮れぬ。そもそも僕は読むだけならまだよいが、書くなんて絶対にできないし、したくもない。誰が好き好んで自分の頭の中を露出しようと思うのか。

「変態だろうか……?」

「えっと、うちに何か用でしょうか……? 部誌ですか? よければどうぞ」

 部室の前に立っていると、恐らく文芸部員らしき女子生徒に声をかけられて、僕は思わず逃げてしまった。独り言が聞かれていなかったか気が気ではない。


 今日はこのまま帰ろうか。流石に転校初日は疲労がたまる。うん、転校初日は疲労がたまるのだから、今日は帰るべきだ。明日も同じくらい疲れるだろうから部活探しは明後日に持ち越そう、そうしよう。

 と、僕は全人類に備わった言い訳の才能を発揮しながら、下駄箱の方へ歩みを変えつつ、最後にもう一度だけ冊子をパラパラとめくってみた。

「ん?」

 僕は思わず足を止めた。例のやる気満々な部活紹介の一群の中に、ひとつだけ異彩を放っているものを見つけたのだ。

 マイコン部兼点字部。部員数三名。活動内容、随時募集。活動実績、校内のゴミ拾い。

 そして、特に注目するべきはフリーの紹介スペースに描いてある毛の三本生えたニコちゃんマーク。

 そのニコちゃんマークと目が合ったとき、僕は運命を感じた。胸のトキメキを禁じ得なかった。そうだ、僕はこういうた感じの部活を探していたんだ!

 だが、しかし……どうにも解せない。

「マイコン部兼点字部」

 いったい何故兼ねたのだろう。兼ねる必要がどこにあるのか。何か兼ねるとうまい具合にいく理由でもあるのだろうか? 蕎麦屋がかつ丼屋を兼ねていたり、楽器屋がバイク屋を兼ねていたりするようなあの具合で……?

 ミステリーだ。確かめるだけの価値はある。

 と、僕は活動場所となっているらしい第二音楽室に向かった。今日(水曜日)が週一回の活動曜日に指定されていたこともツイているぞ。


 僕は「点字」と言う字面を見ながら、頭の片隅に、今朝見た白杖の少女のことをちらと思い浮かべたりした。


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