第32話 フルキャスト

いつだったか、母親が言っていたことを思い出す。

『涼は元気に育ってよかったわ』

『お母さん、それどういうこと?』

当時、確か小学生か中学生のころだろう。

涼は母親に質問を投げかける。


『涼にはね、本当はお兄ちゃんがいる予定だったの』

『お兄ちゃん?』

『そうよ』

詳しい話は覚えていない。

だが、母親がそう言っていたことをようやく思い出した。


「なるほど、あなたが……。母さんが言っていた兄貴になるはずだった人か」

「そういうことだ。涼、ちゃんと俺が見てるから」

「ありがとうな、兄貴」

涼の背を押す。

涼は彼に笑顔を見せて、前を向く。


ふと涼が目を覚ます。

「ううん、今何時だ……」

時計に目をやる。

キルシェたちに言われた時間まで、あと三十分だ。

「少し寝すぎたかな……」

涼は苦笑いする。


Sternen zeltへと、制服をもって歩く。

二人組の女性が話しているのを見かけた。

「今日はSternen zeltは予約でいっぱいなんだって」

「えー……。ドーリッシュに会いたかったのになぁ」

「明日にしない?」

「そうだね……。仕方ないもん」

残念そうにしながら、歩いていく女性たちを申し訳ない気持ちで見送る。


Sternen zeltの裏口から入り、制服を着る。

「戻りましたー」

涼はジーンたちに声をかける。

ジーンはちょこまかと動き回っている。

なかなか返事が来ない。

涼は苦笑いしていた。

それほど、ジーンは忙しいのだと分かった。

「あ、おかえりー」

ジーンはようやく涼に気が付く。


よく見ると、ドーリッシュはまだシャツのままで制服を着ていない。

「涼、早いじゃん。まだ開店前なんだけど」

「え?」

「まだ20分くらいあるからね。僕はもう一服して、それから着替えるよ」

ドーリッシュは笑って裏口から外に出て、喫煙所で煙草を吸う。


キルシェは髪を結っている。

長い髪を器用にまとめている姿に、涼はあっけにとられる。

「何?」

「器用なんですね」

「自分の髪くらい結べるわ!」

キルシェは苦笑いして指摘を入れる。


「おはようございます」

そう言って入ってきた、背の高い女性がいる。

髪は茶色で、ボブカットにされている。

だが、髪はハーフアップに結われていた。

「アンネ、良いところに来たわね」

「どうしたの、キルシー」

「新しく一人入ったから、紹介しておこうと思ってね」

「あ、あの、水月涼と言います」

涼は頭を下げる。

「アンネロッテと申します。どうぞよろしくお願いいたしますね」

「こちらこそ、よろしくお願いします。あ、涼って呼んでください」

「ええ、ありがとうございます、私のことはアンネとお呼びくださいね」

「はい」

涼は少し照れ臭そうに笑って返事する。


少しして、黒い髪をした小柄な女性が入ってくる。

「おはようございます……」

梨那りな、おはよう。あ、そうそう……」

「……涼、ここに来たんだね」

「う、うん……、久しぶりだね」

二人のぎこちない会話に、周りも不思議そうに首を傾げた。

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