第11話 女装接客

ふんわりと鼻腔をくすぐる、何とも言えないが良い香り……。

涼はポフポフと顔をはたかれる感触がない瞬間に思い切って口を開く。

「あ、あの……、これは……」

「黙ってなさい! 時間がないんだから! この後、着替えもあるんだし……」

キルシェの声に、涼は黙ることしかできない。


「できた?」

ジーンが恐る恐るキルシェに話しかける。

「店長、邪魔! 通るわよ」

涼はキルシェに服を押し付けられる。

「これに着替えて出てきなさい!」

「え!?」

「何よ?」

「こ、これって……」

「良いからさっさとしなさい! 時間がないわよ!」

「は、はい……!」


涼は慌てて着替えをする。

「これ、どこに繋がって……! あーもー! なんで俺がスカートなんか……!」

涼はいらいらして悪戦苦闘しながらも服を着る。

というのも……。

キルシェに渡されたのが、運の悪いことにメイド服である。

「まだなの?」

キルシェの苛立った声が聞こえる。

「あ、あと最後のリボンを……」

「それは私が結んであげるから出てきなさい」

涼は大人しく出てくる。

「後ろ向いて」

「はい……」

キルシェはリボンを結ぶ。

「これで良いわね」

「って! なんで俺が女装を……」

「仕方ないわよ。あの人、男嫌いが激しくて。ドーリッシュですら接客を嫌がられるんだもの」

「ドーリッシュさんでも……。じゃあ、俺は」

「素の姿なら完全に嫌がられるわ」

「で、俺はなぜ……」

「大事な常連の一人を失いたくないからね」

ジーンの答えに、さすがの涼もイラっとする。

「それって……」

「じゃあ、特別に給料を上増しするよ」

「そういう問題かよ……」

涼は呆れとも諦めとも取れる声で言う。


結局、涼はその常連客がいる間、「涼子」として接客することになった。

もちろん、涼は不本意だが。


「涼子、そのお客さんが帰ったらすぐに涼に戻っていいから」

キルシェは慰めるように言う。

「……はい」

涼は不機嫌に返事する。


カランカラン……

来客を告げる鈴の音がする。

「いらっしゃいませ」

「お! キルシーちゃん!」

「もう、全然来てくれなくて寂しかったですよ」

「すまないねぇ」

「でも、今日来てくれて嬉しいから許します」


涼……、もとい涼子は思う。

ここ、キャバクラじゃないよな、と……。

「さあ、涼く……じゃなくて、涼子さん、出番だよ」

「店長、カンパ読むなよ……」

「良いから良いから!」

涼子は仕方なく表に出る。

引きつった笑顔を張り付けた表情の奥は、虚無という感情しかない。


「おや? あれは新しい子かい?」

「ええ、涼子よ」

「涼子、可愛い子が入ったものだな」

彼は笑っている。

その彼は、日本人と変わらないが、唯一違うと言えば。

大きく黒くて太い尻尾があることである。

「ご、ごきげんよう……」

緊張で上ずった声を出す涼子に、彼は満足げな笑みを浮かべた。

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