第5話 店の名前
ジーンは涼が制服をじっと持ったまま動かないのを見て、少し心配そうに言う。
「制服、気に入らない? うーん、デザイナー雇うべきだったかな……?」
「あ、いえ。スカーフが星空みたいでキレイだと思って……」
涼は笑って言う。
「良かったよ! キルシーにはもう少しセンスのいいスカーフはなかったのか、って言われちゃってね……」
ジーンが苦笑いして言う。
キルシェはズバズバと意見を言うタイプらしい。
「あ、あの……質問していいですか?」
「ああ、良いよ」
「ここのお店、何語なんですか?」
「ああ、ここの……、ヨーロッパの国の言葉だよ。もしかして、読めない?」
「はい……」
涼は恥ずかしそうにうつむきながら言う。
「シュテルンツェルトと読むんだ。意味はね、星空。だからスカーフもそんなデザインだよ」
「星空……、あ、なるほど!」
涼は合点がいき、気持ち的にすっきりとした。
やはり、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥と改めて思ったのである。
「あ、そうそう。コック服の下にはシャツを着てね。Tシャツなんかでいいから」
「分かりました。ちなみに、下は……」
「ロングパンツ系の服、持ってきてない?」
「えっと、デニムとかはありますけど……」
「それでいいよ」
「分かりました!」
涼は笑顔で応じる。
「はい、これ」
キルシェは涼に小さくて長方形のプレートを手渡す。
「はい、店長も。案内の紙、作ってきたわ」
「ありがとう、キルシー」
さっそくジーンは案内の掲示を行う。
「えっと、これは……」
涼は渡されたものに戸惑う。
「ここに名前かあだ名を書いて。常連さん、たいていあだ名で呼ぶから」
「う、うん……」
涼はプレートに『涼』と書き、振り仮名を振った。
「これでいいですか?」
「ええ、大丈夫よ。仕事の時はコック服の左胸のポケットに付けてちょうだい」
キルシェは指で丸を作って見せる。
「あと、できることはないですか?」
「えっとね、じゃあ休憩しといたらどう? ピークタイム、すっごく忙しくなると思うから」
「そんなに……」
涼は思わず苦笑いする。
キルシェは表をチェックしていた。
「今日は……、予約は少ないけど、どれだけ来るかしら……」
「何組の予定?」
「予約は3組、どれも常連さんね」
「飛び込みが少なかったら、何とかなりそうだね」
「そうね……」
「どうしたんだい?」
「店長、あんまり近寄るとさすがに暑いのよ。ベアガル族だから仕方ないんだけど」
そう、ジーンはテディベアのような体なのである。
「さてと、そろそろ僕は少し仕込みから始めようかな」
「ええ、そうしたらどう?」
ジーンは笑って厨房へと歩いていく。
歩くたびに、ポテポテと小さな音がする。
「動きは本当、可愛いんだけどね」
キルシェは苦笑いしてその様子を見守った。
「……シュテルンツェルト、か」
涼は店の前の砂浜で波の音を聞きながら店の名前を復唱する。
「タケにも教えてやりたいな。あと、店にも来てほしいし」
だが、よく考えたら涼はキルシェからのメールでしかここに来たことがない。
だから、ここがどこなのか……、どうやって呼ぶべきなのか、それがわかっていない。
「今度、キルシーさんに聞いてみようかな」
ざくざくと砂浜を踏みしめる音が聞こえた。
涼は思わず振り返ると、そこにいたのは、おおよそ180㎝はあると思われる一人の男がゆったりと歩いていた。
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