第6話 不穏な空気3


「いったい何が起きたのですか、王太子殿下っ!!」


「こっちだって、寝耳に水で分からないんだよっ! どうやって彼女が護衛や側仕えらに気づかれもせず消え失せたのかっ!! 誘拐かっ?! すぐにでも騎士団を……っ」


 突撃してきた大神官と喧々囂々しながら、トリスターは側近らに命じて、すぐさま騎士団の派遣を王宮に要請する。


 ところが……




「派遣しない? なぜだっ?!」


 やってきた王宮の重鎮らは、マドカを探す必要はないと宣う。唖然とする王太子や大神官を前にして、いけしゃあしゃあと吐き捨てる人々。


「三年もたつのに、あの平民には聖なる力が発現しないではないですか。もはや十分でしょう? 王太子殿下には新たな妃を娶って頂き、後継者育成に励んで頂かなくては」


 暗にマドカを疎んでいた王侯貴族達。


 妃とは地位だ。身分ではない。いつでも挿げ替え出来る曖昧なもの。国王とて同じ。王族という身分があるから、その地位につける。

 だがマドカは平民だ。地位を逐われればただの庶民に過ぎない。だからこそ、地位に就くものは身分を必要とする。簡単に地位から逐われないためには強力な後ろ盾が必須なのだ。

 マドカをそのような目に合わせぬため、王太子自らが後見人になったが、今の状況では役にたたない。

 彼女がいるなら是が非でも守り抜けるが、本人不在ではその根拠に欠ける。いつ戻るかも分からない平民のために地位を空けておくほど王宮は温くない。

 逆にコレ幸いと、その地位を奪うだろう。王宮とは、そういった古狸や女狐の巣窟なのだ。

 聖女という肩書きがあったから彼女は妃になれた。それが霧散した今、王宮はむしろ彼女の排斥に動く。


 ……分かってはいたが、ここまでとは。


 誰より王宮という場所の仕組みや汚さを知る王太子は、激昂しつつも彼等の言葉に耳を傾けた。


「公的な身分も資産もない妃では他国に侮られます。後継者の行く末にも昏い影を落とすでしょう。真に聖女であったならば、その心配もなかったのですが。どのような経緯があって、あの平民が姿をくらましたのかはぞんじませんが、こちらとしては好都合。さっさと離縁して、新たな妃を迎えませんと」


 あっさり言い放ち、重鎮らは王太子の前に離縁の書類を持ち出す。だがそこで、トリスターは信じられないモノを眼にした。


「……これはっ?」


「ちゃんと神殿で後始末をしていったようですよ? あの平民」


 戦慄く王太子の手にあるのは、マドカのサインが入った婚姻解消の書類。それは間違いなく彼女の筆跡。未だに辿々しくはあれど、それを直接、手取り足取り教えてきたトリスターが彼女の筆跡を間違うわけはない。


「お前らかっ? お前らが、彼女を拉致してコレを書かせたのであろうっ?! 無理やりこんなモノを書かせて……っ! マドカをどこにやったぁーっ!!」


 トリスターは思わずテーブルを乗り越えて相手の胸ぐらを掴む。獰猛に剥きあげられた彼の炯眼に恐れ慄き、悲鳴をあげる人々。

 一触即発の空気が漂う室内で、一人の神官がしどろもどろな口調で説明した。


「何のお話かは分かりませんが、コレは聖女様自らお越しになって書いてゆかれたものですっ」


 必死の形相で王太子を止める神官。


「……自ら?」


 呆然とするトリスターにコクコクと頷き、その神官は経緯を語る。


「王太子殿下の愛妾様に子供が出来たと。側室にするより、その方を正しく妻とした方が良いと思うので、婚姻の解消をしておきたいとおっしゃいまして」


「あ……っ!」


「「「あっ? って何ですかっ?! アンタ、まさかっ?!」」」


 そこまで聞いて、側近三人衆が王太子を睨みつけた。見事に一語一句違わぬ三重奏。


 顔面蒼白で固まるトリスターの姿。その情けない光景が全てを物語っている。


「アンタ、例の誤解をちゃんと説明してないんじゃ?」


「ないわー…… 誤解を招く言い回ししといて、フォロー忘れたって? 男の風下にも程があろうがっ!」


「あーあ、これは聖女様に見限られましたね。」


 呆れた眼差しの側近達に、訝しげな顔の大神官。何のことやら分からず目を見張る重鎮らの前で、王太子の絶叫が轟いた。


「違うんだ、マドカぁぁーーーっ!!」


 かぁー、かぁー、と血を吐く涙の叫びが王宮で谺していたころ、マドカは街の乗り合い馬車に乗っていた。




「おじょうちゃんお使いかい? えらいねぇ」


 同じ馬車に乗り合せた老婆から干し芋をもらい、無邪気に笑う少女。今のマドカは、茶色の髪と瞳の子供に変貌している。だから、護衛や側仕えらに気づかれもせず神殿を簡単に逃げ出せた。

 

 時を遡ること数刻前。




「頼まれていたモノです。……本当に行ってしまわれるのですか?」


 祈りの祭壇のある部屋で、マドカは一人の女性と落ち合う。

 彼女の名前はライラ。長くマドカと共にあり、神殿で仲良くしてくれた平民だ。

 王宮がマドカを疎み、その生活費などが尽く削られ出したあたりから、マドカは予め準備を始めたのだ。いずれお払い箱にされる予感は、見事に当たったらしい。

 この世界の神殿は金融を兼業している。地球でも寺が金貸しをしてたりしたし、どこの世界でも宗教と金融は深く繋がるようだ。

 それを知っていたマドカは、なんとか王宮の外に自身の資金を作っておきたくて、眼の前の女性に名義貸しを頼んだのだ。

 今のマドカが自由に出来る金子は月に金貨二枚。妃になったばかりな頃は金貨百枚ほど遣えていたから、それと比べれば、今のマドカがどれだけ冷遇されているのか分かるというモノ。

 その二枚を山分けにして、マドカはライラの名義で自分の分を神殿に蓄えてもらう。いざとなれば、この国から逃げ出すのだと彼女だけ伝えていた。


『万一の備えだよ。王宮は信用ならないからね』


 にばっと笑う聖女様。


 アレから一年。本当にこんな日が来てしまうとは。


 複雑な面持ちでマドカを見つめ、ライラは頼まれていた物品を彼女に渡す。


「こちらに日持ちする食料や日用品を入れておきました。それと子供用のローブという事でしたが、これで宜しいですか?」


 渡されたモノを確かめて、マドカは神妙な顔で頷く。


「ありがとうね、助かったわ。いつ王宮に始末されるかとヒヤヒヤしながら過ごすより、さっさとトンズラして新たな人生を始めた方が楽だもの」


 王宮が………


 ぐっと唇を噛み締めつつ、ライラは馬鹿な王侯貴族達を心から呪った。

 王都の人々は、真の聖女様がどんな力を持つのか知らない。……が、眼の前のマドカがどれだけ民のために尽くしてくれたかは知っている。

 多くの金子を神殿に回して、多くの知識を人々に拡げる。こんな貴人が他にいただろうか。万人に分け隔てなく、己がことのように人々を案じて奔走してくれた御仁が。

 出来るならば、ずっと王都に居て欲しい。けれど王宮がマドカを冷遇するとあらば話は別だ。居心地悪い場所から逃げ出して幸せに暮らして欲しいとも思う。

 葛藤する己の心を鎮め、ライラは柔らかな笑みで祈りの間に入るマドカを見送った。


 祈りの間に入ったマドカは、案の定そこに佇む女性を見上げる。


「約束を果たしてくれるね?」


 にっと笑うマドカを見下ろし、その女性は仕方なさげに微笑んだ。


《……このような使われ方をするとは思わなんだがな。約束は約束だ。果たして進ぜよう》


 長い金髪をたなびかせる神々しい女性。


 彼女はこの世界の女神様。マドカが拉致され落ちていく時に聞こえた声の正体だった。



《我が世界にようこそ。人間共が愚かなことをした。詫びとして、一度だけそなたの窮地を救おう。困ったことがあれば、祈りの間で我を喚べ》


『ふえっ?!』



 ほんの一言の会話。


 これをマドカは誰にも話さず黙っていた。


 女神様との約束の話をすれば、たぶん聖女として認められただろう。どんな窮地をも救ってくれるとあらば破格な恩恵だ。これこそが過去の聖女らにも与えられた力なのかもしれない。

 いつか本当に女神様を頼らねばならないほどの未曾有の大災害がこの世界を襲うのかもしれない。そのための力かもしれない。


 ……けど、そんなことはマドカの知ったこっちゃない。たった一度しか使えない力を、他人のために使ってやるほど、彼女はお人好しではなかった。なので王太子にすら黙っていたのだ。


 にぃ〜っと悪い笑みを浮かべ、彼女は女神様にお願いする。


「アタシの姿型を変えてください。誰にも分からないように、髪と目の色を茶色に。年齢八歳くらいの子供で」


《承知した》


 こうして破格の恩恵を私利私欲に使い、ただ今マドカは、のんびり馬車に揺られている。

 もちゃもちゃと干し芋を口にしてマドカは王都の雑踏が切れた外壁を見上げた。

 

 三年か。けっこう長く暮らしたなぁ。


 王都の門を抜けて隣国国境へと向かう馬車。しだいに遠くなる外壁をマドカが南無南無と拝んでいたころ、王太子は側近三人衆を連れて王都の下町を疾走していた。




「マドカ、マドカ、マドカ、マドカ………」


 ブツブツ怨念のように呟く王太子。

 

 彼らは市井の人々のような服を身に纏い、慣れた仕草で下町を渡り歩く。


 あの後、王宮の重鎮らを締め上げて吐かせた内情の酷さ。そして己の仕出かした愚かな戯言が全ての引き金だと理解したトリスターは、もはや未練もなく王宮から出奔する。元々、そのために長く準備もしてきたのだ。


『当てにもしていないわ、王太子なんか』


 未だに忘れられない辛辣な言葉。あの日、マドカの真意を知ってから、トリスターは頼れる夫になろうと努力する。政務の傍ら武術の修練にも抜かりなく、魔族との戦で知己となった冒険者や賢人を辿り、ここ一年で多くの技術や知識を身につけてきた。

 全ては愛する妻のため。彼女が当てに出来る男性となるために涙ぐましい努力を重ねた。それを補佐し、共に研鑽を重ねてきた側近三人衆。

 今の彼等は上級冒険者にも匹敵する強者どもである。元々、長く戦に明け暮れていたのだ。弱くあれる立場ではなかった。泣き言を吐ける状況ではなかった。

 数多な理不尽に振り回され、汚泥を這いずり、戦場を駆け抜けてきた彼らに恐れるモノはない。


「まさか、誤解の訂正もしていなかったなんて」


「アンタほどの馬鹿野郎様、他にいませんよっ?」


「なんのため、ここ一年、市井にくだる準備をしていたんですか、全くっ!! 本末転倒大車輪!!」


 がーっと捲し立てる側近らに王太子は返す言葉もない。


 マドカが失踪した、あの日、王太子は大神官に全てを説明して大目玉を食らった。




『愛妾に子供が出来たと伝えたのですか? ……まあ、褒められたことではないですが、王族ならよくあることでは?』


 一夫多妻制なサザライト王国。


 聖女様の夫がという憤りはあるものの、大神官も特に気にした風ではない。それを理由に妃の地位を愛妾に譲るというのも、この国の法律からいえば理不尽ではなかった。


『で、あれば、なぜに私へ相談してくださらなかったのか。国王陛下に直談判し、地位を退いた聖女様を神殿にお招きしたものを』


 怪訝そうな大神官の前で、やけに深く項垂れるトリスター。その彼の煤けた背中に憐憫の眼差しを向け、側近三人衆が説明を請け負う。


『おりませんよ、王太子殿下に愛妾など。この方はマドカ様一筋です。あまりに必死過ぎて他に目を向ける余裕はございません』

 

『愛妾に子供が出来たのは、弟王子殿下でございます。それを、この馬鹿野郎様は、弟王子殿下という部分を削り、わざと聖女様に誤解させる言い回しをしたのです』

 

『悋気を起こして欲しかったみたいですよ? 少しでも聖女様から関心を引き出したくて。ところが、あっさり受け入れられて、さらにはお幸せにと言われ返り討ち。奈落の底に落ち込んだ王太子は、その誤解すら解くのを忘れていたようです』


 じっとり射抜くような眼光にさらされ、身を縮めるトリスター。そんな彼にトドメを穿つべく、大神官の恫喝が王宮に轟いたのは言うまでもない。




「分かってる、分かってるんだよぅぅ……」


 王都隅々まで探索しつつ、王太子は自分のやらかした馬鹿を心から悔いる。


 王宮が掌を返してマドカを冷遇すること、早一年。このままではいけないと、彼は必死に足掻いてきた。

 彼女を守るために力をつけ、いよいよとなれば王太子を辞する覚悟で父王とも話し合いを重ねた。今回の事態で王宮の重鎮が焦るようにやってきたのも、そのためだ。

 魔族らを退け、先の戦いで大金星を上げたサザライト王国。その英雄筆頭がトリスターなのである。

 彼の戦いは未だ語り継がれるほど華々しく、周辺国も一目以上を置く王太子。政治にも明るく、今を支えている高名な後継者を失う訳にはいかないと、奴等は早手回しにマドカとの婚姻を解消させ、新たな妃を迎えようとさせたのだ。

 

 勝手なものだと、トリスターは思う。


 英雄王子の妻に聖女ほど相応しい者はいないと婚儀を強行しておきながら、次には力ない平民に妃は務まらないと掌返し。さらにはトリスターを失う窮地を自ら招いたくせに、被害者面してマドカを罵る始末。もはや呆れを通り越して苦笑いしか浮かばない。


『弟王子に子供が出来たのだ。後継者が生まれる。私が王太子である必要はない。王太子位は弟に譲る。宜しいですね? 父上』


『んむ…… まあ。そなたが、それで良いならば』


 父王にとって、自身の血が継がれるのならば王太子は誰でも文句はない。文句があるのは貴族達。マドカの後釜に自分らの娘を捩じ込みたい彼等が猛反発する。

 なぜなら、他の王子らの宮には愛妾がわんさかたむろしているからだ。魔法による避妊で、王子らが望まないと子はなせない。それゆえ、すでに多くの愛妾を持つ王子達より、一人も愛妾を持たないトリスターが貴族達にとっては垂涎の獲物なのだ。

 特に妃は地位である。愛妾の過程をすっ飛ばして与えられる唯一の正室の座。これを狙って、彼等はマドカを貶め、その地位を奪おうとした。


『聖女とは名ばかりの平民ではないですかっ! 本人が婚姻を解消したのですっ! 身の程を弁えたのですっ!』


『その通り。庭を荒らすわ、公費を散財するわ、碌なことなさらない方でした。変な食事の作法まで拡げて、こちらは迷惑千万でしたぞ?』


 王侯貴族らにとって食事とは肉食一択。過去のジョシュアがそうであったように、男性貴族達はマドカの拡めたバランスの良い食生活に閉口しているようだった。

 理解を示したのは一部の女性らのみ。彼女達は肥満や無理なドレスの締め付けで身体を病んでいたため、如実な効果を感じられるマドカの食育やワンプレートを、その身を持って理解した。 

 他にも伏せがちだった者らや、体調の良くなかった者らが薬の気持ちで食事療法を始め、その効果に瞠目していたところだ。

 

 成人病だったか? マドカにして言わしめた不治の病。それに爆走していくが良いさ。


 無理解な貴族らを辛辣に一瞥する王太子の前で、未だにマドカを罵る人々。


『三年も妃でいられたのです。もう十分な恩恵を与えたでしょう。いまごろ、どこでどうしているのかは知りませんが、身分も財産もない小娘です。どうなろうとこちらの知ったことではありませんよ』


 そう吐き捨てた貴族の男性は、一瞬、ゾッとした悪寒を感じ背筋を震わせる。その悪寒の先を恐る恐る辿った彼は視界に嫌なモノを見た。

 薄っすらと浮かべた笑みを辛辣に歪める王太子という獣を。


『よくもまあ…… 身分も財産もない小娘に、我々がしてしまったという自覚もないとは。厚顔無恥、畏れ入る』


 は? と顔を見合わせる貴族達。


『我が国が勝手に彼女を拉致し、誘拐。マドカから祖国も身分も、その輝かしかったはずな未来すらも奪ったという事実を忘れてはおらぬか?』


 にぃっと笑みを深め、トリスターは暴言を吐いていた男性を見つめた。


『そなた娘御がおられたな。その娘御が、何も知らない世界へ誘拐され、身分も何もなく市井に放り出されることを考えてみよ。生きていけると思うてか? なあ?』

 

 しだいに獰猛な目を見開き、王太子は貴族達を一喝する。


『我らがマドカをそのようにしてしまったのだっ! 我々は犯罪者なのだよっ!! そんなことも理解せず、よくもマドカを……っ!!』


 ゆうるりと憤怒を醸した王太子。その彼が立ち上がった瞬間、大きなノックとともに会議室の扉が開いた。そこには王太子の側近三人衆。数人の男女を兵士に引きずらせて、ズカズカと中に入ってくる。


『見つけました。こやつらです』


『偽のサインで聖女様の公費を着服。それと分からぬように物品まで盗み出していました』


『ここに証拠が。聖女様が散財していると見せかけ、多くの金子を横流ししていたみたいです』


 ジョシュアの差し出した書類を引ったくるように受け取り、トリスターはぐしゃりと指に力を込めた。

 

 失踪したマドカの足跡を追うため、王太子は公費の流れや用途を洗わせたのだが、その使い道が一年ほど前から可怪しくなっていることに気がつく。

 彼女が大きな金子を動かす時は、たいてい民のために何かをする時だった。私費として与えられた金子なら何に使おうが構わないとトリスターが言ったから。

 本来ならドレスや宝石、御茶会などに使って欲しい金子であれど、短らぬ時間を共にしてきた王太子は、彼女がそのようなモノに興味がないことを知っていた。

 だから好きにさせていたし、足りないと判断したものはトリスターが与えてきた。

 ゆえに訝ったのだ。ここ一年、マドカの私費がドレスや宝石に散財されていることに。しかも、その購入されたはずの物品がどこにもない。むしろ、王太子が与えたはずの物品が減っている。

 

『可怪しすぎるな。調べろ』


 マドカの足跡を辿るために調べ、出てきた違和感。その結果がもたらされた。


 王太子は三人衆が連れてきた者どもを睨めおろし、言葉少なに問いかける。


「なぜ、このようなことをした?」


 凍てつく眼光にさらされて怯えすくむ王宮の人々。


 その一人は女官長。この女はマドカの公費を不正に着服し、業者にマージンを渡して架空の請求書を作らせていた。

 もう一人は侍従長。こいつも、今までと同じ経費を請求しておきながら、マドカの生活のグレードを下げまくり、その差額を着服していた。

 他にも数名の侍従や侍女がいる。マドカの部屋から物品を盗み出して、小金に変えていたらしい。


 こんなことが横行しておろうとは………


 思わず目眩を覚えるトリスターに、横領していた者達の言い訳が聞こえる。


「……貧民や平民に公費をつかうなど。溝に捨てるようなモノではないですか。なので……」


「そのとおりです。なぜ、あのように公費を自由にさせるのか理解に苦しみます。あの娘は平民でございましょう? ……公費を遣う権利もございません」


「……やたらとドレスや宝石があるのに遣わないし。もったいないと思い、つい……」


 ボソボソと呟かれるアレコレ。


 彼等は貴族だ。平民の妃に仕えるのも業腹だったに違いない。その侮りや侮蔑が、全てマドカに向けられた。マドカの身分がないことで、それらは彼等の脳内で正当化されたのだ。

 書類によれば、ここ一年でマドカに渡された私費は月に金貨数枚。用意された公費の数十分の一である。


「私の妃の私費が月に金貨数枚……」


 ぎりっと奥歯を噛みしめるトリスター。


「……平民なら十分かと。一般的な市民の収入は大銀貨三枚くらいです」


「あの平民に金子を持たせると碌なことをいたしません。なので、最初から取り上げておいたのです」


 罪を暴露され、悔し紛れな誰かの呟き。


 こうして不正を暴かれたというのに、彼等は飄々としたものだ。なぜなら、彼等には貴族という身分があり、マドカにはない。上の者が下の者に何をしようと罪には問われない。

 そういった傲岸不遜が見え隠れする奴等を睨みつけ、トリスターは父王に視線を振った。


「公金横領です。法に照らし合わせて処分を」


 ぎょっと顔を強張らせる犯罪者達。


 彼等が無駄な口を開く前に、王太子の側近三人衆が罪状を読み上げる。


「聖女様に与えられていた金子は妃としての公費。つまり王宮の財産です。この所有権は王宮にございます」


「その用途を決める権限は妃様だけにあり、他の誰にもございません」


「よって、窃盗は言うに及ばず、偽のサインや、しかるべき用途で経費を使わなかった者らは王宮に対する反逆罪に問われます」


 マドカが平民だから何をやっても構わないと思っていた貴族達。だが、その根底が間違っていたのだ。彼女に与えられていたモノは彼女のモノではない。全ては王宮の財産。マドカ本人を含め、損なって良いモノではなかったのである。

 それを自覚させられ、慌てる人々を尻目にトリスターは王太子位の返上を宣言した。


「私はマドカの夫だ。彼女を守り、慈しむ義務と権利を持つ。王宮が彼女を侮り、厭うというのであれば未練もない。私の妻はマドカだけ。私は彼女と共にある。王太子位を返上し、彼女と暮らす」


 前々から相談を受けていた父王は、渋面をしつつもトリスターの意思を認めた。正直なところ、国王を差し置いて英雄の誉れを受ける息子が彼は疎ましくもあったのだ。

 その政治手腕や武勇は惜しけれど、今の平和な世の中にはあまり必要とされない名声である。むしろ凡庸な弟王子が跡継ぎとなった方が、変な嫉妬にも駆られず国王は心安らかでいられた。


 だが、これに黙っていられないのが貴族達。


 王太子妃に娘を据えるという千載一遇のチャンスを逃したあげく、愛妾ゼロな王子を野に放つわけにはいかない。王太子の正室になれなくとも側室の席は空いているのだ。せめて、それにかけるしかない。

 そう考えたらしい貴族らに王太子位返上を阻止され、王宮までが総出でマドカ捜索を始めた。彼女がいなければトリスターが王宮を捨ててしまうと、ようよう自覚したのである。


 こうしてあらゆる所を上を下への大騒ぎに発展させ、両片思いとも知らず、すれ違う二人の鬼ごっこは、まだまだ続く。

 

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