第4話 不穏な空気
『ふえ?』
『………え?』
戦勝祝いで行われていた夜祭。
魔族との戦に疲れ、辛くも勝利した人間達は、その隠せぬ疲弊を癒やすため、細やかな宴がそこここで催されていた。
そんな中でも過去に聖女降臨の歴史を持つサザライト王国は、多くの戦死者や犠牲者を悼むため、女神の慈悲にすがる聖女降臨の儀式を行う。
争いのために使ってはならぬとされる、この儀式。戦の最中、どれほど王宮から申請があろうが、国王が強権を使おうが、神殿側はガンとして儀式の強行を跳ね除けた。
そして終戦した今、平和の象徴と、人々に希望や癒やしを与えるため聖女降臨の儀式を望まれた神殿は、致し方なくそれを受け入れる。
多くの魔力を使って行われる儀式の荘厳さ。光り輝く魔法陣を見るだけでも、きっと民らの心の慰めになるだろうと。
しかし、厳かに始まった儀式の最中。誰もが蜉蝣のように揺れ動く魔法陣を見つめて言葉を失う中、それは起きた。
広場に大きく描かれた魔法陣に魔力を注いでいた魔術師や神官の眼の前に現れたのは、黒髪黒目の少女。ぽふんっと突然降り立った彼女に、神官や魔術師は呆気に取られ我が目を疑った。
もちろん、それに参加していた王太子や、古代の儀式の再現を見聞に集まっていた民達も。
『………ここ、どこ?』
少し泣きそうに眉を寄せ、警戒気味に辺りを見渡す少女が実在する人間なのだと理解した途端、周囲を厚く囲んでいた人々から雄叫びが上がる。
『成功だっ?! 本当に聖女が降臨されたのかっ!!』
『成功したよ、おいっ! どうするよ、これっ!』
『どうするも何も、王宮にお招きするに決まっておろう! 誰か、先触れをっ!!』
『お待ちくださいっ! まずは神殿にでございましょう、大神官様っ! 聖女降臨でございます!』
うわああぁぁっ!! と空気を震わせて叫ぶ大勢の民達。聖女様? 本当に? と無邪気な子供達の囁き声も聞こえる。
肩を寄せ合って驚嘆の歓声をあげる魔術師や神官らを余所に、王太子のトリスターのみが凍った眼差しで黒髪黒目の少女を見つめていた。
……なんてことだ。
三年前のあの日。誰もが喜びで胸を一杯にしていた夜に、ただ一人、罪悪感で一杯になったトリスターは忘れない。
まさか本当に喚べるとは思っていなかった王宮各位。際立った美貌や肢体なわけではないが、出逢った瞬間の惚けた彼女の不安そうな顔を、彼は今でも絶対に忘れない。
笑顔で迎えようとする人々を胡散臭げに見つめて動かない少女。当然だ。彼女にしたら、突然、どこかも分からない世界に無理やり誘拐されたのだから。
彼女から醸される拒絶の雰囲気を察し、にこやかな笑みに戸惑いを滲ませる人々。どうされたのか? 何か気分を害されるようなことをしただろうか? などなど。
盗っ人猛々しいにもほどがあろうがっ!!
『『大変申し訳無いことをしたっ!!』』
がばっと下げられた二つの頭。
『『???』』
それは王太子と大神官。彼等は頭を下げたまま御互いに目配せし、アイコンタクトで意思の疎通を試みる。
……任せても?
……もちろんです。
好々爺な相好を崩し、大神官は急いで神殿へ、王太子はマドカに簡単な説明をしてから彼女を王宮に招いた。
そして全力で謝罪する王太子だが、マドカは比較的冷静で、どこか住み込みで働ける所の斡旋をお願いしたいとか、何か自分にやれる仕事はないかとか、えらく現実的なことを口にした。
『仕事がないと食べられませんから。人並な生活が出来るよう手伝ってください』
……悪いと思うなら。
口にはされていないが、そう言われている気がして、王太子は彼女の後見人に名乗りを上げた。
少なくともマドカを守り、養ってやらねばという純粋な善意からの申し出だったのに。
どこにも斜め上半捻りの馬鹿野郎様はいるもので……
後日、父王に呼び出された王太子は、想像もしていない言葉を聞く。
『良いではないか。うむ、我が国に聖女が招かれてくれたのは幸いだ。そなたも彼女を憎からず思うておろう? でなくば、後見人などという束縛をしはすまい。まだ幼いようだが、結婚して子を為せば神殿も口は出せまいて』
『は?』
素っ頓狂な顔で聞き返す王太子に、皆まで言うな、分かっておるわと、ほくそ笑む父王。それにニヤニヤと同意を示す貴族達。
さらには大神殿に御神託が届いたとあり、王宮はお祭りムード一色に染まる。
『《聖女となるものが降臨した》と神託があったそうだ、良くやったぞ、トリスター』
『違いますって! いや、彼女は聖女かもしれませんが、私はマドカに懸想しているわけではなく……っ!』
切々と訴える王太子だが誰も耳を貸してはくれず、それどころが後見人という立場を曲解した王宮の者や、聖女を寄越せと声高に叫ぶ神殿らへの牽制もあいまり、形だけだが二人は結婚することになってしまったのだ。
なんで、こうなるんだようぅぅっ!!
マドカに不都合が起こらぬよう、慌てて大神官に手紙を送ったトリスター。その手紙を受け取り、王宮の身勝手な行動を知った大神官も怒髪天。破門を盾に聖女を神殿へ還すよう食い下がったが、善戦虚しく、国王の強権に捻じ伏せられた。
そして強行された結婚式当日。再び、地面に着きそうなほど頭を下げる王太子。
もはや、口の端にのぼらせる謝罪もない。うら若き乙女の経歴に傷をつけたあげくの蛮行。父王達も乗り気で、止める王太子の言葉など誰も聞いてはくれなかった。彼女には申し訳なさすぎて頭を上げられない。
ただひたすら平身低頭な王太子の耳に、ふっと軽い笑い声が聞こえる。
恐る恐る顔を上げた彼は、そこに信じられないモノを見た。
春の陽だまりの中でコロコロと笑う可愛らしい人。
さも楽しげに眼を細めて、ブーケに笑いを零す可憐な姿に思わず彼は魅入られた。
『良いですよ。どうせ行く当てもないし、三食昼寝つきな職につけたと思えば』
そして彼女は立ち上がると王太子に手を差し出す。王家の用意したシンプルなウェディングドレスが良く似合っていた。
恐る恐る手を取ったトリスターを見上げるつぶらな瞳。茶目っ気すら浮かんだソレに、王太子の胸が大きく高鳴る。
『給金出ます? 少しで良いので。どれくらいの付き合いになるか分かりませんが、よろしくお願いします』
ぱきーっと無邪気に笑う彼女の手をさすり、彼は初めて円を見た気がした。警戒心顕だった今までの彼女と違う、酷く自然な微笑み。
『そなたには妃としての金子が用意される。毎月の品格維持など、必要に応じて使うが良い』
『品格…… 必要ありますかね、アタシに。じゃ、この指輪もらってもよろし? お金に困ったら売っても良いです?』
王家が用意したシンプルな指輪。王族から見てシンプルなだけであって、高級素材のソレを売れば、平民なら数年暮らせるていどの金子にはなるだろう。
ふはっと軽く破顔し、王太子も柔らかな笑みで答えた。
『そんな事態にはならないと思うが、好きにして良い。幾久しく共にあろう』
無意識のプロポーズ。
……あの時、自分は円に惚れたのだ。
その結婚式でも一悶着あったが、なんとか乗り越えてマドカを花嫁とした。くれぐれもと大神官に脅しをかけられ、苦笑いしか浮かべられなかった散々な結婚式。
それからも色々あったっけ。
テラスの庭の一角を掘り返して畑にしようとしたり、あみぐるみなるモノを作っては神殿にやってくる子供らに与えて、聖女からの賜り物と大騒ぎを起こしたり。
あのあと、賜り物が欲しいと押しかけてきた貴族らを相手に疲労困憊したのも良い思い出。
やらかす都度、二人で笑い転げた楽しい時間。彼女も自分に好意を抱いてくれている。そう疑わなかった幸せな日々。
そう、あの日、彼女の真意を知るまでは。
王宮は自らマドカを王家に引き入れたくせに、彼女が聖なる力を発現出来ないと知ると掌を返したのだ。下にも置かない扱いは二年で終り、そこここから不平不満が囁かれ始め、トリスターが抗議するものの彼の前でだけ取り繕い、裏では彼女を冷遇するようになった。
マドカは何も言わなかったが、彼女につけたトリスターに忠実な侍女が、その全てを伝えてくる。
『なんっだ、これは…… 』
マドカが不当に妃の位にしがみついているとか、毎日大神殿に御祈りに行くのは、王侯貴族より平民を好んでいるからだとか、根も葉もないモノから事実無根な下世話なモノまで。
そんな陰口のみならず、最近ではトリスターに側室や愛妾の打診まで寄越す厚顔無恥さ。中には寝所に忍び込む剛の者までおり、絹を裂くような王太子の悲鳴が宮に響いたのは一度や二度ではない。
『アンタがしっかりしていないからですよ』
『毎夜、夜警に詰める我々の身にもなってもらいたいものです』
『聖女様を娶ったという自覚はないんですか? 嘆かわしい。他で出したら本気でもぎますからね?』
暗にヘタレと仄めかされ、奈落の底を穿つ勢いで落ち込むトリスター。ちゃんとマドカを守れと。媚を売る者共など一刀両断にしろと。聖女の夫であり守護者である自覚を持てと。
『やめて…… 分かってるから。頑張るから』
机に突っ伏して瀕死な王太子を冷たく一瞥し、側近三人衆は口に衣どころが有刺鉄線を纏わして毒を吐く。
『そういう言葉は頑張ってから言ってください』
『こうしている間にも聖女様は王宮で居場所を失いつつあるんですよ? 聖なる力が発現しないというだけで。食育だの、民間療法だのと散々世話になっておきらながらの掌返し。いっそ清々しいくらいに』
『なのに、アンタは何してんの? ねぇ? 何してんの?』
たたみかける側近らの言葉に反論する術もなく撃沈され、フラフラと迷いでた王太子は、無意識に足をマドカの部屋に向けた。そこで耳にしたのだ。彼女にたいする悪態を。
『御飾り妃か。さっさと消えてくれれば良いものを』
『ですわねぇ。いつまで妃の座に居座るつもりかしら。聖女とかいって、何にも出来ないくせに』
『どうせ子供を作るでもなし、王太子様だって厭いておられるはずですわ』
王宮で呟かれる心無い言葉。それを耳にして激昂した王太子が飛び出すよりも早く、柱の陰にいたらしいマドカが現れた。
『弱い犬ほどよく吠えるっつーけど。せめて聞こえないところでやりなさいよね』
辛辣に眼を細めて侍女らを睨みつけるマドカ。だが侍女等も怯まず彼女に言い返した。
『本当のことでございましょう? 寵愛も頂けず、殿方のお情けにすがるだけなんて、みっももない。娼婦と変わりませんわ』
……ンなっっ!!
あまりに悪し様な言葉を聞き、王太子は頭が沸騰する。
だが、次に聞こえたマドカの台詞で、冷水をぶっ掛けられ、頭が鎮火した。
『当てにもしてないわ、王太子様なんて』
……え?
その後も何か話していたようだが、最初の台詞が強烈過ぎて王太子の耳には残らない。
当てにもしていない? 頼る気もないということか?
脳内がグラグラ揺れる。良い関係だと。いずれ本物の夫婦になれるだろうと。そう思っていたのは自分だけ?
思わぬ現実を直視出来ず、王太子は長く悩んだ。
そしてやらかしてしまったのだ。
「馬鹿をした……… 素直になるべきだった」
「そりゃそうですよ。告白もしてないんでしょ? 義務だけで結婚したのだと思っていたでしょうし、口にしなきゃ分かりませんよ」
「察してちゃんって一番メンドイんですよね。夢見る乙女かっつーの」
「いや、すでに通じ合っているって妄想してたんだろ? 夢見るより質が悪いって」
容赦ない側近らの言葉が、ドスドスと王太子の胸を貫いていく。
悪かったなぁ、夢見る乙女でっ!! それっくらい、あの時の彼女は魅力的だったんだよっ!!
うぐぐぐっと机に突っ伏しながら、彼はハッと顔を上げた。
「……そういや、マドカは? 今日は見ていない気がするけど?」
「言われてみたら…… いつもなら、すでに神殿からお帰りの時間ですよね?」
「お戻りになれば報せがあるはずです。……まさか?」
「確認してきますっ!」
駆け出したジョシュアの背中に嫌な予感を覚え、知らず空を振り仰ぐ王太子。
その予感は的中し、数刻たって戻ってきたジョシュアは、マドカが失踪したとの報せをトリスターにもたらした。
「……っ、はあっ! 大神殿は大騒ぎらしいです。護衛についていた者らも…… その、神殿入り口で待機していたらしく、書庫へと向かわれた後の足取りが途絶えていると」
さぞ駆け回ってきたのだろう。息を荒らげつつされたジョシュアの報告で、トリスターは眼の前が真っ暗になる。左右に立つカッツェとナイジェルも絶句し、顔を強張らせていた。
何が起きて……?
思うより早くトリスターは叫ぶ。
「探せえぇぇぇーーーっっ!!」
涙目な王太子の言葉に頷いて再び駆け出していく側近三人衆。
こうしてお互いの心を知らず、すれ違ったままの二人の鬼ごっこが始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます