第3話 楽しかった日々2


「すいません、アタシは聖女になれなかったみたいです」


 南無南無と拝みながら誰へとでもない報告をするマドカ。


 ここは王都中心にある大神殿。


 多くの人々が行き交い、誰もが笑顔でマドカに挨拶をする。彼女が地球から拉致されて今日まで、全く変わらずに接してくれた神官や街の民達。

 ……いや、むしろその傾倒ぶりは凄まじく上がっている気がしなくもなくもない。


「今日は何をなさいますか? 皆が心待ちにしておりますよ?」


 にこにこと満面の笑みを浮かべてやってきたのは大神官様。神殿の最高権力者にもかかわらず、随分と腰が低いお爺ちゃんだ。

 野良猫のように警戒心顕で頑なだったマドカを辛抱強く見守ってくれ、何も分からない彼女を懇切丁寧に導いた。そう、今のような笑顔で、片時も眼を離さず。


 ……まあ、今にしてみれば広告塔を磨いていただけだったんだろうけど、ありがたくもあったわよね。


 マドカとて三年も王都で暮らしてきたのだ。神殿では王宮への批判を。王宮では神殿への愚痴を延々耳に流し込まれたものである。

 どちらだって清廉潔白な訳では無い。どちらにも不条理は存在し、理不尽が横行する。清濁併せ呑むのが人間という生き物だ。

 だが、王宮という閉鎖的な空間に隔離されそうだったマドカを、一物ありつつも市井へ引っ張り出してくれた神殿に、彼女は感謝しかない。


 あの日、王宮各位を頭から怒鳴りつけた大神官の勇姿を未だにマドカは忘れていなかった。




『だまらっしゃいっ!! 人は籠に入れて観賞するものではないわっ!! ましてや聖女様なるぞ? どこへ往かれようと…… 万一、国境を越えられようとも、それは女神様の御心であるっ!! 一王族らが好きにして良い御方ではないっ!!』


 ふーっ、ふーっ、と息を荒らげ、おヒゲを膨らまし、まるで鬣を逆立てた獅子のような迫力。

 烈火の如き一喝が轟いたのは王太子とマドカの結婚式の日だった。祭壇前で言い争う神殿の者達と王宮の者達により、式は中断。

 思わず眼を丸くして固まったマドカに気づいた大神官がツカツカと歩み寄り、この式の無効を宣言した。


『この嘉き日に前途ある若者の挙式を任され、至福の極みに在り申したが…… この式を神殿は拒絶するっ!』


『んなっ?!』


 顔面蒼白な王太子と王族達。驚きに声もない王侯貴族ら。外で騒動を耳にしていたらしい民達も、ざわりと不穏な声をあげた。

 そんな人々を余所に、大神官は切なそうな顔でマドカの手の甲を額づける。


『……聖女様の籍は神殿に在り申す。神殿こそが貴方様の実家。帰ることの出来る場所。それを、あやつらは……っ!』


 ぎりっと奥歯を噛み締め、地獄の獄卒すら裸足で逃げ出すだろう獰猛な顔で王族達を睨みつける大神官。

 何が起きたのか。王太子にも理由が分からないらしく、彼は慌てて祭壇へと駆け出した。

 必死の形相な王宮関係者が説明する中、王太子も顔色を変えて彼等を怒鳴りつける。そしてカッと踵を返しマドカの所まで戻ってくると、彼は大神官に深々と頭を下げた。


『申し訳ないっ! 大神官の言うことが正しい、彼女の籍は神殿に置いてくれっ!』


 不貞腐れたままな老骨と、冷や汗タラタラな青年を交互に見つめ、マドカは説明を求める。


『実は……』


 へにょりと眉を下げて情けなさげな口調でトリスターが言うには、王宮側の用意した書類にマドカの籍を王宮直轄にするという文言が含まれていたらしいのだ。

 

『え? 王宮を住まいにするのだし良いんじゃ? 何か問題になるの?』


『『…………』』


 あからさまに感じる無言の圧力。片方は射殺さんばかりな殺気を放ち、片方はその殺気で針ネズミ化している。


『……直轄に置くとは、監視対象で王宮外出禁という意味だ。つまり君の行動の自由を制限し、スポイルすることを意味する』


『はあっ?』


『まだ正しく聖女と認定されておらず、身分も平民なため、そのような横暴を…… 聖女でなくとも、王太子殿下の妃に対して有り得べからぬ待遇です』


 ……あ、い、つ、らぁぁぁっ!


 仏頂面でこちらを睨む馬鹿野郎様どもを睨み返すマドカの耳に、大神官の声が聞こえた。


『御安心召されませ。この老骨が生きている限り…… いえ、死んだとしても、神殿は聖女様を御守りいたします』


『聖女の実家……? 王宮が嫌になったら、ここに逃げ込んでも良いの?』


『もちろんでございますともっ!』


『わああぁぁっ! 勝手に話を進めないでっ? 私、私がいるからっ! 大切にするからぁっ!』


 孫と祖父のように屈託なく見つめ合う二人と、蒼を通り越して真っ白な顔で叫ぶ王太子。

 この一件により、王宮は神殿に聖女の籍を認め、毎日御祈りに訪れる実家詣でを許すほかなくなったのだった。




「大神官様、今日は書庫にこもって分かる範囲の知識の書き写しを続けます。アタシも学生だったんで、ああいうのが楽しくて」


「おお、ありがたい。こちらで解明していない事も、聖女様の世界では既に一般常識というのが多いですからな。非常に助かっておりますよ」

 

 好々爺な面差しで頷く大神官。


 騙しているようで気がひけるが、仕方がない。

 

 マドカは軽く挨拶をし、書庫へと向かって歩いていった。

 それを見送る大神官の下に子供達が駆けてくる。無邪気で可愛らしい子供らに見上げられ、優しく微笑む老骨。


「大神官様ぁ、聖女様は? 聖女様がいらしたと聞きましたぁ」


「編みぐるみが上手に出来たの、聖女様に差し上げたいの」


 きゃあきゃあ賑やかな子供らにつられ、大人達も大神官へと寄ってきた。


「聖女様がいらしているのですか? ぜひ御礼を。聖女様の食育とやらで、親父の病が良くなったのですよ」


「うちもワンプレート療法で、ずっと身体が楽になったわ。温物や野菜を先に食べてからお肉とか食べると、本当に少しの量で満腹になるのねぇ? お野菜のほうが安いし、家計まで楽になったわ」


「そうそう、身体を温める食べ方とか冷やす食べ方とか。お腹を温めるようにしたら、ホントに手足まで温かくなって。ちょっとしたことばかりなのに目から鱗だよねぇ」


 カラカラと笑いつつ談笑に花を咲かせる人々。こんな光景を見られる日が来ようとは。大神官の笑みが、知らずに深みを増す。


 何も特別な力のない少女は、何物にも代え難い知識を持つ少女だった。その知識も学びが必要な専門的知識ではない。一度知れば誰にでも使える程度の豆知識。これらが普及したことでサザライト王国の民の死亡率は激減した。

 飢えと寒さは簡単に人間を死に至らしめる。これを恐れ、闇雲に散財し、悪徳商人らの犠牲になっていた貧民ら。


 今でこそ笑える彼らだが、聖女が現れるまで貧民に笑顔など存在せず、いつも微かな翳りを落として神殿の炊き出しに並んでいたものだ。


 その理由を知ったマドカは、速攻で動いた。


 彼女は自ら綿入れなる物を作ってみせ、その使い方を人々に教える。


 『こう……ね? 古着でも何でも良いから、厚手にして二枚合わせにするの。で、袋状の中に同じく古着を細かくした物を詰める。ないなら、ワラでも良いわ。そのワラもなるべく細かくしてね? 隙間が大きいと保温性が落ちるのよ。体温で温めるよりも外気で冷えるほうが早くなっちゃうの。隙間を密にがポイントよ?』


 作られたのは大きいコートみたいな羽織と、同じ形だけど短い羽織。短い方は起きている時の普段使い。長い方は寝る時の寝具だと笑うマドカ。


 地球でいう丹前と掻巻だ。中身を取り出せばオールシーズン使える優れもの。特に、藁を使うなら綴る訳にはいかない。それがなくとも、厚みの調節に出し入れ可能にしたほうが便利である。


 懇切丁寧に教わりつつも半信半疑だった貧民達。それでも彼等を衝き動かしたのは冬への恐怖である。

 毎年多くの犠牲者を出す凍てついた空気。それがひたひた忍び寄る死の影に怯え、必死にマドカのいう綿入れを作ったのだ。そしてその暖かさに絶句した。

 これまで悪徳商人に足元を見られて購入した使い古しのペラペラな薄い毛布を幾重にもはおって、凍える寒さに抗っていたのが嘘のように温かい綿入れ。


 ……まさか、アレで冬の凍死者がゼロになるとは。


 大神官は感慨深げに眼を閉じた。




『こんな時に使わないで、いつ使うのよっ! 金や権力の有効活用を見せつけてくれるわーっ!!』


 自身に充てられた金子を使い、ありったけの布とハギレを掻き集め、マドカは王国中の神殿を回ってくれた。自らの足で。そして食育や日常豆知識を各地の神殿中心に広めたのだ。

 その勇姿に見惚れ、多くの心ある人々が古着や支援を神殿に寄せてもくれ、毎年寒さに凍えていた貧民達は、初めて飢えも寒さもない冬を経験する。

 王都の大神殿には各地の神殿と繋がる転移陣がある。本来なら祭事や公務等でしか使われないソレを有効活用とぶった切って使い、王宮関係者の眼を白黒させたのも小気味良かった。寄せられた多くの支援で炊き出しも潤沢になった。


 ……そして、凍死者ゼロという偉業を成し遂げた、力ない聖女様。


 聖なる力の有無など関係なく彼女は聖女だ。多くの民草が敬い慕い、愛する少女。


 今、この場に彼女が在る奇跡に感謝致します、女神様。


 マドカのこれまでを想い、幸せそうな人々の喧騒に眼を細める大神官様は知らない。

 しばらくして、彼女が忽然と姿を消してしまうことを。



「さがせーっ!!」


 涙目で絶叫するトリスター。


「お探ししろーっ!!」


 おヒゲを震わせて叫ぶ大神官。


 そんな未来が遠くはないことを、今の彼は知らない。

 

 

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