第3話

「佐倉遅れました! 申し訳ありません!」

「北、到着です!」

 美波と凛は同時に叫んだ。スーツとトレーニングウェアから、ヘルメットと戦闘服(特異環境保安庁では駆除服と呼ばれる)に着替えている。

 駆除服はゴワゴワとした作業服の上に防弾プレートと着込み、分厚い手袋と丈夫なヘルメット、そしてゴーグルをかけた姿だ。それだけ書くと自衛官や警察の機動隊員のようだが、全身が蛍光グリーンで染められていて、見間違えようはない。

「おー来たね」

 二人の上司である野田飛鳥がニヤリと笑う。すでに駆除服姿で、片手には自衛隊でも使われる頑丈なノートパソコンとヘルメットを抱えていた。

 ベリーショートで背も高い飛鳥は、並んでやってきた二人を見下ろして言う。

「朝から仲良しだこと」

「やめてください、主任官」

「そんなことないっす」

 美波と凛は即座に言い返す。だが飛鳥は面白そうににやにやと笑うだけだ。

「機動駆除隊第三班。全員集合しました」

 そばに控えていた副班長の柏京子が呆れ半分と言った様子で報告する。そして飛鳥に続きを促した。

「班長、お話を」

「おーおー了解了解」

 飛鳥は指をパチンと鳴らす。

「北総特環第一孔の最初の障壁である第一隔壁が破られた。今から五分前のこと。破った怪獣は現在第二隔壁への攻撃を継続中」

「それが破られたらもう地上じゃないっすか!」

 凛が叫ぶ。飛鳥は平然と言った。

「そ。今は駆除砲を第一孔入口に展開中。私たちも駆除に向かう。OK?」

「主任官、我々の任務内容は?」

「よくぞ聞いてくれた佐倉君。我々が行うのは機関砲による駆除。そのあとは接近調査だ。生死の確認を取らなきゃいけないからね」

「怪獣の種類はわかってるんっすか?」

 凛が尋ねると、飛鳥はにこりと微笑んだ。

「この時期の名物。ヤマトハリトカゲさ」


 そこには、だだっ広い原野が広がっていた。

 木は一本もなく、短い下草が風に揺れている。そんな場所を装輪式76ミリ駆除砲車や、同じ装輪式の35ミリ機関駆除砲車が草を踏みつけながら進んでいた。駆除砲車は自衛隊で言う所の戦車や装輪戦闘車の類だ。環保では駆除砲車と呼ばれている。

 駆除砲車たちが目指す先には、地下に向かって開いたトンネルがあった。大きさは横幅が20メートル、縦が10メートルほど。一見すると高速道路のトンネルのようだったが、入り口はコンクリートブロックで固められている。

 そのトンネルに向けて、駆除砲は砲口を構えていた。駆除服姿の特異環境保安官たちが、緊張した面持ちで駆除砲車に乗り込んでいる。

 ドン、という爆発音のような大きな音が響いて、あたりが軽く揺れた。トンネル入り口のコンクリートが、パラパラと音を立てて割れる。

「諦めてくれよ……」

 水留百合は、その様子を心配そうに見つめていた。

 ここは特環に通じる穴、通称『第一孔』。

 百合は四角い車体に大きなタイヤが六つ付いた、自衛隊向けに開発された86式指揮通信車の車体の上にいた。指揮通信車は、トンネルが見渡せる高台の上にとまっている。

 現場指揮を執る統括官である百合は、この場所から全体を見回した。砲の展開は完了し、あとは怪獣が出てくるのを待つだけだ。

『水留―』

 イアカムから声がした。チャンネルを見る。野田飛鳥が班長を務める、機動駆除隊第3班からだった。

「なに、野田主任官」

『機動駆除三班、定位置についたよ』

「わかった、様子はどう? 出てきそう?」

『こりゃ出てくるでしょ。隔壁一つ越えても諦めないんだもん。よっぽど外が恋しいんじゃない?』

「マジかぁ」

 百合は頭を押さえた。同時に胃がキリキリと痛む。

『頑張れ統括官殿―。キャリア官僚の意地を見せてくれー』

「くっそ。あとお前現場じゃ敬語ぐらい使えって! 大学同期だからってけじめってもんがあるだろ!」

『元カノという立場でも駄目なのかい?』

「ちっ」

 煽る飛鳥からの無線を、百合は強引に切る。

 再び大きな音がした。コンクリートにひびが入る。

「5メートルはある隔壁だぞ……」

 百合は信じられないと言った面持ちで、今まさに突破されようとしている隔壁を見つめる。

「……笑、じゃなくて市原主任官」

 骨伝導マイクのスイッチを入れると、百合は笑に話しかける。笑は統括官室付主任官として、同じ車両に乗り込んでいる。ただエンジン音もあって、直接やり取りすることは難しいため、こうして無線を使っていた。

『はいはい。なんでしょう、水留統括官』

 笑は苦笑しながら無線に出た。飛鳥とのやり取りを聞かれたのかと思い、内心頭を抱える。

 だが、今はそんな場合ではない。百合は気を取り直すと指示を伝えた。

「もはや怪獣の突破は時間の問題。これより緊急害獣駆除を執行する。総員撃ち方用意」

『了解しました』

 笑は無線のチャンネルを合わせた。全員が聞こえる共通チャンネルに周波数を合わせると、百合からの命令を伝達する。

『水留統括官より各員。これより害獣駆除法に基づく緊急害獣駆除を実施します。駆除作戦はブリーディング通り対処第一項。総員、撃ち方用意』

 そう言ってから、再び百合との個人チャンネルにあわせる。

『統括官、何か言う?』

「うん」

 百合がマイクを喉に当てる。

「全員聞こえる?」

 亀裂がどんどんと広がる隔壁を前に、百合は大きく深呼吸をする。そして言った。

「我々の後ろには、14万の北総市民がいる。市民の命と、生活がある。なんとしても、怪獣の進出はここで止めなくてはいけない」

 コンクリートがはじけ飛んだ。

 土ぼこりが上がり、トンネルの向こうに暗闇が現れる。

 一瞬の静寂ののち、地響きがした。それは足音だった。

「人類の力を思い知らせてやれ」

 現れたのは、巨大なトカゲだった。

 丸い顔に小さな目が付いている。体幅はトンネルとほぼ同じぐらい。つまり20メートルはある。体高もまたトンネルと同じサイズで、10メートルほどの大きさだ。

 目を引くのは体色だ。黄色い肌に、赤いまだら模様がある。

 首元には名前の由来にもなっている、長く太い針。針はぐるりと顔を囲んでいた。正面から見ると、雄ライオンのようにも見える。

 ヤマトハリトカゲ。特環ではスタンダートな種だ。百合も目にするのは初めてではない。

 ハリトカゲは、初めて見たであろう太陽の光に若干体を震わせながら、興味深そうにのそのそと地上へとはい出てきた。針がグネグネと動いて、興奮していることを伝える。

 百合はその様子を見て、一瞬だけ目を瞑った。

 しかし、言う。

「撃て」

 砲撃の音が、一斉に響いた。

 76ミリ速射砲弾が、35ミリ機関砲弾が、そして12.7ミリ機関砲弾が、ヤマトハリトカゲに吸い込まれていく。

 対怪獣用に開発された徹甲炸裂弾がヤマトハリトカゲの皮膚に突き刺さり、爆発した。

「キャシャァアアアアアアアアアア!??」

 噴煙が舞い、怪獣の断末魔が響く。

「第二射、続けて撃て!」

 再び砲弾が怪獣を襲う。

 地上へと足を踏み出したハリトカゲは、あっという間に肉塊へと変貌した。

 あたりが急に静かになる。

「……野田。死亡確認に向かって」

『了解』

 百合は静かに飛鳥に命じた。


「さ、水留統括官からの指示だ。行くよ」

 無線を切った飛鳥は、目の前にそびえる巨大な肉の壁を見上げた。

 飛鳥たち第三班はトンネルを横に設営された砲台の一つに陣取っていた。

 駆除作戦では12.7ミリ機関砲を操っていたが、本来の任務はこれからだ。

「ま、死んでるとは思うけど、怪獣ってのは未知のことがまだまだ多い生き物。いまさら言うまでもないけど、油断しないようにね」

 7.62ミリ個人携行用短機関駆除銃を肩から掛けた飛鳥を先頭に、京子、そして凛、美波の順に、怪獣へと近づいていく。

「顔面はこのあたりかな?」

 飛鳥は死体の先端付近まで歩いて行った。76ミリ砲の直撃を受け、すでに顔のパーツは判別することが出来ない。

「もうちょっと綺麗に殺してあげたいよなぁ。例の薬があればかなり変わってくるんだろうけど」

 飛鳥は独り言ちると、銃の先端で死体をつついた。

「京子君、心音計」

「はい」

 京子が菜箸のような棒状の機械を差し出す。

「どーも」

 心音計を受け取った飛鳥は、それを肉の断面に突き刺した。心音計はピピ、と音を鳴らす。すぐに赤い点滅とともに数字が点灯した。

「……こいつまだ生きてるわ」

 飛鳥が平然と言った直後、ヤマトハリトカゲはうなり声を上げて動き出した。

「撤収―!」

 飛鳥はそう叫ぶなり逃げ出す。

「嘘でしょ」

「マジで?」

 京子と美波も後に続いて駆けだした。

「凛! 何してんの!」

 美波は叫んだ。凛は少し後ろに下がっただけで、立ち上がろうとしている怪獣を見つめていた。

 そして吐き捨てる。

「この、クソが!」

 鈴は手にしていた駆除銃の安全装置を外すと、ヤマトハリトカゲに向かって撃ち始めた。

「凛!」

 美波の声は届かない。

「死ね!」

 7.62ミリ小銃弾の重たい射撃音が響く。

 だが、全長70メートルを超えるヤマトハリトカゲには、豆鉄砲もいいところだった。大きくかぶりを振り、凛のいる方向に足を進める。

「凛! 退きなさい!」

「アタシが殺す!」

 凛は懐から対獣手りゅう弾を取り出すと、自分に頭を向けたヤマトハリトカゲに向かって投げた。

 手りゅう弾はまっすぐヤマトハリトカゲへと吸い込まれ、爆ぜた。トカゲはぶるりと震えると動きを止める。

「このやろう……」

 凛は血走った眼でトカゲを見る。

「もう一発」

 そしてベストに手を伸ばした時、

「いい加減にしなさい!」

 美波に思いきり頬を叩かれた。

「じゃ、邪魔すんな美波!」

「あんたが邪魔なのよさっさと退きなさい!」

 そう言うなり、美波は凛を担ぎ上げた。

「うわっ」

「筋トレしてる癖に軽いわね」

「放せ! 美波、お前には関係ないだろ!」

「今更手りゅう弾一発で死ぬわけないでしょ! よく見なさい!」

 その言葉に、凛は顔を上げる。

 頭部を砲撃で破壊されたはずのヤマトハリトカゲは、再び立ち上がろうとしていた。先ほどの凛の攻撃も、まるで効いていない。

「この!」

 凛は暴れる。

「大人しくして!」

 美波はそれを押さえるように、凛を分厚いコンクリートで作られた退避壕の中に放り投げた。

「北、回収してきました!」

「ごくろーさん」

 中にはすでに飛鳥と京子が座っていた。二人の姿を見るなり、飛鳥は無線に向かって言う。

「第三班全員撤収したよー。全く筋肉の分厚さと頭蓋骨の頑丈さはけた違いだね。さすが怪獣。もう何十発がぶち込んだ方が良いかも」

『わかった。これより第二射を始める。全砲撃ち方用意! ……撃て!』

 轟音が轟いた。

 それから20分後、ヤマトハリトカゲの死亡がようやく確認され、駆除完了宣言が出されたのだった。

「関係ないって、何よ……」

 美波の声を聞いたものは、1人もいなかった。


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