Are You Crazy?

「というわけで、あなたたちとのゲームが始まったってわけ」

 話を聞いて拓海は、強い虚無感に襲われた。出会った瞬間から疑われていて、もうそこからすでに彼女のゲームに巻き込まれていたのだ。自分はゲームの中の、駒の一つに過ぎず、彼女の手のひらの上で踊らされていたというわけだ。

 麗子はさらに続けた。

「あなたの登場は、パパがいなくなって落ち込んでた時期だったから、ちょうどよかったわ。その時期のわたしには、刺激的な気晴らしが必要だったから——。それにわたしを殺そうとする人なんて、今後二度と現れないかもしれないじゃない? だからこれはチャンスだと思って、張り切っちゃったのよね。それにあなた、ぶっちゃけ顔がタイプだったから、少しの間だったら偽りの夫婦を演じてもいいかなって。それにわたし、実はあのころ、パパの病気が原因でセックス依存症になってたんだけど、あなた、エッチが上手だったから、あなたたちのゲームに乗るついでに、性奴隷のつもりであなたを飼ってあげてもいいかなって思ったわけ」

 性奴隷——。自尊心を打ち砕かれるような言葉だった。

 打ちひしがれている中、麗子は続けた。

「わたし、最後のほう、お口、臭かったでしょ? それっぽくするために、歯磨きも控えたの。あなたを騙すために、一時的に女を捨てたの。わたし、昔から凝り性なのよね。こだわると、とことんこだわっちゃうタイプなの。役作りのために体重を何十キロも増やしたり、歯を抜いちゃったりする俳優さんとかいるじゃない? わたしもそれに近いタイプなの。だって今回の計画のために、わざわざハリウッドのアクターズスクールで学んだ先生に演技指導までしてもらったくらいなんだから。だからきっとわたし、あなたよりも役者の仕事に向いてると思うわ。そう思わない?」

 拓海はここで、麗子の隣に立つ沢尻に視線を向けた。依然、澄ました顔をしている。麗子だけでなく、彼にも完全に騙されていたわけだが、彼はどんな理由で味方のフリをしたのだろう。おそらく、大した理由などないのかもしれない。彼らにとっては、すべてがゲームだったのだから——。

 麗子は得意げな顔でさらに続けた。

「あと、あなた、わたしと寝室を別にしてから熟睡できるようになったでしょ? あれはね、あなたが食べる夕食に睡眠薬を混ぜてたからなの。わたしが外で羽を伸ばせるように、あなたには眠っておいてもらう必要があったから。さすがに家にこもりっきりじゃ、ストレス溜まっちゃうものね。だからあなたが熟睡してる間に、わたしは外で遊んでたってわけ。でもそのせいで完全に、夜型人間になっちゃったけどね」

 そういうことだったのか……。拓海は合点がてんがいった。

 てっきり寝室を別にしたことで、ストレスから解放されて熟睡できるようになったのだと思い違いをしていた。それで麗子が入院してから急に、寝つきが悪くなったというわけか……。

「入院するようになってからは、わたしの自由度は増したわ。もっとも、昼間はあなたがお見舞いに来るわけだから、遊ぶのはもっぱら夜だったけどね。でも健康のためにも、そろそろ朝型に戻さないとね」

 麗子は愉快そうに笑う。

 それから彼女は、例の小瓶を再び見せつけてから続けた。

「それにもう一つ、タネ明かしをしてあげるわ。この薬を用意したのも、わたしたちなの」

「え、何だって!?」

 拓海は思わず高い声を上げてしまった。

 佐藤が用意したはずの薬を、なぜ麗子が……。

「だいたいね、佐藤さんごときの一般人が、そんなやばい薬を用意できると思う? 普通に考えればわかることじゃない? だって佐藤さん、あなたを計画に巻き込んだ時点で、まだわたしを殺す方法を見つけ出せていなかったんですもの」

「そんな、まさか……」

 佐藤の言葉を鵜呑みにしていたが、どうやら彼の計画は見切り発車だったようだ。両脇が汗で濡れて冷たくなっていた。脇だけでなく、身体中からいやな汗が噴き出ていた。

 麗子がさらに詳細を語っていく。

「要はこういうことなの。佐藤さんの動きを探らせるために、こちらの息がかかっている人を接近させたの。そういうのを専門にしているプロの女の人をね。ちなみにその人、すっごい美人さんなのよ。それで、製薬会社に勤めているという設定で佐藤さんに近づいてもらったんだけど、佐藤さん、その女の人をすっかり信用しちゃって、警察にバレずに人を殺す方法はないかって相談するまでになったの。で、計画がスムーズにいくように、その女の人を通して佐藤さんにこの薬を流したってわけ——。佐藤さん、あなたに言ってたわよね。この薬を誰かに試したことがあるって。あれ、嘘だから。あの人、普段強がってるけど、意外と小心者なのよ。だって彼、しきりにあなたにこの薬を使うように勧めてたでしょ? あれってきっと、彼自身もわたしに飲ませる前に薬の効果を確かめたかったのよ。手に入れた薬が本物かどうか、確信を持ちたかったのね」

 あの薬も麗子側が用意したことを知り、さらに脱力していく。

 麗子はさらに続けた。

「最初はね、どうせ弱っていく演技をするんだから、本物じゃなくていいんじゃないかってわたしは言ったんだけど、沢尻さんが、誰か他の人に試すかもしれないから最初は本物を用意したほうがいいって言って、そしたら沢尻さんの言った通り、あなたは彼女さんを使って他の人に薬を使った。さすがよね、沢尻さんって。先を読む力があるっていうか。ちなみに今回の遊びはね、沢尻さんにも協力してもらって、二人で相談しながら計画したの。まあほとんどが、沢尻さんのアイデアなんだけど。考えるのは沢尻さんの担当。だってわたし、考えるのとか苦手だから。その点沢尻さんは、几帳面で、先の先まで読んで計画を立ててくれたから本当に助かったわ」

 今回の計画の立役者は、どうやら沢尻だったようだ。

 拓海はここでふと、疑問に思ったことを口にした。

「民間療法を、試したのは……」

「ああ、あれはね、生きることに必死じゃないのは真実味に欠けると思ったからよ。祈祷師もそう。貧乏人ならいざ知らず、お金持ってるのに何も試さないってのはおかしいじゃない? あなたに疑問を抱かせないように、生きるのに必死な重病人を演じたわけ。でも、あなたもあれよね。良き夫を演じるんだったら、セカンドオピニオンくらい提案しなさいよ。こっちは騙してることがバレないよう必死にやってたっていうのに、あなた、最初からわたしが騙されてると信じ込んでるもんだから手を抜き過ぎなのよ。ただ優しい言葉をかけてくるばかりで、正直いろいろ歯がゆかったわ」

 確かに麗子の言う通りだ。

 最初からただの一度も、疑おうとはしなかった。

「あと覚えてる? 祈祷師を呼んだとき、わたしがベッドの上で顔を上げなかったこと……。あれはね、あの人の言葉にショックを受けて本気で泣いちゃったからなの。泣いて病みメイクが落ちちゃって顔を上げられなかったの……。何で泣いたかというとね、あれって演出のつもりで呼んだだけで、お祓いとか半信半疑だったんだけど、驚いたことに、あの祈祷師は、の。あの人、わたしに何て言ってきたと思う? あの人ね、あなたのご主人は、あなたのことを愛してませんって断言したのよ。あの人はあなたを一目見ただけで、悪意があるって見抜いたのよ。すごいでしょ? わたしマジでビビっちゃって。で、そのあと言われた言葉がショックだったんだけど、どうやらわたし、悪い霊をたくさん背負しょってたみたいなの……。パパほどではないけど、正直いろいろ悪いことしてきたから、知らず知らずに悪い霊を呼び込んでたみたい……。それで、あの人から悔い改めなさいって言われて、思わず感極まっちゃって……」

 あの祈祷師は、見た目通り只者ではなかったようだ。

 祈祷師の話でいくらか表情を曇らせていた麗子だったが、ここで表情を一転させた。

「でもね、祈祷を受けて体がめっちゃ軽くなったの。だからまた、悪い霊を呼んだら祓ってもらえばいいかなって。だってそうでしょ? そのために、ああいう人たちがいるわけなんだから」

 拓海は、麗子の本質に恐怖した。

 悪霊に憑依されても、彼女はどうやら悔い改める気はないようだ。

「今回のことって、パパが生きてたらきっと反対してたと思うの。きっと天国でパパ、呆れてるかもね、また子どもじみた真似してって。でもしょうがないじゃない。だってわたし、いつまでたっても精神年齢は子どものまんまなんだから」

 そうだ、子どもなのだ。麗子はまだ、小さな子どもなのだ——。だからこそ怖い。子どもは残酷だ。子どもは生きた虫を平気で殺す——。

 麗子はここで思い出したように言った。

「ああそうだ。あなた、わたしの病室に盗聴器を仕掛けたわよね」

 もう何から何まで、こちらの行動は筒抜けだったようだ。この様子では、排泄の姿も見られていたのではないかと勘ぐってしまう。

「何でわかったのかって? それはね、あなたが使ってるスマホとPCに監視ソフトを埋め込んでいたからなの。それであなたがアマゾンで盗聴器を買ったのを知って、病室を盗聴するつもりなんだなってのがわかったの。それで簡単な台本を作って沢尻さんと会話してたってわけ」

 彼らの徹底ぶりに、拓海は呆れ返るしかなかった。

「でもまあ、わたしたちの計画は全体的に想定内に進んでいったかな。ちょっと予想外だったのは、あなたがリョウって子から脅されたことかしら。あ、あとそれと、彼女さんを佐藤さんに近づけたことね。そんな展開は予想してなかったから意外と面白かったかも。あ、そうだ。彼女さんといえば、こんなのがあるの……。沢尻さん、貸して」

 麗子はタブレットを受け取ると、画面をスワイプさせていく。

 しばらくして、目の前の液晶テレビに映像が映し出された。

「な……!?」

 拓海は流れ出した映像を見て一瞬で凍りついた。美穂のアパートで、二人して愛し合っている映像だったからだ。

 麗子が愉快そうに感想を述べる。

「とても仲がいいのね。正直、お似合いのカップルだと思うわ。ちょっと妬けちゃうくらいにね。でも気づかなかったでしょ? 彼女さんの部屋に監視カメラが仕掛けられてるなんて。実はね、お隣の202号室から二十四時間、彼女さんを監視してたのよ」

「あ、だから……」

 合点がいって思わず声が漏れた。

 拓海は中国人の隣人が、麗子と付き合いはじめたころに転居したことを思い出した。

「あとね、こんなのもあるの」

 麗子がタブレットをタップすると流れる映像が切り替わった。

「くっ……」

 拓海はすぐに顔を背けた。美穂が男性器を咥えている映像だったからだ。

「これはちょっと刺激が強すぎたかしら? でも次のは、もっとすごいわよ」

 麗子が再びタブレットをタップする。

 切り替わった画面を見て、拓海は頭が爆発しそうになった。

 美穂が、佐藤の尻を舐め上げていたからだ。

「どう? 知らなかったでしょ? あなたの彼女さん、佐藤さんに気に入られるためにこんなこともしてたのよ。本当に頭が下がるわ。いくら愛するあなたのためとはいえ、すごい根性だと思うわ」

 このときはじめて、麗子に対して本気の殺意を覚えた。これまで金のために死んでほしいと願ってはいたが、殺したいと思うことはなかった。だが、今の映像を見て、殺意がほとばしった。

 こちらの憤怒とは裏腹に、麗子は涼しい顔をしていた。

「そんな怖い顔しないでよ。もとはと言えば、あなたたちのほうから仕掛けてきたゲームなんだから、非難される覚えはないわ」

 拓海はなおも怒りのままに麗子を睨み続けていた。

 と、そこで、麗子がとつぜん笑い出した。

「あとそうそう、今思い出したんだけど、あなた覚えてる? わたしがあなたが用意した水を見て、変な匂いがするって言ったこと? あのときのあなたの顔は傑作だったわ。だってあなた、目なんて、こーんなに大きく見開いて、幽霊を見て驚いた人みたいな顔になってて、あまりにもすごい顔したもんだから、わたし、笑いをこらえるの大変だったんだから。あ、そうそう。そんなあなたの驚いた顔もバッチリ撮影されてるのよ。いっしょに見てみる?」

 麗子はタブレットに視線を落として指をスワイプさせていく。

 その間、美穂と佐藤とのセックス映像が流れ続ける。

 しばらくして、映像が切り替わった。病室のベッドの上で寝ている麗子が映し出される。動画が早送りされ、奥の扉からマスクをした拓海が姿を現す。早送りされている映像のため、ロボットのような不自然な動きだ。しばらく早送りが続いたあと、ベッドの脇に置かれた椅子に拓海が座ったところで通常の再生スピードに戻された。

 テレビ画面の中の麗子が、コップを口に運ぼうとしていた。そしてコップを持つ手を止めると、水の匂いを嗅ぐような仕草を見せる。

「この水、何か変な匂いがする……」

 麗子の一言に、画面に映る拓海の顔が瞬時に驚愕した。

 拓海は自分の滑稽な顔を見て、羞恥心で顔がかっと熱くなった。麗子が言っていた通り、信じられないほど大きく目を見開いて驚いていた。

「これこれ! どう今の顔、やばくない?」

 麗子は腹を抱えて笑っている。笑い過ぎて、目に涙まで浮かべている様子だ。彼女はタブレットをスワイプして再び同じ場面を再生させた。

「ほら。最高よね。まさに、悪さがバレたときの顔って感じよね。ほんと傑作なんだけど。もう一度見ちゃお♪」

 麗子は同じシーンを見返して腹を抱えて笑っている。彼女への殺意がふつふつと再燃する。

 気づくと、こちらを撮るビデオカメラのレンズがだいぶ近くに接近していた。

 撮影している男は二人。ともに、白シャツに黒いスラックスといった格好だ。二人とも背が高く、モデルのような体型をしている。彼らの存在には始めから気づいていたが、こうやって改めて見ると、この状況下で表情を変えることなく撮影している姿は実に不気味だった。

 ビデオカメラを睨んでいると麗子が言ってきた。

「カメラ、気になる? まあ気になるわよね。何で撮影してるかわかる? あのね、ここの映像と今まで撮ってきた映像を使って、わたしだけのドキュメンタリー映画を作ってもらおうと思ってるの。いいアイデアだと思わない? 二時間くらいにまとめてもらって、あなたとの思い出をヒマなときにでも観ようかなと思って。だってわたし、この日のために、一年と半年もがんばってきたのよ。だから記録に残しておかないと、もったいないでしょ?」

 狂ってる。この女、本当に狂ってる——。

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