最終章

真相

 ばっと視界が明るくなり、拓海は目を開けた。

 すぐに眩しさで目を細める。どうやら、スタンド型の照明がこちらを照らしているようだ。目が光に慣れてきたところで、数メートル先に麗子が立っていることに気づく。

「麗子——!」

「拓海さん、やっとお目覚めね」

 彼女は入院着ではなく、白いドレスっぽい服を身につけていた。

 拓海はここで、自分がステンレス製の椅子に縛りつけられていることに気づく。

 恐怖で全身が硬直した。両手は後ろに回され、手錠のようなもので固定されているようだ。足元を見ると、黒い結束バンドで椅子の脚に足首が縛られていた。足を前に出そうとしてみたがビクともしなかった。

「麗子! これはどういうことなんだ!」

「ふふ。どういうことだと思う?」

 麗子は悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。

 拓海は彼女の笑みを見て瞬時に悟る。


 ——美穂とのことがバレたのだ! 


 拓海はそう確信した。とはいえ、浮気程度でこれはやり過ぎだ!

 意識を失う前の記憶がよみがえってきた。麗子は死んだはずだった。ところが生きていた。こちらを驚かすために死んだフリをしたらしい。いたずらにしては、たちが悪すぎる——。

 彼女の隣には沢尻が立っていた。澄ました顔で、小脇にiPadを抱えている。仲間だと思っていた男が、今は従順な犬のように麗子のそばに付き従っている。裏切られたような思いがした。

 視線の先には、大型の液晶テレビが、高さ一メートルほどの台座の上に置かれていた。さらに周囲には、麗子と沢尻の他にビデオカメラを持つ男が二人立っていて、無表情な顔でここでの様子を撮影していた。

 拓海は自分がいる場所を仔細に観察した。倉庫のような場所だった。奥の様子は薄暗くてよくわからない。正面向かって左右に一つずつ、スタンド型の照明が置かれていた。それが自分たちがいる中心部を明るく照らしている。足元はコンクリートの床になっていた。床を見た限りだと、清掃が行き届いているようにも見えたが、かすかに生臭い匂いが漂っていて不安をかき立てられた。

 麗子の背後には、何かを隠すように、赤いカーテンが掛けられていた。高さは二メートルほど、横幅は四メートルほどで、床に設置されたカーテンレールに吊り下げられていた。赤いカーテンの存在は不気味でしかなく、何が背後にあるのか気になった。

 麗子に視線を戻す。死人のような青白い顔でこちらを見ている。ところが、目だけは爛々らんらんと輝いていた。

「あれちょうだい」

 沢尻がウェットティッシュらしきものを彼女に手渡した。

 受け取ったもので麗子は顔を拭いていく。拓海は困惑したまま、その様子を黙って見守った。

 顔中をていねいに拭き終えた麗子が、笑顔でこちらを見据えてきた。

 拓海は彼女の顔を見て愕然とした。まるで別人だった。頬はけたままだったが、青白かった顔には赤みが差していて、健康的な顔になっていた。これは一体、どういうことだ……。

 何も言えずに固まっていると、麗子は両手を大きく広げて芝居掛かった調子で言った。


「ぜーーーんぶ、嘘だったの♪」


 嘘。嘘。嘘——。頭の中が混乱していく。同時に血の気が引いていった。

「この病弱メイクにも、そろそろ飽きてきたところだったのよね」

 病弱メイク——?

 ということは、病気も嘘だったということか? まさか、そんなはずは……。

「全部ね、演技だったの。病みメイクも研究して、徹底的に病弱を装ったの。あと信憑性をもたせるために、過酷なダイエットまでしてみせたのよ。でもそれも今日で終わり。甘いデザートも、ついに解禁だわ」

 こちらが唖然としている中、麗子は勝ち誇った顔をして続けた。

「あとわたし、一時期ちょっとトゲトゲしかったでしょ? あれは演技じゃなかったの。空腹でイライラしてたからなの。人ってお腹が空くとダメね。自分を抑えられなくなるっていうか——。でもあなた、ちょっとビビってたから面白かったけど」

 麗子がここで何かを取り出した。それを指で挟んでこちらに見せつけてきた。彼女が持つ見慣れた小瓶を見て驚愕した。

「そ、それは……」

「これでわたしのことを殺そうとするなんて、拓海さん、ほんとあなたって悪い人よね」

 何もかも、バレていたというわけなのか!?

 それから麗子は、小瓶の液体を自分の手のひらに垂らすと、それをペロっと舌で舐め上げた。

 拓海はそれを見てさらに驚く。何がなんだかわからなくなってきた。

「あなたがコソコソわたしに飲ませてたのは、ただの水だったの。あなたの隙を見て、沢尻さんが中身をすり替えてたの」

「そんな……」

 生きた心地がしなかった。全身からすべての力が抜け落ちてしまい、虚脱感しかなかった。

 ここで麗子は、沢尻から一枚の白い用紙を受け取った。

 麗子は受け取った用紙を、こちらに見せつけるように前に掲げた。拓海はそれを見て、再び衝撃を受けた。

「そ、それは……」

 婚姻届だった。

「わかる? そう、これ、役所には届けられてないの。だから、わたしたちはまだ、未婚のままってわけ」

「そ、そんな……。ずっとぼくを、騙してたのか……」

「それはお互い様でしょ。わたしを騙してるつもりでいたあなたを、わたしが騙していただけ。わたしのほうが一枚上手だったってこと。どう? 今まで迫真の演技だったでしょ? 本職のあなたが、見抜けなかったんですものね」

「くっ……」

「悔しい? そりゃ悔しいわよね。あなたのこれまでの努力が、全部無駄だったわけだもんね」

 拓海は天を仰いだ。ショックは甚大だった。結婚すらも偽りだったのだから——。全身の力がさらに抜けていき、頭の中がまっ白になっていく。

 早い段階で計画が破綻していたのはわかった。だが、どこからおかしくなったのか。うまく思考がまとまらない。

「拓海さん。あなた今、混乱してるわよね。まあ、それも当然よね——。そうね。最初から順を追って説明してあげる。そもそもの始まりはこうなの。あなたのお仲間さん——、そう、佐藤さんのことね。いい? つまり、こういうことなの。あのね、わたし、気づいてたの。最初から気づいてたの。佐藤さんが、わたしのあとを——」



       *  *  *



「沢尻さん、新しい男の子はいつ呼べるの?」

 麗子は後部座席から沢尻に声をかけた。

 運転席から適度な間を置いて答えが返ってきた。

「性病検査の結果待ちですから、問題がなければ数日中には呼べると思います」

「そう。わかったわ」

 ヴィトンで大量の買い物をしたあとだった。ストレス発散が目的だったが、大して気分は晴れていない。最愛の父親が病に伏してるのだから当然だったろう。

 父親を失うかもしれないという恐怖心は爆買いをしても埋まらなかった。やはり、一時いっときだけでも不安を忘れさせてくれるのは男の体温しかなかった。そのため、ヒマさえあればセックスに明け暮れていた。とはいえ、誰でもいいわけではない。見た目がいいのは当然だったが、さらに清潔感があり、かつ口の堅い男を沢尻に調達してもらっていた。

 スマホを見ていたところで運転席から声がかかった。

「お嬢様——」

 真剣味のある口調に、麗子は思わず腰を浮かせてしまう。

「何?」

「どうやら、後をつけられてるみたいです」

 予想外の言葉に、麗子は思わず振り向きそうになった。

「お嬢様、どうします?」

「そうね。とりあえずこのまま、病院に向かってちょうだい」

「わかりました」

 正体不明の何者かにつけられているという事実にワクワクするものがあった。

 目的地に近づいたところで沢尻に聞く。

「どう。まだ、つけてきてる?」

「ええ」

 しばらくして、病院のエントランスにリムジンが横づけされた。

「どう?」

「後ろに止まりましたね」

 沢尻がバックミラーを見ながら答えた。

「じゃ沢尻さん、こうしましょ。わたしが降りて、わたしのことをつける人がいたら、その人をカメラで撮っておいて」

「承知しました」

 三十分くらいで戻るわ、と言って麗子はリムジンを降りた。


「麗子。何だか今日は、うれしそうな顔をしているな」

「そう? パパの気のせいじゃない」

「またお前は、良からぬことを考えてるんじゃないだろうな」

 父は呆れた様子で言った。

「わたしの心配はいいから、早く元気になってよね」


 父への見舞いを終え、エレベーターを降りてロビーを歩いていると、心なしか視線を感じた。だが、それには気づかぬフリをしてエントランスを抜けた。

 麗子はリムジンに乗り込むなり聞く。

「撮ってくれた?」

「はい。お嬢様」

「見せて」

 スマホを受け取ると、麗子は画面に見入る。見知った男が写っていた。

 沢尻が聞いてきた。

「その男は——」

「ええ。どうやら、わたしの元カレのようね。佐藤良彦さん——。三か月くらい付き合ったのかな? まあいいわ。とりあえず出してちょうだい」

 走り出してすぐに、沢尻が声をかけてきた。

「お嬢様、またつけてきてますね。どうします?」

 麗子は少し考えを巡らせてから言った。

「いいわ。そのまま家に向かってちょうだい。あとそうね、尾行がしやすいように運転してあげて。せっかくだし、彼に正体を明かしてあげるとしますか。うふ。何だか面白くなってきたわね」



       *  *  *



 拓海は話を聞いて愕然とした。そもそものはじめから、麗子は佐藤に気づいていたのだ。

 動揺が収まらぬ中、麗子はうれしそうに語り続けた。

「でね。パパが亡くなってからすぐに、あなたが偶然を装ってギャラリーで声かけてきたでしょ? そこですぐにピンときたの。これはきっと、佐藤さんが絡んでるってね。だってあなた、これまでナンパなんてしたことないでしょ?」

 確かにナンパの経験はなかった。

「あのね、ナンパしてくる人って、独特の空気感があるの。ホストといっしょ。ホストって、一目見てホストだってわかるじゃない? ナンパする人も、ホストといっしょなの。軽薄さが全身からにじみ出ているっていうか、要するにチャラいのよね。でもあなたには、それがなかった。第一印象はむしろ、誠実で、いい人そうだなって思ったくらいだもん。わかる? もうね、根本的な部分って隠しようがないのよ。あなたみたいな生真面目な人は、絶対にナンパなんてしないのよ。だから会った瞬間から違和感を感じて、あなたを疑っていたの。それで沢尻さんに調べてもらったの——」



       *  *  *



「お嬢様、桜井拓海の、調査報告が届きました」

 沢尻が応接室のテーブルに写真を並べていく。

 麗子は写真をざっと眺めたあと、そこから気になった一枚を手に取った。桜井拓海が薄暗い飲食店の中で、佐藤良彦と会っているものだった。

「ほらやっぱりね。沢尻さん、わたしの言った通りだったでしょ? 彼は佐藤さんの指示でわたしに近づいたのよ。思った通りだったわ。あの佐藤さんのことだから、わたしの正体を知って、何かしてくるんじゃないかって思ってたけど——。なるほど、こうきたわけか」

 麗子は別の写真も手に取ってみる。

 アパートのベランダ越しに撮られたもので、桜井拓海が小柄な若い女と親しげに寄り添っているものだった。

「交際して五年は経つということです」

 説明を聞き、麗子は大きなため息をついた。

「ほんとわたしって、つくづく男運がないのよね。彼、けっこう好みだったんだけどな……。ちなみにこの彼女さん、このこと知ってるのかな?」

「どうでしょう、それは調べてみないことには……。あとそれと、彼らの会話の、録音もありますが」

「聞かせて」

 沢尻はスーツの内ポケットからスマホを取り出すと、それをテーブルの上に置き音声を再生させた。


 聞き終えると、麗子は言った。

「ずいぶんと大胆な計画を立てたものね。わたしを殺して遺産を手に入れようだなんて……。でも、佐藤さんらしいといえば佐藤さんらしいかも」

「お嬢様、どうなさるおつもりで?」

 麗子はしばし熟考してから答えた。

「そうね……。彼らの企みはわかったわけだから、しばらくこちらは騙されたフリをしてあげましょうか。沢尻さんは、これからも、この男二人を徹底的にマークしてちょうだい。あとそうね、拓海さんの彼女さんも念のため見張っておいて。この人たちの行動はすべて把握しておきたいから、家に盗聴器とか隠しカメラとかも仕掛けて徹底的にやってちょうだい。お金に糸目はつけないから」

「かしこまりました」

「さあ沢尻さん、これから忙しくなるわよ——」

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