用意周到な男

 薄暗い店内を見渡すと、いつもの中央の席に待ち合わせ相手は座っていた。

 彼は煙草を吸いながら、おなじみのギネスビールを飲んでいた。もう見たくない顔だった。とはいえ、計画が終わるまでは会わずにはいられない。拓海は黙ったまま佐藤の前に座った。

 スマホを凝視していた佐藤が、顔を上げると言った。

「なあ聞いてくれよ」

「何です?」

 佐藤はスマホに視線を戻すと続けた。

「コンビニの店員がな、高齢者の特殊詐欺を未然に防いだっていうんで感謝状が渡されたらしいんだ。えー、特殊詐欺ってのはあれだ、何だかんだ理由をつけて、詐欺グループが高齢者に電子マネーを買わせるっていうやつだ。何十万ていう高額な電子マネーの購入だから、コンビニの店員が不審に思って警察に連絡したっていうわけだ。こういうニュースを聞くたびにおれは、余計なことすんじゃねえって思うんだよ」

「どうしてです? 犯罪を未然に防ぐ、立派な行為じゃないですか」

 こちらが軽く反論すると、佐藤は持論を展開していった。

「立派なもんかよ。だってよ、むしろそんなのに騙されるような老人は、一度痛い目みないと反省しない連中なんだよ。だから、高い授業料だと思って払わせてやったほうがそいつらのためになるんだよ。それに高齢者が詐欺に遭おうが、そのコンビニが損するわけじゃないんだし、本人が買いたいって言ってんだから黙って売ってやればいいんだよ。不審に思っても無視すりゃいいんだよ。そのほうが、ジジババのためになるんだからよ。無駄な正義心なんてかざしてんじゃねえって思うわけよ。おれは一度、そういう場面を目撃したことがあるんだが、店員が詐欺だと思いますよって言ってんのに、血走った目をしたババアは、喧嘩腰で店員に、そんなことはないって怒鳴ってたからな。おれはすぐに店を出たからそのあとどうなったかは知らねえけど、あんなのは一度騙されて痛い目みたほうがいいんだよ」

 話を聞き終えた拓海は本音で答えた。

「佐藤さん、あなたマジで考え方が腐ってますよね」

「褒め言葉だと受け取っておくよ。けどよ、お前も同類だぜ。金のために無実の女を殺そうとしてるんだからな」

 拓海は佐藤の言葉に何も言えなくなってしまった。悔しいがその通りだった。金のために人を殺す——。それは高齢者を騙す特殊詐欺よりもタチが悪いに違いなかった。

 スマホをテーブルに置いて佐藤が聞いてきた。

「で、どうなんだ。計画のほうは」

「順調ですよ」

 リョウから脅された件は話すつもりはなかった。だがそれ以外は、佐藤に伝えた通り順調だった。

 薬を飲ませ続けて四か月が経過した。麗子は目に見えて衰弱していた。だがまだ、瀕死の状態というわけではない。日常生活は普通に送れている。病床びょうしょうに伏すのはまだ先の話になりそうだった。

「麗子が先日、泊まりがけで人間ドックに行ってきたんですよ」

 佐藤の視線が突然鋭くなった。

「で、結果はどうだったんだ?」

「血圧が低くなってたくらいで、病気らしい病気は見つからなかったようです。一応、医者からは、血圧を上げる薬を処方してもらって、今はそれを飲んでる感じですね。あとそれと、ビタミンなどのサプリメントも勧められたようで毎食後に飲んでますね。ですが、改善するような兆しはないですね。やっぱりあの薬は本物ですね」

「そりゃそうだ。三十万もする代物なんだからな」

「でも精密検査でどんな結果が出るか内心ヒヤヒヤだったんで、これで安心してあの薬を飲ませ続けられますよ」

 正直、結果が出るまで眠れないほど不安な日々を送っていたのだ。

 ここで佐藤が、手を前に出して言ってきた。

「今月分は?」

 拓海は鞄から金の入った封筒を取り出して相手の前にそっと置いた。

 佐藤は中身を覗くと満足げな顔をして見せた。

「今回も数える必要はないよな?」

「ええ。ちゃんと三十万円入ってますから」

「お前を信用するよ」

 いつからか佐藤には、お前呼ばわりされるようになっていたが、いまだ慣れずに腹立たしい思いでいた。

 拓海は黙ったままビールに口をつけた。

 ここで佐藤が、渡したばかりの封筒をかざしながら言った。

「どうだ? 今からおれの奢りで、キャバクラにでも繰り出さないか」

「いえ。帰りが遅くなるとあれなんで遠慮しときます。それに、そんなとこ行ってるのがバレたら、計画もおじゃんじゃないですか」

「ああ、確かにそうだな。じゃおれは、一人寂しく行ってくるとするか」

「よく行くんですか?」

 拓海は何気ない調子で聞いた。

「ああ。池袋に行きつけの店があってな。月に二、三回は行ってる。今夜は臨時収入が入ったことだし、気に入りの女に、シャンパンでも入れてやろうかな」

 自分が渡した金がドリンク代になって消えることを思うと憤りを感じた。そんなこちらの気持ちをあざ笑うかのように、佐藤はギネスビールを飲み干すと大きなげっぷをした。そしてすぐに、空いたグラスを掲げておかわりを注文する。

「なあ、一つ聞きたいんだが、自分も殺されるかも知れないって不安になったことはないか?」

「今のところ、それはないですね」

 だが、そう答えてから、急に強い不安に駆られた。因果応報という言葉もある。自分が誰にも狙われないと断言はできなかった。

「まあ、殺されないにしても、麗子が死んだら、お前のとこに化けて出るかもしれないぞ」

「それならぼくだけじゃなく、佐藤さんのとこにも出るでしょうね」

「だろうな」

 佐藤はニヤつきながら新しく置かれたビールに口をつけた。

 それから彼は、封筒の中の札束に触れながら言った。

「でも考えてみればよ、お前はおれに三十万払っても、手元に七十万も残ってるわけだよな? 三十万から増やしてくれてもいいんじゃないのか」

 拓海は、相手の発言に怒りで顔がこわばった。

 怒りを抑えながらゆっくりと言った。

「佐藤さん……、前に言いましたよね……。三十万以上要求したら、この計画から手を引くって……」

「冗談だよ。そう恐い顔すんなって。おれはお前が思ってるほど金の亡者じゃない。安心しろって」

 だが、一度湧き上がった怒りは簡単には鎮まらなかった。

 しばらく無言でいると佐藤が言ってきた。

「おい、桜井」

「何です?」

「間違っても、おれをどうにかしようなんて馬鹿な真似は考えるんじゃねえぞ」

 拓海は表情を殺して話を聞く。

「おれはこう見えて、意外と用心深いたちでな。実はおれに何かあったら、弁護士がある書類を警察に届ける手はずになってるんだ。で、その書類にはな、これまでのことがすべて書かれている。そういうことだから、おれをどうにかしようなんて考えないことだな」

 麗子の次は佐藤もと考えていたが、どうやら相手のほうが一枚上手だったようだ。

 拓海は動揺を抑えながら答えた。

「佐藤さん、ちょっとナーバスになってるんじゃないですか。ぼくが裏切るわけないじゃないですか。ぼくらは一蓮托生いちれんたくしょうなわけですから」

「だが用心にこしたことはないだろ? おれが死ねば、お前にとって都合がいいのは明らかだからな。慎重になるのも当然だろ」

「心配いりませんよ。ぼくは絶対に裏切ったりしませんから」



       *  *  *



「佐藤のやつ、用意周到でいやがった!」

 拓海はスマホ越しに、美穂に憤りをぶつけた。

 佐藤とのやり取りを報告すると、電話越しでも彼女の緊張が伝わってきた。

「そういうわけだから、うかつに佐藤には手を出せなくなった。あの女のあとは佐藤をもと考えていたが、そう簡単にはいかなそうだ……」

「……どうするの?」

 スマホ越しに、心配そうな問いかけが届く。

 考えていたことを美穂に告げることにした。本当は直接会って相談したかったが、リョウの件もあったから、これ以上危険を犯すわけにはいかなかった。

「美穂、頼みがあるんだ」

「何?」

「佐藤に近づいてもらいたい」

「——!?」

 スマホ越しに、息を飲む声が聞こえてきた。

 数秒後、美穂の緊張した声が届く。

「あたしが、佐藤に……」

「そうだ」

「でも、どうやって……」

 拓海は今日得た情報をもとに考えを伝えた。

「あいつは池袋に、行きつけのキャバクラがあるようなんだ。今日もこれから行くと言っていた。だから美穂にはその店に入って、ホステスとして佐藤と親しい関係になってもらいたい」

 少し間があってから美穂が聞いてきた。

「ガールズバーなら昔働いたことあるから、キャバもあんま抵抗ないけど……。佐藤に近づいたら、どうすればいいの?」

「佐藤が依頼したっていう弁護士を探ってくれ」

「でもどうやって……」

「そうだな。たとえば、佐藤と充分親しくなったら、トラブルに巻き込まれてるからいい弁護士を紹介してほしいとでも言えばいいだろう」

「……わかった。やってみる」

「だけど、あらかじめ言っておくけど、くれぐれも、あまり深い関係にはならないでほしい……」

 心配そうに言うと、美穂は明るい声で返してきた。

「安心して。枕営業なんてしないから。あたし、佐藤に、指一本触れさせないようにする。だってあたしのからだは、たっくんだけのものなんだから」

 拓海は美穂の言葉に安堵した。

「ありがとう、美穂。あともう少しなんだ。もう少し我慢すれば、人目を気にすることなく二人で暮らせるようになる。だからもう少しだけ、もう少しだけ協力してくれ」

「大丈夫だよ、たっくん。あたし、がんばるから。たっくんのためにがんばるよ」

「ありがとう。あ、あとそうだ……」

 拓海はここで気がかりなことを思い出した。

「どうしたの?」

「あいつは前に一度、ぼくの舞台を観にきている。そのときに、美穂の顔を見てるかもしれない」

「でもかなり前だよね? 見てたとしても、もう覚えていないんじゃ……」

「ぼくもそう思うけど、万が一のことを考えて、佐藤と接触するときは見た目を変えてくれないか」

「なら……、髪色をだいぶ明るくして、メイクを少し派手めにしたら、それだけでだいぶ雰囲気も変わるから気づかれないと思う」

「それでいい。美穂、頼りにしてるよ」

「どんどん頼って。あたし、たっくんの助けになるなら何だってするから」

「ありがとう、美穂」

 美穂からの了承を得られたので、あとは佐藤が通っている店を特定するだけだった。

 彼女の協力のもと、佐藤が依頼した弁護士がわかったら、金で買収するか、弱みを握って脅すなりして、彼が預けている告発書を手に入れる。そのあと、佐藤をどうにかする。とりあえず、佐藤が弁護士に預けた告発書をどうにかしなければ先には進めない。とはいえ今回は、佐藤が女好きなのが幸いした。そこに美穂の魅力をもってすれば、佐藤は簡単にハニートラップにかかるに違いなかった——。

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