人には言えない仕事
「拓海様、どうかなさいましたか?」
屋敷に戻ったところで、沢尻に声をかけられた。
拓実は質問の意図がわからず困惑した。
「え、何でですか?」
「いえ、何か思いつめているような、そんな表情をなさってましたから」
「ああ、いや、あれだよ。麗子の体調が優れないのが心配でね……」
とっさに口に出た言葉に、沢尻はさも納得したような顔をした。
「そうでしたか。私もお嬢様の体調に関しては、とても心配しております。ですが、もし、お嬢様のこと以外で心配事がございましたら、ぜひ私にご相談ください」
「ありがとう、沢尻さん。そのときは相談させてもらうよ」
そう言って立ち去ろうとしたところで、沢尻が肩に手を乗せてきた。
思わず立ち止まると、彼は顔を寄せてきて耳元でささやくように言った。
「実は私、裏社会の人間にも多少コネがありまして」
拓海はかけられた言葉に驚く。
何も言えずに固まっていると、沢尻は説明した。
「先代の当主——、麗子お嬢様のお父様のことですが、あの方が立場上いろいろありまして、ここだけの話なんですが、私が汚れ仕事を任されていたんですよ。そういうこともあって、今でも裏社会の人たちと繋がりがあるというわけなんです」
「そ、そうなんだ……」
「ええ。だから拓海様も、遠慮せず私を頼ってください。トラブルの芽は、早めに摘み取っておいたほうがよろしいですから」
沢尻はまるで、リョウの件を知っているかのような話ぶりだった。ただの偶然だろうが、彼にはすべてを見透かされているような気がして不安になってしまう。佐藤との計画すらも知ってるのではないかと疑ってしまう。
こちらが動揺している中、沢尻は冷笑を浮かべて去っていった。
リョウに脅されている今、沢尻の提案は魅力的に思えた。とはいえ、リョウのことを伝えれば、麗子にも伝わる可能性がある。彼は口は堅そうに見えたが、当然こちらよりも麗子のほうにより忠実だろう。だからリョウの件で彼に相談するのは賢明とはいえない。やはり、自分でどうにかする必要がありそうだった。
彼女に脅迫されている件は美穂には伝えていなかった。言えば、責任を感じて、落ち込むのは目に見えていたからだ。ただし、今後は、計画が終了するまで、美穂とは外では会わないつもりでいた。これ以上、余計な問題を増やすわけにはいかないからだ。また、彼女のアパートに行くのも控えるべきだった。とはいえ、どこまで我慢できるかは定かではなかった。
* * *
リョウとの関係は、脅された日以来ぎくしゃくしていた。お互い稽古場では、なるべく目を合わせることも避けていた。
彼女には給料日まで待ってほしいとLINEで伝えて時間を稼いでいた。しかし、素直に要求に応じる気はなかった。すでに佐藤に毎月三十万もの金を払っているのだ。もうこれ以上無駄な金は使いたくなかった。それに、一度金を払えば、要求がエスカレートしていくことは目に見えていた。
リョウのように金にルーズな女は、金を持てば持つほど金遣いが荒くなり、要求は際限なくエスカレートしていくはずだ。
要求を突っぱねるという案も考えた。リョウに告げ口される前に、自ら麗子に告白してしまえば、脅迫に応じる必要はなくなる。元カノから誕生日だけ会ってほしいと懇願されて仕方なく会ったのだと伝えれば、事後報告とはいえ、正直に打ち明けることで誠意が伝わり許してもらえるかもしれない。
計画を完遂させるまでは、麗子とは、表面上だけでも良好な関係を維持していたかった。そのため、麗子に事実を伝える案は早々に却下した。やはり、リョウの口を封じるためには、彼女の弱みを握るしかない。
興信所に彼女の身辺調査を依頼して二週間が経った。そしてついに、金はだいぶかかったが、満足のいく情報を手に入れることができた。
リョウは飯田橋のカフェの他に、人には言えぬような、別の仕事を掛け持ちしていた。
「叩けばいろいろ出てくるものだな」
これで荒っぽい方法に頼ることなく彼女の口を封じることができる。
* * *
稽古が終わり、団員たちは確定申告の話題で盛り上がっていた。
劇団員のほとんどがバイトの掛け持ちをしていたから、みな自分たちで確定申告する必要があった。二月の確定申告を前にして、面倒くさいから憂うつだと不満を口にする。
拓海はというと、以前はコールセンターとカフェバーと二つのバイトを掛け持ちしていたから、確定申告は今まで自分で行っていた。だが、今年からは、新庄家が所有する会社から給与という形で小遣いが支払われていたから、年末調整などの手続きはすべて誰かがやってくれた。そのため今年の確定申告は他人事でいられた。
確定申告の話題から、今度は声優のオーディションについての話題に変わった。この時期は、声優のプロダクションに所属するためのオーディションが集中してるらしく、役者と同時に声優も目指している劇団の女の子は連日のようにオーディションに参加しているという。ところが、どうやら狭き門らしく、合格するのはごく一握りの人たちだけに限られるという。
拓海はそんな話を聞いていて、そういえばエヴァンゲリオンを最後にアニメは観てないなと思った。新海誠監督などのアニメ作品は観たほうがいいといつも思うのだが、どうしても実写に向かってしまうのだ。
独身時代は洋画を中心に、休日は自宅で一日に三本は映画を観ていた。映画館にもよく足を運んだ。麗子との結婚を機に映画を観る本数は減ったが、これまで累計で三千本以上の映画を観てきた。すべては役者としての糧となればと思ってのことだった。
役者仲間にも映画好きは多かったが、逆に、たまにしか観ないという者も少なからずいた。理由を聞くと、演じるのは好きだけど観るのはあんまり、という回答が返ってくる。だが、役者を目指してる者が、映像作品を積極的に観ないのは間違っていると拓海は思っていた。特別な理由がない限り、勉強のために多くの作品を観るべきで、それをしないのは単なる怠慢だと思っていた。そんな人間は、ただ何となく芝居をしているだけで、趣味で行う釣りやキャンプと同じだ。あわよくば、有名になれたらいいな程度の感じで行っていて、人とは違うことをしていることに少し酔っているだけなのだ。
リョウもそんな生半可な気持ちで活動している人間の一人だった。飲みの席で映画の話題になっても、「面白そう。今度観てみよう」と適当に言うだけで、絶対に観ることはない。まさに、中身のない人間の典型だった。他人のマナー違反を糾弾するくせに、自分は平気で脅迫じみた行為を行うことができる。人間性をとやかくいう人ほど、人間性に問題があるということだ。気に入らない相手には平気で危害を与えられる。自分が気に入らないという理由だけで、相手に対して徹底的に残酷になれるのだ。そんな人間が、社会を生きづらくさせている——。
談笑が一段落し、みなが帰り支度をはじめる。リョウがこちらに顔をちらっと向けて立ち上がると、じゃお疲れです、と言って出口に向かった。拓海はあとを追った。
稽古場を出たところでリョウに声をかけた。
「リョウちゃん、例の件で話がしたいんだけど」
「あ、はい」
声をかけられるのを待ちわびていたのだろう。彼女の目は、期待で、円マークが浮かび上がったように見えた。その期待を一瞬で凍りつかすことができると思うと、笑いが込み上げそうになる。拓海は近くの公園へと彼女を連れていく。
拓海はリョウと二人して、公園内に足を踏み入れる。ベンチが四つほどしかない小さな公園だ。二人の他に人影はなかった。
公園内の中ほどで立ち止まると、リョウに言った。
「あのさ、リョウちゃん。君って、人には言えないような仕事、してるよね?」
リョウの顔が一瞬で凍りつく。
暗がりの中でも、彼女が大きく動揺しているのがわかる。
「まさか、あたしのこと、調べたんですか……」
震える声に怒りがこもっていた。気分がよかった。つい返す言葉も意地の悪い口調になってしまった。
「何かその言い方、ぼくが悪いことでもしたような言い方だよね」
当然、脅迫めいたことをしてきたリョウにこちらを非難する権利はない。拓海にも非はあったが、脅迫するほうが断然に悪質だろう。
リョウはややあって言った。
「劇団の人には、黙っててくれますよね……」
「もちろんだよ。お互いが口をつぐんでいれば、すべて丸く収まるはずだよ。あと、これ——」
拓海は封筒を差し出した。
「何ですか、それ……」
「プレゼントだよ。あとで見といて」
受け取ろうとしないリョウに無理やり封筒を押しつけると、拓海は相手が中身を確認する前に立ち去った。
問題の一つが解決して晴れ晴れとした気分だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。