第4章

亀裂

「ハワイで挙式だなんて、金持ちはやっぱスケールが違うな」

 前に座る佐藤が皮肉めいた口調で言った。

 拓海はハワイで挙式を上げたあと、そのままヨーロッパ周遊という新婚旅行を終えて、二週間ぶりに帰国したばかりだった。今日は進捗を報告するために、いつもの寂れたバーにやって来ていた。

「どうだ。金持ちの生活には少しは慣れたか?」

 佐藤がスマホをいじりながら聞いてきた。

「どうですかね。少しは慣れてきたかもしれないですけど、長らく貧乏生活を送ってきた身としては、金持ちの金銭感覚の違いには今でも驚かされることがありますよ」

「で、麗子からは、いくら小遣いをもらってるんだ」

「百万です」

 言って、拓海はすぐに後悔した。つい自己顕示欲が勝ってしまい、正直に言ってしまったのだ。半分の五十万と言っておけばよかったと思った。

 ところが、相手のほうは、金額を伝えても、さほど驚いた顔はしていなかった。

「まあ妥当な金額だろうな。もっと要求してもいいんじゃないのか?」

「いや、さすがにそれは……。正直、百万でも多いと思ってるくらいなんですから……」

「まあ、そうだろうな。おれの三倍近く、もらってるわけだからな」

「そうですよね。百万って、すごい金額ですよね……。バイトを二つ掛け持ちしていたころを思い出すと、天と地ほどの差がありますからね。もう前の生活には戻りたくないなって思いますね」

 正直な気持ちだった。贅沢を知った今となっては、もう二度と昔の生活には戻りたくなかった。

 拓海は薄暗い店内を見渡した。まだ早い時間だからか、客は二割ほどしか入っていなかった。いつもながら、ガラの悪い連中が集まっていた。

「で、挙式のほうはどうだったんだ?」

 佐藤がビールジョッキを持ちながら聞いてきた。

「まあ、普通ですよ。まわりに余計な人間がいないぶん、気が楽でしたね。日本でとなると、家族や親戚、友人知人を呼んだりと大掛かりになるじゃないですか。だから彼女がハワイで式を挙げたいと言ってくれて正直助かりましたね。何せ今回は、結婚の理由が後ろ暗いものですし、ぼくとしては、結婚した事実は、できるだけ限られた人にしか知られたくなかった。それにぼくは、勘当された身ですから、両親とは疎遠で、彼らを式には呼べなかったんです。麗子みたいに両親が他界してたらしょうがないですけど、両親ともに健在なのに欠席じゃ、何か示しがつかないじゃないですか。実家にいる弟の話だと、父親はぼくが定職につくまでは、結婚なんて絶対に認めないと言っているそうですし、母親のほうはといえば、父親の言いなりですからね」

 両親とは十年以上会っていなかった。人にそれを言うと、こちらの事情もお構いなしに、両親に会いにいったほうがいいと余計な忠告をしてくる者が多かった——。無責任にそう言える人間は、ある程度家族仲がいいのだろう。だが、みながみな、自分と同じではないということがわからないのだ。親が子どもを殺したり、子が親を殺すというようなニュースは日常茶飯事だというのに、すべての家族は等しく円満であるべきだと盲目的に信じているのだ。そんな妄想を抱く人間とは自然と疎遠になっていった。

 とはいえ最近では、拓海も少しは大人になり、余計なことを言われて気分を害さぬために、定期的に両親に会っていると嘘をつくようになっていた。

 拓海は今回の挙式の件で感じたことを口にした。

「佐藤さん、普通、式とか披露宴って、女性にとっては、人生でいちばん自分をアピールできる場じゃないですか。まさに、一生に一度の晴れ舞台っていうか……。彼女がそういうのを好まないっていうのは、本当の金持ちだからなのかなって思ったんですよね。そんなところで変に自分をアピールする必要がないっていうか——。だから貧乏人ほど、派手な披露宴をする傾向があるんじゃないかなって気がするんですよね。ごくごく一般の女性にとっては、その日を逃したらもう、自分をアピールできる場はこないわけですから」

「なるほどな。そうかもしれないな。で、新婚旅行のほうはどうだったんだ?」

「どうってことないですよ。楽しんだフリをしただけですからね」

「ほう。楽しんだフリか」

 佐藤は皮肉っぽく言った。

「そりゃそうでしょ。知っての通り、彼女とは好きで結婚したわけじゃない」

「確かにそうかもしれないが、あんな美人とタダでヨーロッパを周れたっていうのに、それを楽しめなかったっていうのも、つまんない話だな」

「前にも言いましたが、彼女はぼくのタイプじゃないんだ。こればっかりはしょうがない」

「なるほど。そう言われちゃ、こっちは何も言えないな。好みってのは人それぞれだからな」

 拓海は今の会話で、自分と佐藤とは根本的な価値観が違うと感じた。佐藤は愛など度外視で、顔がよければ誰でもいいという考え方なのだ。だが自分は違う。見た目以上に魂の相性を重視する。麗子クラスの美女とのセックスは、若いころにさんざん経験してきた。そこで得た気づきは、魂のフィーリングが合わなければ、相手がどんな美女であろうがセックスは楽しめないというものだった。現に、麗子とのセックスは義務感で行っているようなもので、拓海にとって彼女とのセックスはスポーツでしかなかった。

「子どもは作るのか?」

 佐藤からの唐突な質問を受けて我に返った。

「いえ。子どものほうは、麗子が二人だけの時間を大切にしたいからといって、しばらく作らないことになりました」

「そうか」

「こちらとしては助かりましたよ。好きでもない女との間にできた子どもに愛情は注げないでしょうからね。一応事前に、子どもを作らないための言いわけも用意してたんですけどね」

「まあ、あの女は、母親っていう感じじゃないからな。きっと、子どもができても、ろくに子育てもできないと思うぜ。だから子どもは作らなくて正解だ」

 佐藤が言うように、母親になった麗子は想像ができなかった。

「てことは、毎回避妊してるってわけか」

「まあ、そうなりますね」

「なら、ハネムーンベイビーはなしってわけか。でもよ、やることはやったんだろ?」

「そういう下世話な話はやめてほしいですね」

 拓海は不快感を隠さずに言った。だが、こちらの気持ちなどどうでもいいように、佐藤は卑猥な目つきを向けながら言った。

「なあ、あの女の白い胸には、血管が何本も薄く浮き出てんだろ? 揉んでくれって訴えてくるようなエロい胸だよな。あんたはその胸を毎晩ただで拝めるんだから、うらやましい限りだよ。あとあの女は、首が弱いの知ってたか?」

「佐藤さん、そういう話は終わりにして、そろそろ本題に入りませんか」

「つまんない男だな。おれら穴兄弟なんだぜ。夜の情報交換くらいしたっていいじゃねえか」

 だが拓海は、話につき合うことなく強引に話題を変えた。

「計画通り結婚しましたよ。今のところ順調に進んでいます」

「そうだな。確かに順調だな。それも怖いくらいにな」

 佐藤は怖いと言いながらもニヤリと笑って見せた。思惑通りに事が進んでいることに、内心浮き立つ思いなのだろう。それは拓海も同様だった。

「確かに佐藤さんの言う通り、ここまでは思い通りに事は運んでいる。でも女心なんて、そんなものじゃないですか。外見じゃなくて中身が好きだと言えばコロッといってしまう。彼女もただの女だってことですよ。ただ金持ちの家に生まれたっていうだけで、中身はその辺にいる女と変わらないんですよ」

「ま、そういうことだな」

 いつもなら早く退散したいところだったが、計画が大きく前進し、麗子と一つ屋根の下で暮らすことになったことから、これまで以上に不安を感じるようになってきたため、もう少し佐藤と時間をともにして不安を紛らわせたいと思った。

 佐藤は新しい煙草に火をつけると言った。

「そうだな。接触して交際するまでがフェーズ1だとすると、さしずめ結婚がフェーズ2になるだろうな。そして、フェーズ3が……」

「フェーズ3は、何です?」

 聞くと、佐藤は、少し間を置いてから言った。

「わかってるだろ。あの世に行ってもらうことだ」

「なら、フェーズ3で完結ですね」

「いや、計画を完璧にしたいから、フェーズ4が必要だ」

「フェーズ4とは?」

「あの女の死後、しばらくはあんたに大人しくしていてもらいたいから、フェーズ4は、〝沈黙〟かもな」

「沈黙、ですか」

「ああそうだ。金が入ったからって派手に散財なんてしたら、悪目立ちすることになるからな。あの女が死んだあとの行動も大切だ」

「確かにそうですね」

「ところで、例の薬は飲ませてるのか?」

「いえ、それがまだ、飲ませるタイミングがつかめなくて……」

「そうか。ま、焦る必要はない」

 拓海はその発言を意外に思った。タラタラやってるなと叱責を受けるかと思ったからだ。考えてみれば、佐藤は金に困ってるわけではない。すぐに約束の三千万円を受け取る必要に迫られてはいないのだ。それに今回の計画にしたって、金が目的というよりも、麗子に騙されたことへの腹いせと、退屈な日常からの逃避にあるのかもしれない。もし金に困っていたなら、もっとせっついてきたことだろう。

 実は例の薬は、新婚旅行中に飲ませることも考えていたのだが、税関であの薬を発見されるリスクを考慮して持参は控えたのだ。

 佐藤がここで、真剣な表情で言ってきた。

「いいか。一滴ずつだ。一滴ずつ、あの女に飲ませるんだ。あまり早く死なれたら、変な疑いがあんたにかかるだけだからな」

 拓海は小さくうなずいて見せた。計画のパートナーが慎重派だと心強い。佐藤を心からは信頼していなかったが、冷静なパートナーとして認めるところはあった。

 とはいえ、今後の自分の仕事を思うと気が重かった。薬の検証は美穂が手を汚してくれた。だが今度は、彼女に頼るわけにはいかない。いざ自分が手を汚すとなると、とてつもない不安が押し寄せてくる。美穂にこんな思いをさせていたのかと思うと胸が苦しくなった。同じ立場になってはじめて、彼女が受けていたプレッシャーを知った。

 不安を感じていたところで声がかかった。

「例の薬なんだが、あれ一つで足りるとは思うが、念のため、もう一つ用意しておこうかと思うんだ。手に入れられるときに手に入れておいたほうがいいと思う」

「ええ、ぼくもそう思います」

 拓海は彼の意見に同意した。

「桜井。今はおれよりも、あんたのほうが金を持ってるんだ。今度はあんたが薬代を用立ててくれないか」

「いくらですか?」

「前にも言ったかもしれないが、あれ一つで三十万はかかる」

 本当にその金額なのかは疑わしくも感じたが、薬の効果を考えれば妥当な金額だとは思った。

「三十万ですね……。わかりました。次会うときに用意しときます」

 こちらの回答に、佐藤は少し拍子抜けしたような顔をした。

「あっさり了承したな。もう少し躊躇するかと思ったが……。さすが、毎月百万も貰ってる男は違うな。ならもっと吹っかけてもよかったかもしれないな」

 拓海は相手の発言に少しイラついた。

「佐藤さん、あんまり調子に乗らないでくださいよ」

「ああん?」

 佐藤の目の色が変わった。瞬間、拓海は今の発言を悔やんだ。

「あの女が片づいたら、おれに一億寄越せ」

 佐藤はドスを利かせた声で言った。

「い、一億って……。三千万の約束だったじゃないですか……」

 拓海は唇を震わせながら反論した。

 相手は怒気を含ませた声で言った。

「事情が変わったんだよ。その薬を用意したのはおれだ。おれだって危ない橋を渡ってるんだ。お前は自分一人で動いてる気でいるようだが、おれがこの計画を立てなければ、いまだに売れない役者のままだったんだぞ。わかってんのか? このおれが、一獲千金のチャンスを与えてやったんだ。そのおれに向かって、調子に乗るなだと。舐めんのもいい加減にしろよな」

 拓海は、不用意な発言で相手の機嫌を損ねたことを悔やんだ。

 佐藤は怒りが収まらないといった様子でさらに続けた。

「それにお前のほうこそ、調子に乗ってるんじゃないのか。すべておれがお膳立てしてやったっていうのに、会うたびに不機嫌そうな顔しやがってよ。おれに対して、ちっとも感謝なんてしてないだろ? まあそれはいい。感謝なんてされても、一円にもならないからな——。だから一億な。一億で決定な。あいつが死んだら莫大な遺産が手に入るんだ。それを考えたら、一億くらい安いもんだろ? それにだ。おれがあの女にすべてをバラせば、これまでの苦労はすべて水の泡になるってことを忘れるな」

 最後の言葉に、拓海は絶句した。怒りで頭が沸騰しそうになった。

 拓海は、荒れる感情を必死に抑え込みながら言った。

「脅すつもり、ですか……」

「おいおい。脅すなんて人聞きが悪いな。おれは単に、事実を言ったまでだよ」

 佐藤は茶化すような調子で言ってのける。

 いまだ怒りで体が震えていたが、拓海はそれを押し隠しながら言った。

「まだぼくに、どれだけの金が入るかわからないんだ……。だから今は、一億払うとは約束できない……」

 佐藤は、含みがあるような目でこちらを見据えてくる。

 しばらくして彼は、鼻で笑ってから言った。

「まあいい。おれが受け取る金は、お前があの女の遺産を自由に使えるようになってから、ゆっくり相談しようや——。だが、来月から、毎月三十万用意してくれ」

「何だって!?」

 思わず大きな声が出てしまう。

「佐藤さん、いい加減にしてくださいよ。何で毎月あなたに、金を払わないといけないんだ」

 怒りを正直にぶつけたが、佐藤は動じる様子もなかった。まったく意に介さない様子で、ギネスビールをうまそうに喉に流し込んでいく。

 グラスを置くと、佐藤は勝ち誇った顔で言った。

「いいか。お前はあの女から、月に百万もの大金をもらってるんだ。それもこれも、おれのおかげでだぞ。忘れるなよ。すべておれがお膳立てをしてやったおかげで、いい思いができてるんだ。だったらおれも、お前と同じように、その恩恵に預かってもいいじゃねえか。それにおれに三十万渡しても、お前の手元には七十万も残るんだぞ。七十万っていったら大金だぞ。その辺の課長や部長クラスでも、そんな大金もらってないんだぜ。ちなみにお前、コールセンターの仕事でいくら稼いでた? 二十万かそこらだろ? よくて三十万てとこか? それを働かずにあの女の機嫌をとってるだけで、百万もの金が入るんだ、おれに三十万払っても安いくらいだろ? マネジメント料だと思えばいい。あとそれにだ。さっきも言ったが、もしもおれが、あの女にお前との関係をバラしたら、その七十万も残らないんだぜ。またうだつの上がらない貧乏役者に逆戻りだ。またみじめな生活が待ってるだけだぜ」

 拓海はテーブルの下で拳を強く握り締める。悔しくて体が震えた。だが、佐藤の言う通りだった。ここで怒りに任せて彼と仲違いしたら、また地獄のような生活に舞い戻ってしまう。それだけは避けたかった。

 黙っていると、佐藤は続けた。

「だいぶ不服そうな顔してるな。だがよく考えてみろよ。今のところ計画は順調だ。それもこれも、おれがしっかりお膳立てしてやったおかげじゃねえか。それに前に渡したあの薬も、簡単に手に入る代物じゃないんだぜ。おれはお前が思っている以上に危ない橋を渡ってるんだ。だから、三十万くらいの駄賃で、ぎゃあぎゃあ騒ぐんじゃねえよ。いいか。よく聞けよ。今お前が百万もの大金を自由にできるのは、おれの情報があってのことだ。わかるよな? おれは、その情報に見合っただけの、情報料を寄越せと言ってるだけなんだ。どこも間違ってないだろ? 今の立場は、お前一人の力で手に入れたわけじゃないってことを、しっかりと理解するんだな」

 当然納得はできなかったが、佐藤の要求は飲まざるを得ないようだった。彼の気持ち一つで、計画はいとも簡単に破綻するのだから——。とはいえ、こちらも強気の姿勢を見せて、これ以上たかられるのを防ぐ必要があった。

「わかりました。でも、三十万までですよ。それ以上要求されたら、ぼくはこの計画からきっぱりと身を引きますからね」

「わかったよ。おれもそこまで強欲じゃない。だが、例の薬を調達する際は、別途追加料金を請求させてもらうからな」

 拓海は反論しかけたが、これ以上揉めて、佐藤の機嫌を損なわせたくなかった。しかたなく、不承不承うなずいて見せた。

「桜井。これだけは覚えておけよな。お前の命運は、このおれが握ってるっていうことを。だからこれ以上、おれを怒らせるな。わかったな?」



       *  *  *



 地下のバーを出てすぐにタクシーを拾った。

 怒りで体がこわばっていた。怒りを吐き出せる相手が必要だった。だから軽率な行動だと知りつつも、タクシーは彼女のもとへと向かっていた。

 時計を見る。もうじき午後八時半になろうというところ。十時までに帰れば、麗子には、稽古帰りに仲間たちと食事をしてきたと言えば疑われることはないだろう。とはいえ、埼玉までの往復の時間を考えると、滞在できるのは三十分がいいところだ。そんな短い時間では充分に愛し合うことはできないが、今は仕方がない。

「くそ……、佐藤のやつめ……」

 佐藤とのやり取りを思い返すと、怒りで胸がむかついてきた。

 苦々しい思いだった。あんな男にこれから毎月、三十万もの大金を払い続けることになるなんて……。それも何の見返りもなくだ。だが、弱みを握られているだけに、支払いを拒否することはできなかった。支払いを拒めば、佐藤は躊躇なく麗子に真相を伝えるに違いない。あの男ならば、必ずそうするだろうと思った。

 不用意な発言で、佐藤の機嫌を損ねてしまったのは失敗だった。だが、今にして思えば、佐藤の性格を考えれば、金銭の要求は予想して然るべきだった。あらかじめ予防線を張って、牽制しておくべきだったのだ。麗子から受け取っている金額を正直に伝えてしまったのは軽率すぎた。半分の、五十万とでも言っておけばよかったのだ。

 成功報酬も、一億円という法外な金額を要求されたが、今思えば、これも対策できたかもしれない。例えば、自分から佐藤の貢献度に感謝を示して、彼が受け取る金額の上積みを提案することもできたはずだ。もともと三千万の約束だったから、二千万上積みしても五千万だ。一億に比べたら格段に安い。それでも相手は、こちらの感謝のこもった提案に気をよくしたに違いない。相手をそうやってコントロールすべきだったのだ。事前にもっと頭を使わなかったことを、今さらながら後悔した。

 とはいえ、過ぎてしまったことは仕方がない。これからどうするかが大事だった。しかし、素直に一億円を払う気は、今のところまったくなかった。

「麗子の次は、あの男をどうにかする必要があるかもしれない……」

 自分にとってのフェーズ4は、新たな殺人になるかもしれないなと拓海は思いながら、彼女との逢瀬おうせに思いを馳せた。



       *  *  *



「どうしたの、そんな怖い顔して……」

 拓海は美穂の言葉を無視して部屋に上がり込むなり、冷蔵庫から缶チューハイを取り出して一気にあおった。空になった缶を握り潰すと苛立ちをぶちまけた。

「佐藤のやつ、だんだんと調子に乗ってきやがった。あいつ、麗子の遺産を手に入れたら、一億寄こせって言ってきやがった」

 美穂は目を見開いた。

「一億も!? 信じらんない! 何てがめつい男なの!」

 拓海はリビングの椅子に腰掛けると、佐藤とのやりとりを詳しく説明した。毎月三十万円要求されたことも伝えた。美穂は冷蔵庫の前に立ったまま話を聞いていた。

 彼女が黙ったまま二本目の缶チューハイを冷蔵庫から取り出して渡してくれた。すぐに拓海は缶を開けて飲み始めるが、今度は一気に飲み干すことなく、ゆっくりと喉に流し込んでいく。美穂に怒りをぶちまけたことで、感情の乱れはだいぶ収まってきていた。

「どうするの、一億払うの?」

「わからない。だが払わずに済むのなら、あいつには一銭も払いたくない」

「そうだよね……」

「だが、そうは言っても、あいつに弱みを握られている以上、毎月の三十万は、とりあえず払い続けるしかなさそうだ」

「三十万、大金よね……」

「ああ。だが仕方がない。ここまできたんだ。計画を途中で投げ出すわけにもいかない。もう結婚もしてしまったんだからな」

「そうだよね……」

 拓海はここで、佐藤と別れてからずっと考えていたことを口にした。

「あの女のあとは、佐藤も殺す必要があるかもしれない……」

 美穂の顔から一気に血の気が引いていく。

 もともと美穂は、今回の計画に乗り気ではなかった。その上さらに予定外の殺人となれば、気後れして当然だろう。

 拓海は二本目の缶チューハイを飲み干すと言った。

「美穂、心配しなくていい。今はあの女のことに集中している。佐藤のことは、あの女の件が片づいてからじっくりと検討する」

 美穂は小さくうなずくが、いまだ青白い顔をしていた。

 彼女を元気づけてやりたかったが今は時間がない。今は彼女のことよりも、自分の欲望を優先させることにした。拓海は立ち上がると、スラックスを下ろして言った。

「美穂。今日はゆっくりしてられる時間がないんだ。あまり遅くなると麗子に怪しまれる。だから口でしてもらってもいいか?」

「ええ、もちろん……」

 美穂はすばやく身をかがめて膝立ちになると股間に顔を寄せてきた。

「ごめんね……。こんなことでしか、サポートできなくて」

 美穂は下着を下ろしながら言った。

 自分のものが美穂の口に含まれたとき拓海は思わず顔を天井に向けた。二か月ぶりの感覚だった。彼女の口の中は、痺れるような官能をもたらしてくれた。


 これだ、これなんだ……。ぼくが求めてるのは、これなんだ……。


 麗子も拓海を喜ばせようと積極的に口で攻めてくるが、彼女のそれはプロっぽい感じがして好きになれなかった。とにかく唾液をたくさん垂らして大きな音を立てながらしゃぶる。まるで風俗店でサービスを受けているような感じだった。だが、美穂は違う。拓海の男性器を慈しむように、優しく口に含んでくれる。そこには愛が感じられた。

 絶頂は早くも訪れた。拓海は美穂の頭を両手でつかむと、そのまま口の中に放出した。頭の中がまっ白になる。しばらくそのまま動かずにじっとする。余韻を堪能したかったからだ。見下ろすと、美穂が大きな瞳で見上げてきていた。瞳の奥には、奉仕する喜びのような光が宿っていた。

 拓海は、涙で潤んだ美しい瞳を、そのまましばらく見つめ続けた。

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