打ち上げの光景

 楽屋裏に足を運ぶと、ドア付近でスタッフと談笑している拓海の姿があった。

 舞台が大成功に終わったからか、とても充実した顔をしている。

「あ、麗子さん!」

 声をかける前に彼がこちらに気づく。

「拓海さん、お疲れさま。お世辞抜きで素晴らしかったわ」

 賛辞の言葉を投げかけると、拓海はとてもいい笑顔を見せた。

「ありがとう。そう言ってもらえるとうれしいよ。みんなして、死ぬ気でがんばった作品だからね」

「わたし、拓海さんの演技に鳥肌が立ったわ」

「それは褒め過ぎだよ」

「そんなことないわ。インテリ風の殺人鬼って、怖いけど、何だか惹かれるものがあったわ」

「殺人鬼らしからぬキャラクターを目指したからね。そういえば麗子さん、前のほうで観てくれてたよね?」

「あ、やっぱり見られてたんだ。何度か目が合ったような気がしてたんだけど、何だか恥ずかしいな——」

 と、そのときだ。ここでゾクッと背中に悪寒が走った。何事かと思い、麗子は慌てて振り向いた。

 視線の先に、小柄な女の姿があった。赤いスポーツキャップを目深に被り、セルフレームの眼鏡と白いマスクで人相を隠している。表情は読み取れなかったが、強い嫉妬心が遠目からでも感じ取れた。

 女は人でごった返している廊下の壁に張りつくようにして立っていたが、こちらの視線に気づくと背中を向けて去っていった。

「拓海さん。今の人、見た?」

「ん? どの人?」

 拓海は遠くを見るような視線を麗子の背中越しに向ける。

「赤い帽子被ってて、眼鏡とマスクしてた女の人なんだけど……」

「いや、わかんなかったな。その人がどうかした?」

「何だかちょっと、見られてたような気がしたから……」

 拓海が怪訝そうな顔をした。

「気のせいじゃない?」

「そうだったら、いいんだけど……」

「それより、これから打ち上げなんだけど、よかったら麗子さんもどう?」

「え、いいの? わたし、部外者だけど……」

「だいじょうぶだよ。関係者以外の人もたくさん来るから、麗子さんさえよければぜひ参加してもらいたいな。話したいこといっぱいあるし」

「そう? なら、遠慮なく参加させてもらうわ」



       *  *  *



「麗子さんは、何してる人なんですかぁ?」

 テーブルの向かいから質問が飛んできた。

 今の質問に、興味深げな視線が、いくらかこちらに集まってくる。

「普通のOLですよ」

「えー、そんなわけないでしょ? 普通のOLが、そんな美人なわけないじゃないですかぁ。モデルさんとかじゃないんですかぁ?」

「違いますよ」

 麗子は苦笑しながら答えた。

 向かいの席から質問を飛ばしてきたのは、今日の舞台にも参加していた役者の一人で、仲間内からリョウと呼ばれていた。年齢は二十代の前半といったところか。美人の部類に入るだろうが、若干しゃくれ気味の顔で、骨太で豊満な体つきをしている。顔立ちや話し方の響きから、若干気の強そうな感じが伝わってくる。語尾が間延びしてるのも、聞く者によっては苛立ちを覚えるだろう。

「拓海さんとは、付き合ってるんですかぁ?」

 再びリョウから質問が飛んできた。

 プライベートな質問に、隣に座る拓海が苦笑気味に言った。

「リョウちゃん、そういう質問は控えてよ。麗子さん、困ってるじゃないか」

「だってそこ、いちばん気になるとこじゃないですかぁ。で、実際のとこ、どうなんですか?」

「ぼくと麗子さんは、ただの友だちだよ」

「えー、つまんなーい。すっごいお似合いなのにー」

 拓海が隣で苦笑している。

 今度は麗子が逆に質問をした。

「あなたはいないの? お付き合いしてる人」

 とたんにリョウが悲しい顔をして見せた。

「それがいないんですよぉ……。麗子さん、誰かいい人、紹介してくれませんかぁ」

「わたしの会社は、おじさんばかりだから」

「いいですよ、おじさんでも! あたし、年上大好きですから。あ、でも、お金持ってる人限定ですけど」

 この発言に、大きな笑いが起こる。

 再び質問が飛んでくる。

「それより麗子さんは、今、付き合ってる人いないんですか?」

「いないわよ」

「ええー、もったいない。そんな綺麗なのに。だったら拓海さんと、付き合っちゃえばいいじゃないですかぁ」

「リョウちゃん、もういい加減にしてくれよ」

 拓海が困った顔をしながら彼女をたしなめる。

 しかしリョウのほうは、まったく意に介する様子もなかった。

「麗子さん、おかわり、何にします?」

「じゃあ、レモンサワーをお願い」

「レモンサワーですね。じゃ、あたしも同じのにしよ」

 リョウが店員を呼んでる間、拓海は下を向いて指先をいじっていた。

「どうしたの?」

「いや、さっきから、ささくれが気になってね」

「ああ、わかる。一度気になり出すと、取れるまで落ち着かないのよね」

 居酒屋のお座敷が打ち上げの場だった。三十人ほどはいるだろうか。関係者とその友人知人が集っていて大いに盛り上がっている。演劇に携わっているからか、自己主張が強そうな面々が揃っているようで、その証拠に、隣のテーブルでは、互いの演劇論を口論するようにぶつけ合っている。

 ここで、少し離れた席から、絶叫に近い爆笑が起こる。そこの一画は、先ほどから、他の客が迷惑していると思われるほどの騒ぎ方をしていた。

「ごめんね。あいつら、ちょっとうるさいよね。注意してくるよ」

 拓海はそう言って立ち上がると、離れた席にいる仲間たちのほうに向かっていった。

 場がいくらか静かになり、拓海はすぐに戻ってきた。

「いつもああなんだ。お酒が入るとハメを外しちゃうんだよね。貸し切りだったら大目に見るんだけど、そうじゃないからね」

「ちゃんと注意してえらいわね」

「こういうのは、年長者の仕事だからね」

 先ほどからプライベートな質問を浴びせてきていたリョウはといえば、今は隣の男と楽しそうに話していた。本日の舞台の脚本家で、田中という名だ。麗子は隣に座る拓海といっしょに彼らの会話に耳を傾けた。

「最高の映画監督の一人に、ラース・フォン・トリアーは外せないよね」

「誰それ?」

「知らないの? 役者やってるなら、ラース・フォン・トリアーは押さえとかなきゃ」

 脚本家の田中は呆れ顔で言った。

「その人、どんな映画撮ってるの?」

「いちばん有名なのは、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』かな。知ってる?」

「知らない」

 リョウの回答に、田中は再び呆れた顔をした。

 話を聞いていた別の女性が割って入ってきた。

「ああ、わたし、あの映画ダメだわー。観たあと、気分悪くなっちゃったもん」

「グロいの?」

 リョウが聞く。

「グロくはないけど、何か救いがないって感じ」

「あれがいいんだよ。バッドエンドだからこそ、強く訴えかけてくるものがあるんだよ。ハリウッド映画みたいに、何でもかんでもハッピーエンドじゃ、つまんないだろ」

「そうかなぁ」

 田中は続けた。

「あと、ラース・フォン・トリアーのすごいとこは、普通の映画って、濡れ場とかって擬似の演技じゃん? だけど彼の作品は、役者にガチでセックスをさせるんだよ」

「ええ、マジ?」

 リョウともう一人の女性は、驚きながらも話に食いついている。

「それがマジなんだよ。監督は偽物じゃない本物の映像にこだわっててさ、『マンダレイ』って作品じゃ、正常位で攻めてる俳優を後ろから映してるんだけど、黒人俳優の金タマがモロ見えだったからね」

「やだぁ。モロ見えってー」

 女性陣が愉快そうに声を上げたところで、隣に座る拓海が声をかけてきた。

「麗子さん、ごめんね。品のないやつばかりで」

「ううん、だいじょうぶ。わたしも楽しんでるから」

 今の発言に、田中がうれしそうに反応した。

「ラース・フォン・トリアーは、麗子さん、知ってました?」

「もちろん。わたしは、『ドッグヴィル』が好きかな」

「ああ、『ドッグヴィル』、いいですよね! 『マンダレイ』は、あれの続編ですからね。ちなみに、ラース・フォン・トリアーの撮影って過酷らしくて、撮影中の俳優たちが監督に愚痴をこぼしているだけのドキュメンタリー映画とかも作られてるんですよ」

 田中は目を輝かせながら説明した。

 それから拓海も交えて映画談義に花を咲かせた。リョウはあまり映画の話題には興味がないらしく、隣の女性と恋愛論を語り合っていた。

 しばらくして、映画談義に演出家の男も加わり、シナリオの構成やカメラワーク、構図、色調といった、かなりマニアックな話に移っていった。

 そんな中、スーツを着た男がやって来て拓海の隣に座った。三十代半ばくらいの野生的な顔つきの男で、日に焼けた顔には尊大さが貼りついている。舞台を観にくるようなタイプには見えず、どういう関係でこの場にいるのかわからなかったが、男は座るなり拓海の肩を抱いて言った。

「拓海君、元気?」

「ええ、まあ」

「今日の演技、いい感じだったよ」

「ありがとうございます」

 拓海が愛想笑い浮かべて応じる。

 ここで男はリョウに顔を向ける。

「リョウちゃん、久しぶり」

「あ、お久しぶりです」

 リョウは拓海と違って満面の笑みで応じる。

 次に男は、拓海を間に挟んで麗子に声をかけてきた。

「はじめまして、ですよね?」

「ええ、そうですね」

「ササクボっていいます」

「どうも。新庄麗子です」

「麗子さんですか。ここの舞台は初めて?」

「ええ」

 この間、拓海は間に挟まれて居心地の悪そうな顔をしていた。

 リョウが割って入ってくる。

「ササクボさん、仕事は順調なんですか?」

「ああ、順調だよ」

 仕事の話を振られたことがよっぽどうれしかったのか、ササクボと名乗った男は酔った顔に満面の笑みを浮かべた。

 ササクボは拓海の肩に手を置いたまま、麗子を意識した様子で拓海に話しかける。

「拓海君って、バイトしながらお芝居やってるんだよね?」

「ええ、まあ」

「出演料なんて大したことないんだろ?」

「まあ、そうですね」

 拓海が苦笑しながら答える。

「ってことは、主な収入源はバイト代なわけだよね? 年収で二百万くらい? いっても三百万くらいだろ?」

 相当失礼なことを言われているが、拓海は苦笑こそすれ、別に腹を立てている様子はなかった。むしろ、脚本家と演出家の男のほうがササクボの発言に気分を害しているように見える。

「おれってさ、自慢じゃないけど、年収一千万超えてるんだよね。いちおう取締役っていう肩書きもあってさ」

「へえ、それはすごいですね」

 拓海は穏やかな笑みを浮かべて答える。

「だから拓海君もさ、おれと年齢そんな変わんないんだから、いつまでもフリーターってのはないんじゃないかな。夢を見るのはいいと思うけど、そろそろ身の振り方を考えたほうがいいと思うよ」

「取締役ってすごいですよね♪」

 リョウが興味津々といった様子で割って入ってくる。

 気をよくしたらしいササクボは、拓海の肩から手を離して、テーブルに身を乗り出すようにして話しはじめた。

「いちおう、うちの会社で最年少の取締役なんだよね。まあ、IT企業って年功序列とか関係ないからさ、実力さえあれば、どんどん上にいける環境なんだよね」

「へえ、そうなんですねぇ」

 リョウが目を輝かせながら相づちを打つ。

「でもそれって、会社の中でだけ通用する肩書きですよね」

 得意げな顔に向けて、麗子が言い放つ。

 場が一瞬で凍りつく。拓海が驚きの表情を浮かべて麗子を見る。

 言葉を失っているササクボに向かって、麗子はさらに畳みかける。

「会社でしか通用しない肩書きで虚勢を張るのは、会社の中だけにしたほうがよろしいんじゃないですか?」

 拓海の隣に座るササクボはショックを受けたように固まっていた。まわりも、どうリアクションをとっていいのかわからない様子だ。しばらくしてササクボは、動揺した顔で立ち上がると、ちょっとおれ、トイレ行ってくる、と言って逃げるようにして席を離れていった。

 演出家の男が愉快そうな顔をして言った。

「ガツンと言いましたねぇ」

「つい、ね。ちょっと大人げなかったかもだけど」

「いいんですよ。ああやって肩書きでマウントとってくるようなやつにはガツンと言ってやったほうがいいんですよ」

「でも、年収一千万は魅力でしたけどね」

 リョウの言葉に笑いが起こる。

 麗子は時間を確認すると言った。

「わたし、そろそろ帰らないと」

 脚本家の田中が目に見えて落胆した。彼は懇願するような感じで聞いてきた。

「麗子さん、二次会は参加しないの?」

「ええ。明日は朝早くから予定があって」

「そうなんだ……」

 麗子は連絡先を聞かれては面倒だと思い、すぐに拓海に顔を向けて財布を取り出した。

「いくら払えばいいかしら?」

「いいよ。麗子さんの分は、ぼくが出しとくから」

「そんな、悪いわ。五千円くらいでいい?」

「そんないらないよ。じゃあ、二千円だけもらってもいい?」

「二千円でいいの?」

「うん。だいじょうぶ」

 拓海は、麗子が渡した札を財布にしまうと言った。

「駅まで送ってくよ」



       *  *  *



「今日は来てくれてありがとう」

 二人して細い路地を駅に向かって歩いていく。

 駅までは、五、六分ほどの距離だ。

「あと、さっきはごめんね。何かリョウちゃんが質問攻めにしちゃって」

「ううん、全然。にぎやかで、とても楽しかったわ」

「ちょっと、にぎやか過ぎだったけどね」

 拓海が苦笑気味に答える。

 路地を抜けて商店街が立ち並ぶアーケードに足を踏み入れる。遅い時間なだけにシャッターが降りている店が多かった。

「盛り上がって当然よ、舞台が成功したんだから。あ、そうだ。今さらだけど、二日間お疲れさまでした」

「ありがとう。よかったらまた、近いうちに会えないかな」

「ええ、もちろん。今度は二人きりで、ゆっくりお話ししましょう」

 ここで、ギターの演奏に乗った歌声が聴こえてくる。見ると、視線の少し先のほうで、着崩した服装をした男が路上ライブをしている姿が目に入ってきた。男はシャッターを降ろした店先の一つで、フォークギターをかき鳴らしながら叫ぶように歌っている。オリジナルソングのようだったが、平凡な楽曲で、歌唱に関してもお世辞にもうまいとは言えなかった。通行人は誰も立ち止まることなく素通りしていく。麗子は通り過ぎる際、足元のギターケースに目を向けた。いくらかの投げ銭が目に留まった。ギターケースの中の赤いベルベットっぽい生地の上に、千円札が数枚と無数の硬貨が散らばっていた。おそらく本人が入れた、見せ金も入っていたことだろう。

 通り過ぎると、麗子は口を手で隠して言った。

「彼、あまり歌、上手じゃないわね」

「ああ、確かに」

 二人で顔を見合わせて小さく笑った。

 そこでいきなり、拓海がしゃがみ込んだかと思うと、落ちていた空き缶を拾った。その姿に麗子は感心して言った。

「拓海さん、えらいわね」

「そう?」

「ええ。わたしなら無視しちゃうもの」

「好感度、上がったかな?」

「ええ、だいぶ上がったわ」

「じゃあ、狙い通りだ」

 麗子は思わず吹き出してしまう。

「拓海さん、面白いわね」

 そうこうしているうちに駅に着く。

 改札の前まで拓海はついてきてくれた。とはいえ、電車を利用するつもりはなかった。

「わたし、ちょっとコンビニ寄ってくから」

 改札をくぐらないための口実だった。

 拓海はこちらの正面に立つと、改まった感じで言ってきた。

「麗子さん、今日は本当にありがとう」

 彼が右手を差し出してきたので、麗子はその手を握った。彼の手は大きくて、とても温かかった。手を握っただけなのに、なぜか心が休まった。

「いえいえ、こちらこそありがとですよ。また誘ってくださいね。これから二次会でしょ? 楽しんできてね」

「うん。じゃあまた。気をつけて帰ってね」

 歩き去る拓海の背中を見送ると、麗子はタクシー乗り場に視線を向けた。乗車を待つ客が、四、五人ほど並んでいる。乗り場で待つのは面倒だと思い、迎えを寄越すことにした。

 スマホを鳴らすとすぐに応答があった。

「沢尻さん、悪いけど今から迎えに来てもらえる?」

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