死刑囚の父と話す

 刑務所の面会室に見立てているのだろう。向かい合わせた二つの机の間には、アクリル板が立てかけられていた。

「久しぶりだな……」

 年長の男が先に口を開く。

 向かいには、拓海演じる面会人が座っている。

「そうだね。ここ最近、バイトが忙しかったから」

「そうか」

「お父さん、少し痩せた?」

「ああ、痩せたかもしれないな……」

 どうやら二人は親子という設定のようだ。

 舞台の題名が、『死刑囚の父と話す』だから、父親は極刑になるほどの重い罪を犯したことになる。

「父さんのこと恨んでるよな」

 寂しげな表情で父親役の男が聞く。

「まあ、恨んでるっていえば恨んでるかな。お父さんのせいで、お母さんは自殺したわけだし」

「そうだな……」

「でもぼく、お父さんが何人もの女の人を殺したことについては、とくに何とも思ってないんだ。ぼくが納得いかないのは、警察に捕まったことなんだ。捕まりさえしなければ、お母さんも死ななくて済んだわけだし……。お父さん、何で捕まったんだよ」

 父親は大きく首を横に振った。

「捕まらないなんて無理だ。日本の警察は優秀だからな。遅かれ早かれ、逮捕される運命だったんだ」

「でも、死体を山の中に埋めるとか、海に沈めるとかしていれば、警察の捜査をもっと撹乱かくらんできたはずだろ。何でそうしなかったんだよ?」

「そんなこと、できるわけないだろ」

「何でさ」

「それじゃあ、被害者たちが可哀相じゃないか」

「何で可哀相なんだよ」

「あんな酷い殺され方をしたのに、山に埋めたりなんかしたら、誰にも気づいてもらえないんだぞ。おおやけにしてあげなきゃ、同情すらされなかったんだぞ」

「死んだら同情も糞もないじゃないか」

 息子の言葉に、父親役の男は不機嫌そうな顔をして下を向いてしまう。

 しばし沈黙が続いたあと、父親役の男が聞く。

「ミユキはどうしてる?」

「どうだろ。最近会ってないからな。でもあいつが面会に来ることは期待しないほうがいいよ。妹はぼくと違って、お父さんのこと理解できないから」

「そうか……。まあそうだろうな……」

 父親は落胆するようにうなだれた。

 またしばし沈黙が続いたあと、息子が言った。

「お父さん、連続殺人犯はね、自分の犯行を知ってもらいたくて、逮捕されるまで犯行を重ねるらしいんだ。お父さんも、そうだったの?」

「さあ、どうだろうな……」

 父親はそう答えると下を向いて黙ってしまう。

 しばしの沈黙後、息子が口を開く。

「最近さ、ぼくはやっぱり、お父さんの子どもなんだなって思うことがあるんだ」

 父親が興味を示すように顔を上げる。

「でもぼくは、お父さんよりも上手くやるつもりだよ」

 父親は一瞬息を呑み、驚いた顔で息子を見る。

 息子は不敵な笑みを浮かべている。

「警察は甘くないぞ」

 父親は厳しい表情で息子に言った。

「そうかな?」

「現に父さんは捕まった」

「ならそれを、反面教師にさせてもらうよ」

 父親は厳しい表情を息子に向け続ける。

「殺すのは簡単だが、逃げ切るのは簡単なことじゃない」

「ほんとにそうかな」

 父親の忠告を、息子は涼しい顔で受け流す。

 あきらめに似た表情を浮かべる父親。

 息子は時計を見ると言った。

「お父さん、ぼく、そろそろ行くよ」

「そうか……」

「じゃあ元気でね。また会いにくるよ」


     +   +   +


 刺した。女が驚いて目を見開く。

「ど、どういうこと……」

「こういうことさ」

 拓海演じる主人公は、不敵な笑みを浮かべて答える。

 設定は森の中。女は殺人鬼の誘いに乗り、何も疑うことなくこの場にやって来たのだ。

 拓海演じる殺人鬼が、恍惚こうこつとした表情を浮かべて女に言う。

「知ってるかい? 八百度以上の熱にさらされると、人は骨まで灰になるんだよ——。今から君は、そんな灼熱の炎に焼かれて、この世界から完全に消えてなくなるんだ。そして同時に、ぼくが犯した犯罪の痕跡すら残らなくなる——」

 拓海の足元に崩れ落ちる女。


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 数メートル先に拓海がいる。麗子は普段とは違う彼の姿に感銘を受けていた。

 百席ほどのパイプ椅子が並べられた小劇場は満席だった。劇場内にはいい緊張感が漂っていて、観客全員が、作品に没頭しているのが雰囲気から察せられた。

 麗子が座っているのは、中央の前のほうの席だ。舞台との距離が近いだけに、役者たちの熱量が直に伝わってくる。彼らの息づかいや細かい表情も読み取れ、あたかも作品の世界に入り込んでいるような臨場感があった。

 物語のほうは、以前拓海が語っていたように、エンターテイメント性に富み、役者の確かな演技力もあって、とても見応えがあった。拓海演じる残忍な殺人鬼が狡猾な方法で女性たちを殺害していく。彼はいっさいの証拠を残さず、完全犯罪を目指すが、父親が有名な連続殺人鬼であることから警察に目をつけられてしまう。

 話はクライマックスに向かって加速していく。麗子はラストに向けて期待を膨らませた。


     +   +   +


「刑事さん、ぼくがやったっていう証拠でもあるんですか?」

 拓海演じる主人公が自信満々に言い放つ。

 何も言えずにいる刑事たちに向かって拓海は続ける。

「ぼくのことを疑う前に、早く彼女たちを見つけてくださいよ。でなきゃ、助かる命も助からなくなる。そうでしょ、刑事さん?」

「お前!」

 若い刑事が拓海につかみかかろうとする。それを先輩刑事が押しとどめる。

「カタギリ。やめるんだ」

「だけどノジマさん、こいつは——」

「いいから、今はやめておけ」

 若い刑事が渋々といった様子で拓海から身を引く。

 拓海は澄ました顔で言った。

「刑事さん、憶測だけで決めつけるのはやめてください。とても不愉快ですから。警察に疑われたってだけで、ぼくを犯人扱いする人もいるでしょうし、そうなったら本当にいい迷惑ですよ。とにかくこんなところで油を売ってないで、もっと身のある捜査をしてください。こんなこと、ただの税金の無駄遣いでしかないですから。お願いしますよ。ではぼくは、これで失礼します」

 拓海が舞台から去っていく。

「あいつ、父親と同じサイコパスですよ」

 若い刑事が苦々しげに言い放つ。

 年配の刑事が静かに同意する。

「ああ、どうやらそのようだ。殺意のDNAは、息子にも遺伝したようだな。それに息子のほうが、父親よりも狡猾だ——。だがあの男が言うように、われわれには証拠がない。あの男がやったという証拠がなければ、逮捕することもできない。仮に状況証拠だけで逮捕したとしても、あの様子では自白は望めんだろう。残念ながら、今のわれわれには何もできないということだ」

「ちっ。殺人鬼が野放しだなんて……」

「カタギリ、待つんだ。あの男が父親と同じように、ミスをするのを辛抱強く待つんだ」

「だけどそれじゃあ、次の被害者が出てしまうじゃないですか」

「それはおれも辛い。だがあの男のミスを待つ以外に、おれたちにできることは何もないんだ」

「ああ、くそっ」

 若い刑事が天を仰いだところで、照明が消えて会場は暗闇に包まれる。


 舞台が再び明るくなると、面会室のセットに切り替わっていた。

 すでに、父と息子が向かい合って座っている。

「はじめて、しまったのか……」

 父親が苦しげな声を出す。

 息子が笑みを浮かべて答える。

「わかる?」

「ああ、その目を見ればな……。もう一度だけ忠告する。手遅れにならないうちに止めるんだ」

「止められないのは、お父さんがいちばんよくわかってるんじゃないの?」

 父親は痛いところを突かれたというような顔をした。

 息子は涼しい顔をして続ける。

「実はね、お父さんの息子だっていうことで、警察からさっそく目をつけられてしまったんだ。でもね、そのくらいのハンデがあったほうが、警察とのゲームを楽しめると思うんだ」

「ゲームか……」

 父親は少し呆れたようにつぶやく。

「そう、ゲームだよ。人生を賭けた、スリリングなゲームさ」

「前にも言ったが、警察はそう甘くないぞ」

「ぼくも言ったよね、お父さんを反面教師にするって——」息子は父親を諭すような口調で言った。「犯罪者にはね、犯行の癖ってのがあるらしいんだ。お父さんも、毎回似たような方法で女性を殺してきたよね? そういう犯罪者の癖が、逮捕の原因につながってしまうんだ。だからぼくはそこを、意図的に変えていくつもりなんだ。確かに、お父さんが言うように日本の警察は優秀だよ。相手はとても大きな組織だから、多勢に無勢かもしれない。でもさ、遺体さえ見つからなければ、警察だって動きようがないんだよ。それに凶悪犯罪はひっきりなしに起こってるんだ。警察だって、ぼくのことばかり気にかけてはいられないはずだよ。だから慎重に行動しさえすれば、ぼくはこのスリリングなゲームを永遠に続けることができると思っているんだ」

 父親は苦々しい顔で息子の話を聞いている。

 拓海演じる息子の発言は、徐々に熱を帯びていく。

「きっと、この日本にだって、最後まで犯行が表沙汰になることなく生涯を終えた殺人鬼がいるはずだよ。現役の殺人鬼だって少なくないはず。むしろ、いないほうがおかしいよ。そうでしょ? だって一億人以上もの人間がこの日本には住んでいるんだから。きっとそういう殺人鬼たちは、犯罪を芸術にまで昇華してきた人たちなんだよ。天から授かった華麗なる才能を遺憾なく発揮して、警察をあざ笑うかのように、彼らは犯罪ライフを謳歌してるのさ——。お父さん、ぼくはその域まで達するつもりだよ」

 息子の言葉に、父親は頭を抱えた。

 照明が落ち、舞台が暗くなる。


 舞台が再び明るくなると、舞台中央には拓海演じる主人公の姿があった。

 樹木を模した大道具が左右に並んでいる。公園、もしくは並木道を表しているのだろう。

 BGMで、バッハの『G線上のアリア』が流れ出す。美しくもあるが、その切なげな音色に、舞台は幻想的な空気に包まれていく。

 中央に立つ拓海のもとへ、若い女が駆け寄ってきた。

「ごめんなさい、お待たせしちゃって」

「だいじょうぶ、ぼくも今来たところだから。それじゃ行こうか」

「うん」

 並び立った二人が、背を向けて舞台の正面奥に向かって歩いていく。

 新たな犯罪を予感させながら、舞台の照明がBGMとともにフェードアウトしていく。そして暗闇と沈黙が訪れた。

 次の瞬間、終幕を知った観客たちから盛大な拍手が湧き起こった。しばらくして照明が灯り、カーテンコールのために演者たちが舞台に姿を現した。

 中央に立つ拓海に向かって、麗子は大きな拍手を送り続けた。

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