第一幕 ハイヴァリアの黒魔術

第9話 宝石

酔いは醒めたか?



1


 デンテ。青年の名前。

 最近田舎から人里へ下りてきた20歳の人間である。特技は家事と運動。

 つい先日デンテは、ある少年――鉱石屋セシル・アルライト――に祖母の形見である、魔力の宿った原石を調べて欲しいと依頼した。そして、その依頼料代わりにデンテはセシルに雇われることとなる。

 セシルとデンテが滞在している町、ハイヴァリアには大がかりで強力な魔法がかかっていた。その名を、「衝動の呪いカース・インパルス」。

 セシルはその魔法を解くように依頼され、数ヶ月の間調査に奔走し……デンテを雇い入れたのと時を同じくして、ハイヴァリアの領地を治めるハイヴィーク家と接触、紆余曲折あって、無事事件についての情報を手に入れることが出来たのだった。


 ……と、それが一週間前の話である。

「状況進展、ナシ」

 デンテはがっくりと肩を落とした。その右手には木製に銀の金具がついた竹箒が握られている。彼の肩から膝の辺りにかけて、抹茶色を濁らせた落ち着いた色合いのエプロンがかかっていた。下は薄白なフード付きのトップスに暗いハーフパンツを合わせ、独特な雰囲気を醸し出している。そして、頭にはエプロンと同じ素地の三角巾。

 デンテは床の塵一つない木目を睨むように顔を険しくした。

「僕、いつまでここで家事してるのかな……」

 既に綺麗な床を一定の速度でさかさかと掃く。

「大体、一緒に頑張るって宣言したのにここ一週間なーんにもしてないし」

 デンテの愚痴が狭い空間によく響く。

 ここはセシルが仮に定めた拠点……らしい。どうも本人的にはそうらしいが、デンテにはむしろセシルの本当の家だと言われた方が納得できるほど、物は多く、生活感があり、何よりも彼の性格を良く表していた。

 入り口から入って、すぐ真横には大きい本棚が二枚。その隣には木のフレームが付いたガラス棚があり、中には青や黄、白の鉱石たちが鮮やかに発光している。中央にはこじんまりとしたテーブルと、深い赤のソファに大小様々な薄橙のクッション。フローリングの床に敷かれたラグは、濃い藍色ながらも暖かみがあった。

 他にも、ラグと同じ色のカーテンとタペストリー、天井の柔らかな橙色の大きなランプ、採光用に開けられた壁の小さな窓など、床にも壁にもところ狭しと物がずらりと並んでいる。が、ごちゃごちゃしてはいても、散らかっているという印象ではなく、むしろ感じの良いセンスの家具たちであった。

 しかしながらそれらが大変場所を取っているのは事実であったので、元々狭くない部屋が更に狭く感じるのは店としてあまり良くないとして、今、デンテが店内の整理整頓を自分から請け負っている。

 家具たちの主人であるセシルは、「勝手にやって」といった態度であった。


 掃除がひと段落し、使わないであろう家具を一通り裏の倉庫に押し込んだところで、ふぅ、と一息吐く。

 最近セシルから教わった「コーヒー」を淹れて、ミルクを少しと角砂糖を3つ入れた。そのままソファに深く沈み込む。まず一口。少し苦い。少年に子供舌だとからかわれたことを思い出しながら、複雑な気持ちで角砂糖を追加する。

 デンテは目線をコーヒーから横にずらして、店の奥の方を見た。そこには、重厚感のある艶やかなカウンターが構えている。この店内において、最も存在感のある家具だった。カウンター内は床より1m程高く上げ底がされており、それでできた上げ底の下の空間には、セシルが仕事で使うのであろう奇妙な道具が大量に入っている。

「お客さんも来ないしなぁ」

 本来であれば店主が座っている筈のカウンターには誰もいないので、実のところ誰か客が来てもデンテには接客の仕方は分からないためにあまり来て欲しくない。しかし現状に於いて、その事実を覆す程にデンテは暇だったのだ。

 業務内容には含まれていないが、やることもなく、ただそこに突っ立っているだけではどうしても心が休まらなかったデンテは、主の許可を取って、その店の主が消えた今もせっせと部屋の片付けに勤しんでいる。

「もう片付けも掃除も完璧」

 ピカピカに輝いた窓の下桟を眺めてぽつりと呟いた。

「食料も十分にある」

 カウンター裏の床下に設置された冷暗室を覗き込む。

「洗濯は終わってるし」

 窓の外で干されているささやかな衣類がはためいた。

「洗い物も繕い物も特にない」

 そこまで指差し確認をして、デンテはため息を吐いく。

「……そしてお客さんはいない、と。勿論仕事もない」

 反対側のドアにくくりつけられた鈍い金色のベルを見やった。振動の伝わることのないベルは、当然鳴ることもない。

「うーん……」

 どうやら本格的にやることがなくなったらしかった。



2


「休憩か?」

 デンテの耳にアルトの高めな声が響く。音の方に目を向けると、少年がひょこりとカウンター裏のドアから顔を覗かせた。この家の主人、セシルである。いつものオーバーオール姿とは違い、厚いカーキのつなぎを着ていた。

「というか、やることがなくなっちゃった」

 肩を竦めて呟くと、セシルは苦笑して、

「ま、流石に一週間も家事仕事だとそうなるよな」

 と言った。分かっているのだったら自分にも何か別の仕事を、とこっそり思ったが、ここ一週間自室にこもっているセシルの様子を見るに、自分に仕事を回す余裕などないことは理解していたので心の中に留める。

 デンテは家事仕事が好きだし、実際「家事は天井のない仕事」とも言うのだから、家事仕事を与えて放置しておく方針を採るのは良采配であった。

「これ」

 革の手袋を付けたセシルの手が、何かをつまんでいる。

「? なにこれ……?」

 よく見ると、そこには可憐な薄水色の宝石の姿があった。大きさにして約5mm程の小さな宝石。石に心当たりのないデンテが疑問を投げると、

「先週ハイヴィークの屋敷で貰った、『魔術事件に関する情報』」

 とセシルが返した。デンテは目を丸くする。

「え、これが? 前にみた木箱はもっと細長くて大きかった気がするけど……」

 そう、以前ハイヴィーク公から貰った依頼報酬が入った木箱はもっとずっと大きかった。この宝石だけ入っていたなんてサイズ感の剥離にも程がある。この位の大きさの石であったら、デンテの祖母の形見のように両手でしっかりと包み込める大きさが常であるはずだ。

 それに、こんなに小さな石が「情報」だなんて。この石がもたらす情報量はそれほど多いとは思えない。

 そんなデンテの疑惑を孕んだ目を受けて、セシルが目を逸らしながら重そうな口を開く。

「あー……中身が相当厄介な魔法がかかっててな。解くのに随分時間かかった上に解いたら小さく変形したんだ。……魔法が展開する情報伝達系の魔道具だと思ってたから、最初不用意に開けて危うく死ぬところだった」

 最後の言葉に、デンテはセシルをじとりと睨んだ。

「出会った時にも思ったけど、君のそういう危機管理の無さ良くないと思うよ。」

「う……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る