第10話 来訪者


1


「……それで、その宝石に一体どんな情報が?」

 なにか魔法でもかかっていない限りは、こんな小さな石に情報なんて詰められないのではないだろうか。新しい魔法が見られるかもしれない、と少し期待する。

 無論その魔法、もとい魔術のせいで大変な事態に発展しているのは分かっているのだが、未知ゆえの好奇心は止められないかった。

 デンテの問いに、セシルは素早く首を振り、

「いや、これ自体が情報って訳じゃなくて……」

 と説明しようとした時。


「誰かいらっしゃいますか!!??」

 ドアが勢い良く開いた。沈黙を貫いていた金のベルががらんと大きな音を立てる。

「うわ!?」

 驚いてコーヒーのマグを思わず落としそうになり、デンテは慌てて両手で強く握り込んだ。冷めきっていなかったマグは、まだ両手で握るには熱すぎたらしい。手の平に伝わる熱に一瞬怯むも、動転した頭ではマグをテーブルに置くという思考をするに至らない。

 それでも半ば反射的に後ろを振り向くと、小柄な女性が大柄の男を必死に抱えて立っているのが見えた。背丈が足りていないのだろう、男の膝から下は地面に接しており、革製のブーツには土汚れが目立つ。男は毛皮を着込んでいるようであった。

「この方を……! 助け、て下さい!」

 息も絶え絶えに少女が叫んだ。いつの間にやら少女と男に近寄ったセシルが、男の額辺りの髪を払って顔色を伺う。

「見たとこ軽い栄養失調と……殴打痕か」

 確かに男の筋肉のついた顔と首元には、赤黒い打撲傷と青あざが目立っていた。それを見てデンテは刹那呼吸を止めたが、よく見れば傷の端々が白みはじめている。治りかけの傷だ。

 握り込んでいたマグを放るようにテーブルへ乗せ、ドアの近くに立ち通しだった少女に駆け寄る。

「大丈夫……? 君も顔色良くないよ」

「い、え……お構い無く……平気、ですから。少し疲れた……だ、け……」

 少女は囁くように語調を静めながらふらりとデンテの方へと倒れ込んだ。本人の言とは真逆に、全く平気そうではないのが一目瞭然だった。飛び込んできた少女の細い体躯はデンテの体温よりかなり冷たかったが、額の熱が尋常ではない。

「わっ! 大丈夫!?」

 慌てふためくデンテが支えている少女を一瞥して、セシルが呟いた。

「重度の魔力切れだ……男よりこっちの方が重症か」

 「魔力は生命エネルギー」というセシルの言葉を思い出して、生命エネルギーたる魔力がなくなったらどうなってしまうのかを想像する。重大な生命の危機であることは想像にかたくない。

「えっ、えっと、どうすれば……!?」

「一旦落ち着け。オレは治療道具持ってくるから、二人をソファかなんかに寝かせといて。怪我してるところは服から出して。あとそっちの女はオレが何とかするから、安静に」

 そう言ってセシルは店の裏へ駆け足で戻って行く。

「わ、分かった!」

 デンテは勢い良く返事を返した。



2


「『魔力転移ラ・セントス』」

 柔らかな白い光が部屋中を包み込む。セシルは少女の胸の上に翳した拳を引いて、詰めていた息を吐き出した。

「おー……結構顔色が良くなってきた」

 少女の顔を覗き込み、生気が戻ってきたのを確認する。魔力不足は自力回復で多少緩和されるが、少な過ぎる魔力のまま放っておくのは良くない、とセシルは言った。

 デンテは手のひらを見つめる。セシルから無造作に渡された石の真っ白な色がみるみる内に暗くなっていくのが見て取れた。

「これで一応安心だ。……男の方はどうだ?」

「あっ、こんな感じで良いかな?」

 消毒用の液体を塗った上に布を当てて、包帯を巻いただけの簡単な手当てだが、傷の比較的浅い部分はこれで良いと思う。

「うん、大丈夫」

 セシルは頷き、反対側のソファに腰かけた。デンテは再度二人の来訪者を見やる。二人の格好は似ても似つかない。服装と少女の言葉から考えるに、二人の付き合いはそれほど長くないように見えた。自分もソファに落ち着いて、すっかり冷めたコーヒーを口に含みながら男の包帯で隠された腕と首元に視線を移す。

「この人の傷、まさか自分でやったはずないだろうし、もしかして誰かに……」

 現実を直視したくないささやかな抵抗を振り切って口に出した嫌な予感は、自分の耳に届き、なんとなく鬱っぽい気分になった。「可哀想」だとか、心配するような他人に向ける感情より先に、痛い、辛い、という擬似的な共感が渦巻く。

 セシルは厳しい表情で頷いて、

「十中八九そうだろうな。となると考えられるのは、魔獣か賊に襲われた、もしくは例の魔術の被害にあった、か」

 と返した。

 魔獣は二回ほど出会ったことがあるが、賊にはまだ会ったことはない。デンテの脳内にある「賊」のイメージは、巨漢の男たちが王女の乗る馬車を襲撃するものである。金目のものを奪うのだったら、この男を襲う理由があるのだろうか、とデンテは思った。それとももしかしたら、このなりで凄いお金持ちなのかも。

 後者の方は、最近よく聞くようになった馴染みのない語である。確か名前があるのだったか。

「例の魔術って、カース……えっと?」

 疑問符を浮かべるデンテに、

「『衝動の呪いカース・インパルス』。それで凶暴化した住民に襲われたのかもしれない。……ただ、オレがこの町に来た時は、人を襲うほど精神をやられた奴は既に、他の住民達に地下やら小屋やらへ隔離されてたんだが」

 とセシルが答えた。

「じゃあ、重症化……と言うとちょっと変かもしれないけど、魔術が強力にかかっている人が増えてるってこと?」

 またも疑問符を浮かべるデンテに、セシルは「というか、全体にそういう傾向があるのかもしれないが……」と呟く。言いながらちらりとこちらを伺うセシルに、デンテは続きを促した。難しい話だろうことは予想がつくが、話してもらわないことには分かるものも分からない。

「……一つの仮説でしかない。が、そういう可能性もある。魔術汚染インフェクションの一種で、魔術の発動下に一定の時間晒されると――これにも様々な条件があるが――、発動前期に設定された強度よりも強く対象に影響、魔術が及ぶ可能性があるんだ。これが魔術書ライト・グリモワール第十二条の三項で言うところのいわゆる『魔術強化リーンフォース』……って、分かりにくいよな?」

「うん、全く分かんない。」

 固有名詞が頭の中で輪唱して踊り狂っている。新しく魔法と魔術について分かるかもしれないと淡く期待していたが、いざ教えてもらうとさっぱり分からない。セシルの話を聞くに、どうやら魔法というカテゴリーは広く深く研究されているものらしいことは分かっていたが、その一端を垣間見た気持ちである。セシルはよくもこんなに様々な名前や事柄を覚えていられるものだ。

「えーっと……魔術汚染インフェクション……は前言ったよな、魔術かけてない奴にも魔術がちょっとかかるっていう。魔術強化リーンフォースっていうのは、元々魔術がかかってた奴に長く魔術をかけすぎて、更に強力にかかっちゃうってやつだ。」

 デンテは「はぁ」と気のない返事をした。

「なんとなく分かったけど……そうすると、魔術をかけた魔術師? は、このことを予期してなかったってこと?」

「いや、魔術師なら知っていて当然のことだから、これは予想していた筈だけど」

 と、そこまで言ってセシルは頭を捻った。だとしたら、この長い間、魔術強化リーンフォースも起きずに只同じだけの出力で魔術をかけ続けていたのは一体何の為だろうか?

「じゃあ、更に強い魔術を新しくかけたとか……」

「それは無いな。……強力な魔法をかけるには大量の魔力と、複雑な魔法陣と、それを生み出す労力を遥かに上回る魔法の練度が必要だ。これだけ広範囲に強力な魔術かけといて、それより強い魔術を重複施行アドレイヤーなんて人間業じゃ到底無理」

「アドレイ……?」

 また知らない単語である。今日セシルから出てくる知識は知らぬ言葉ばかりで、デンテは本格的に魔法の勉強をする必要があることを悟り始めていた。

「あー……後で説明するよ。」

 そう言ってセシルは立ち上がり、男の傷を覗き込んだ。

「さて、と。のこっちの酷い傷は……医院に行かないと治療は無理そうだな、これは」

「イイン?」

「……後で説明する」


3


 少女は見慣れない天井に目をぱちりと瞬かせた。起き上がろうとしたが、身体の動きが緩慢で上手く起き上がれない。手を付き首を持ち上げて、なんとか重い身体を起こす。

 視界の端に何者かが映った。年若い男だ。両手に底の浅い鉄のバケツと、麻の布きれを何枚か運んでいる様だった。バケツに汲まれた水が小気味良い音を立てて跳ねる。

「あっ……! 起きても大丈夫そう? ずっと眠ったままで……動けるか……」

 白髪の青年が不安げな表情でこちらを覗き込む。その掌がさっと額を撫でるのを、少女は目覚めきらない瞳でゆっくりと見た。

「貴方は……」

「僕はデンテ。セシルっていう鉱石屋の手伝いで、一応ここで働かせて貰ってるんだ」

 少女はその答えを反芻するように「セシル……」と呟く。聞き覚えのある名に、頭にかかっていた靄が一気に晴れ渡った。少女はかけられていた毛布を勢いよくはね除けて、デンテの肩を掴んだ。え、と小さく声をあげる青年の肩を揺すりながら、顔を思いきり近づけて叫ぶ。

「セシル!? 貴方、今セシルとおっしゃいました!?」

「うん!? そうだけど、セシルは今」

 返答は耳に届いていないらしく、眉を吊り上げて少女は尚も捲し立てる。少女が容赦なく肩を揺り動かすので、デンテは首の座らないまま頭をがっくんがっくんと前後に揺らした。

「その方に会わせて下さいませんか! 私セシルさんに用事があってここまで来たのです!!」

「それは良いんだけど、その肝心なセシルが」

「お願いします! 1年かかりました。やっと聞けるのです、お父様の遺言が!」

「……遺言?」

 デンテは少女に掴まれたままの両肩を上げた。遺言という言葉に、自身の祖母の記憶が呼び起こされたからである。

 少女は強く頷く。デンテを見つめる瞳は可愛らしく細い睫毛に飾られた淡い薄水色で、けれども強い意思が宿っている様に見えた。

「ええ、セシルさんはお父様の遺言を預かっている方だとお聞きしています。私はそれを探していたのです。ですから、セシルさんに」

「それがセシルは調べものをしにシダさんっていう男の人と連れだってどこか行っちゃったんだよ、ごめん!」

 デンテは少女に遮られない様に早口で声を張り上げた。

「あと目覚めた直後で悪いんだけど、僕助けに行かなきゃいけない子がいて、その間この家の留守を頼んでも良いかな?」

 少女はパクパクと口を動かす。しばし唖然として何を言うか混乱し、やっとのことで口をついて出た言葉は

「見ず知らずの人に留守を任せるなんて防犯意識が足りません……」

 だった。

 よもやそこに突っかかられるとは思っていなかったためか、思わず口に出してしまった「へ?」というデンテの間抜けな返事に、少女は先程どこかへ吹っ飛んだ勢いを取り戻して、

「私もご一緒します。きっとセシルさんもしばらく外出していらっしゃるのでしょう?」

 と語気を荒げて言った。

 息を大きく吸い込んで、少女はソファから床に脚を下ろしてすっくと立ち上がった。デンテの目線より若干下がった辺りにある少女の瞳は、デンテを上目遣いに見つめる。瞬きが窓から漏れる光を反射してきらりと光る。

「それに私、こう見えても王立魔術学院の生徒です。魔法使いの端くれとはいえ、人を助けない理由にはなりません。私の魔法も何か役に立つかも」

 有無を言わさぬ物言いに、デンテは多少心臓を揺らした。確かに魔法は便利で役立つのである。例えばこの店のドアや窓にも魔法がかかっており、建物の外観を隠したり、別の場所と繋げたりするなど、中々に常識外れなことをやってのけているらしい。セシルが言うには相当高度な魔法云々らしいが。

 果たして今の今まで身体を休めて眠っていた者を連れ出すなどやって良いのかどうか、と思案するデンテを余所に、机に置かれっぱなしになっていた自身のバッグやコートをてきぱき身に付け、少女はくるりと振り返ってデンテを見る。逆光で薄く影になった筈の少女の蒼の瞳が刹那輝いた様な気がした。

「申し遅れました。私はリリアンナ・ロームナント・デ・サイス。リリィと呼んで下さい」

 少女――リリィは、そう言ってにこりと笑った。

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