第7話 静謐の空、未だ来ない朝


まだ宵の中。


1


 割に呆気なくその巨体は炎雷に貫かれ、その活動を停止した。ちょうど貫かれた右胸にはぽっかりと穴が穿たれて、自分の傷でもないのに酷く喪失感を覚える。

 流星が舞ってその魔獣を貫いた瞬間。デンテには、魔獣の右胸に心臓が如く内包されていた、琥珀色に鈍く光る石が粉々に割れるのが見えた。あれが魔獣の取り込んでいた魔石だろうか。

 動きを止めた魔獣の肉体は、薄く明滅を何秒か繰り返し、やがてゆっくりと消滅した。空へ昇って行く光の残滓を何とはなしに目で追いかける。先程の禍々しさとは全く正反対だ。

「はい、目標回収、と」

 セシルが魔獣が消えた後に残った幾つかの石を無造作に拾い上げた。赤、黄、白、豊かな色どりで光るそれらは、魔獣に盗まれ、取り込まれていた例の魔石らしい。

「それはさっきの魔獣の心臓みたいな石とは違って消えないんだね」

「ああ、あれは魔獣が最初に取り込んだ魔石……いわばあいつの本体、核のようなものだ。こいつは取り込んで日が浅いから吸収されずに残ってたんだろう」

 セシルは石たちを両手で投げたり落としたりして弄びながらバルトに言った。

「まだ完全に取り込まれる前で良かったな。あと一日二日もしてたら取り返しが付かなかったかもしれない」

「……っ……! ……本当に、良かった……」

 バルトが一瞬顔を青くしてから、安堵の表情で頭を下げる。彼がやけに焦っていたのはこの事だったのだと、はたと気付いた。

 やれやれとセシルが肩を竦めてひらひらと手を振る。ふと息を吐いて、この態度に慣れているのかうんざりとした表情を浮かべた。

「そんなに大層なお礼なんてしなくて良いよ。協力してくれて助かったのはこっちもだし、一応報酬も貰えるし。……ま、なんにせよこれで解決だ」

「……はい」

 バルトが神妙な面持ちで返した。


 デンテが初めて遭遇した魔石盗難事件は、たった半日で収束を迎えた。



2


「助かったよ、ありがとう」

 薄闇の屋敷の門前で一言、ハイヴィーク公が発した。

「本当は盛大に礼をしたいところなんだがね……生憎かなり業務が滞っていて、時間を取れそうにない。また暇があれば連絡しよう」

 これは例の報酬だと、公は木目が綺麗に揃った艶やかな薄茶色の木箱をゆっくりとセシルに手渡し、最後に、

「では、帰り道も気を付けて」

 と優しげに言った。

「私は礼を言い足りない……」

 俯いて呟くバルトに思わず苦笑いを返し、充分伝わっているから大丈夫、といった風に肩を叩いた。

 少々懐疑的な視線を向けられたので、もしかしたら自分の言いたい事は伝わってないんじゃないかと冷や汗をかく。

「充分伝わってるよ、大丈夫」

 いざ口に出してみると、バルトは仄かに喜色を浮かべた。うん、本当に笑顔がよく似合う青年である。王宮で訓練を積んでいると言っていたが、武道に励まずとも彼の父のように社交的な立場にあっても好感を持たれそうな人物だ。数時間行動を共にしただけだったが、それがよく感じられた。

「では私たちはこれで」

 セシルが別れを口にし、遠ざかる2人に手を振りながら、デンテは今日の記憶に思いをはせた。


――態度が少々わざとらし過ぎただろうか……?



3


 帰り道。滑らかに舗装された小道を一定の歩幅とリズムで進む。道の脇には大中小の看板が立ち並ぶ建物たちがあり、もしかすると商店が建ち並んでいるのかもしれない。生憎と建物の内の灯りは点いていないので判別できなかったが。

 繁る青草は綺麗に整えられて、煉瓦と木でできた建物たちに映える。まだ見るのは数回にしか及ばず、それほど感慨に浸るような景色でもないが、人の営みが感じられるこの風景を、デンテは美しいと感じる。だがまだ日は昇るのを躊躇って、闇が空気を冷たく凍らせて青と溶け込む。

 自分の影とにらめっこを繰り返し、少し前を行く少年を、足音と気配だけで探り追いかける。聴覚に届くのは、微細な風と、彼と自分の足音だけ。

 自分の吐く息が浅いのを感じながら、デンテは呟いた。

「異常だ」

 前を行く気配が止まる。足音が一つ減って、デンテも足を止めた。顔を上げるのはどこか恐怖を感じて、躊躇う。風が吹く。先日から目に入ってきた風景に似つかわしくない、埃のような風。まるで放置された物置小屋の中のような、そんな風。

 一振りの勇気を振り絞って、顔を上げる。少年の輪郭を捉えようと目を凝らしても、その黒は闇のカーテンに紛れて存在が不安定に思われた。顔はやけに眩しく光る月の光によって逆光になっていて見えない。

「この町は、異常だ」

 デンテには、言葉を紡ぐことしかできない。行動に訴えることなどできない。浅はかな知識しかない己を知っていたとしても、目の前の存在に問うてみるしかできないのだ。この環境がデンテをそうさせている。頭の片隅で、もう一人の自分が、興味の対象に食らいつこうと頭をもたげるのが分かった。必死にそれをとどめながら、言葉を編む。

「この町に来てからまだ1週間と経っていないけれど、不思議に思っていた。奇妙で、暗くて――ただの感覚に過ぎないけれど、確かにそういうものが、形のない何かが、この町には存在している」

 そう、それは違和感というにも強烈で、苛烈だった。

 自分の発した声がいやに遠く反響して聞こえる。果たして目の前の彼に届いているのか心配になるぐらいに。

 彼は笑いを滲ませた声色で、

「……やっぱり気付いてたのか」

 と端的に返した。実体を伴わない幽霊みたいに薄く囁く声で、危うく耳に捉えたことのない音を思わず拾い損ねるところだった。

 彼から視線を外さないようにしながら、軽く頷く。

「まあ、ね。……というか、君にそれを言おうとしたら、喋るなって言われて……」

「言ってはないよ。ただ今は喋るべきじゃないって示しただけ」

 彼は力を抜いて下ろしていた右腕をゆっくりと上げ、口許に人差し指を軽く立てて付ける。田舎者であっても意味は伝わる、所謂喋っちゃダメ、「しぃ」というやつだ。ちょうどハイヴィーク家の応接間で、大体の話が終わった後にデンテが話しかけようとした時の動作と同じもの。

 その時は緩く口の端を上げて――生意気な子供が悪戯をする時のような顔で――行われた動作だったが、今の動作はそれよりも若干ゆったりと、上品な仕草で行われた。多分、印象を与えるためにわざとやっているのだろう。

「何処で気が付いた?ハイヴィーク公に会ってから?」

「この町に来てすぐ。……でも、その時はただ強い疑念という感じで、それが確信になったのは公に会ってから、かな」

 始めに気が付いたのは、ある研究者の秘書に祖母の石について依頼を持ちかけた時の、その表情からだ。歓喜、安堵の混じった瞳の奥に、狂気と憎しみが渦を巻いていた。デンテはその感情でぐちゃぐちゃになった瞳を見て、困惑した。自分が何かやってしまったのかと考えたからだ。刹那間をおいて、その秘書は半ば発狂するようにデンテを中から追い出した。

 次も、その次も、少しずつ表情は違ったが、同種の感情を抱いたのであろう下仕えの者に悉く追い返された。

 自分の認識との齟齬にますます困惑は強まり、やがてそれは疑念に変わった。

 デンテが自分の常識の方を疑わなかった理由は、教育を施してくれた祖母に置く信頼もあったが、何より町自体の異常さが挙げられた。

 そう、デンテはふと気が付いた。この町は広くて美しい。綺麗だ。だが、それにしては……


 


 と。

 そう感じる要素は意識して見ればどこにでも転がっていた。例えばセシルと話をした客のいない酒場、例えば夜だというのに人通りの全くない街路、空から見下ろした時の灯りの少なさ、ハイヴィークの屋敷、野獣の森までの往路、この小道、民家、建物、植物等々。

 人が存在して、生活していた形跡はあるのに、実際に目に入ってくるのはその形跡ばかり。肝心の人はほんの少しだけ。殆ど見かけない。

 違和感。そして、警鐘を鳴らす自分の勘。

「そんなんで、よくオレのとこに来ようと思ったな」

「結局石についてはどうにか解決させないと、って思ったんだ。……その人の人となりは別にして」

 最後の補足にくつくつと笑いを溢して、彼は答えた。

「で、オレはどうだったんだ?」

「あー……うん、まあ、一番僕の知ってる『人』に近いかな」

「そっか」

 予定していた依頼先が全て無くなりかけた頃、デンテのことを不憫か憐れにか思ったのか、1人の男が徐に話しかけてきた。曰く、

「そのようなことを相談するのだったらセシルという鉱石商を頼ると良い」

 とのことで、デンテは一縷の望みにかけてセシルの元へやってきたのだ。彼は今までの者たちとは何か違う、と心の内で思った。言うなれば、普通。まとも。瞳に暗い感情が乗っかっていることもなかったし、追い返されもしなかった。

 それに関してだけ言えば、公とバルトも同じようなものだったが、彼らはなんというか、

「『染まってる』感じ?」

「うん、そんな感じ。この町に溶け込んでる存在っていうか……うーん、言葉にするのが難しいけど」

「へぇ」

 なるほどね、と頷く彼を見ながらデンテは問う。

「一体この町は何?……いや、何がこの町に起こっているの?ほんのちょっと前に一斉に住民がいなくなったような静けさは異常だ。どういうこと?」

 聞いた彼は再度笑って、質問に答えるのには時間がいるなぁ、とこれまでの彼と似つかわしくない間延びした声で言った。

「それについては後で説明してやるとして、デンテ」

「……何?」

 急に名を呼ばれて少したじろぐ。彼の纏う雰囲気が、また暗くなった気がした。それはこの町の住民のように、彼の感情に起因するものではない。また意図してやられている、と頭の隅で考えながらも、気圧されないように歯を食い縛る。唾を飲み込んだ。

「そのお前の言うこの町の異常性……事件性にオレは関与していないと言うのか?」

 例えば、と彼は言葉を続けた。


「例えば、オレがその事態を引き起こした、当の本人で、その犯人だったら、」


 お前はどうする?



 ――黒い影が2人の影を伸ばして、風が舞った。

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