第3話 廃るは物の上手なれ



1


「遅い」

 一晩ぶりに会った少年は不機嫌そうに言った。

「本当ごめん……!」

 デンテは合わせた手を頭の前に持ってきて声を絞り出した。目をつむってあまり動こうとしない口を無理矢理開く。

「寝坊しまして……」

 うう、と少し涙声になる自分の声を聞きながら、デンテはやってしまったと心のなかで独り言ちる。

 日の光を肌に感じて目が覚めた時には、もう日が真上に登っていた。慌てて身支度を済ませて屋敷に辿り着いたは良いものの、今度は入り口を見付けるのに骨を折ったのだ。なにせ大きな屋敷だ。昨晩遠目に見たよりも数段大きいことにデンテは驚いた。

 それからあっちへ行ったりこっちへ行ったり、見慣れない白塗りの壁の続くのを焦りながら走る。そうやって、ようやく昨日見た黒髪が見えた時は心底ほっとした。

 結局遅いと一喝されてしまったが、デンテは自分が思っているよりもこの少年があまり怒っていないことに気付いた。声色は鋭いが、雰囲気は柔らかだ。

「まあ、とりあえず行くぞ」

 と、セシルは顎で屋敷を指す。デンテは小首を傾げつつ、ずんずんと先に行ってしまった背中をまた慌てて追いかけた。

 自分の身長よりも三回り位大きくてしっかりとした門を抜け、(門は開け放してあった。強盗とか大丈夫なのかな?とデンテは思った。)石畳の道を歩く。左右には素人目にも良いものだと分かる動物像や、よく剪定された花壇と植木。随分お金持ちなんだな、と浅い感想を抱く。

 それにしてもここは何の屋敷だろう。というか、誰の?

 デンテは前を行く少年に視線を戻す。まさかこの少年のではないだろうし。いや、家族がここで暮らしているのだったら、辻褄は合う。でもそれならなぜ自分は連れて来られたのだろうか。

 再度首を傾げそうになった時、セシルが唐突に立ち止まった。思わずつんのめりそうになるのを必死に堪える。

 どうしたのだろうといつの間にか下を向いていた顔を上げると、そこには立派な扉が構えていた。どうやら庭を通りすぎたらしい。

 セシルはゴンゴンと鷹の装飾のついたドアノックで扉を叩く。

「依頼を受けて参りました。鉱石屋アルライトです」

 見るからに分厚そうな扉に向かって、セシルは半ば叫ぶように言う。

 なるほど依頼主の屋敷か、とデンテが思い至った瞬間、頑丈な扉が勢いよく開いた。突然のことに体が固まる。

「お待ちしておりました! アルライト殿でございますね!」

 と、溌剌とした若い声が響いた。開いた扉の向こう側には、一人の人物。青年のようだ。

 年は自分と同じ位。学生だろうか、黒い制服を着ていて、赤茶色の髪は横に流している。見た目の色味にも関わらず、清涼感が凄い。

「おお! あなたがあの有名な!」

 お会いできて光栄です、と、青年は素早く近付いてデンテの両手を掴み、ブンブン振る。

「えっ、えっと?」

「……アルライトはオレだ」

 困惑しているところにセシルが歩いてきて言った。開いた扉に体を打ったらしい。肩辺りをさすっている。

「何? これは失礼した」

 青年はぱっと手を離して背筋を伸ばし、額に真っ直ぐにした手を添える。

「俺はバルト・ハイヴィーク。依頼の旨、引き受けて頂き誠に感謝します。では、どうぞ中にお入り下さい。ご案内します」

 セシルはその言葉に頷いて、

「こっちは助手のデンテだ」

 と言った。僕はよろしく、と軽く頭を下げた。



 2


 屋敷の中は目立って豪華な外観よりは落ち着いた内装だったが、所々に見える壺だとか絵画だとかを見ると、デンテは高そうだな、という感想をついつい抱いてしまう。これが貧乏性?と、自分に呆れる。

 お金がないからこんなに目につくのだろうか。

「こちらです」

 バルトは歩いてきた長い廊下の突き当たりにある扉を開けた。


 わぁ、とつい声が漏れる。きめ細かい縫い目の白いソファ。先程みたドアノックと同じ意匠の足が付いたテーブル。その上に置かれた品の良いティーセット。天井は廊下より高く、シャンデリアが淡い光を湛えている。

 廊下を歩いていた時点でかなりの別世界に眩暈がしていたが、この部屋はその比じゃないとデンテは思った。自分が場違いに感じる。

 助けを求めるように隣の同行者に目線を送るが、こちらはさも当然の様に立っている。仕事柄こんな家に何度も出入りしてるのだろうか、特に動じてはいないようだった。

「よくいらっしゃった。ささ、座って」

 口を開いたのは応接間の手前のソファに座る初老の男性だった。

「失礼します」

「失礼します……」

 そそくさとセシルの後ろを付いて奥の席に座る。

「大したもてなしもできず申し訳ない」

「いえ、お構い無く」

 バルトが紅茶を手際よく注ぐのを見ながら、デンテはセシルと男性の会話をそれとなく聞く。

「それにしても先程から人がまったく見えませんが、神隠しにでも?」

 男性は困り眉をしながら笑んだ。

「ちょうど今使用人のほとんどに休暇をやっていてね。屋敷にいるのは息子とコック、日雇いの清掃に最低限の衛兵位だ」

「ふむ」

「そこであの事件という訳だ。私達も困り果ててしまってね。長期の休暇で里帰りしてる者達を呼び戻す訳にもいかん」

「…………あのー、一体何の事件なんですか?」

 ここで耐えられなくなった僕はそろそろと手を上げて尋ねた。事件やら物騒な言葉が出てきてもう訳がわからない。

「あっ」

 そういえば思い出したといった表情で、セシルはこちらに顔を向けて男性に言った。

「彼は助手のデンテです。先日雇ったばかりなのでまだ例の事件について話してません。良ければそちらから……」

「うむ。もう一度説明するのが良いな。その方が君も整理しやすかろう」

 セシルの言葉を引き継いで、男性は大きく頷いた。僕も唾をゆっくり飲み込む。相手の手間になってしまうのは心苦しいが、なにも知らないでただ雇い主の少年に付いていくよりは役に立てると思った。

「ではまず私の自己紹介から」

 男性は胸に拳にした手を当てて立ち上がる。精悍な顔がデンテを見据えた。

「私はロイターン・ハイヴィーク。ここハイヴィーク領の領主で、旧三武家が一つ、ハイヴィーク家の現当主だ。国軍栄誉指揮官、貴族国院の議員もしている」

 よろしく頼む、とさっきのバルトの時の様に素早く両手をブンブン振られる。デンテは心なしか頭痛がしてきたように思った。つい数秒前も付いていけなかったのに。


 余計分からないことが増えた……!

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