第39話 嘲笑
昴の眼前で小夜楢未来の体が崩れ落ちる。時間の流れが止まったかのように感じられる長い一瞬だった。
昴の中で血に濡れた姉の姿が脳裏に甦ってくる――まるで、あの日の悪夢を見ているかのようだ。
「いやぁぁぁぁぁぁっ!」
由布子が悲鳴をあげた。柳崎もただ愕然とし、硬直したようにその場から動けない。
その混乱の中で、未来を惨殺した男――西御寺篤也だけは倒れた未来には目もくれず、すぐさま右手を突き出して、第二撃目を繰り出してきた。
「雷光よ!」
言葉とともに、西御寺の手のひらから青白い稲妻が迸る。予想外の事態に昴は対処が遅れ、それは狙い違わず、由布子の体に突き刺さるかのように見えた。
「きゃあぁぁっ!」
身をすくめ、悲鳴をあげる由布子。しかし――雷光は彼女の体に触れる寸前で、乾いた音を立て、弾かれるように霧散した。
「――なに?」
西御寺が初めて感情のこもった声を発した。動揺とまではいかないまでも、驚いたように由布子を見つめている。
「俺たちのマントに、そんなもんが通じるか!」
柳崎が叫ぶ。それで理解できた。かつて昴を救ってくれた地球防衛部の先輩たちは、決して伊達や酔狂でこれを着ていたわけではなかったのだ。
マントの持つ神秘の力に感謝しつつ、昴は由布子を庇うように、すかさず前に出る。
両手で金色の鎌を構え直すと、目の前の男を睨みつけた。
「西御寺!!」
「貴様、どういうつもりだ!?」
柳崎もまた金色の剣を構えて昴の横に並んだ。西御寺は普段と変わることのない冷徹な視線を浴びせながら、ゆっくりと天を指さした。
「どうもこうもなかろう――見るがいい、あれを」
そう言われても昴は目の前の男から視線を逸らすわけにはいかなかったが、彼の代わりに由布子と柳崎がそれを見上げていた。鋼鉄姉妹の攻撃は未だ続いている。しかし……
「いくら再生能力があるって言っても、こいつぁ、ちとしつこすぎねえか!?」
柳崎が言うように、神獣はその体を何度粉砕されても、すぐに元の姿へと再生してしまう。いくらアイテールが無尽蔵にあるとはいえ、このままでは姉妹のほうが先にまいってしまうのは自明の理に思えた。
「ふ、不死身なの……?」
由布子の声も震えている。
鉄奈たちの話では以前に一度倒した相手であり、未来の話によれば本来より弱い不完全な状態のはずなのだ――にも関わらず、その再生能力は無限にも思えた。
驚く彼らに対して、西御寺は教師が講釈するかのように説明をはじめる。
「現在この空間は通常の世界からは隔絶された異空間といった状態にある。あの女が邪魔者を寄せつけないために、オリジナルの世界を複製して創った、言わば結界だ。だが、やがてこの空間は時間とともに現実世界と重なるように融合し、あの不死身の神獣が現実の世界を蹂躙することになるだろう。だが、不死身なのは〝寄り代〟となった者が組み込まれていないからに過ぎない」
「寄り代だと?」
「わかりやすく言えば最後のパーツだ。それが抜けていて不完全だからこそ、かえって神獣は不死身でいられるのだ……が、問題はない。あれを倒す方法は実に簡単だ」
西御寺は口元に冷ややかな微笑を浮かべて告げる。
「その部品を――高月由布子を殺せばいい」
「――っ!」
その冷酷な言葉に昴たちは息を呑んだ。そして衝撃に立ち尽くす彼らの中のひとり――当事者である少女に対して、西御寺は冷然と言い放つ。
「高月由布子――世界のために死んでもらう」
「…………」
由布子は言葉を失くして立ち尽くした。なにがなんだかわからなかった。
西御寺は彼女の担任教師だ。本来ならば生徒の安全を第一に考えて然るべき立場の男だ。
それが本校の女生徒を殺害し、今度は自分まで殺そうとしている。
理解などできるはずもなかった。
「ざけんなっ!!」
西御寺の言葉に怒りを覚えた昴だが激昂したの柳崎が先だった。もとより彼は理性よりも感性で善悪を判断する男だ。ゆえに小難しい理屈を一切抜きにして、西御寺を悪だと断定していた。
「西御寺ぃぃぃっ!!」
雄叫びを上げながら突撃し、そのままの勢いで殴りかかる。さすがに剣は使わなかったが、西御寺はその一撃を軽くいなすと、容赦ない拳の連撃を彼の体に叩き込んだ。
「ぐはっ……」
柳崎の体が血反吐でも吐き出しそうな勢いで前屈みに倒れかけ、手にした大剣が金属音を響かせながら床の上に転がり落ちる。
さらに西御寺は柳崎に立ち直る隙を与えず、彼の腕を素早くつかむと、信じ難い膂力で容赦なくフェンスの向こうへと投げ飛ばしてしまった。
「うわぁぁぁぁぁぁっ!」
虚空に悲鳴を響かせながら、柳崎の体が高いフェンスの向こう側へと消えていく。
「柳崎!」
昴は一瞬フェンスに駆け寄りたい衝動に駆られたが、かろうじて踏みとどまった。駆け寄ったところで間に合うわけもなく、今度は由布子まで危険にさらすことになる。
「……なんてことを」
由布子がうめくように言った。ここは三階建て校舎の屋上だ。フェンス越しに放り投げられたことを考えれば、優に五階分の高さはあるだろう。あのマントが守ってくれると信じたいが、物理的な衝撃まで緩和してくれるかどうかはわからない。少なくとも普通ならば無事ですむはずがない。
眼光に敵意を漲らせて西御寺を睨めあげる昴。それを傲然と受け止めて西御寺は言う。
「聞け、葉月。その娘――小夜楢未来の計画が失敗することは最初からわかっていた――その祖父も同じ失敗をしたのでな」
西御寺は柳崎を手にかけたことなど気にもしていない様子で平然と話しかけてくる。
「だから油断したなどと言い訳するつもりはないが、結果として私は儀式の阻止に失敗した。未来の動きが予想をはるかに上回っていたのだ。まさかたった数日で天使を見つけ出し、神獣を喚び出すとはな。こんなことならば上の指示など無視して、そうそうに抹殺しておくべきだった」
冷ややかに嘆息する。この男にとっては人の命を奪うことなど、まるで大したことではないようだ。葛藤もなければ重みも感じていない。そうとしか思えない態度だ。
「せめて天使の存在を前もって突き止めていればそうしたのだが……。フッ…。まさかこの世にたった数人しかいない天使がこの学校の――しかも私のクラスにいたとはな」
彼は苦笑したが、その笑いには人のぬくもりというものが完全に欠如している。
「葉月、お前も解ったならば、そこをどけ」
冷たい眼光が射貫くように昴の背後に向けられる。由布子が息を呑み、身をすくませるのが感じられた。
「高月、おまえとて葉月を含む世界すべてが滅びることなど望むまい。ならば自ら死を選ぶのが人の道と言うものだろう」
「…………」
由布子は声すら出せなかった。冷たい現実を前に目の前が真っ暗になったような気がする。つい数日までは考えもしなかった異常な出来事の連続。砕け散った日常。
しかし、それゆえに得られた素晴らしい出会いもあると信じ、前向きに生きていこうとしていたのだ。
だが、その矢先に未来は閉ざされてしまった。
神獣と霊的に繋がっている由布子には、なんとなく理解できていた。西御寺の言葉に偽りがないということを。
そして彼の指摘するとおり、自分のせいで昴が死ぬなど耐えられるはずはなく、神獣によって世界が滅ぼされることも受け入れることはできない。
だから、自分はもう――生きることを放棄するしかない――そう考えはじめていた。
しかし――。
「何がおかしい?」
それは西御寺の言葉だったが、もちろん由布子は笑ってなどいない。そしてこの場にいる生きた人間は、由布子と西御寺を除けばたったひとりだけだ。
つまり、笑っているのは――葉月昴ということになる。
事実そのとおり、昴は笑っていた。
「追いつめられて、頭がおかしくなったか」
だが西御寺のその考えは大きく的を外れていた。昴の笑いは西御寺に対する嘲笑だったのだ。
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