第52話 日常
その日の夕方には高月家の当主たちも旅先から戻り、月曜日にはいつもどおりの日常が戻ってきた。
もちろん、あの事件のことを彼らに話せるわけもなく、昴は多少ぎこちなく、由布子は完璧な平静を装って普通に接していた。
一番の問題は傷だらけの廊下だったが、模様替えの最中に家具をひっくり返したという苦しい言い訳を、家主たちはとくに疑う様子もなく、昴は内心ほっと胸をなで下ろしたものである。
月曜日の学校に西御寺篤也の姿はなかった。それはもちろん小夜楢未来も同様で、彼らはそれぞれ退職、そして転校したことになっている。
おそらく未来の転校については西御寺が手を回した結果なのだろう。
昴は住所録を頼りに一縷の望みを抱いて彼女のマンションまで行ってみたのだが、予想どおりそこはもぬけの殻だった。
西御寺の不自然極まる急な退職については、同じ時期に消えた小夜楢未来とからめて見当違いな憶測や噂が飛び交ったものの、数日も経てば、もう誰も気にしなくなっていた。
そして、二年D組は担任不在となったまま、さらに数日が過ぎた。
昴は日課の早朝ランニング――もちろん軽く10キロは走っている――を終えて、家族と一緒に食事をし、歯を磨き、二度寝していたところを由布子に叩き起こされて、学校に行く準備を渋々はじめる。
いままでどおりの、見慣れた朝の光景だ。
今日も今日とて由布子の声に急かされながら、昴はのそのそと玄関の扉をくぐる。
「あれ……」
外へ出たところで、昴はふと気づいて顔をあげた。
「セーラー服?」
軽い驚きとともに由布子を見る。彼女はいつものブレザーではなくセーラー服を着ていたので、とても新鮮に見える。
「あの事件で、制服が一着がダメになっちゃったでしょ。だから新しく買い直すことにしたんだけど、どうせならって思ってこっちにしたの。せっかく二タイプあるんだから、両方着ないと損だしね」
由布子は涼しい顔で言ったが、実を言えば月見里に唆されたのである「昴は絶対、セーラー服萌えだ!」と彼はしつこいぐらいにセーラー服を薦めてきた。
「どう? 似合ってるかしら?」
軽くポーズを取りながら感想を求める。
「とりあえずあれだな……セーラー服萌えの月見里が悶絶しそうではあるな」
「…………」
由布子は絶句した。
(謀られた!)
昴に背を向けると拳を握りしめてわなわなと震える。そんな由布子の姿に苦笑しつつ、昴は率直な感想を告げることにした。
「けど、確かに似合ってるぜ。うちのクラスの誰よりも様になってるな」
由布子の耳に、それはお世辞としか聞こえなかったが、決して悪い気はしない。それでもひとこと言ってしまうのは若さゆえなのか性格なのか。
「お世辞なんて結構よ」
由布子は〝我ながら、かわいくないなぁ〟と自分を評価してうつむいていたが、昴から見ればその仕草はじゅうぶんに愛らしく見えている。
あの戦いのあと、ふたりの間で目に見えるような進展はなかった。お互い、相手の気持ちには薄々気がついていたが、どちらからも積極的なアプローチは行っていない。
もちろん、昴は由布子が好きだ。愛していると自信を持って言えるほどに。
だからこそ、あんな非常時ではなく、ほとぼりが冷めた日常の中で、その想いを口にしたいと思っていた。
一方の由布子は日常だろうが非日常だろうが、好きなものは好きなのだという、意外にわかりやすい精神構造をしているのだが、普段の強気な態度に反して、こと恋愛に関しては臆病なようだ。
「そういや、けっきょく入部させられちまったんだな」
「まあね。みんな命の恩人なのに廃部の危機は見過ごせないわ。隊員なんて呼ばれるのは承知できないけどね……あと部の名前も変えて欲しい」
高校卒業後に誰かに高校時代の部活を訊かれたとき、「地球防衛部でした」なんて口にしようものなら絶対に変人だと思われる。
そもそも今回の入部からして友人たちの反応は散々だった。正気を疑う者や、ニセモノではないかと訝る者、柳崎に弱みを握られて脅されているのだと考えて、実際に彼に詰め寄る者まで居たが、好意的な反応は皆無だった。
それでも由布子が加わったことにより、地球防衛部はとりあえず部としての必要最低限の基準──部員数五名に達したのだ。あとは顧問を待つだけである。
そういった、ここ最近の出来事に思いを馳せながら、由布子は昴と並んで自転車を走らせていた。
穏やかな陽射しが降り注ぐ中を、心地よい風が頬を撫でて通り過ぎていく。瑞々しい緑に包まれた町並みは目にやさしく、澄んだ青空には綿のような白い雲が浮かんでいた。
流れる風景に心を奪われていると、通い慣れた道のりも随分短く感じるものだ。実際の所要時間はいつもどおりだったが、体感的には随分と早く駅前の駐輪所に着いたような気がする。
いつものように由布子が駐輪所に自転車を預けて外へ出ると、意外なことに昴が外で待っていた。
「昴……待っててくれたの?」
セーラー服効果か? などと考えつつ尋ねると、昴はえらそうに腕を組んで言った。
「一台の自転車でふたり仲良く登校する方法を発明したんだ」
「――わたしが後ろに乗るの?」
由布子はそう言いながら、なぜ今まで思いつかなかったのか、と自分の思考回路を疑ってかかったが、昴の考えはそれとは違っていた。
「違う、うしろから押すんだ」
「それって……恥ずかしいんだけど……」
由布子は自分が乗った自転車を昴が押すという、その光景を思い浮かべて頬を赤らめる。
「つべこべ言うな、とにかくいくぞ」
昴は颯爽と自転車にまたがると、真顔で命じた。
「さあ、押せ!」
「できるかっ!」
由布子は怒鳴ると同時に、昴にヘッドロックをかけ、その首をぐいぐいと締めあげる。
「バ、バカ……よせ……死ぬぅぅっ」
「……仲がいいねぇ、おまえらは」
呆れつつも微笑ましく声をかけてきたのは月見里天晴だった。今日は学ランを着て、相変わらずの平べったい鞄を手にしている。
「アッパレ! よくも騙したわね!」
由布子はヘッドロックは解かずに月見里にセーラー服の苦情を言った。
「嘘じゃねえって、嬉しそうじゃん昴のヤツ」
「苦しそうの間違いだ!」
昴はジタバタともがいている。
「とにかく、このバカはわたしが連行していくから、アッパレは自転車をお願いね!」
「えっ……」
由布子は昴の自転車を月見里に押しつけると、昴を引きずるようにしながら坂のほうへと歩いていってしまう。
「…………」
月見里はしばらくじっと自転車を見つめていたが、
「いいだろう! 昴にできて俺にできないわけがない!」
勢いよく自転車に飛び乗ると、学園へと続く長い坂道を猛然と駆け上がっていった。
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