第46話 懐かしい音色

 由布子が意識を取り戻したとき、彼女は三階の音楽室らしき場所に倒れ込んでいた。

 一面は瓦礫の山となり、かつての印象とはかけ離れている。見上げれば天井はなく、瞬くことのない星空がそこに顔を見せている。

 目の前には、床と壁にめり込んだ神獣の巨大な顔があった。それはガラスのように平面な緑の目で、彼女をじっと見据えている。

 神獣――種としての知的生命体の精神腐敗レベルが一定以上に達したとき、世界を自動的に排除するために起動する自壊プログラム。

 なぜそのようなものが存在するのか。その答えを知る者は、おそらくこの世界のどこにもいないだろう。あるいはその名のごとく神に仕える獣なのかもしれない。

 生物でもなければ機械でもない、超破壊能力を持つ未知の存在。

 鋼鉄姉妹の世界を滅ぼし、そしておそらくはそれ以外にも無数の世界を滅ぼしてきたであろう破壊の化身。

 由布子は全身が震え出すのを抑えきれなかった。怖くて怖くてたまらなかった。身を包んだマントを体の正面で握りしめるようにしながら、かろうじて立ってはいたが、肩も膝もぶるぶると震えていた。


「昴……」


 青ざめた顔で救いを求めるように愛する人の名を呼ぶ。


「昴!」


 続けて声を張り上げるが、やはり返事は帰ってこなかった。

 由布子は仲間の姿を求めて、あらためて周囲を見回し――茫然となる。

 崩れ落ちた天井。コンクリートの瓦礫に押し潰された机とピアノ。粉々に砕け、散乱した窓ガラス。折れた鉄骨が深々と床に突き刺さっている場所もあった。

 脳裏には大量の瓦礫に呑まれるようにして消えた柳崎男の姿が甦る。


(まさか……昴も!?)


 その可能性に心臓が止まりそうになる。それは由布子にとって、これまで以上の恐怖だった。思わずよろよろと後ずさる。その彼女の足に柔らかいなにかが触れた。


「――!」


 慌てて振り向くと、すぐそこに捜し求めていた相手がうつぶせになって倒れている。その頭から頬へと血が線を引くように流れていた。


「昴!」


 由布子は慌ててしゃがみ込むと、昴の上体を抱え起こした。彼は完全に意識を失っていたが、大きな外傷はなく、頭の怪我も額の一部を浅く切っただけのようだった。念のため胸に耳を当ててみたが、心音もしっかりしている。

 ほっとすると同時に、目の前の神獣に対する恐怖が甦ってきた。

 昴の体を守るように、あるいはすがりつくようにしながら、その巨大な顔を見上げる。

 神獣はピクリとも動かない。相変わらず無言のままで、彼女たちを見据えてきていた。由布子にはその姿が、自分に対して何かを問いかけているかのように見えた。


『ともに世界を滅ぼすか?』


『それとも、ともに死すか?』


 あまりにも冷酷な二者択一。それ以外の選択肢などあり得ない――そう宣告しているかのようだ。

 由布子はしばらくの間、昴を抱えたまま震えつづけていたが、やがて悲壮な決意の光をその瞳に宿した。

 視線を腕の中の少年に移し、彼の頬をそっと撫であげる。


「……昴の未来は奪えないよね」


 囁いて微笑む。その目からは涙が溢れていた。


「昴は怒るだろうけど……」


 彼は命懸けで西御寺と戦い、それに勝利して由布子の命を救ってくれた。そして小夜楢未来と名乗る少女もまた、自分の身を盾にしてまで彼女を守ってくれた。

 しかし、それでも世界を犠牲にしてまで生きながらえたいとは思えない。この世界には彼女が大切に思う人たちが、大勢暮らしているのだ。

 葉月昴、美剣鋼、美剣鉄奈、柳崎男、学校の仲間たち、先生、父と母、他にも大勢の人々の姿が彼女の心に浮かんでは消えていった。その中にはもちろん軽薄そうに見えて実はお人好しの月見里天晴の姿もある。

 由布子は、そっと昴を横たえると、瓦礫の下から半分だけ突き出るようにその姿を見せていた、金色の大剣を引き出そうとした。

 しかし、思いのほか強く食い込んでいるらしく、どう引っ張っても抜けてくれない。

 しかたなくそれをあきらめ、周囲に視線を巡らした由布子は、そこに一本の鎌が横たわっているのを見つけた。金色の両刃の鎌――それは言うまでもなく、昴が先ほどまで手にしていたものだ。

 由布子はそれを両手でそっと拾いあげた。

 すると、それはシャンという涼やかな音を立てた――懐かしい音色だった。

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