第23話 赤い世界の中で

 深い森はなにもかもが赤く染まっていた。大地も木々も空も赤い。まるで血の色で染め上げたかのような光景だった。

 木立の間を縫うように続く小道を、子供時代の昴が機械的に走りつづけている。

 背後には骸骨を思わせる怪物の群れ。それは骨がこすれ合う不快な音を響かせながら、意外なまでの速さで追いかけてきていた。

 怪物たちはどこか錆を連想させる赤茶色をしており、明らかに人骨とは異なる構造を持っている。

 つい先刻まで昴は姉の家にいた。

 そこでいつものように笑い、はしゃぎ、走り回って楽しい時間を過ごしていたのだ。

 これまで昴はずっと姉と二人で暮らしていた。二人の両親はお互いに世界中を飛び回っていて、滅多に帰ってくることはなかった。

 それでも昴はそれを気にしたことはない。

 姉は昴にとってすべてであり、彼女さえいれば他のなにものも必要ではなかった。

 彼女は実の姉ではなく、正しくは従姉にあたる女性だ。それでも昴は彼女を姉と呼び、彼女もまた彼のことを、実の弟のようにかわいがってくれていた。

 大好きな大好きなやさしい姉。笑顔が印象的な彼女は不思議な力を持った〝魔法使い〟だった。

 彼女は毎日のように、その力で昴に様々な夢を見せてくれた。

 おかしな道具を造り出しては、それで遊んだり、一緒に空を飛んだりと、それは本当に夢のような日々だった。


 それなのに――すべては失われた。


 ヤツらは突然現れ、その異様に長く鋭い腕で姉を串刺しにしたのだ。

 あるいは昴がいなければ、彼女は逃げおおせたかもしれない。

 しかし、彼女は幼い彼の盾となり、その身をいくつもの骨の腕に貫かれてしまったのだ。

 昴はただ茫然としていた。無力な子供でしかなかった彼には、泣くことも、わめくことも、逃げ出すことすらできなかった。

 まるで心が壊れてしまったかのようだった。

 しかし、そんな昴に姉はやさしく微笑むと、最後の力で彼に魔法をかけた。

 すると、彼の体は勝手に動きだし、信じられないようなスピードで走り出した。その魔法は彼を逃がすためのものだったのだ。

 だから昴は逃げた。逃げたくもないのに逃げ続けた。姉のいない世界にはなんの未練もないのに走り続けた。最期まで姉のそばに居たいのに逃げ続けた。

 魔法によって逃走する彼の身体は、赤い木立の隙間を恐ろしいほどの速さで駆け抜けながら、転ぶことも何かにぶつかることさえない。

 しかし――林の中にある、やや開けた場所にたどり着いたところで、昴の体は急速に重たくなり、その場にゆっくりと倒れ込んでしまった。

 魔法の効力が切れたのか、肉体のほうが限界を超えたのか、それは昴にもわからなかったが、彼にとってはどうでもいいことだった。

 そこに彼の後を追ってきた骸骨たちがゆっくりと近づいてくる。それはさながら死神の群れのようにも見えた。

 昴は自分も死ぬのだと思った――姉のように串刺しにされて。

 だけど、それでもいい。姉のいる世界に――天国に行こう。

 たったひとつの心残りは、姉のそばで死ねないことだ。それだけが本当に残念でならなかった。

 そんな昴に骸骨たちは一斉に骨の腕を振りあげる――その幼い命を無慈悲に絶つために。

 昴は目を閉じ、最後の瞬間を待った。やさしい姉の笑顔を思い浮かべながら、口元に笑みさえ浮かべて……


 刹那――一陣の風が吹いた。


 大気を斬り裂く音とともに、固い物が薙ぎ払われる甲高い音が響く。次いで、なにかが次々に大地へと転がり落ちる音が聞こえた。

 昴が目を開くと、すぐそこに少女の背中があった。

 年の頃は十代半ばか――フードの付いた紺のマントですっぽりと体を覆い、その手には金色こんじきの光を放つ鋭い鎌を携えている。

 少女の足下にはバラバラに斬り裂かれた怪物どもの残骸が転がり、未だ健在な数多の怪物たちは、怯んだように少女から距離を取っていた。

 見れば、現れたのは彼女だけではなかった。同じような衣装に身を包んだ五人の男女が、その手に刀や槍といった武器を携えて立っていたのだ。

 赤い世界の中で、彼らのまとう紺のマントだけが、その本来の色を失っていないかのように、気高く鮮やかに浮かび上がっていた。

 彼らは一斉に大地を蹴ると、残る骸骨の群れへと躍りかかっていく。

 誰もが超人的な技量の持ち主だった。西日に染めあげられた森の中を、彼らは疾風のように飛び交い、骸骨たちをことごとく打ち砕いていった。

 やがてすべての怪物が死に絶えた赤い世界の中で、金色の鎌を持つ少女が振り返って彼を見た。どこか無表情で、空色の髪と琥珀色の瞳が印象的だった。

 しかし、彼は安堵することもなく、礼を言うこともなかった。もはや悲しみも怒りも感じない。

 ただひたすらに――空虚だった。

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