第22話 夕映えの帰り道

 茜色の空の下を昴と由布子は並んで自転車を走らせていた。

 夕陽に照らされて黄金に染まった田園は絶景だったが、見慣れてしまえば何も感じなくなるものだ。

 ただ、それでも時々ハッとさせられることがある。それと同じことが幼なじみの少女に対しても言えるのかもしれない。

 今日の由布子はいままでになく――それこそあの小夜楢未来にも負けないほど魅力的に思えた。

 爽やかな向かい風に揺れる艶のある髪が、まばゆい陽光を受けて一際輝いている。瞳は清らかな水面のように透きとおっており、しなやかな手足は天使のように瑞々しかった。


「なに?」


 横目で何度も見ていたのが気になったのか、由布子が不思議そうに訊いてきた。

 気の利いたひとことでも言えば、そこから何かが始まるのかもしれないが、その一歩を踏み出すのが難しい年頃だ。結局、昴も本当の気持ちは呑み込んだまま、当たり障りのないことを口にしていた。


「とうとう最後まで着通したな」


 焦げたブレザーを片手で指差す。


「穴は空いてないからね」

「駐輪所のおばちゃんに、何か言われなかったか?」

「今日はおじさんだったわ」


 駐輪所は屋根付きの建物で、気のいいおじさんとおばさんが経営している。いつも親切丁寧なふたりは、駐輪所を利用している学生全般に人気があった。


「火を吐く怪獣とでも戦ったのかって訊かれたわ」


 由布子は笑いながら言ったが、昴は笑う気にはなれなかった。一歩間違えれば彼女は今日殺されていたのだ。


「驚きよね――鋼鉄姉妹」


 深刻な表情の昴に対して、由布子はいつもと変わらぬ調子で話を続ける。


「超能力者、異世界、そして怪獣……ピンと来ないけど、たぶん全部本当のことなんでしょうね」

「信じてるのか? あの突拍子もない話を」

「信じるもなにも、超能力はこの目で見たし。それに――いい子よ、あの娘たち」


 それには昴も異論はない。怪物から躊躇せずに由布子を守った鉄奈。そして彼女が部室で見せた涙と怒り。鋼はともかく鉄奈にあんな芝居ができるとは思えない。ならば彼女の言葉に偽りはなく、鋼もまた然りなのだろう。

 そもそも月見里流に言えば、そんな嘘をついたところで彼女たちに得はないのだ。

 この際、鋼鉄姉妹は全面的に信用することにして、昴はもうひとつの問題へと思考を切り替えた。

 昼間遭遇した不可解な事件についてだ。

 怪物はなぜか昴に化け、これまたなぜか女子の制服を盗み回るなどという、意味不明の行動を取った。

 幸いホンモノとニセモノのふたりの昴が同時に目撃されたため、彼への嫌疑は解かれたが、怪物の正体は依然として不明のままだ。そして西御寺篤也の正体も――。

 あの後、何気ない顔をして戻ってきた西御寺は、集まってきた野次馬たちに『制服泥棒には逃げられた』と説明していた。

 一部の制服が焦げていた理由にしても、『泥棒が山の中で集めた制服に火を点けようとしたからだ』と説明している。

 西御寺からは、とくに敵意のようなものは感じないが、その言動と行動は謎めいており、油断がならない気がしていた。

 昴にとって唯一の救いは、由布子が殺されかけたのが、ただの偶然らしいということだ。

 あの怪物が由布子に斬りつけようとしたのは、彼女が道を遮ったときの一回限りで、あとは目もくれずに逃走に転じた。

 ならば、そもそも怪物の目的は制服を盗むことであって、特定の人物に危害を加えることではなかったのだろう。


(俺が狙われる可能性はあるけどな……)


 怪物が自分に擬態していたことを考えると、その可能性は否定できない。

 だがそうなると昴と一緒に住んでいる由布子の身にも危険が及ぶかもしれない。


(いっそ、外泊でもするか……)


 昴は少し思案して、すぐにその方策を破棄した。


(いや、俺の留守に俺目当ての怪物が家に現れたら目もあてられねえ)


 困ったことに、いまは家主たちは旅行に出かけており、家にいるのは彼らふたりきりだ。


(ふたりきりか)


 昴は隣を走る由布子を横目で見やる。夕陽の眩しさに幻惑されそうになったその視界内に、少女の体のラインがシルエットとなって浮かび上がった。


(思春期の男ってのはまったく……。いまはんなこと考えてる場合じゃないのにな)


 昴は軽く自嘲染みた思いを感じながら、一定の速さでペダルをこぎ続けていく。


(けど、いつからなんだろうな?)


 いったい、いつから彼女に恋をしていたのか――。


 はっきりと自覚したのは今日だとしても、おそらくはもう、あの日に心を奪われていたのだろう。

 その日のことを昴が忘れるはずはない。忘れられるはずもなかった。

 なぜならそれは――彼が、この世で最も大切な人を失った、その日なのだから……。

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