第21話 我々に下校時間は関係ない

 鋼の話を聞いて、由布子は懸念するような顔つきになった。


「次元の壁に穴って――なんだか危なそうな気がするんだけど……空間がおかしくなるとか……」


 由布子の言葉に、鋼はイタズラっぽい笑みを浮かべた。


「その可能性に気づいたのは、やってしまったあとでした」

「あのね……」


 頭を抱える由布子。


「ですが穴は自然に塞がり、危惧したようなことは何も起きず、わたしは正直、ホッとしました。そんなことで、別世界に暮らす人々を死なせてしまっては、わたしたちも、あの怪獣同然ですから」


 鋼は当然のように言い切った。兵器に不似合いなこの善良さが、マインドコントロールを受けなかったことによって生まれたのだとしたら、それは皮肉な話だ。


「それで――その別世界とやらが、この世界だったのか?」


 唐突に口を挟んできたのは柳崎だ。どうやら、ここまでの話もちゃんと聞いていたらしい。彼は薄暗くなってきた室内に明かりをつけると、適当な机の上にどっかりと腰を下ろした。

 鉄奈もすでにケロッとした顔で紙パックのコーヒー牛乳を啜っていて、その顔には涙の跡も残っていない。


「最初に辿り着いた世界は、こことはまた別の世界でした。ですが、わたしたちは最初のうち、コミュニケーションに失敗してばかりだったんです」

「――とくに鉄奈が」


 勝手に補足する昴。


「ほっとけ」


 鉄奈は文句こそ言えども否定はしない。


「だいたい、アレはあの世界の原住人類が悪い」


 鉄奈は怪しげな造語を口にして、不機嫌そうな目をしている。


「わたしたちをビョーニン扱いするわ、バケモノ扱いするわ、挙げ句の果てに捕まえて解剖しようなんて企む奴まで現れたのよ――ふたりいるんだから、ひとりは殺しても構わんとか言ってさ」


 漫画ではありがちな話だが、実のところ人間という生き物は意外に漫画みたいなことをするものだ。


「ま、目にもの見せてやったけどね」


 得意気に言う鉄奈。それを聞いた由布子が慌てて問いただした。


「目にもの見せたって――まさか皆殺しにしたとか言わないでしょうね?」


 その言葉に鉄奈はニヤリと笑い、


「皆半殺し」


 と答えた。どうやら死人は出なかったようだ。由布子はホッとして息をついていた。


「わたしたちは彼らを退けたあと、すぐにその世界から立ち去りました」


 鋼は順に思い出すように語りつづける。


「次に行った世界は日本という国で――いえ、実は前の世界も、元いた国も日本だったのですが――。とにかく、そこはちょっと変わった世界で、怪物と人類が日夜戦い続けていたんです」

「学生服を着た連中が機関銃とか持って追いかけてきたんだよね」


 腕を組んで言う鉄奈。今度は怒っているというよりは困ったような顔だった。


「ようするに怪物と間違えられたのね」


 由布子が話を先読みして頷く。


「そういうことです。わたしたちは半日ほど逃げ回ってから、また次の世界へと跳ぶはめになりました」


 昴は少々その世界の住人に同情した。そのような過酷な世界であれば、救世主にもなり得たであろう鋼鉄姉妹を、彼らは自分たちの手で追い払ってしまったのだ。おそらく悪気はなかったのだろうが、それだけに悲劇でもある。


「で、その世界の怪物はあんなヤツだったのか?」


 昴は昼間現れた怪物を思い浮かべて訊いた。


「ううん、もっと生物的だった――けど、その後も色んな世界で色んな怪物を見てきたから、中にはなんとなく似ていたヤツもいたような気がするけど……」


 鉄奈は腕を組んだまま考え込むように目を閉じる。どうやら怪物たちと面識があるとは言っても、今回のアレに関しては詳しいことはなにも判らないようだ。


「わたしたちは失敗を重ねながら、やがてこの世界に辿り着きました。さすがに様々な経験をしてきたので、少しアプローチを変えようと鉄奈に提案したのですが……」


 そこでなぜか引きつった表情になる鋼。昴たちが視線を移すと同時に、鉄奈はあさっての方向を向いた。


「さては、おまえ――何か良からぬことを企んだな」

「べつに……」


 鉄奈はそっぽを向いたままつづける。


「どうせ人類は愚かだから、わたしたちで世界を征服して、世の中を正しい方向へ導いてやろうって言っただけよ」

「…………」


 昴は唖然とした。脳裏に某有名独裁者のような軍服を着て威張り散らす鉄奈の姿が浮かび上がる。

 衝撃を受けたのは昴だけではなく、その隣で由布子と柳崎も固まっていた。一同のその様子を見て、鋼は慌てて説明をはじめた。


「もちろん却下しました。代わりに正体を隠して社会に溶け込むという方針をわたしが打ち出し、鉄奈もそれを受け入れました。そして関係各省に侵入して戸籍を捏造するなど、約一年間に及ぶ下準備をした上で、わたしたちは、この学校の学生としての生活をはじめたんです」

「ありがとう、お姉さん。俺たちの地球を守ってくれて」


 昴は地球人を代表して礼を言った。隣で由布子も頭を下げている。


「それじゃあ、わたしが悪者みたいじゃない!!」


 鉄奈は心底心外そうに自覚のないことを口走った。


「キッパリと悪者だろっ。世界征服は悪だ!」


 断定する昴。


「しょうがないでしょ……。ここに来てしばらくは、人間不信に陥ってたんだから」


 鉄奈は拗ねたようにうつむく。


「人間不信?」

「そうよ……。ここもそうだけど、わたしたちが見てきた世界って、みんなよく似てたのよね……平行世界って感じかな?」

「そういや、日本、日本って言ってたな」


 柳崎が腕を組んで言う。


「それと人間不信に、なんの関係があるんだ?」

「人心の荒廃が進んでいたんですよ。似たような名前の国で、似たような人種が暮らし――ですがそこに住む人々は、この世界の人類よりも、はるかに荒んだ心を持っていたんです」


 鋼が簡単に説明すると、それにつづけて鉄奈が突然まくし立ててきた。


「純粋な正義を子供の理屈とバカにして、勝つことだけに意義を見出し、そのためならば他人を蹴落とすことさえ正当化する。弱者は〝社会のお荷物〟と罵られ、強者を優遇する体制に与さない者は〟悪〝とまで言われて蔑まれていたわ。けど弱者を切り捨てるヤツらに正義なんてあると思う!? それこそが明確な悪じゃないの!!」


 鉄奈の瞳には怪獣に対する怒りと同種の感情が宿っている。


「人間って、そんな奴らばっかりだって思ってたのよ!!」


 鉄奈の剣幕に昴はやや気圧されていた。正直彼女の言葉が耳に痛い。この世界の人間たちにもその傾向はある。しかも、それは目に見えない病理のように、少しずつ社会に広まっているのだ。


「けど、みんながみんな、そんな人ばかりじゃなかったでしょ?」


 由布子が興奮気味の鉄奈をなだめるように言った。


「ええ……。でもだからこそ、わたしは世界を変えなくちゃって思ったのよ」


 それは鉄奈の純粋さから生まれた考えだったのだろう。彼女の言うこともわからなくはない。それを、ただの独善と切って捨てたところで、数の暴力で成り立つ社会を肯定することには繋がらない。


「でも……ここは違ったわ」


 鉄奈は少し表情を和らげる。


「ここには親切な人たちがいっぱい住んでるし、ダンのように正義のために頑張ってる人もいる!」


 鉄奈の言葉に胸を張る柳崎男。もしかしたら熱血正義男の彼は、鉄奈の精神安定剤のような役割を果たしているのかもしれない。


「それに、昴も由布子もいい人だしねっ」


 鉄奈は彼らに向き直って、ようやく天使のような笑みを浮かべた。

 その心からの笑みが、昴に確信させる。生い立ちはどうあれ、彼女たちは自分たちと同じ心を持つ〝人間〟なのだと。


「――さて、諸君。落ち着いたところで、そろそろ本題に入ろうか」


 柳崎が重々しく話を切り出そうとしたところで、下校時間を告げるチャイムが鳴り出した。彼が構わずに口を開こうとすると、今度は備えつけのスピーカーから、下校を促すアナウンスが音楽とともに流れてくる。

 由布子が通学鞄を持って立ちあがろうとすると、柳崎は片足をイスにのせて、スピーカーに負けじと大声を張り上げた。


「我々に下校時間は関係ない!!」

「なんでだ?」


 昴が訊いた。


「天文部の活動は、日が暮れてからが本番なのだ!」

「うちは天文部じゃないだろ」

「だが、この部室の真下には天文部がある!」

「だから?」

「人間の動体視力は左右の動きには強いが上下には脆い! ゆえに教師たちは我々の部室に灯りが点いていようとも、天文部が残っているだけだと勘違いするってわけだ!」


 自信満々に断言した。


「するわけないでしょ! 動体視力関係ないし!」


 由布子が至極当然のツッコミを入れる。


「なにぃ?」


 いったい何が疑問なのか、柳崎は不満そうに見据えてくる。


「けど、今まで一度も怒られたことないぞ」

「一部の例外を除いて、みんなのんびり屋だからな……うちの先生たちは」


 昴が呆れ顔で言った。もちろん、あの西御寺篤也などは例外中の例外だ。


「とりあえず、知りたいことは、だいたいわかったし」


 由布子は鞄を提げ、今度こそ立ちあがる。


「あとのことは考えてもわからないことばかりでしょうから、今日はひとまず、これにて解散よ!」


 まるで部長のように宣言した。


「おまえはうちの部長か……」


 柳崎もそう思ったらしいが、なぜか鋼鉄姉妹までもが、鞄を手に立ちあがっている。


「……帰るか」


 柳崎は一同を見回してから、何となく傷ついたような表情でポツリと言った。


「カリスマの違いだ。しかたあるまい」


 昴は柳崎の肩を軽く叩くと、ギシギシとうるさい床の上を歩き、由布子たちとともに部室をあとにしたのだった。

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