第18話 強くなりなさい
(テレポートに――バリアか!)
その事実に気づき、昴の心に鉄奈と超能力に対する感嘆の念が込みあげるが、いまはそれ以上に自分の大切なものを奪おうとした怪物への怒りが勝っていた。
「うおおぉぉぉっ!」
雄叫びとともに、ひたすら加速しながら大地を蹴ると、大気を引き裂くように怪物の背中に跳び蹴りを放つ。
コンクリートを踏み砕くような感触とともに、なにかが割れる乾いた音が響き渡った。
まるで巨大なハンマーで殴られたかのような勢いで怪物の体が宙を舞い、呆気にとられる鉄奈たちの脇を抜けて、裏門の向こうへ吹っ飛んでいく。
しかし、それでも怪物はその勢いを利用するようにして身を起こすと、そのまま林の向こうへと走り去ろうとしていた。
「逃がすか!」
昴は怪物を追って林の中へと突っ込んでいく。
上り坂となった木立の隙間を風切り音すら立てながら駆け抜けると、怪物の背中はすぐに見えた。ダメージを受けたためか、先ほどよりも幾分スピードが落ちている。
怪物は逃げられぬと悟ったか、追いすがる昴に振り返ると、鎌のような腕を振りかぶって戦いを挑んできた。
縦、横、斜めと様々に角度を変えながら、鋭い切っ先が昴の体を狙ってくる。その鎌のごとき腕が振り下ろされる度に、怪物の驚異的な膂力を誇示するかのように風が唸りをあげ、近くにあった樹木が次々に真っ二つに引き裂かれていった。
だが、昴は怯むことなく怪物に向かっていく。恐怖などカケラもなかった。
あるのは怒り。かつて昴の大切なものを奪った異形の存在への――そして今また彼の最も大切なものを奪おうとした怪物に対する烈火のごとき怒りだった。
(なにもできなかったあのときとは違う。俺は――)
幾度となく振り下ろされる死の刃のことごとくを見切り、的確に身をかわしていく。脳裏には姉の言葉の続きが甦っていた。
この世のすべては必然でできている、だから――
『――だから、あなたに守りたいものができたなら、強くなりなさい』
強さには善も悪もない。悲しいことだが昴たちは、正義が必ず勝つ世界には生きていない。だから彼は姉の言葉を胸に常にその身を鍛え続けてきた。もう二度と大切なものを失うことがないように。
しかし、その過程で昴は自分に軽い失望も感じていた。自分には姉のような魔法も、それに代わる特殊な力もない。そう思ってなお努力を続けた。
姉はこうも言っていたのだ。
『この世のすべてが必然であっても、努力のすべてが報われるわけじゃないわ。むしろ、報われないことのほうがはるかに多い。それでも願いつづけることには意味がある。何かを願い、求めつづける――その想いこそが、必然を引き寄せる原動力なのだから』
今は亡き彼女は、昴に数え切れないほど多くの言葉を遺してくれた。もちろん、そのすべてが正しかったわけでもなければ、遺された言葉と言葉が、互いに矛盾していることさえあった。
しかし、そもそも人間はひとつの物事に対して、ひとつ限りの絶対的な解答を見出す存在ではない。
ひとりの人間を憎みつつも愛する、というのはその最たる例だろう。その場合、どちらか一方の感情だけが〝真〟で、もう一方が〝偽〟というわけではない。その両方が真実なのだ。
だから、昴は些細な矛盾など気にしなかった。彼女の遺してくれた言葉のすべてを心に抱き、己の糧として生かし続けてきた。
その結果、昴は目の前の怪物と互角に渡り合うほどの力を身につけている。
無論、すべてが努力の賜物というわけではない。自覚がないまでも、彼もまた特殊な資質を備えた存在だったのだ。
自らの能力を加速度的に向上させるという、その超常の力は、度重なる超自然的な存在との接触に誘発され、ついに開花していた。
だが、もし彼が姉の言葉を信じることなく強くなるための努力を怠っていれば、結局はその力に振り回されるだけで、なにもできないまま、すべてが終わってしまっていたことだろう。
だが事実として、昴はいまここに立っている。
守るべきものを見つけ、姉の言葉を信じ、いつかまた〝それ〟が現れたときに備えて、がむしゃらに強くなりたいと願い続けた成果がここにあった。
昴は怪物の動きを完全に見極めると、繰り出される刃をかいくぐって、蹴りでその足を払う。いかに人外の怪物とはいえ二本の足で立っている以上、バランスを崩すのは必定だ。
そして、よろめくその瞬間を見逃すことなく肉薄すると、渾身の力を込めた肘打ちを側頭部に叩き込んだ。
自分を模した怪物の顔が嫌な音を立てながら変形し、そのまま大地へと倒れ込む。
そこにすかさず、もう一撃――鋭い蹴りを躊躇することなく怪物の顔面に浴びせた。
まるで古い探偵ドラマのように、怪物の顔を覆っていたニセの皮膚がズルリと剥け落ちる。
そこから現れたのは赤い光を放つ目と、青みがかかった硬質の肌を持つ、人間とはまるでかけ離れた異形の素顔だった。
怪物は転倒したあとも、片腕に抱え込んだ制服を放そうとはせず、そのまま何度か立ちあがろうともがいていたが、昴がさらに容赦のない蹴りを叩き込むと、糸が切れた操り人形のように動きを止め、乾いた音をあげながら大地に倒れ伏した。
それを見て昴はようやく手を止める。
荒ぶっていた心が鎮まっていくと次に生んでくるのは疑問だ。
(しかし……なんなんだ、こいつは?)
あらためて怪物の姿を見据える。記憶の中にある骸骨のような怪物たちは、女生徒の制服を盗んだりせず、彼に化けることもなかった。何より形状がまるで違っている。かつて見た〝それ〟とは、まったく別種の怪物のようだ。
彼が思案を巡らせていると、木々の向こう側から鉄奈の呼び声が、足音を伴って近づいてくる。
「昴ーっ」
一瞬、そちらに注意が逸れた。
その途端、死んだかのように見えていた怪物が突如として跳ね起きる。
慌てて振り向く昴だが、怪物は跳躍して大きく距離を取ると、再戦を挑むことなく逃走を再開した。
「しまった!」
「まぬけー!」
追いついてきた鉄奈の罵声が昴の声に重なる。
「なろっ!」
自らの失態に苛立ちながらも、昴は鉄奈とともに怪物を追って走り出す。
怪物はすでにその全身を、人間とはかけ離れた異形のものへと変えていて、これまで以上の速さで林の中を猛進していく。
木々の枝で羽を休めていた鳥たちが、その勢いに驚いて次々と空へ飛び立っていった。
林の中を抜ける小道は、まずまずの広さがあり、ふたりが併走するぶんにも問題はない。だが道そのものは決して平坦ではなく、草や落ち葉に覆われた窪みが、そこかしこに隠れており、横から突き出した木の枝や、地面から浮いた木の根が、ここでの全力疾走をいっそう危険なものにしていた。
その険しい道を、昴たちは平然と駆け抜けていく。
やがて立ち並ぶ木立の先に、少し開けた見晴らしのいい場所が見えてきた。
硬い岩場が木々の群生に適さなかったのか、その一角には視界を遮るものがなく、陽楠市の西側に広がる町並みと、田園が一望できる天然の高台となっている。
そこに――小夜楢未来が立っていた。
「なっ!?」
驚きの声をあげたのは昴と鉄奈の両方だった。
彼らの眼前で怪物は未来に向かって突進していく。だが彼女は突然の出来事に放心してしまったかのように、茫然と立ち尽くしているだけだった。
「テレポートだ!」
つい先刻と同じシチュエーションに気づいた昴は、素早く鉄奈に指示を飛ばした。
「ラジャー!」
鉄奈が即答すると同時に、なぜか昴の視界が暗転し、奇妙な無重力感に包まれる。
次の瞬間、凄まじい衝撃が背後から襲いかかってきた。猛スピードのバイクか何かに、はねられたのではないかと錯覚するほどだ。同時に昴の体は大地へと投げ出され、ゴロゴロと林の中を転がっていく。
あまりの痛みに意識が遠ざかる中、鉄奈の嬉しそうな声だけが、やけにはっきりと響いてきていた。
「捕まえた!」
おそらく怪物を捕まえたのだろう。しかし昴はうつぶせに倒れたまま、ピクリとも動けない。
「まだ抵抗する気!?」
これまた鉄奈の声だ。直後になにかが破裂するような音がして、未来が小さく悲鳴をあげた。
それを聞いた昴は意志の力を総動員して体中の痛みに抗うと、死力を尽くす思いで上体を起こし、目を開けた。
視線の先に得意げに両腕を組んで仁王立ちになっている鉄奈がいた。その足下には怪物が転がっていたが、上半身がきれいに消え失せており、ぷすぷすと白い煙を噴きあげている。
そのさらに向こう側に、腰が抜けたように座り込んでいる未来の姿があった。
「何が……あった……というか……起きたんだ?」
見当がつかなかったわけでもなかったが、とりあえず鉄奈に確認してみる。
「うん? 昴の指示に従っただけだけど?」
悪びれることなく答えてくる。
「どんな……指示だった……?」
「だから昴をテレポートさせて、怪物の行く手を遮ったのよ」
「…………」
思った通りだった。昴は怪物にはねられたのだ。
彼としては、つい先ほど由布子を守ってくれたときのように、鉄奈がテレポートして未来の前でバリアを張る――という展開を思い描いていたのだが、鉄奈はとんでもない勘違いをしてくれたようだった。
「おまえなぁ……」
非難がましい視線を向けても、鉄奈は意味がわからないようで、きょとんとしている。
昴はとりあえず自分の体の状態を確かめながら立ちあがった。意外なことに怪我らしい怪我もなく、痛みも一過性のもので、いまは嘘のように退いている。鉄奈の勘違い以上に自分の頑丈さに呆れるような心境だ。
もっとも、実際にはほとんど自分の勢いで転んだだけで、背中に感じた衝撃にしても、驚きが生んだ錯覚だったのかもしれない。
「昴……わたしなにか間違えた?」
不安そうに眉を寄せて鉄奈が問いかけてくる。叱られるのを怖がる子供の表情だ。こんな顔を向けられたら怒るに怒れない。
「いや、思い通りにはいかなかったけど、べつに打ち合わせしてたわけでもないからな」
昴が肩をすくめて笑うと、鉄奈もどこかほっとしたように笑みを浮かべた。
「あ、あの……」
それまでじっと座り込んだままだった未来が、ようやく細々とした声を出した。その表情にはどう見ても怯えの色が浮かんでいる。
「わりい……驚かせちまったな」
昴はどう説明するべきかと迷いながら、足下に落ちていた赤いスケッチブックを拾い上げた。
「あっ――」
未来が小さく悲鳴をあげる。
「大丈夫だ。勝手に見やしないよ」
苦笑しながら、ページを開くことなく彼女に手渡してやる。
「……ありがとう」
未来はスケッチブックを受け取ると、大事そうに抱え込んで礼儀正しく頭を下げた。よほど大切なものなのだろう。
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