第17話 間に合わない
昴のニセモノは校舎の脇をすり抜け、花壇を踏み荒らし、機械じみた一定のスピードで走り続ける。昴はそれを追いかけて走り出したものの、相手の逃げ足は異様に速く、追跡は困難かと思われた。
だが実際に追いかけてみれば、彼の足は驚くほどの力を発揮し、差は縮まらないまでも、振り切られることもなく、ニセモノに匹敵するスピードで追跡することができている。
彼の左右には、同じように人間離れしたスピードで走る鉄奈と柳崎の姿があった。
綾川たちはショックで茫然としていたためか追ってくる気配はない。あるいはそもそもついて来られなかっただけかもしれないが。
「なんで超能力で捕まえないんだ?」
昴は鉄奈の横に追いつくと、当然の疑問を投げかけた。
「ひと目があり過ぎるでしょ」
「念力なら目に見えないだろ? それで足下をすくうとか」
「このスピードで走ってちゃ難しいわね。それに、あいつ人間じゃないから効くかどうかもわかんないし」
「人間じゃない……!?」
目を丸くする昴。だが冷静に考えてみればこのおかしな状況が、ありきたりな日常から集めた部品だけでできているとは考えにくい。
「怪物……なのか」
過去の記憶が脳裏をかすめる。二度と経験したくない出来事だが、今日まで昴が自分を鍛えてきたのは、まさしくそれに備えてのことだ。
「怪物大いに結構! 三丁目のポチとの戦いは前哨戦に過ぎない! これこそ俺たちが戦うべき真の敵だ!」
柳崎男が心底嬉しそうに言った。どうやら怪物に怯えるような、まっとうな神経は持ち合わせていないらしい。いや、あるいは昴同様、それらの存在を知っていたという可能性もある。なんといっても超能力者を平然と部員に加えるような男だ。
そう考えれば、いくら周囲にバカにされようと、決してくじけることなく愛と正義の素晴らしさを訴え続けるこの男の気持ちが……まあ、ちょびっとはわからなくもない。
そんなことを考えている間にも、ニセモノは部室棟の裏を走り抜け、学園の裏門に向かって遁走していく。その先にある広い林に逃げ込むつもりのようだ。
――だが、その行く手を阻む人影があった。
「由布子!?」
昴は思わず声をあげていた。
そこにいたのは体操服姿の由布子だった。彼女もまた愛着のあるブレザーの制服を盗まれた被害者のひとりだったのだ。
四時間目の体育の終了後、更衣室から制服が盗まれたことを知った彼女は、犯人が逃走中との情報を聞き、憤慨しつつも、その逃走経路を冷静に分析してみた。
陽楠学園は比較的高い塀とフェンスに周囲をぐるりと囲まれていて、大量の制服を抱えたまま、それを乗り越えるのは困難だ。
となれば、犯人が学園の外に出る道は、自ずと限られてくる。
おそらくは正門か裏門だろう。他の道もないではないが、普段それらはすべて厳重に鍵がかけられ、固く閉ざされているからだ。
そして正門が人目に付きやすく、真っ先に封鎖されるであろうことを考えれば、犯人が選べる場所は裏門しかないはず──そう判断し、彼女はここに先回りしたのである。
由布子はその手にプール掃除用のデッキブラシを携えており、それをバトンよろしくグルグルと回したあと、ブンッと風を切って正眼に構え直した。
「この変質者! わたしたちの制服を返しなさい!」
ふたりの昴を目にしても驚かないところを見ると由布子は最初から犯人をニセモノだと決めつけていたようだ。だが、それでも彼女はそれを人間の変装程度にしか思っていないはずだ。
(――嫌な予感がする)
なにかが胸の奥でざわめくのを感じた。
『――女の子を鋭い刃物でバッサリと――』
予知夢の続きが脳裏をかすめる。瞬間、昴は反射的に声を張り上げていた。
「由布子、逃げろ!」
異変は昴が叫ぶのとほぼ同時に起きた。
ニセモノは右脇に抱えていた制服の束を宙に放り投げると、自由になった片腕を大きく振りあげた。その腕が――ジャキンッという金属音を立てて鋭い鎌へと形を変えたのだ。
「――なっ!?」
狼狽し、目を見開く由布子。
昴も同じ心境だったが、彼には驚いて立ち止まる余裕はない。本性を現した怪物が由布子の元に辿り着く前に追いつき、攻撃を阻止する――それができなければ、由布子もまた、あの日の姉のように……。
しかし、それは絶望的な距離だった。
無自覚ながらも、さらに加速しスピードを上げていく昴だったが、それでもまだ足りない。彼が追いつくよりも、怪物が由布子を引き裂くほうがどう考えても早かった。
昴の脳裏に姉の言葉が甦る。
『昴、この世はすべて必然でできているの。それがどんなに奇跡的なことに思えても、そのすべてには原因となった理由がある。だから……』
だから、昴は自分を鍛えてきた。もう二度と大切なものを失わないように。二度と無力に譲らないように。
だが――
(間に合わない! 間に合わないんだ!)
絶望的な焦燥が心を埋め尽くしていく。
怪物との差は急速につまりつつあったが、それでもあとわずかなところで間に合わない。間に合わないことを理解してしまう。
由布子に肉薄した怪物は、その勢いを殺すことなく鋭い鎌となった腕を振り上げる。
全身から血の気が引いていく音を聞いたような気がした。昴にとってこの世で最も大切な少女が、目の前で引き裂かれようとしている。
奇跡でも起きない限り、それは確実で、奇跡を起こす要因はこの世のどこにもないように思えた。
だが――次の瞬間響いたのは由布子の絶叫でも肉を引き裂く音でもなかった。
ブォンっという、くぐもった音が響き、怪物の刃が押し戻される。まばゆい球状の壁が、その一撃を簡単に弾き返していた。
その光の壁の中に、ついさっきまで昴の後ろを走っていたはずの鉄奈が立っている。厳しい表情で由布子を背に庇うようにしながら、怪物を睨みつけていた。
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