第16話 おまえはタカになるんだ
うららかな昼下がり、学校ではすでに昼休みが始まっている時刻。一度家に戻っていた昴は、再び学校を目指して自転車を走らせていた。
「――俺はアホか」
自分を罵りながらペダルをこぎまくる。
「昨日の今日でいなくなったりしたら、由布子が心配するだろうがっ」
それに気がついたのは不覚にも、ついさっきのことだ。
気丈な由布子のことだ。ヘタをすれば美剣姉妹につかみかかって返り討ち――などということにもなりかねない。
相手が姉の鋼ならば、話し合いで穏便に解決するだろうが、妹の鉄奈にはチョップの前科がある。
「とにかく急げ、俺!」
昴はいつも以上の猛スピードで長い坂道を上っていく。上り坂だというのに流れる風景は下りさながらだった。
それはすでに人間を超えた領域に突入していたが、このときの昴に、まだその自覚はない。
タイヤを鳴らしながら自転車置場へと飛び込むと、いつもの定位置ではなく、一番手近な場所に止めて施錠もせずに走り出す。
そのまま中庭を抜けて校舎の入口へと向かう途上で、
「伏せろ!」
と、いきなり背後から声がかかり、頭を低く押さえつけられてしまった。
「イテっ」
そこはちょうど鉄奈のチョップをくらった場所だ。
痛みに顔をしかめつつ振り返ると、案の定、月見里天晴の顔がそこにある。彼は植え込みの陰に身を隠しながら、注意深く周囲の様子を窺っているようだった。
とりあえず、それに倣って身を低くすると、昴は横目で月見里に話しかけた。
「徹夜明けなのにご出勤か?」
「今日は午後から
ニヤリと笑う月見里。今朝見たときに比べれば、顔色はかなり良くなっていた。山査子先生とは彼がお熱を上げている女教師のことだ。美人に会うためなら徹夜を押してでも学校に来るらしい。
もっとも、その血色のいい顔を見る限り、学校に来たあとで真面目に授業を受けていたとは到底思えない。
「おまえ……授業中寝てただろ」
ジト目で指摘するが月見里はそれには答えず、意味不明のことを重々しく語り出した。
「葉月昴よ、おまえって実は大物だったんだな。しかし、いかんせんおまえは素人だ。自分の力量を過信してはいけなかった。なぜその道のプロであるこの俺に、ひと言相談してくれなかったのか。今となっては、ただそれだけが、ひたすらに悔やまれる」
旧友の死でも惜しむような口調だ。
「頼むから日本語で話してくれ」
「女子更衣室――消えてしまった数々の制服」
「おまえ、それは犯罪だぞ」
「それがわかっていたなら、なぜあんなアホウなことをしてしまったんだ」
まるで息子の過ちに涙する父親といった面持ちだ。
昴はぽかんと口を開けて彼を見た。
「待て、月見里……」
「自首はダメだ。殺気だった女どもは大名行列よりも危険だ」
「意味がわからん」
「男だったら高飛びだ――タカトビ――なんか響きも格好いいしオススメだ」
「そうか?」
「ああ、タカだ。おまえはタカになるんだ。そして、ピーヒョロローコケコッコーと空を飛べ」
「なんでトンビとニワトリなんだ?」
「鷹の鳴き声がわからん」
真面目につき合っていると、どんどん脱線していく。
「――見つけたわ!」
そこに響いた鋭い声。昴たちが慌てて顔を上げると、女生徒の集団がそこに立っていた。誰もが険悪な表情でこちらを睨みつけている。
「見損なったわよ、葉月くん!」
学級委員である綾川が、怒りも露わに指を突きつけてきた。
「マズいぞ昴――綾川は空手八段だ! おまけに巨乳だ!」
月見里は真顔で言ったが、いくらなんでも八段なわけがなく、巨乳はこの際関係ない。とはいえ彼女が空手をやっているのは事実で、その実力は全国区という噂だ。
「濡れ衣だ!」
昴はバッと立ちあがって叫ぶ。実際、彼はたった今ここに来たところだ。制服泥棒などできるわけもない。
「しらばっくれてもダメよ。ちゃんと何人もの目撃者がいるんだからね!」
綾川は切って捨てるように言った。その怒りの表情には微量ながら悲しみの粒子が含まれているようにも見える。真剣なのは明らかだ。彼女の背後では集まった女生徒たちが後押しするような声をあげている。
さすがにとまどう昴だったが、ふと脳裏になにかが引っかかるのを感じた。
(そういえば、たしか鋼さんが予知夢で……)
昴が破廉恥な行いをする――そう言っていた。
だが、彼にはアリバイがあり、操られてもいない――となると残る可能性は。
「……俺のニセモノか」
「はあ?」
綾川は思いっきりバカにしたような声をあげた。
「いったいどこの誰が、わざわざあなたに化けてまで、制服泥棒なんていう酔狂な真似をするって言うのよ?」
「それは――」
答えあぐねた昴は、とりあえず適当に月見里を指差した。
「こいつ――とか」
「あのなぁ……」
今度は月見里が呆れた。しかし、綾川は呆れなかった。
「おまえかぁぁぁぁっ!」
指差す相手を変更して大声をあげる。
「なんで信じる!?」
理不尽な展開に狼狽する月見里。
「なんかやりそうだし!」
綾川が言うと、その背後で他の女子たちも一斉に頷き、ついでに昴も頷いた。
「昴! おまえ親友を裏切る気かよ!?」
「いや、だってさっき、その道のプロを自称してたし」
「それは言葉のあやだ!」
バカなやりとりを続けてはいたが、昴としても、本気で月見里を疑っているわけではない。月見里は確かにスケベだが、衣類を盗むほど病的ではないし、それ以上に誰かに濡れ衣を着せようとする人間ではない。
とはいえ、昴もまた無実だ。無実である以上、綾川に叩きのめされるのはごめんだし、叩きのめされたところで盗まれた制服を返せるはずもない。
どうしたものかと思案していると聞き覚えのある怒声が遠くから響いてきた。
「昴ー!」
昴はその声の主――美剣鉄奈に思い当たると頭を抱えた。
(ああ、またややこしいヤツが……)
しかし、続いて発せられた言葉は、彼の予想にないものだった。
「そいつを捕まえて!」
昴を含むその場に居合わせた全員が、声の方向へと視線を移す。
すると、校舎の影から彫像のように無表情な葉月昴が、全力疾走しながら姿を現した。
しかもその両脇には大量のブレザーやらセーラー服やらスカートやらを抱えている。
「なんだぁ!?」
昴は仰天して声をあげた。
自分でニセモノ説を出しておいてなんだが、いざそれが目の前に現れると、さすがに平静でいられるはずもない。
しかも、それが――その無表情な顔はともかく――完璧に瓜二つとなればなおさらだった。
もちろん驚いたのは昴だけではなかった。綾川を始めとする女生徒たちも茫然として、そのニセモノを見つめている。
ニセモノの背後には、それを追いかけて走る美剣鉄奈と柳崎男の姿があった。
「昴、おまえって、とうとう連邦軍に正式採用されたんだな。まさか量産型が現れるとは俺も驚いたぞ」
全然驚いた様子もなく月見里が言ったが、それに構っている暇はない。
植え込みを軽々と飛び越して着地すると、昴は目の前を通り過ぎていったニセモノを追って、猛スピードで走り出した。
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