第13話 月見里の冒険

 陽楠市は、ひとことで言って田舎町だが、電車に十分も乗れば、それなりに賑やかな臨海都市に出られるので、買い物等の不便はあまりない。

 この町の人々は隣町のことを『けっこう都会だよなー』などと言っていたが、本当の都会に住む人から見れば隣町など、ただの〝田舎〟で、陽楠市は〝辺境のど田舎〟ということになってしまうだろう。

 しかし、田舎の人間だって都会の人々に言ってやりたいことがある。都会の人々の中には『都内の空も青くてきれいだよなぁ』などと感慨に耽る輩もいるが、そんな青さはニセモノだ。

 見よ、この澄んだ空気! 美しき朝陽の燦々たる輝きを!

 ――などと妙なノリに耽ってしまったのは、やはり徹夜してしまったせいかもしれない。

 月見里天晴は、アクビをかみ殺すとともに、脱線する思考を振り払った。

 彼はいま高月家に向かって歩いている。

 結局、昴は見つけられなかった。

 あれから学校に向かった月見里は、当直の教師に美剣姉妹のことを尋ねてみたのだが、日頃の行いがたたって、ナンパ目的と勘違いされた挙げ句、長々と説教されかけてしまった。

 慌てて学校から逃げ出すと、今度は発想を変えて友人や知人に手当たり次第電話をかけまくった。ところが、彼女たちの交友関係は極めて狭いらしく、時間と電話料金を浪費するばかりで、どこに住んでいるのかさえ判然としない。

 やがて意を決した月見里は、夜の職員室に忍び込むという泥棒まがいのことまでして、なんとか学生名簿のコピーを入手した。そこには姉妹の住所や電話番号はもちろん、通学方法までもが記載されており、彼女たちが隣町からの電車通学であることが、ようやく判明したのだ。

 ――が、しかしその時にはすでに終電は過ぎてしまった後だった。

 しかたなく公衆電話から美剣宅に電話するも繋がらず、月見里は起伏とトンネルの多い陽楠市の町中をマラソン選手のごとく走りつづけ、苦労の末に、ようやく彼女たちの実家へとたどり着いたのだった。

 はたして――彼女たちはそこに居た。

 眠そうな瞼をこすりながらも、懇切丁寧に応対してくれた美剣鋼は「彼はとっくに帰りましたよ」と言って月見里を脱力させた。

 その後しばらく鋼と対話をつづけた彼は、彼女たちは危険な人間ではないと判断して帰路に就いた。

 途中、自販機でジュースを買って喉を潤わすと、念のために高月家に電話をかけようとして――そこで手持ちの金銭が尽きていることに気づき愕然となった。

 やむなく一度は帰宅しようとしたものの、万が一、鋼が嘘をついていれば、由布子はひとりぼっちで、心細さに震えているということになりかねない。

 かくして月見里は、重たい足を引きずるようにして、再び高月邸へと舞い戻ったのである。


「疲れたー」


 これ以上の冒険は勘弁して欲しいと、心の底から願いつつ、バルコニーの階段を上って、昴の部屋に向かう。

 さすがに時間が時間だけに、中に入る前に、まずはノックをしようと手を上げかけ――その手が硬直したように止まった。


「なんてこった」


 窓から室内を覗き見た月見里は、言葉に反して嬉しそうな表情を浮かべると、そっと扉を開けて中へと入り、足音を殺してゆっくりとベッドの脇まで移動していった。



「おーい、起きろ」


 小声で囁かれる聞き慣れた声に、昴はゆっくりと瞼を開けた。


「……月見里?」


 ぼんやりと目を開けた昴は、そこに彼がいることに、少なからず疑問を感じながらも、ゆっくりと身を起こしかけた。


「痛っ」


 頭頂部に鈍い痛みが走る。おかげで一瞬で目が醒めた。


「くそっ、あのドピンク女……て、なんで家に戻ってるんだ?」


 予想に反して、そこはどう見ても部室ではなく見慣れた自室だった。

 東側の窓には昨夜からカーテンがかけられたままたが、南側の窓から見える外の景色は明るく、夜はとっくに明けているようだ。

 昴の記憶は鉄奈に殴られたところまでしかなかったが、その寸前に思いついたことは、しっかりと覚えている。どうやら彼女には記憶を消す力まではないようだ。


(しかし、異世界人とはね……摩訶不思議大行進だ)


 なげやり気味に考えつつ顔を上げると、月見里のにやけた顔が飛び込んでくる。彼はしきりに昴の隣を指差しているようだった。


「?」


 その意図がわからず、不思議に思いながらも、指し示す方へと視線を向ける。


「なっ――!?」


 その瞬間、昴は仰天して目を疑い、次に自分の正気を疑った。

 自分のすぐ傍らに、静かな寝息を立てて眠る高月由布子の姿があったからだ。

 ベッドから逃げるように飛び出した昴は、慌てて自分の身なりを確かめ――もちろん由布子ではなく、自分の品行を疑ったのだ――異常がないことを確認すると、次いで彼女の体を覆い隠していたシーツに手を伸ばした。

 恐る恐るめくって中を確かめてみる。

 ――ちゃんと服を着ていた。昨日最後に見たときの格好のままだ。


「昨日はお楽しみでしたね」


 月見里はどこかで聞いたことのあるような棒読みの台詞を口にして、冷やかすよな笑みを向けている。


「おまえなぁ」


 昴は動揺から未だ立ち直れぬまま、彼の眼前で拳を握りしめた。


「怒るな怒るな。それよりこの状態をなんとかしねえと」

「言っとくけど俺は潔白だぞ」

「わかってるって。おまえにそんな甲斐性があるわけない」


 信用されているというよりは、小バカにされているようだ。


「しかしアレだな――見つけたのが俺じゃなかったら、家の者が旅行中なのをいいことに、ふたりで危ないビデオを見た若い男女が、勢いで一線を越えちまったと思うだろうな」


 月見里はどう見ても面白がっている。


「怖ろしいことを言うなっ。んなことになったらおじさんとおばさんに顔向けできねえ」

「いや、理解あるんじゃねえか、ここの親御さんは。むしろ狙っているようにも見える」

「俺たちはまだ高校生だぞ! それに俺と由布子はそういう関係じゃない!」

「じゃあ、俺がそういう関係になろーっと」


 月見里はバカな冗談を口走りながら、由布子の横に、どたっと寝そべってしう。


「おい!!」


 目尻を吊りあげる昴。


「いや、実は俺って結構こういう気の強い女が好みって――ぐえっ!」


 月見里は言葉の途中で突然うめき声をあげた。見ると、目を閉じたままの由布子の肘が彼の腹部にめり込んでいる。


「ゆ、由布子――」


 昴は慌てふためいた。この状況をいかに説明するか、なにも思いつかない。

 由布子は焦る彼の眼前で目を開くと静かに上体を起こす。不機嫌指数百二十パーセントの顔がゆっくりと昴へと向けられた。


「おはよう」


 由布子はポツリと挨拶の言葉だけ残すと、すっと立ち上がり、そのままスタスタと部屋から出て行ってしまう。


「…………」


 茫然と立ち尽くす昴。由布子が何を考えているのかサッパリわからない。


「ぜ、前言撤回……やっぱ俺……聖母様のようなやさしい女がいい……」


 背後で月見里が断末魔のような呻き声をあげた。

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