第10話 映画鑑賞会
昴の居候先でもある高月邸は、低い山のふもとに佇む洋風建築だ。
広々とした庭と母屋のハイカラな外観が家主の自慢であり、町内でも一際目を引く建物だった。
昴の部屋はその家の二階、東側の角にある。広々とした洋室にはあまり物がなく、無趣味を絵に描いたような状態だったが、テレビとビデオデッキは設置されていた。
もちろん、テレビに興味のない昴が、これらを買い求めるわけもなく、双方とも、ときおり思い出したように届けられる、両親からの贈り物だ。
部屋の片隅に置かれた使い古された訓練用の木刀が、唯一彼の個性を現す物品かもしれないが、実はこれも貰い物で、くれたのは彼の師匠を自称する知り合いの女だ。
他にあるものといえばベッドやクローゼットといった基本的な家具と、テレビの前に置かれた小さなテーブルぐらいで、学習机や本棚は別の部屋だった。
室内の東と南側には窓があり、南側の窓は縦長で二階をぐるりと一周している広いバルコニーにへの出入り口も兼ねている。
バルコニーには一階への階段が設けられていて、そこを通れば玄関を経由することなく、直接彼の部屋まで上ってくることも可能だ。
月見里天晴は、たいていそうやってここを訪れる。この日も例外ではなく、彼はスーパーのビニール袋を片手に階段を軽快に駆け上って、時間どおりに姿を現した。
「オッス、相棒」
ノックもせずに窓を開けると、左右の足を振って適当に靴を脱ぎ捨てる。そのまま返事も待たずに室内へと上がり込んでくるが、これもいつものことだ。
「誰が相棒だ」
ベッドに寝転がっていた昴はあくびまじりに言った。待っているうちに少々眠気がさしてきていたためだ。
「いやー、相変わらずセキュリティのあまい家だよなぁ。これなら御両親に気づかれることなく、簡単に娘さんを拉致できそうだぜ」
西側の壁を透視でもするかのように見つめる月見里。その壁の向こうには由布子の部屋がある。
「そんな事件が起きたら、第一の容疑者はおまえだからな」
昴は少し不機嫌そうな顔で体を起こした。月見里はその態度を見て微かに微笑んだ後、部屋の片隅にあるテレビへと向かう。テレビの下にはガラス戸があり、その中にビデオデッキが収まっていた。彼は鼻歌まじりに電源を入れると、鞄から取り出したラベルも貼られていない怪しげなビデオテープをセットする。
「いきなり見るのか?」
「食料とドリンクなら、ちゃんと持参したよ」
月見里は手に提げていたスーパーの袋を持ちあげて言った。中には定番のスナック菓子と数本のペットボトルが入っている。
それらを取り出して、小さなテーブルの上に並べると、彼はビデオのリモコンを手に感慨深げにつぶやいた。
「いやー、ホントいい時代になったよなぁ」
「何がだよ?」
「ビデオさ。こいつは実に素晴らしい発明だよ。見たい番組がいつだって見られるんだからなぁ」
「すぐにそれが当たり前になるさ」
「かもなぁ」
実際、文明の進歩は止まることを知らない。夢の超特急などという言葉は、彼らにとっても古くさいものではあるが、このビデオという物もあと何年かすれば旧式化し、新たな媒体がスタンダードとなるだろう。
「けど、やっぱりいいもんだぜビデオは。ガキの頃にこれがあれば、俺も修学旅行に行けたもんなぁ」
月見里は小学生時代、心から溺愛していたアニメの最終回を見逃したくないために、修学旅行を棒に振ったことがあるらしい。彼はべつにそのことを後悔していないと言うが、お祭り好きの彼のことだ。どちらかと言えば行きたかったに違いない。
「さて、それでは映画鑑賞会スタート」
月見里はリモコンの再生ボタンを押し、続けてテレビの音量を絞った。
「おい、小さすぎるだろうが」
「大きいと、ご近所に迷惑だからな」
近所と言っても、この辺りは家がまばらで、隣の家までは結構離れている。たとえその〝近所〟が隣室の由布子のことだとしても、いくらなんでも下げ過ぎだった。
なんとなく嫌な予感を覚えながら画面を見つめていると、やがてブラウン管にデカデカと成人指定の文字が映し出される。
「おい――!?」
「静かにしろ、昴。いよいよ感動の物語が始まるんだ」
月見里は早くも手に汗握りといった感じだ。
「いや、感動じゃなくて官能だろうがっ」
「昴、これは男ならば誰もが通らねばならん道なのだ!」
必要以上の真顔で言い切ると、途端に砕けた顔になってつづけた。
「おまえだって、興味はあるだろ?」
「それは――」
思わず言葉に詰まる。思春期の若者の常として、当然ないわけがない。人並み以上にスケベなのではないかと自分を疑ってさえいる昨今だ。
昴はごくりと唾を呑み込むと、窓の外をそーっと見回した。人影が無いことを確認すると静かに鍵を掛け、大きな音を立てて怪しまれないようにと、必要以上の慎重さでカーテンを閉める。
「ふぅ……これでよし」
作業を終えて額の汗を拭うと、テレビの前に向かおうとして――またもや由布子と目が合った。
「どわっ!」
驚いて後ずさる昴。
いつの間にか廊下に面したドアが開け放たれており、コーヒーカップを盆に載せた由布子が立っていたのだ。
(バカな! なぜ音もなく扉が!? 忍者か、こいつ!)
などと焦りつつ、そもそもその肝心の扉を閉めていなかったことを思い出す。
納得――している場合ではない。
テレビ画面には、すでに説明困難なほどの、たいへん不道徳な映像が流れ出しており、このままでは彼が変態扱いされてしまうのは必然だと思えた。
しかし、この状況であるにもかかわらず、月見里は平然とその視線を彼の背後へと送って――
(背後?)
そこで昴はようやく気がついた。
月見里だけではない。由布子もまた昴を見ていなければ、テレビの映像を見ているわけでもない。
――にも関わらず放心したかのように昴の背後にある、なにかを見つめているのだ。
昴が恐る恐る振り向こうとすると、それより早く背後から少女の声が響いてきた。
「なるほど――こういう性癖の人だったんですね。やはり思考を読んだだけでは、その人の本質を知ることなんてできませんね」
冷たい声に頭を抱える昴。姿を目にするまでもなく、その声の主はわかっている。頭痛の種が早くも再来したのだ。
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