第6話 わたしはまともです

 屋上へと続く扉は、北と南の両校舎共に、下校時間まで解放されているのが常だ。

 やや高めのフェンスで囲まれた屋上には、花壇やベンチが設けられ、昼休みは昼食をとる学生たちで賑わう憩いの場所となっている。

 そこに小柄な女生徒がひとりポツンと佇んでた。


(ラブレター説濃厚か……いや、無関係な女の子が休憩してるだけかもしれない)


 開きっぱなしの扉の影から、こっそりと少女の姿を観察してみる。

 肩口までの短い髪と赤い瞳。同世代の女生徒に比べ群を抜いて小柄で、ヘタをすれば中学生――いや、小学生と見間違えられそうなほどだ。頭にはリボンのついたツバのない帽子を被っていて、それがよく似合っている。

 見覚えがないこともない。ただし名前は知らず、話をしたこともない。廊下やグラウンドで何度か見かけたことがあるという程度だが、ある意味目立つ少女なので印象には残っていた。

 彼女はその体型に反して、いつも大人びた笑みを浮かべているというイメージがあったが、いまは思いつめたような顔をして、じっとを待っているようだった。


(――て、俺じゃねーのか?)


 昴は自分にツッコミを入れると、とりあえず彼女に向かって歩を進めた。

 あまり足音は立てなかったが、気配でも感じたのか、少女がすっと振り返ってこちらを見た。


(かわいい娘だな)


 他意はなくそう思う。おそらく彼女と出会った大半の人間は、男女問わず同じ感想を抱くだろう。


(えーと……)


 少女の前に進み出たはいいものの、どう切り出せばいいのか迷ってしまう。

 なにせ人生で初めての経験だ。緊張するなと言うほうが無理だ。

 ただ幸いながら、不自然な沈黙は長くはつづかなかった。彼女のほうから話しかけてきたのだ。


「手紙……読んでくれたんですね」


 少女は昴の様子をやや上目で見るようにしながら――背が低いので当たり前だが――落ち着いた口調で話しかけてくる。


「ああ、読ませてもらったよ」


 表層的には平静を装って答えた。ただし、内心ではさすがに心音が加速中である。人違いでなかった以上、ラブレター説は濃厚のはずだ。

 告白されたら、どう返答すればいいのか?

 受けるのか断るのかさえ、まだ考えていない。


「美剣――〝はがね〟さんでいいのかな?」

「はい」

「…………」


 ここでいきなり昴はつまってしまった。とりあえず読み方の分からなかった名前について訊いたはいいものの、つづく言葉が出てこない。まさか「変な名前だね」とは言えないし「個性的な名前だね」というのも微妙に失礼な気がする。かといって「かわいい名前だね」というのは嫌味に取られかねないだろう。

 小夜楢未来に対してそうだったように、普段なら言葉などすらすら出てくるのだが、経験の乏しい恋愛絡みの状況に、すっかり浮き足立っていた。


(名前の話題をふった時点で失敗か!?)


 思わず頭を抱えそうになる。

 とりあえず話題を転じたほうが良さそうだ。そう考えて口を開きかけたところで、今度も先に彼女のほうから話しかけてきた。


「あのっ、突然で驚かれるかもしれませんが――」


 鋼は、やや強張った表情を昴に向けた。いかにも愛の告白をしてきそうな雰囲気だ。焦りながらも期待しつつ、昴は続く言葉を待った。

 その目の前で鋼の瞳に強い決意の色がにじむ。


「わたしと……」

「君と?」


 ごくりと唾を呑み込む。あと一息で決定的な言葉が紡がれるに違いない。


「わたしと、戦ってくださいっ!」


 閑散とした屋上に少女のかわいらしい声が勇ましく響き渡った。

 確かに決定的ではあったが、決定的に想定外だった。


「…………」


 昴は言葉を失くして、なんとなく空を仰いだ。

 今日も天気は快晴で、白い雲がマイペースに漂っている。いつも主体性無く、風任せに流れていく雲は、水辺の木をかじり倒してはダムを造るビーバーの勤勉さをいかに捉えているのだろうか。


「ふぅ……」


 答えのでない命題に思わず溜め息をつく。


(雲みたいな生き方もアレだけど、ビーバーみたいに忙しいのも嫌だよなぁ)


「か、覚悟は、よろしいでしょうか?」


 鋼の声が戻りたくもない現実に昴を引き戻す。


「よろしくないっ!」


 戻ると同時に怒鳴っていた。


「そんなっ」


 鋼は、なぜか裏切られたかのような表情を向けてくる。


「意外に思うところじゃないだろっ。俺には君と戦う理由なんて、これっぽっちもないし、そもそも戦いを挑まれる理由がわからん!」


 色んな意味で理不尽さを感じながら怒鳴り散らす。対する鋼はドキッとするほどの真剣な眼差しを昴に向けてきた。


「理由は簡単です――」


 わずかな間を開けて、迷いのない表情で言葉をつづける。


「学園の平和を守るために!」


 その眼差しは百パーセント本気に見えた。


「………………」


 昴はなんとなく中庭を見おろした。女子空手部一行がグラウンドのほうから戻ってくるのが見える。おそらくは走り込みから帰ってきたのだろう。

 先頭を歩いているのはクラス委員の綾川潤子だ。彼女は昴が掃除当番をサボると鬼のように怒る。


(そうだよな、掃除はちゃんとしないとな)


 昴は由布子の母が旅行に出て以来、一度も自分の部屋を掃除をしていないことを思い出した。


「よし、今日は真っ直ぐ家に帰って部屋の掃除をしよう!」


 元気よく宣言する。


「立つ鳥跡を濁さず――ですか?」


 鋼は澱みのないきれいな声で怖ろしいことを言ってきた。その言葉に寒気さえ感じたような気がして、昴は慌てて聞き質す。


「どこに立つんだよ!?」

「あの世です」

「勝手に殺すな! ――というか殺す気なのか!?」

「できれば殺したくはありません。ですが、説得が通じない以上は……」


 苦渋の選択です、とでも言いたげだ。


「通じる通じない以前に、まだ説得もされとらんだろうが!」

「じゃあ、応じてくれるんですか?」


 鋼は拍子抜けしたような顔をした。


「学園内で破廉恥な行いをしたあげく、女の子を鋭い刃物でバッサリやっちゃうようなあなたが?」

「待て待て待て待て!」


 昴はあまりの言いがかりに混乱しつつ、あらためて目の前の少女を見据えた。

 ひょっとしてではなく、かなりの高確率でこの少女はいかれていのではなかろうか――そう考えた途端だった。


「わたしはまともです」


 ――と鋼が言った。

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