第8話 旧友の来訪

***




 ジゼルは自室の窓から外を覗いた。

 警備兵が二人立っている。それから、ほんの少しだけ扉を開けた。やはり、警備兵が二人立っている。

 そっと扉を閉めると、そのまま扉にもたれかかった。


「……はぁ」


 彼らは全員ジゼルの脱走防止要員。他にも複数の気配を感じるので、恐らく、十人以上いるだろう。


(こんな軟禁、冒険中にもされたことない。あるとしたら、村ぐるみで罠にかけられそうになったときくらい? あのときは皆で、出されたご馳走を食べて眠らされたフリをしたっけ。それから、村長の目を盗んで逃げだしたんだよね)


 当然のことながら、逃げようと思えば逃げることはできる。

 それでも無理やりジルの元へ行こうという気力は湧いてこなかった。


 薬草摘みを見つかってしまった帰り道に、アーサーから言われた言葉が蘇る。


『もう二度と君を危険な目に遭わせたくないんだ。どうか分かってほしい』

『現にジルさんとの出会いは、ジルさんが小型魔物に襲われていたときだったんだろう?』


 アーサーの想いを否定することなんてできなかった。


(どんな選択をしていれば最善だったんだろう。アーサーに、認めてもらえていたんだろう)


 ぐるぐると思考がループする。何一つ気力が湧いてこない。


(落ち込んだときって、どうやって立ち直るんだっけ……)


 悄然としたまま少しも動けないでいると、扉がノックされた。なんとか起き上がって扉を開けると、廊下に立っていたのはイネスだった。


「ジゼル様、ごきげんよう」

「……イネス」


 窓際のテーブルを挟み、ふたりは向かい合って椅子に腰かける。

 テーブルの上には刺しかけの刺繍と図案が置かれたままだ。


「貴族言葉だと伝わらないと思うので直接的に申し上げますわ。お兄様のことを、責めないでさしあげてください」

「責めるだなんて、そんなつもりは」

「お兄様はずっと不安だったのです。ジゼル様の活躍が聞こえてくる度に、怪我をしていたらどうしようと心配していました。どうしてお兄様が体を鍛えるようになったか、ご存じですか?」


 ジゼルは首を横に振った。

 成長期を経たとはいえ、あまりの変わりように驚いたのはつい最近のことだ。


「ジゼル様が王都へ発ってすぐのことです。オルレアンに帰ってきたときには自分が守るのだと決意して、騎士団に志願しました。背丈が伸びていくにつれて心も体も強くなっていくのが見ていて分かりました。お兄様には当然のように結婚の話も幾度となく持ち上がりましたが、すべて断ってきました」


 恋愛結婚なんて望んではいけない立場だというのに、とイネスは一呼吸置く。


「勇者に相応しい人間になる、というのが口癖でした。わたくしもそんな風に、夫となる者から愛されたい。子ども心に、そう思ったものです」


 イネスが去った後、ジゼルは椅子に座ったまま窓の外を眺める。

 陽の沈みかける空に、白い鳥が空高く羽ばたいていくのが見えた。




***




 ダンスホールは招待客で賑わっていた。

 着飾ったジゼルはアーサーに寄り添って、客との会話に相槌を打つ。

 一年に数回催される辺境伯主催の舞踏会は、アーサーにようやく伴侶ができたということで待ち望まれての開催となった。次から次へと交わされる挨拶は、結婚式とは違う目まぐるしさがあった。


「ご結婚されてもうすぐ半年ですね」

「そうですね。あっという間でした」

「ジゼル様は、もう慣れましたか?」

「はい。やはり、オルレアンの空気が一番肌に合っています」

「それはよかった。そろそろ、もありそうですね」


 含んだ言い方をされて、ジゼルは顔を引きつらせた。


「そのときは誰よりも早くお祝いをさせてください」

「恐れ入ります。お言葉だけ受け取らせていただきます」


 ここで肯定してしまうと、相手を最も尊重していると受け取られかねない。全員に対して平等、公平であるべきなので、返事の仕方ひとつとっても気を遣う必要がある。


(それにしても、最近、そういう話題が増えた気がする)


 ジゼルだって分かってはいるものの、強制されると何とも言えない感情が湧いてくる。態度に出してしまっていたのか、こそっとアーサーが耳打ちしてきた。


「大丈夫か? 疲れたのなら、少し休もうか」

「平気、平気。もうすぐダンスの時間でしょ?」


 ジゼルもまた小声で返した。高さのあるピンヒールも歩く度に鈍い痛みを訴えてくるが、ジゼルは平静を装う。


(最近外に出ていない分、体力が落ちた気がする。やっぱり体は動かさないとどんどん鈍っていく。とにかくダンスさえ終われば……)


 そうこうしているうちに、演奏が始まった。

 優雅で軽やかな旋律がダンスホールを包み込む。


「ジゼル」


 相変わらずアーサーは仕事で忙しいが、なんとか時間を作ってダンスの練習をしてきた。その成果を披露するため、ジゼルはアーサーの手を取る。

 注目を浴びながら、アーサーとジゼルは軽やかに踊り始めた。


 しかし、練習と違って、微妙にテンポが合わない。

 落ち着いて、という意味を込めてアーサーが繋ぐ手に力を入れてくる。

 合わせようとすればするほど、ジゼルの足はもつれはじめた。


 一曲目のクライマックス。

 アーサーが腕を上げて、その下でジゼルがくるりと一回転しようとしたとき、アクシデントは起きた。


「あっ」


 ジゼルは自分の足につまずいた。バランスを崩して転びそうになる。すかさずアーサーがジゼルの体を受け止めて大事には至らなかったものの、嫌な痛みを足首に感じた。


(しまった。捻った……!)


 ジゼルの些細な表情の変化に気づいたのか、アーサーはそのままジゼルを横に抱きかかえた。優雅でよどみのない流れに、人々は感嘆を漏らす。


「失礼。皆はそのまま楽しんでいてくれ」


 音楽を止めることなくアーサーとジゼルはダンスホールから出た。


「痛むか?」

「ごめ、」

「謝ることはない。そういうこともあるさ」


 アーサーはジゼルを部屋まで連れていくと、そのままベッドに座らせた。


「使用人を呼んでくる。今日はゆっくりお休み」


 ジゼルの頬にキスを落とし、髪を撫でる。これからアーサーは一人でダンスホールに戻るのだ。それはとても不名誉なこと。

 ジゼルは泣きそうになるのをぐっと堪えた。


(……情けない)


 辺境伯夫人としての社交を全うできなかった。ただ、それに尽きる。

 やがて使用人がやって来て、ジゼルの足には薬草の湿布が巻かれた。


(ジルの家の、においがする)


 ひと月ほど行けていないエルフの家を思い出しながら、ジゼルは眠りについた。




***




 ジゼルが足を捻った翌日。

 ベッドに横になっていると、使用人が来客を告げた。


「奥様に、お客様がお見えです」

「客?」


 ジゼルが首を傾げるのと、使用人の後ろから懐かしい顔が覗くのは同時だった。


「うわっ、ほんとに奥様って呼ばれてるの」

「クレメント!」


 若草色のショートボブに、ブラウンの三白眼。白を基調とした神官服に身を包んだ小柄な女性の名は、クレメント。

 ジゼルと共にパーティーを組んで魔王討伐に貢献した魔法使いだ。

 首から提げているペンダントの色は紫で、国内でも数人しかいない特級神官の身分証でもある。すんなりと辺境伯の館に入れたのは、この身分証があるからだろう。

 

「どうしてここに、あいたたた」


 ジゼルはベッドから飛び出た勢いで、捻った足首に痛みが走る。


「ははっ。救国の勇者ともあろう人間が足首を捻挫? 面白すぎるんだけど」

「う、うるさい」


 涙目で反論するジゼルに、クレメントは近づいた。


『主よ、尊き御方よ。

 氷はかたくなめらかに

 水は冷たくまろやかに

 湯は温かく空へと還りたまえ』


 クレメントがジゼルの足首へ手をかざすと、温かな光が生まれる。


「はい、治癒完了っと」

「……ありがと」

「高くつけとくよ?」

「相変わらずお金が大好きね」


 ジゼルは肩を竦めてみせた。


「当然。生きていくのに必要なものは、一にお金、二にお金。と言いたいところなんだけど、三十歳が近づくにつれて、一は健康だなって思うようになってきた……」


 クレメントが途中から視線を遠くへと向ける。


「分かる。今までだったらあれくらいのことで捻挫なんてしなかったのに」

「徹夜の治療もできなくなっちゃってさ、困る困る」

「好きな言葉第三位、深夜手当ってのは健在なの?」


「あ、あの」


 ふたりのやりとりを廊下から見守っていた使用人が、おずおずと声をかけてきた。


「差し出がましくすみません。もしよろしければ、温室でご歓談なさってはいかがでしょうか? お茶をご用意させていただきますので」


 ジゼルとクレメントは顔を見合わせた。

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