第7話 発覚と否定
***
季節は移り変わり、少しずつ、汗ばむ陽気の日も増えてきた。
夫人教育の傍ら、少しでも時間があれば、ジゼルはジルの元を訪ねるようになっていた。勿論、服は使用人室から拝借したものを着てきている。
まだ誰にも、ジルに弟子入りしたことは話していなかった。
鮮やかなオレンジ色をしたキンセンの花をひとつずつ選別する。肌荒れに効く軟膏づくりを教わっているところだ。
「蜜蝋を持ってきましたよ」
「ありがとう」
ロビンが持ってきた蜜蝋は艶々としているが、食べられない。
食用の蜂蜜は別に用意してあって、今日のおやつになる予定だ。ホットケーキにたっぷりとかけよう、とジルが話していた。
「それにしても熱心ですね。すぐに来なくなると思っていました」
「……薄々分かっていたけれど、ロビンって失礼極まりないよね」
「何人か前例がいたからですよ」
ふん、とロビンが鼻を鳴らす。
見た目通りの幼い反応にジゼルが笑うと、より不機嫌さを醸し出す。これもロビンの性格だとジゼルは知っていた。
傍らで貼り薬を作っていたジルが口を開いた。
「そろそろ蒸留も教えてあげようか」
「え、いいんですか!」
「精油を作れるようになれば、作れる物も増えるからね。あんたは魔法が使えるから、あたしたちと同じやり方を教えてあげられる」
薬草からより強い効果をもたらす精油を作り出すのが、蒸留だ。
薬草を釜に入れて加熱して、香りの成分を水蒸気に含ませた後、冷ますことで再び液体に戻る。その上澄みが精油として用いられる。
そんな説明に、ジゼルは熱心に耳を傾ける。
「ところで、色々と覚えるのはいいけれど、目標はあるのかい?」
初めての問いかけに、ジゼルは少しはにかんだ。
「いつか、生家で薬屋を開きたいんです。今すぐには無理かもしれないけれど」
アーサーもジゼルが何かをしているのは気づいているかもしれない。
しかし基本的に辺境伯の多忙は変わらず、数日に一度会えればいい方だった。
(だからこそ、打ち明けたときアーサーに認めてもらえるように、もっと勉強しなきゃ)
***
日に日に暑さが増してきた。
ジゼルはじんわりと額に滲んだ汗を拭う。
木陰とはいえ気温は高い。蒸すような土や草のにおいが濃い。
(やっぱり、体を動かすのは楽しいな)
ジゼルは単独で森に入り薬草を摘んでいた。ジルの館に戻ったら、自分で摘んだ薬草で、ついに精油作りを教えてもらう予定だ。
籠の半分くらい薬草を収穫できたところで、小川を見つけたので、休憩しようと腰を下ろす。
きらきらと煌めきながら流れる水。
ジゼルは屈んで、両手で水を掬った。ひんやりと心地よく、そのまま口をつける。
喉を冷たさが通っていった。
空を見上げると、光の加減なのか、木々や雲の輪郭がくっきりと見えた。
巨大な入道雲と青空のコントラストが、眩しい。
(そろそろ、アーサーに言ってもいい頃合いかな)
ふぅ、とジゼルは息を吐き出した。
ジルの元に通っていることはまだ打ち明けていないが、そろそろ限界だろう。
この国において、医師としての役目を担うのは神官たち。神官たちは回復魔法や治癒魔法を用いて、完全な治療を行う。
薬師は神官に診せるまでもない怪我や病気の治癒を引き受けている。あくまでも補助的な立場でしかない。
ジゼルが生家を薬屋にしたいのは、両親のように病気で亡くなる人を減らしたいから。
ジルから教われば教わるほど、薬草をもっと身近なものにしたいという想いが強くなっていた。
(領地の人たちの役に立てるんだもの。反対はされないと思うけれど)
ちくり、と何かが胸を刺した。思い出したのは、一度だけアーサーがしてきた『反対』。
魔物討伐。
危ない目には遭わせない、と言われた。
(いや、でも、薬師に危険な内容はない、よね……?)
小型の魔物とたまたま遭遇したら倒す。それくらいのことならあるかもしれない。
(どうして、言い訳みたいに考えてるんだろう)
ジゼルは首を振って、もやもやとした感情を振り払う。
採集の続きをしようと立ち上がったときだった。
がさっ!
「そこにいるのは誰だ!」
聞き慣れたはずなのに知らない恫喝。
ジゼルが恐る恐る顔を上げると、そこには馬に乗ったアーサーがいた。表情こそ崩していないものの、わずかに動揺の色が浮かんでいる。
「……ジゼル? どうしてこんな森の奥にいるんだ」
(しまった、見つかった……!)
予期せぬタイミングにジゼルの血の気は引いていく。
どこからか、静かに、力強く、遠雷が聞こえてきた。
***
ジルの家で、一通り事情を聞き終えたアーサーの眉間には皺が寄っていた。
「事情は分かりました」
出された飲み物に手を伸ばしていない。声もどこか暗い。両腕を組んだまま、アーサーがかたく瞳を閉じる。
テーブルを挟んで向かいに座ったジゼルの背中を冷や汗が伝った。
(黙ってたこと、怒ってる……?)
「勉強熱心で、とても真面目な奥方様だよ」
ジゼルの隣に座るジルは薄く微笑む。エルフは人間に従うことがないので、誰に対しても同じ態度をとる。それはアーサーに対しても例外ではなかった。
はぁ、とアーサーが溜め息をつく。
「どうして何も言ってくれなかったんだ?」
「それは……」
ジゼルは視線を床に落とした。
アーサーの問いかけに対する答えが見つからない。だからこそ、そのまま口に出してしまっていた。
「……どうしてだろう」
「は?」
「あはははは!」
アーサーが呆れ声を出したのとジルが大笑いしたのは同じタイミング。
「面白いもんだ。救国の勇者といえど、人間は人間か」
「あなたは黙っていてください」
辺境伯に睨まれても、ジルはどこ吹く風といった様子だ。
それを見て、ジゼルは探していた言葉が見つかったような気がした。膝の上で拳を握る。喉がからからに渇いている。声を、振り絞る。
「誰に何を言われても平気だと思っていたけれど、アーサーに否定されるのはこわいって思ったんだ」
「否定?」
「もう戦わなくていいんだって言ってくれたよね。だけどわたしには戦う以外の選択肢がなくて、それを否定されたら、これまでの自分が否定されてしまったような気がした。だから、こっそり館を抜け出した……んだと、思う」
(自分は強いと思っていたけれど、全然、そんなことはなかった。大切な人に認めてもらえないかもしれないという不安は、とても恐ろしいものだったんだ……)
「その後は、打ち明けるタイミングを逃してずるずると今日まで来てしまったけれど。でも、ずっと黙っているつもりはなかったし、今こうしてやっていることをアーサーに認めてもらいたいって思ってる。勿論、辺境伯夫人の仕事もおろそかにはしないから!」
最大限の笑顔をつくり、ジゼルはアーサーを見つめた。
「……」
「……アーサー?」
「だめだ」
それは、冷や水を浴びせるような言い方だった。
「立場をよく弁えてほしい。今自分で言ったように、君はもう、辺境伯夫人なんだ。やらなければならないことと、やってはならないことがある。君が黙って館を抜け出した時間は、夫人として研鑽を積むべき時間だった」
(伝わらなかった。解って、もらえなかった)
笑顔を保つことはできなかった。
座っているのに、ジゼルは自らの足元がぐらぐらと崩れていくように感じていた。
「帰ろう、ジゼル」
アーサーが立ち上がって、ジゼルに近寄り、肩に手を置いた。
ジゼルが反応しないことには構わず、アーサーはジルにも顔を向ける。
「これまで妻がお世話になりました。今後ここに来ることはもうありません」
外ではいつの間にか滝のような大雨が降っていた。激しく地面に叩きつけられる水滴、轟く雷鳴。
何を言おうともアーサーの耳には届かないようで、迎えに来た馬車に乗り込んだジゼルは固く目を瞑った。
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