第4話 結婚式、その夜

***




 翌朝。

 ジゼルが客室で支度を終えるのと同時に、扉が優しくノックされた。


「おはよう、ジゼル」

「おはよう」


 廊下に立っていたのはアーサーだ。ジゼルが少し見上げる形になり、視線が合う。

 朝だからか、アーサーはゆるく前髪を下ろしているし、少しラフな格好をしている。


「昨日は色々とすまなかった。ゆっくり眠れたか?」

「うん。部屋でゆっくりしていたから、全然問題なかったよ。わたしのことより、みんな怪我なく魔物退治できた?」


 アーサーの様子からは、ジゼルが館を抜け出したことには気づいていないように見えた。だからこそ、ジゼルはとぼけて尋ねてみる。


「結局、朝方まで捜索したものの、魔物は見つけられなかった」


 アーサーが首を横に振った。心なしか、美しい菫色の瞳の下には、隈が出ているように見えた。


「そ、そっか。大変だったね」


(しまった。痕跡もすべて消してしまったから、魔物がいたかどうかも分からなくなっちゃったんだ……)


 ジゼルの背中を冷や汗が伝う。

 しかし、浮かべた苦笑いは、アーサーの瞳には労いに映ったようだった。 


「これから報告書を作成して、提出手続きをしなければならない」

「がんばって……」

「君ももう少ししたらイネスがやってくるので、結婚式の段取りと、夫人教育についての話を聞いておいてくれ」

「うっ⁉」

「これから忙しくなるとは思うが、ふたりの時間は極力作るつもりだ。決して君を放っておいているのではないということは知っておいてほしい」

「勿論だよ。お仕事、お疲れさま」

「あぁ」


 ふわりと微笑み、アーサーは去って行った。


(抜け出したこと、全然気づかれていないみたい。……よかった)


 ジゼルはようやく胸をなでおろした。

 同時に、新たな違和感を覚える。


(どうして、今『よかった』って思ったんだろう?)




***




 ――話は冒頭に戻る。 




 教会の礼拝堂。

 ステンドグラスから差し込む光は深く美しい空間を生み出している。ふたりの結婚を、空もまた祝福しているのだ。


 ウェディングドレス姿のジゼルは、静かに身廊を進む。

 長い長いヴェールは神官たちが床につかないように持って、花嫁の後に続く。


 なお、挙式後にヴェールは浄化されたナイフによって切り分けられ、人々に配られる。美しいレースはたとえ一切れでも端っこだとしても、持っているだけでも幸運を呼び込むアイテムとして尊ばれる。


「お美しい……」

「あの方が、救国の勇者さまか……」


 両脇の長椅子には、各地の領主や領地内の有力者たちが腰かけている。

 ジゼルは共に戦った仲間を招くか迷ったが、全員多忙なので招待状は出さなかった。皆、落ち着いたら辺境領まで足を運ぶと言ってくれているので、積もる話はそのときにでもすればいい。


 厳かな雰囲気のなか、さざ波のように拍手が続く。

 祭壇の手前では白の正装に身を包んだアーサーが待っていた。


「お待たせ、アーサー」

「……きれいだ」


 アーサーがジゼルへ向ける瞳は潤んでいる。

 頬が上気していることに、目の前のジゼルだけが気づいた。


(そういえば、アーサーも、昔は泣き虫だった)


 鼻のあたまが赤くなり、ふにゃっと笑うのは、アーサーがうれし泣きするときの癖。

 幼い頃のやり取りを思い出し、ジゼルはくすりと笑みを零した。


「ヴェールで顔が見えないっていうのに?」

「見えなくても分かる。君は世界で一番美しい。君の夫となれることがこの上ない喜びだ」


 祭壇の前に新郎新婦は並んで立った。

 この国での結婚式とは、神に対して永遠の愛と誠実を誓う儀式でもある。

 また、神へ誓うことによって、教会から神に代わって祝福が与えられるのだ。




***




 無事に結婚式を終えた晩、ジゼルはアーサーの部屋の隣に正式な自室を与えられた。


(夫婦になってしまった……)


 柄になく、そわそわしていた。

 理由はひとつ。

 恥ずかしさから拒否し続けてきた入浴係による『丁寧な湯浴み』も、今日こそは拒むことができなかった。隅々まで体を磨かれてしまった今、爪までもぴかぴかに光っている。

 数日間過ごした客室と似た造りの自室には甘い香が焚かれていた。


 ベッドに腰かけて、うとうとしかけていたとき。


「入っていいか?」


 扉がノックされて、入ってきたのは前髪を下ろしたアーサーだった。


「今日はお疲れ様」

「ア、アーサーも、お疲れさま」


 透け感のあるジゼルの寝間着姿に、アーサーは僅かに目を見開いた。

 それから、小さくぷっと吹き出した。


「緊張しすぎだろう」

「ど、どうして」

「耳まで真っ赤だ。そんな状態の君に近づくのは憚られる」


 アーサーはわざとらしく溜め息をつくと、ベッドから離れた椅子に腰かける。


「百戦錬磨の勇者も、閨事には緊張するのか?」

「ねっ……」


 このままではいけない、とジゼルは姿勢を正す。

 十代のうら若き乙女なんて時代はとうに過ぎ去った。もうすぐ三十歳の、いい大人なのだ。


(正直なところ、子どもの頃の口約束なんて、すぐに忘れ去られてしまうと考えてた。アーサーは辺境伯としてこの地を背負って生きていく身だし、もっと相応しい人が現れると思って……ううん、今でも思っている……)


 そして、そんな卑屈さも、口に出したとて意味がない。

 今伝えるべきなのは、もっと他の言葉だ。


「十三歳からずっと、戦いに身を置いていたから。鍛錬から始まって、実戦、実践、果てない旅。毎日、精いっぱいだった。死にかけたことだって一度や二度じゃない。このまま、恋愛とは無縁の人生を送っていくんだろうと思ってた」

「恋愛とは無縁、か。私のことは?」


 ジゼルは慌てて両手を振った。


「もちろん、アーサーのことは好きだし、アーサー以外に結婚したいって思える人はこの世界のどこにもいなかったよ! 言いたいのは、それだけ」


 すると、アーサーは立ち上がってジゼルの隣に腰かけた。


「アーサー?」

「限界だ」


 アーサーが顔を両手で覆った。ぴたりと密着されると体温が寝間着越しに伝わってきて、ジゼルはもう一度姿勢を正す。

 するとアーサーはゆっくりと手を顔から離し、顔を横に向けた。


「君以外、いやしない。私の妻となるべき人間は」


 ジゼルを捕まえようとする、真剣な表情。


「……」


 ジゼルは、息を呑む。それから袖をまくって、古傷を露わにする。これが最後の『逃げ』だと自覚しつつ笑ってみせた。


「体じゅう、傷だらけでも?」


 アーサーはジゼルの腕を取ると、古傷をそっと撫でて、口づけた。


「……!」

「傷もすべて、君が勇者として生きてきた証だ」


 アーサーの菫色の瞳にジゼルがはっきりと映る。

 誰に習った訳でもなくジゼルが目を瞑ると、唇にやわらかな何かが触れた。

 一回、二回と重ねられる、ついばむようなキス。


 ジゼルはゆっくりと瞼を開く。

 アーサーの瞳は潤み、熱に浮かされているようだった。

 吐息がジゼルにかかり、心臓が跳ねる。おそらく、ジゼルの吐息も同じように、アーサーへ感情を伝えている。

 アーサーがジゼルを強く引き寄せた。


「愛してる、ジゼル」


 甘い囁きが体の隅々まで染み渡る。指先が痺れていく。

 どんな毒でも耐性がある筈なのに、体がままならない。

 指先や唇で触れられる度、まるでふたりの境界が曖昧になって融けていくようだった。


(どうすればいい? どうしたらいい?)


 されるがままになるジゼルだが、なんとかアーサーの背中へと両腕を回す。

 思い通りにならないのではなく、ただ求めているだけ。手に入らなくて、もどかしくなっているだけ。

 愛することを、愛されることを。

 その証拠に、アーサーとジゼルの鼓動は、同じように速く脈打っている。


「あぁ、ジゼル。君のすべてが欲しい」


 指先が絡められ、力がどんどん抜けていく。

 その熱にジゼルは身を委ねた――

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