第3話 薬師のエルフとの出会い
ジゼルが尋ねると、アーサーは心底申し訳なさそうに眉を下げた。
「すまない、ジゼル。本来ならば今晩は君の歓迎会を開く予定だったが、国境付近に小型の魔物が出現したという報せがあった。今から討伐に向かうので歓迎会は改めて、」
「わたしも手伝う!」
魔王が討伐されたとはいえ、小型の魔物が滅んだ訳ではない。さらにこの地は辺境であり、元々、小型の魔物がたびたび現れては農作物に被害をもたらしていた。
子どもの頃には無理だったが、今のジゼルならば簡単に倒せる。当然のようにジゼルは提案した。
ところが、アーサーはジゼルに手のひらを向けた。まるで制止するかのように。
「君は辺境伯夫人となる女性だ。これからは戦闘に身を置いてはいけない」
「でも、わたしは勇者だよ? 魔物討伐だって最小限の被害に抑えて成功させられる。役に立てる」
「ジゼル」
すると、アーサーは、突然ジゼルを抱きしめた。
厚い胸板に顔を埋めたまま、アーサーからの言葉が降ってくる。
「戦闘において右に出る者はいないだろうが、これからは第二の人生と思って、慎ましく穏やかに過ごしてほしい。もう誰も君を傷つけたりはしない。世界は平和になったんだ――君のおかげで」
そして身を離し、ジゼルの両腕をそっと掴む。
「私は、君が戦うことを望んではいない。これからの君には穏やかに過ごしてほしい。……私の傍で」
ジゼルが食い下がる間もなく、アーサーは行ってしまった。
その脇を、装備に身を包んだ近衛兵たちが慌ただしく駆けていく。
ジゼルは部屋に戻って、扉をしめると、そのまま扉にもたれかかった。
(言いたいことは、分かる、けど)
ためらわなかった。
ドレスを脱ぎ捨てると、いちばん身軽に動けそうな服を選ぼうと勢いよくクローゼットを開ける。ところが夫人となるジゼルのために用意されている衣装ばかりなので、優美なドレスしかない。
なんとかフリルや装飾の控えめな一着を掴むと、勢いよく裾を引き裂いた。
「……」
着替えようとしたとき、姿見に自らの姿が映る。
背中に大きな一本の傷痕。魔王との最終決戦で斬りつけられ、瀕死の重傷となったときのもの。
仲間の魔法使いが懸命に処置してくれて、一命を取り留めることができた。
(そんな怪我を負ったとしても、誰かを守るために戦いたいと願ってしまうんだよ)
なるべくヒールの低い靴に履き替えて、両開きの窓を開ける。辺境伯の館だけあって、ガラスのはめ込まれた窓は人間が外へ飛び出すのに充分な大きさをしている。
……当然、普通の人間ならそんな考えには至らないだろうが。
二階から見渡せるのは、夕暮れに染まる世界。
目の前の大木は、そよ風に枝を揺らしている。
太い枝の位置を確認すると、ジゼルは――勢いよく窓のへりを蹴って飛び出した。
助走のない跳躍。太い枝へ見事に降り立つ。
よしっ、と小さく声に出す。そのまま音を立てずに地面へ着地。
(地理は頭に入っている。先回りしてしまおう!)
軽やかにジゼルは走り出した。
***
鬱蒼と生い茂る森に入りしばらくして、ジゼルは歩みを止めた。
(アーサーや近衛兵たちの足音はまだ遠い。上手くいったみたい)
陽はまもなく沈もうとしている。
これから活発になるであろう小型魔物の気配を探りながら獣道を歩いて行くと、すぐに咆哮のような呻き声が耳に届いた。
『主よ。尊き御方よ――』
左手の人差し指と中指を立て、魔法の詠唱を始めたところで、がさっと音がして、目の前に何かが転がってくる。
両掌を対象へ向けて詠唱を続けようとしたジゼルだったが、すばやく両腕を引っ込めた。
耳の先が尖っている。魔物ではないが、人間でもない。エルフだ。
髪色の右半分は金、左半分は銀。燃えるような赤色の瞳は切れ長。
顔立ちは女性に見えるが、エルフの性別は曖昧だ。
エルフを追いかけるようにして現れたのは四つ足の魔物。口から涎が滴り落ちている。
標的はこちらだと判断したジゼルは呪文の詠唱を再開した。
『その力を以て、偽りの闇に亡びを与えんことを!』
ジゼルの指先が淡い光に包まれる。
弓矢のように放たれた衝撃波は網のように魔物を覆い、地面へ横倒しにさせた。
躊躇なく近づいたジゼルはとどめの一撃を放つ。
魔物は燃えるようにして消滅した。
「お怪我はありませんか?」
ジゼルはエルフに近寄って顔を覗き込んだ。
「あぁ、おかげさまで。助かったよ。……あんた、ここら辺じゃ見ない顔だね?」
「ジゼルと言います。今日、十五年ぶりに帰郷してきました」
ジゼル? と、エルフは名前を反芻した。少し低い、落ち着きのある声色だ。
「ということは、辺境伯夫人になる勇者さまか。道理で強い訳だ」
エルフはゆっくりと立ち上がり、ロングスカートについた土埃を軽く払う。
「儂の名前はジル。似た名なのも何かの縁だね。せっかくだ、お礼をさせてくれないか」
ジゼルもまた立ち上がる。
「家はここからすぐのところにある」
「えっと……」
ジゼルは館へ戻るかどうか迷ったが、アーサーが帰るよりも早く部屋にいれば問題ないだろうと判断して、ジルの誘いに乗ることにした。
どうせ、館にいてもすることはないのだから。
***
出会った場所のすぐ、国境の近くにジルの住まいはあった。
円形で石造りの一軒家はエルフ特有の建築法だ。ジゼルも十五年に及ぶ旅の途中で幾度となく目にした。
「いつからオルレアン領に?」
「さて、どうだったかな」
長命種であるエルフにとって、数十年の出来事は一瞬のうちに過ぎ去るものだという価値観がある。ことわざでも『エルフが瞬きをする間に人間の歴史は大きく動く』と喩えられるくらいなのだ。
「自家製のはちみつ酒だよ。疲労回復に効果がある」
「ありがとうございます。いただきます」
ジルが笑みを浮かべながら、石のテーブルの上に木のカップを置いた。
ジゼルは素直に受け取って口をつける。
「はちみつ酒なのに、スパイシーな香りがしますね」
「うちは薬屋でね。さっきも薬草を採っている最中だったんだよ」
夜に摘まないと効果がなくなってしまう薬草があってね、とジルは続けた。
(だから、至るところに薬草が置かれているんだ)
ジゼルは室内をきょろきょろと見回した。世界を旅してきたジゼルでも見たことのないものばかりで、興味がそそられる。
「どうかしたかい」
「エルフには回復魔法があるから、薬草は不要かと思ってました」
大半の人間は魔力を持たない。ジゼルだって、攻撃魔法は得意だが回復魔法は使い方すらわからない。
怪我や病気を治癒するのは神官のみ。
だからこそ、人々は彼らに頼れないとき、薬草の力を借りる。
一方でエルフは魔法種族。そもそもの長命が保証されている。
事実、ジゼルが旅の途中で出会ったエルフたちは、魔法中心の生活をしていた。
「大昔はね。だが、長く生きていると、便利さに飽きてくるものさ。薬草加工は手間がかかるが、いい暇つぶしになる」
ジルは棚の上に積まれた草の束を手に取った。
小さな葉の集まったそれは、若々しく明るい緑色をしている。
「たとえばこれはヘンルー。香りを身につけるだけでも魔物避けに効果がある。儂は魔法で形を固定させて、ブレスレットにすることが多い」
手渡され、受け取ったジゼルは鼻を近づけた。
なんともいえないにおいに眉をひそめて、すぐにジルへと返す。
「さっきも身につけて薬草採りに出かけてはいたんだが、川辺で落としてしまってね。そしたらたちまち魔物が襲いかかってきたという訳さ」
「そうでしたか」
「ヘンルーは食べられないが、イノンなんかは肉や魚と合わせると上手い。マンネンロは魔法付与しなくても、精神回復に効果がある。ヘンルーよりいい香りがするよ」
「ひとつひとつの効能を覚えているんですか?」
「そうでないと商売にならないからね。知識の吸収は、どれだけ生きたとしても面白いものだよ。好奇心は長寿の暇つぶしにちょうどいい」
その他にも、ジルは色々な薬草の説明をしてくれた。
説明のひとつひとつにジゼルは耳を傾ける。
(ジルの言う通り、知らなかったことを知るって面白いかもしれない……)
気づけば、わくわくしながら話を聞いていた。
「すり潰ししたものを軟膏代わりにするのは一番楽だ。だが、香りをしっかりと抽出したかったら蒸留して精油を作るのがいい。そっちの方が効果も強く、高く売れる」
乾燥させたもの、水に浸けてあるもの。瑞々しく雫を滴らせるものなど、様々な薬草が置かれているだけではない。
遮光瓶も所狭しと並べられていた。
「くくく。儂はこれで生計を立てているんだ」
「商売、ですか」
「領主様の妹が嫁いだ先、そこは太客だよ」
にやり、とジルが愉快げな笑みを浮かべた。
それはかなりいい商売になっていることだろう、とジゼルは判断する。
イネスの嫁ぎ先は辺境領一の商家である。生半可な商売はできない筈なのだ。
話は尽きなかったが、木のカップが空になった頃、思い出したようにジルは言った。
「ところで、そろそろ帰らなくて大丈夫かい」
「しまった。そうですね、帰ります」
慌ててジゼルは立ち上がる。
入口にもたれかかって、ジルはふっと笑みを浮かべた。
「よかったらまたおいで」
さっきとは違う、皮肉のない優しさを湛えているように、ジゼルの瞳には映った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます