第177話 改善しようと努力しようと、埋められない差はありますから

 丁寧にドアをノックし、失礼します、と一礼。

 大きな声でクラスと名前を言って、エマは職員室に入った。

 普段職員室に来るのは日直の日、日誌を担任に出しにくる時くらいだが、今日はそうではない。


「リアム先生、少しお時間ありますか?」


「珍しいですね。どうかしましたか?」


 答案の採点をしていたらしいリアムが、ゆっくりと顔を上げた。

 エマの行動が珍しいのは勿論だが、リアムだって珍しい。

 いつも魔法創造学の準備室にいるとブレアが言っていたのに、ブレアが来ないとわかっているからだろうか。


「ブレアが昨日からずっと悩んでて、苦しそうなので……。どうして別れてなんて言ったんですか?」


「別れるべきだと考えているからです。」


 エマの問いは、大方リアムの予想通りだったらしい。

 すぐに落ち着いた答えが返ってきた。


「確かにルークくんは時々変なこと言うから、ブレアが心配になる気持ちもわかりますけど……ルークくんはいい子です。」


「わかっていますよ。」


 何故かルークの説明を始めるエマに、リアムは少し苦笑した。


「教師として、受け持つクラスの生徒のことはよく見ているつもりです。」


 リアムの言葉を聞いて、エマは驚いたように目を丸くした。

 冷静に考えてみれば、リアムだってルークのことを知らないわけではない。

 ボリュームの大きい変態発言で印象が悪くなっているのかと思ったが、違ったようだ。


「なら、先生もわかってますよね?ルークくんもブレアも、お互いのことがすごく好きだって。」


「勿論わかっています。ブレアがあそこまで誰かに執着するなんて、うちに来て初めてですから。」


 ルークがブレアのことを好きなのは言わずもがな。

 ブレアがルークのことを好きなのは、ブレア以上にわかっていると思う。


「それならどうして認めてあげないんですか?」


 困ったような顔をしたエマが、じっとリアムを見る。

 ブレアは、自己の中に、好きなものだけの世界を作る傾向がある。

 盲目的に愛するブレアに正常な判断ができるとは、リアムには思えなかった。


「感情だけではどうしようもないこともあるんですよ。あの子に交際は無理です。」


「どうしてですか!?」


 リアムがきっぱりと言い放つと、エマは納得いかなそうに少し眉を寄せた。

 説明しないと引き下がりそうにない。けれど、リアムとしてはあまり言いたくない。


「どうしてでもです。あの子に問題があることは、キャベンディッシュさんもいくつかわかりますよね?」


 リアムが問い返すと、エマはぎゅっと唇を噛む。

 俯いてしまったが、すぐに顔を上げた。


「……確かにブレアは子供っぽくて我儘で、自分のこと全然話してくれなくて、身の回りのこと自分でできなくて床で寝たり、魔法のためなら手段を選ばなかったりしますけど!」


 一瞬でかなり多くの問題点が浮上し、リアムは若干顔を引き攣らせた。

 優しくて人の短所を言わなそうなエマにここまで言わせるとは、相当ではないだろうか。


「ルークくんと会ってから、だんだんマシになってきてて……今は先生を納得させるために治すって、頑張ってます。」


「そうですか。」


 理由の1つに生活習慣や態度を指摘されるのは、予想がついていたようだ。

 見透かされることを危惧して、本当の理由を何重にも覆い隠しているわけだが。


「それでも駄目です。改善しようと努力しようと、埋められない差はありますから。理想ばかりを見ていては、大切なことを見落としますよ。」


「どういうことですか……?」


 諦めたような声に、エマは不思議そうに問いかける。

 今まで困ったような顔をしていたリアムが、いつものようににこりと笑った。


「あの子は――普通じゃないんです。」


 繕うような、どこか無機的な笑み。

 無理をしているのがよくわかる。けれど――何を考えているのかは、全く読めない。


「ブレアに交際などできません。あの子が何を言おうと、認めるつもりはありませんので。」


 リアムは綺麗な笑みを浮かべたまま、はっきりとした口調で断言した。

 落ち着いた様子のリアムだが、なんとなく普段と違っている気がする。

 それだけ真剣なのだろうか。


「……できます。」


 ぐっと押し黙っていたエマが、静かな声で呟く。

 無理矢理口角を上げ、不安な気持ちを取り払った。


「ブレアは普通じゃないくらいいい子なので!」


 しっかりとリアムに目を合わせ、負けじと強い口調で言った。

 頑なに反対されると言うから、どんな難しい理由かと思った。


「ブレアはすごく魔法が上手で、優しくて、とっても可愛くてかっこよくて……確かに普通じゃないかもしれません。だけど私もルークくんもみんなも、そんなところが好きなんです!」


 けれどこれなら簡単だ。

 普通じゃないなんて、止める理由にはならない。


「普通じゃないのは、ブレアの素敵な個性です。欠点みたいに言うのはやめてください。」


 ブレアの境遇や体質について何か聞いているのか、察しているのか、はたまた何も知らないのか。

 エマがどこまでを指して言っているのかはわからないが……本気でそう思っているようだ。


「ブレアは子供っぽいとこもあるけど、きっと先生が思ってる何倍も大人です。いっぱい考えて、自分のことは自分で決めれます。」


「口を出すなと言いたいんですか。」


「本人の意思を尊重してあげてほしいんです。」


 笑みを崩さないリアムに、エマは真剣な声で言う。


「私はリアム先生と違って、ブレアが昔どんな子だったかとかどんな時間を過ごしてきたのかとか、殆ど知りません。その代わり、は、いっぱい知ってます!」


 課外授業で出会ったあの日から、見かける度にブレアに話しかけた。

 2年からは同じクラスになり、毎日話すようになって……3年からは一緒に1年生に教える係をしたり。


「ブレアは、ルークくんと会ってから、楽しそうな顔をするようになりました。それって、すごくいいことですよね?」


 始めは、何を考えているのかあまりわからなかった。

 けれどそうしてブレアの傍にいると、ブレアがどう思っているかくらいわかってきた気がする。

 ブレアがどれほど真剣か。

 きっとエマは、リアムよりも知っている。


「大切なことを見落としてるのは先生の方だと思います。ちゃんと、今のブレアを見てあげてください。」


 エマは少し遠慮がちに、けれどもきっぱりと言い切った。

 じっと見つめてくるエマを、リアムは目を丸くして見ている。


「あの子は協調性に欠けたところがあるので心配していましたが、いい友人を持ったようで安心しました。義妹いもうとと仲良くしてくださってありがとうございます。」


 その目をふっと細めると、柔らかく微笑んだ。


「いえ……?」


 突然礼を言われ、エマは戸惑ったように眉を下げる。

 そんなエマを見て、リアムがクスリと笑った。


「昔から、妙に人を見る目があるんですよね。もう一度よく、2人の様子を伺ってみますよ」


 リアムの言葉にエマの表情が明るくなる。

 期待に満ちたサファイアの瞳に、リアムは小さく頷いた。


「……ありがとうございます!」


 嬉しそうに笑ったエマが、勢いよく頭を下げた。

 弾んだ声で「失礼します!」と言うと、そのまま職員室を出て行った。


 その背を見送ったリアムは、疲れたように息を吐く。


「……可能なら、結ばれてほしいと思っていますよ。」


 小さな声で呟いたリアムは、机上に広げていた書類を纏めた。

 続きはいつものように、準備室で行うことにしよう。

 ブレアがまた、何か言いに来るかもしれない。

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